第8話 恋の天使とかいうドチャクソ美人が現れてドキドキだったけどマルチの勧誘みたいに恋愛サポート契約を結ぼうとしてくるんだけど逃げ場がねえ。

 扉を開け放ち、現れたのはとんでもない美女だった。


 白い肌に金色の髪。海外のモデルみたいなスラッとしたスタイル。着ている服は保険の営業さんみたいなピチッとしたスーツ。スカートは短く、ストッキングに纏われた脚が艶かしい。

 そして、シャツの上からもわかる、メロンでも入れてるのかっていう大きな胸。ザ・ナイスバディ。


「あっれー? あなたは? 新しいバイトくん?」


 大きな瞳をぱちくりさせて美女は訊いてきた。美しいのは見た目だけじゃない。その薄桃色の唇から発せられる声も素晴らしかった。涼やかな春の日のそよ風にゆれる可憐な花の如き(どんなだ)声。耳にスッと届く爽やかな声。


 天使だ。これは天使だ。そう思った。まあ、そう思ったのは彼女の頭上に光る輪っかが浮いているのが見えたから、というのもあるのだが。


「もしもーし、聞こえてる?」


 うっとりしていた俺は質問されていることに気がついて、慌てて頭を下げ、自己紹介をした。


「……へー。タマさんの紹介で入ったのね。よろしくね。私はミカ。アンジェール界ってところから来てまーす。ちなみに人間からは天使って呼ばれたりしてまーす」


 ふふ、と笑みをこぼす表情も美しい。


「仕事でここら辺を回ってたから寄ってみたんだけど、やっててよかったわ。最近、この店、おやすみが多くない? 何度か来たんだけど毎回お休みで心配してたのよー。それにしても、人間の子が働いているなんて思いもしなかったわ。うふふ、天さんも面白いことするわね」


 天使のミカさんは機関銃みたいに喋るだけ喋って、嬉しそうに席についた。


 おしぼりを渡しつつ、そういえばと視線を例の影の方に移したのだが、先ほどまでいた影は跡形もなく消えていた。


 俺が置いた水の入ったグラスは空になっていて、おしぼりも使った後があり、さらにはカウンターの上に見慣れない硬貨が置いてあった。知らない文字と奇妙な図形が描かれた硬貨だった。これ、支払いってことかな? 水しか飲んでないけど。


「じゃあ、カシスオレンジくださいなっ」


 おっと、ボーッとしてるわけにはいかない。「かしこまりました」と返事をして、リキュールのボトルと、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す。 


 が、今日も冷蔵庫の調子は悪い。常温よりは冷えているが、冷たくはない。天さんに直してほしいと伝えてたが、

「金があれば直すんやけどなー」と言うだけで取り合ってくれなかった。


 飲食店で冷蔵庫が壊れているなんて常識的に考えておかしいと思わないのだろうか。……思わないんだろうな、人間じゃないし。


 ともかく、隣の小さな冷凍庫はちゃんと動いていて、氷もできているので、説明して了解をもらおう。


「まったく。天さんらしいわ。昔っからそういうところあるのよね」


 氷でオレンジジュースを冷やしていると、ミカさんは頬杖をついてため息を吐いた。その様もファインダーに収めたいほど美しさに溢れている。


「そうでしょうね。今日だって何もわからない俺に店番を押し付けて、どっかいっちゃったんですよ?」


「でもそれはきっと何か考えがあるのよ。彼、いいかげんそうに見えて鋭いところがあるから」


「そうなんですか?」


「うん。ダメダメなところもあるけどね。相談には親身になってくれるし、約束は絶対に破らないし、そういうところは尊敬できるわ。でも、飽きっぽいし、地道な作業は苦手だし、面倒だと思うとすぐ、逃げちゃうし、そういうところはサゲ~って感じよね」


 よくそれで、この店が今まで続いてきたな。


「昔は人間の女の子がお手伝いしててね。その子のおかげではお店はちゃんとしてたのよ。明るくて仕事もテキパキやってて。でも、その子が辞めてからは、もっぱらこんな感じね。店もいつやってるんだかわからないし、席も少なくなっちゃったし、気軽に来れなくなったって、皆も言ってるのよ」


「ここだけの話。売上不振で追い出されそうなんですよ」


「え、そうなの? それは困るわ。ここ、場所的に界道に近いから、私たちみたいな別世界のヒトにとってはちょうど良い場所なのに」


「界道?」


「異なる世界を結ぶ高速道路みたいなものよ。で、ほら、高速道路の料金所の近くってラブホテルが多いじゃない。この店はそんな感じよ。ちょっと一息つこうかって時に、ここはちょうどいい場所なの。だから、無くなっちゃったら困るわ」


 例えがなんか、よくわかんないけど、意外とこの店は求められているんだということはわかった。


「篤くん。この店の存続はあなたにかかってるわ。天さんをうまくコントロールして、盛り上げてちょうだい。そうすればお調子者の天さんもやる気が出てくると思うの」


 そう言われても、実際問題、経験もないのに売上を一〇〇万にしろなんて無茶だ。


「大丈夫よ。あなたなら出来るわ。私も手伝いをするから!」


 ミカさんは身を乗り出して俺の両手を握る。こんな美人に手を握られて顔を近づけられて頼まれたら、断りきれないって。


「まあできることはやってみますけど」


「わあ、ありがと! 頑張りましょ」

 

 胸の前で手を合わせてミカさんは喜んだ。


「でも、そう言っても、具体的にどうしたらいいでしょうかね。売上を増やすって言っても、どこから手をつけていいか」


「そうねー。まずは模様替えして席を増やしたら? 天さんの個人スペースが広すぎない?」


 確かに店の半分以上は天さんがだらだらするためだけの空間になっていて、お客さんが座れる席は四つしかないのだ。これじゃいくら客が来ても売り上げなんてあがらないよな。


「彼、ここから歩いて二分もかからない所に住んでるじゃない。店が終わったらちゃんと帰ってもらった方がいいわよ」


 知らなかった。そうなのか。そんな近くに住んでいるのか。……なら帰ってもらおう。そうしよう。


「昔はその棚が前は壁側にあってね。カウンターの位置が違ったの。ほら、そっちへずらして棚を入れ替えれば、もっと広く使えるでしょ。そうすれば十人くらいは入るんじゃない?」


 なるほど。そうすればこのごちゃごちゃした謎の置物達ももう少し邪魔にならないところに置けそうだ。それは良い。そうしよう。ま、それくらいで売上が上がったら苦労はないが。


「あと、ベランダにスペースがあるなら、そっちも綺麗にしたら良いと思うよ。外から飛んでくるお客さんも結構いるしね。あとねー……」


 ミカさんはその後も、魔寄香っていうお香を焚いて妖たちに開店していることをアピールした方がいいとか、最近はなんとかっていう異世界からの来訪者が多いから、そっちのヒトが好きなお酒を置いた方がいい、とか色々アドバイスをくれた。俺はスマホにメモを取りながら彼女の話を聞いた。


 こんなに親身に助言をくれるのだから、天使とかって呼ばれるのも分かる気がする。とんでもない美人だし。

 ミカさんみたいなお姉さんが上司だったら良かったなぁ。でも、実際に職場で一緒に働いたら、俺みたいにダメなやつには嫌気が差すのかもしれないな。

「お前は使えないやつだな」という先週まで上司に毎日言われていた言葉を思い出して、少しへこんだ。


「んー、そんなとこかな。私が思いつくことは」


「いろいろありがとうございます。明日から色々改善していこうと思います。天さんが手伝ってくれるか微妙ですけどね」


「あてにはなんないでしょうね。あ、そうだ。模様替えをするのなら、手伝ってあげましょうか? 明日の午前中とかなら時間あるわよ?」


 そこまでしてくれるの? 天使かよ。って天使なのか。でも、この棚とか結構重そうだし、ミカさんは腕も細いし、手伝わせるのは酷な気がする。


「ふふ。私、あなたたち人間よりも結構力持ちだから大丈夫よ」


 細い腕を曲げ、力こぶをつくるようなしぐさを見せるミカさん。綺麗で面倒見がよくて力持ちなんて。俺が感動していると、


「……そのかわり、ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」


 すっと身を乗り出して、声を潜めてくるミカさん。甘い吐息。ドキドキしてしまう。


「な、なんでしょう」



ミカさんは俺の瞳をじっと見つめて、そして言った。


「あなた、今、恋をしてるでしょう?」


「はい?」


「わかるの。あなた恋をしてる。しかも結構、拗らせてる。香ばしいの!」


 香ばしいってなんだ。


「その恋、私に応援させて!」


 パンっと両手を合わせてお願いしてくる。


「……えっと、なんでですか?」


「それは私が、恋の天使だからよ!」


 キラキラと瞳を輝かせて、ミカさんはえっへんと胸をはった。


「私はね。人間達の恋愛によって生み出される精神エネルギー、通称ラブエネルギーを集めるためにこちらの世界に来ているの!」


……ラ、ラブ? エネルギー?


「そう! ラブエネルギー! で、集めたラブエネルギーは私たちの世界では色々な物の動力源になるの。だから、私たちは多くの人間に素敵な恋愛をしてもらってエネルギーを集めたいのよ。人間にとっても素敵な恋愛をすれば人生が豊かになるし、Win-Winの関係でしょ?」


 素敵な恋愛か。そりゃ俺だってしてみたいさ。デートとかして、夕日の観覧車で唇を重ねたりしてみたいさ。でも、そんな相手はいないし、一歩を踏み出す勇気もない。


「でも、好きな子いるんでしょ?」


 問われて脳裏に先日、運命的に再開した大学の後輩、優里ちゃんの顔が浮かんだ。


「ま、まあそれなりには……」


「うふふ、そうでしょ。でもうまくいってないと」


 曖昧に頷く。


「そんなあなたのためにいるのが、私たち、恋の天使なのよ!」


 ミカさんの顔がパッと輝いたかと思うと、隣の席においていた鞄を開き、資料一式を取り出すと、どしん、とカウンターの上に置いた。


「恋は人を幸せな気持ちにさせる。恋をすることで人は幸せになれる。ね。そうでしょ。でも、最近の調べでは、性交経験のある高校生男子は一四.八パーセント、女子は一九.三パーセントしかいないの。これは日本でのデータね。で、これが米国になると、五十五パーセントの男女が十八歳までに性交渉を経験しているって結果が出ているの。どう思う? 恋愛イコール性交ではないけれど、恋愛の先に性交はあるわよね。人種が多少違っても性欲の差はあまりないわ。それなのに、日本と米国でなぜこんなにデータが違うのかしら? あなたわかる?」


「え、えっと……どうしてですかね」


 資料を指差しながら、謎のレクチャーが始まったかと思えば、突然の質問。そんなこと訊かれても困る。急に塾の講師みたいな喋り方になって、よくわからないデータとか出されても、頭に何も入ってないよ。

 言葉を挟めずにいると、ミカさんはそんな俺の目を見たまま頷いた。


「日本人は恋愛に対して臆病になってしまったの」


 噛み締めるように言って、ミカさんは深くため息をついた。

 なんだかわからないけど、俺も彼女に合わせて神妙な顔でうなずいた。


「なぜ、こうなったのか。教育が悪いのか、環境が特殊なのか、国の政策のせい? それとももっと大きな、所謂大いなる意志が働いているの? それは誰にもわからない。でも、このままじゃこの国は衰退の道を辿る。恋愛ができない国に将来はないわ」


 じっと俺の瞳を見つめたまま捲し立ててくる。なんの話をしているのか、なんだかわからないが、ともかく俺はタイミングを合わせて頷いているだけだった。


「誰だって素敵な恋ができる。勇気を持って一歩踏み出せば、誰にだって素敵な恋愛が待っているの。でも!」


 ダンっと机を叩いたミカさんは、頭を振ってから、うなだれた。


「……それなのに、なかなか勇気が出なくて一歩が踏み出せない、そんな若者が多いの。恋愛のない世界は悲しすぎる。そう思うでしょ?」


 勢いのあった言葉はいつの間にかトーンを落としていた。すがるような瞳で俺を見上げる。俺が言葉を発しない限り、見つめ続けるみたいな瞳だった。


「えっと……。そ、そうですね。素敵な恋ができれば、いいんですけどねぇ」


 困った俺が迂闊にもそう口に出した瞬間、ミカさんは瞳を輝かせて前のめりになった。


「でしょ!! でも、安心して。そこで登場するのが恋の天使よ。私と契約してくれれば、恋の天使として、あなたの恋愛をサポートするわ」


 早口でまくしたてられながら、資料をめくり、契約書、という書面を俺の前に突きつけた。なんかこれ。どこかで見たような光景だなーと、既視感を覚えた。


 なんだっけ。そうだ。あれだ、中学の同級生から何年ぶりかに連絡が来たと思って喫茶店に出かけたら、こんな風に資料を出されて、よくわからない商材を売りつけられそうになった時だ。ミカさんの言葉の勢いが強くて、どんどん押し込まれてしまうけど、頑張って、その言葉を遮った。

 

「あの……、それってお金とかかかるんですか? 俺、会社辞めたばっかでお金とかないんで……」


 すると、ミカさんは待ってましたとばかりに、笑顔をより一層きらめかせた。


「何か勘違いしているようね! さっきも言ったでしょ。私は人間の恋愛によって生み出される精神エネルギーを集めるのが目的なの。だから、恋愛をしてくれるだけでオケマルちゃんなのよ」


 お金がかからないというのなら、お願いしてみようかな。ちょっと興味が湧いている自分がいる。

 いやでも、ただより高いものはない。何か裏があるはずだ。


「エネルギー取られたら死んだりしない?」


「しないしない。体にも心にも何も悪影響はないわ。体外に放出される恋愛エネルギーを集めるだけだもの。切った髪の毛を貰うようなものよっ」


 その例えは少々気持ちが悪いぞ。


「素敵でドラマチックな恋愛をしてくれれば、それだけでエネルギーがじわーっと放出されるわ。人間には見えないけどね。それを私が特殊な道具でシュインって吸い取るの。素敵でドラマチックな恋愛になればなるほど、純度の高いエネルギーが出るから、私がバックアップして、あなたの恋愛を見事、ドラマチックで素敵なものにしたいの。どう? 協力してくれない?」


 どうやらこちらにデメリットはないらしい。なら、恋の天使が直々にサポートしてくれるのは心強いんじゃないか?


 優里ちゃんと付き合えたりできるのか? 

 付き合ったら、一緒に映画を見たり、映画中に暗闇に紛れて手を繋いだりできちゃうってことか?

 篤さんの家、大学に近いから泊めてくださいー、なんて言って、部屋に来た彼女とそのまま朝までくんずほぐれつの関係になってそのまま大学サボった彼女と一日中イチャイチャしたりとか、できるのか?

 

「そ、それなら、お願いしてみてもいいですけど」


「よっしゃー。契約ゲットー! 嬉しいなぁ。じゃここに名前書いて。そうそう、拇印ちょーだい。うん、オッケー。これで契約完了ね! ビシバシ応援するからねー」


 親指に朱肉みたいなのをつけられて、契約書にハンを押す。


「ここに来てよかったわ。今から事務所に戻って書類作っちゃお。また明日来るね。模様替えも手伝うからねー。じゃーねー」


 ウインクひとつ、嵐のように去っていった天使を見送った。


 ひとりになって冷静になると、なんだかうまい話すぎる気がする。てか、なんか話がよくわからない方向に脱線してないか?



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