第7話 招き猫のロリババアは布団に潜り込んでくるし次の日も天狗はフラフラどっかに行っちゃうし現れた客は一言も喋らない黒い影だしもう嫌だ。


「天狗はアホじゃが、嘘はつかんぞ」


 夜中二時過ぎ店を閉めてアパートに帰り、タマさんに今日の出来事を話すと、こう返された。ちなみに、この時間が一番タマさんは元気だ。


「なんてったって、丑三時じゃからな!」……だそうだ。そんなことはどうでもいいが。


「それにしても、災難だったなぁ。初日からひとりにさせられるとは」


 タマさんは畳に寝転がったまま、顔だけをこちらに向けた。

「誰も来なくて暇じゃ」とぼやき、店からいなくなった彼女は、そのままぶらぶら街をほっつき歩いて、結局アパートにかえってゴロゴロしていたらしい。


 帰るなら帰ると言ってから帰って欲しいものだ。まったく猫はこれだから嫌だ。


「オーナーっていうおばあさんも来て、大変だったんだよ」


「ほう、天狗が苦手と言っていた奴じゃな。どんな奴じゃった?」


「うーん、妖は信用するなって言ってたなぁ。タマさんのことも俺を食らおうとしてるかもしれないって」


「にゃんだとぉ? 儂がお主を? にゃはは。それは愉快。なるほど。そういうタイプの奴か。きっと過去に妖に騙されたり、何か嫌なことでもあったんじゃろうな」


 タマさんは腹を抱え笑い転げた。正体が猫とはいえ、ワンピース姿の少女なのだから、あまりそういうはしたない格好はしない方がいいと思うぞ。


「おっと、そうじゃな。お主が発情したら叶わんからのぉ」


 するわけねえだろ。


「でもさ、俺。わかんないよ。化猫だの天狗だの悪魔だの、今まで存在すら知らなかった連中が突然目の前に現れてさ。何を信じていいのか」


「そんなもん、自分で考えるしかあるまい」


 タマさんはつまらなさそうに言った。天さんにも同じようなことを言われたな。


「結局、人間は信じたいものを信じる。人間だけじゃなく、儂らもそうじゃがな」


「俺はタマさんが招き猫だってのも、まだ信用してないからな?」


「にゃはは。それは心配するでない、事実じゃ」


 まったくもって、ふざけてる。


「で、天狗は店は続けられそうなのか?」


「売上を一〇〇万にしろ、とか言われてるんだよ。無理無理」


「むう。そうなのか? お主が頑張ればどうにかならぬか?」


「無理だよ。ちょっといろいろ調べてみたんだけど……ってか、調べなくても考えればわかるんだけど、月に一〇〇万を売り上げるためには、単純計算でも、一日に三万三千円は売上がないとダメじゃん? でも今日の客は一人だけ。五千円の売上だよ。席だって四つしかないし、どう考えても無理じゃん?」


「ふむふむ。儂は数字は何もわからん。そもそもヒャクマンって言うのはどのくらいじゃ? たくさんか? たくさんのことか?」


 そうだ、この化猫は数字を三つ以上数えられないのだった。


「タマさんに言っても仕方ないか。なんか、もうどうでもよくなりました。……寝ます」


「ふて寝か。にゃはは。よしよし、頑張るお主を儂が慰めてよろう。ささ布団で丸くなろうではないか」



 タマさんはコロリと転がって、俺の枕元に来て、頭を撫で撫でしてくる。


「タマさんは向こうで寝てください」


 その小さい手を払いのけて布団を深くかぶる。


「けちを言うな。また猫の姿で布団に潜り込むぞ?」



「それだけは勘弁して!」


「なら、観念するのじゃ」



 そういって布団に潜り込んでくる猫耳少女。


「んー、人肌で温くなった布団は最高じゃ」



 布団の中で、もぞもぞとうごめくタマさんのことは無視して俺は背を向けて目を閉じた。



 ☆



 天さんの店は汚いし、とっ散らかっている。

 バーカウンターの上にはブリキの玩具や、どこか異国の神でも模したような木彫りの像や、見たことのない柄のカードの束や、とげとげゴテゴテの指輪や、谷川俊太郎の詩集や、ザルフェルが土産と称して置いていった凄く重たい青い石とかが、乱雑に転がっているし、客席側のエリアに置かれたアンプスピーカーや亀の置物なんかにはホコリが白く積もっている。


 口に入るものを提供する店なのだから、最低限、清潔感は持っていなければなるまい……という思考はあの天狗にはないらしい。

 

 だから、今日は徹底的に掃除してやろうと思い、早めに来たのだ。


 しかし、天さんは他人事みたいな顔でのんびりしている。

 まったく、誰の店なんだ。


 昨夜だって、「片付けはオレがやっとくから、篤はもう帰りぃ」とにこやかに言ってくれたのに、何にもしないで酒をかっくらって寝ちゃったみたいだし。


 今朝、店に来たら、バーカウンターには空のグラス。流しにはオレンジの皮と、コーヒカップが水にもつけられず置かれていた。底に輪っか状の跡が残っちゃうから嫌なんだよな。どうしてそういうことが考えられないのかな。


 部屋の奥にあったギターが客席側に放ってあるし、俺が帰る時にはなかった何本かお酒の瓶も空いて転がっていた。


 ソファの上で眠る天さんに挨拶をして、片付けを開始しても、彼は迷惑そうに唸りながら眠り続けていて、カーテンを開けて空気の入れ替えをして、バーカウンターのグラスを片付けて、トイレ掃除に取り掛かったくらいで、ようやく起きてきたのだ。


「おお、片付けてくれてんのかー。おおきに。俺も手伝うわぁ」


 とは言うものの、体を伸ばしたり、屈伸したりと、入念にストレッチをしているなーと横目で見ていたら、今度はギターを手にして、ぽろんぽろんと爪弾きながら、あくびを連発しているばかりで、全然手伝ってくれるそぶりがみえない。

 

「天さんもちょっとは手伝ってください」 



 痺れを切らして言ったが、天さんは俺の言葉を遮ってのんびりした声を出す。


「昨日、色々考えたんや。売上が上がらんでも、なんとか店を続けられへんかなーって」


「……なにか案は出たんですか?」


「なーんも。それにしても、今日はいい天気やなぁ」


 ベランダの向こうを眩しそうに見つめて、ぽろんとギターを弾いた。


「こんないい天気やと、ちょっと散歩行きたくならん?」


 飼い主に外出をねだる犬みたいな、熱湿しめった視線を送られたけど、敢えて振り向かずに答える。


「……店の準備しなきゃいけないからダメですよ。トイレの後はカウンターの整理もしたいんで」


「そうや!」


 天さんが突然、叫んだ。びっくりして振り向く。


「ええこと考えた。オレ買い出し行ってきてやるで。そやそや。色々切らしてるもんがあるんやった」


 俺の話は聞いてなかったようだ。ギターをほっぽると、ガサゴソとソファの脇の散らかった衣類の中から財布を取り出し、「よっこいしょーきち」とか言いながら立ち上がった。


「ほな行ってくるでー。店番よろしくなぁ」


 こちらに言葉を挟む隙すら与えず、スタコラサッサと行ってしまった。


「すぐ帰ってきてくださいよ!?」


「まかされて~」


 ひらひら手を振って出ていく天さん。まったく、今日はちゃんと開店時間までに帰ってくるんだろうな。不安だ。


 そして、不安は的中した。


 彼は帰ってこなかった。



 裏方仕事をしてくれって言われて来ているのに、こうやってひとりぼっちにされたらカウンターに立つしかないではないか。ま、店の片付けはある程度出来たし、よしとしよう。


 どんなお客さんが来るのか不安だけど、昨日店に現れた悪魔ザルフェルのおかげで、ある程度の耐性はついていると思う。あんな化け物を見ても、気を失うこともなく、なんとかやれたわけだし。言葉さえ通じれば大丈夫だ。


 もう、売上のことは考えない。無理だもん。一ヶ月、手伝って、その後は……どうしようか。転職活動をしなければならないけど、それを考えると胸が苦しくなる。

 辞めた会社の上司の声が頭に響く。


「お前みたいな奴は、どこに行ったって使えねえんだ。この会社で頑張れないような奴、どこにも誰にも必要とされないぞ」

 

 じわりと汗が滲む。仕事を辞めても、招き猫に会っても、天狗のバーで働いても、心の傷が簡単に癒えるわけはなかった。ひとりになると辛い。悪魔でもなんでも誰かと話している方が気が楽だ。


 そんな思いが通じたのか、ついに、鉄扉がぎぎぎと開いた。来た。客だ。


「いらっしゃいませ」


 声をかける。が、返事がない。扉は開いているのに、誰も入ってこない。あれ、どうしたんだろう。

 カウンターから身を乗り出して扉の向こうを覗いてみる。が、人影はない。

 不思議に思っていると、突然扉が閉まって、静寂が残った。


 なんだ? あんな重い扉が勝手に開いたり閉じたりなどしないはずだけど。

 不思議なこともあるもんだ、と視線を移動させるとカウンターの四つ並ぶ椅子の一番端に、黒い影が腰掛けていた。驚いて飛び退きそうになるも、なんとか踏みとどまる。


 それはぼんやりとした影だった。なんというか、もやっとした黒い気体で、なんとなく人の形っぽいけど、ゆらゆら揺らめいていて、向こう側の壁が透けて見えるから、実態は無いっぽい。


「あの、いらっしゃいませ」


 ともかく、話しかけてみる。が、その影はまごまごと揺れているだけで言葉を返すことはなかった。

 ちょっと観察してみるけど、よくわからない。影は椅子に座っているらしきフォルムなんだけど、全体的にぼやっとしてるから、手とか足とかがあるのか無いのかもわからないし、どこ向いているのかもわからない。意思があるのか、俺が話しかけているのを認識しているのか、それすらわからない。俺の言葉は聞こえているのかな。言葉とか通じるのかな。っていうか……客なのかな?


「お飲み物は何にしましょう?」


 恐る恐る訪ねてみるが、影は揺れているだけで、一切の反応を見せない。

 こうなるとお手上げだよ。とりあえず、おしぼりとお冷だけ、影の前に置いておいた。


「自分、昨日から働き始めた藪坂篤っていいます」


 返事はない。


「……今日は良い天気でしたね」


 返事はない。


「お客さんはアレですか。この世界の方ですか?」


 返事はない。


「……えっと、何かあれば仰ってくださいね」


 何度か話しかけてみるが、応答は一切なし。根負けした俺は、彼(彼女?)に断りをいれて、空気を変えようと棚から適当にレコードを抜き取り、プレーヤーにセットした。針を落とす。華やかなギターのカッティングの音色が重たい店の空気を少しだけ持ち上げた。


 音楽さえ流しておけば、無言でも気を使わないですむ雰囲気になるから助かる。

 バーに来るお客さんって誰かと何かを話したい人だけじゃなくて、音楽に耳を傾け、グラスの酒をちびちび飲んで、氷を回しながら、物思いに耽りたい、とかっていう人もいるのだろうし、きっとこの影もそういうヒトなのだろう。完全なる憶測なのだけど。


 会話もないので、俺は手持ちぶさたで、酒瓶が置かれている店の整理なんかをし始めた。


 こんな時だからと、一つずつ見ていくと、色々な形の瓶があって面白い。気がついたのは、日本酒や洋酒だけじゃなくて、なんだか、見慣れぬ文字のお札が蓋に貼られている瓶や、奇妙な生物が漬けられている瓶もあるってことだ。ギョッとしてしまう。

 でっぷり太った木製の瓶や、水晶みたいに鏡面の鋭角な瓶もある。もしかして、異世界から仕入れたお酒とかもあるのかな。外国に行った日本人が味噌汁とか日本酒とかが恋しくなるように、この世界に来ている異世界人が故郷を懐かしく思い出すための酒もあるのかもしれないな。

 そんなことを考えていると、入り口のドアが勢いよく開かれた。


「ひっさしぶりー! 天さん元気だったー?」


 弾むような明るい女性の声だった。


 店の入り口に背を向ける形で酒瓶を見ていた俺は驚きながらも「いらっしゃいませ」と振り向き、声の主を見て心拍数が跳ね上がった。悪魔のザルフェルを見たときとは方向の違う鼓動の乱れだった。

 とんでもない美人だったのだ。扉の前にはめちゃくちゃな美女が立っていたのだ。


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