第6話 RPGの中ボスみたいな悪魔の次は店のオーナーとかいう老婆が現れて妖には近づくなと忠告してきたけど近づきたくて近づいてるわけじゃないやい。

「あ。いらっしゃいませ」


 慌てて挨拶をする。ザルフェルのことは一旦置いておこう。また厄介な客だったら大変だ。

 目を細めて観察する。見た目は上品な老婦人って感じだけど。


 老婆は店内をぐるりと見渡してため息をついた。


「相変わらず汚い店ね……」


「す、すみません。お飲み物は何にしますか?」


「私はお客じゃないわ。このビルのオーナーよ」

 

 オーナー?

 昨日の話を思い出した。たしか、天さんはこの店をオーナーに追い出されるかも、と言っていた。

 まさかこんな嫌なタイミングでかち合わせてしまうとは。


「し、失礼しました。俺、今日からこの店ですこしの間、手伝いをすることになった藪坂篤ともうします」


「あら。ご丁寧に。よろしくね。オーナーの堂島よ」


 老婆は微笑んだが、その深い皺の奥にある瞳は俺のことを値踏みするように鋭いものだった。


「……あら。よかった。あなたは普通の人間なのね」


 だが、その言葉とともに、鋭い視線は溶け落ちるように消え、瞳は柔らかく綻んだ。


「そうです。あの、失礼ですが……」


 このヒトは人間なのだろうか。それとも、天さんやタマさんみたいに人外が人間の姿に変化しているだけなのだろうか。天狗の店のオーナーなのだ。人間である確率の方が少なそうだ。

 そんな疑問を察したのか「安心して」と老婆は笑みをこぼした。


「大丈夫。私もあなたと一緒。真っ当な人間よ。こそこそと人間社会に入り込んで、やましい悪事を働く薄汚いあやかしの類とは違うわ」


 トゲのある言い方だった。


「それにしても、今日来るということは伝えてあったのに、やっぱり人外とは約束なんてできっこないのね。老人にあんな階段を登らせておいて」


 オーナーは店の中を見渡してからため息をついた。


「あの。天さんは買い物に出かけてしまっていて……」


「そう、あのヒトらしいわ。仕方ない。また出直します。けど、すこし休ませてちょうだい。階段を上るので疲れちゃって」


 老婆はゆっくりとカウンターに腰をかけた。


「あの、よかったら、こちらどうぞ。お代は結構ですので」


 冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出してコップに注ぐ。冷蔵庫の調子が悪くて、まったく冷えていないが。


「気を使わなくて良いのに。どうもありがとう」


 オーナーはかなりの高齢に見える。髪の毛は真っ白だし、目尻や手の甲を見れば刻まれた皺は深い。

 とはいえ着ている高級そうで年寄り臭くはないし、耳には金色に光るイヤリング、爪には綺麗なブルーのネイル、すこしウェーブがかった白髪なんかも、人に見られることを意識しているような洒落たものだし、背筋も延びていて姿勢も良く若々しくは見える。

 なにより瞳孔が鋭い。まだまだ現役だぞ、という気概が漲っているようだった。けど、いくらなんでもこの年齢で急な階段のビルを五階まで登ってくるのは大変だろう。


「ご足労いただきすみません。天さんもすぐ帰るって言ってたんですけど」


「篤さん。人間のあなたが謝ることはないのよ。ああいうあやかしの類はね。人間のことなんかこれっぽっちも考えていないの。自分勝手で、傲慢で、甘い言葉でつけ込んで、目的のためなら簡単に人を騙すのよ。そうだと思わない?」


 俺の目を見る老婆の声は怒りと諦めを孕んでいた。言われてみれば思い当たる節はいくらでもある。タマさんも天さんも強引だし、かなり自分勝手だ。うまいこと口車に乗せられてる気がするし。

 店番をさせられているのも騙されて貧乏くじをひかされていると言えなくもない。


「思い当たる節があるようね。でも、どうしてあなたのような善良そうな人が、あんな妖の店で働くことになったの?」


 訊かれた俺は今までの経緯を話した。話を聞いている最中のオーナーの視線は怖いくらい鋭く、まるで尋問をしてくる刑事みたいだった。


「招き猫……ね。それも本当かどうか怪しいわよ。気をつけなさい。猫は昔から人間を祟ったり死人を操ったり、災いをもたらす魔として忌み嫌われてきた歴史があるのよ。そのタマっていう化猫もあなたから死の匂いを嗅ぎ取って、食い殺そうとして近づいているのかもしれないわ」


 真面目な顔で言われると、なんだか背筋が寒くなる。言われてみれば、タマさんが本当に福をもたらしてくれるという確証はない。そもそも、駅のホームで俺を助けてくれたのだって、何故なのか、わからない。


「いくら見た目が可愛らしくても、妖には気をつけた方がいいわよ。それと、天宮司さんに伝えておいて。売上があがらない限り、あなたをここに置いておく理由はない。今月で出て行ってもらうからそのつもりでいてちょうだいって」


 お茶を飲み干したオーナーさんは、一つ息をついて立ち上がった。


「お邪魔したわね。あなたも若いのだから真っ当な仕事について、きちんと働きなさい。こんな店じゃなくちゃんとした会社でね。じゃあ、私はこれで」 



 老婆は俺の目を見て微笑むと、背筋を伸ばして鉄扉に手をかけた。


「あ、下までお送りしますよ」


 慌ててカウンターから抜け出して、オーナーの手をとった。



「あら。優しいのね。助かるわ」


 狭い階段を老人が一人で降りるのは大変だろう。俺はオーナーの手を取って一歩ずつ階段を降りた。

 

「ありがとうね。やっぱりあなたみたいな優しい人は妖には関わらない方がいいと思うわ」


 オーナーはしっかりとした足取りで階段を下りきると、そう言い残して去っていった。


 化け猫に天狗に悪魔。ここ数日で出会った異形の者たちの顔を思い浮かべる。

 なんだか恐ろしくなってきた。俺はとんでもない連中と関わってしまったのではないか。踏み入れてはいけない領域に片足を突っ込んでしまったのではないか。


 そんなことを考えながら階段を上りきり、店の鉄扉を開けると、いつ戻ってきたのか大きな悪魔がカウンターに座っていた。

 強靭な肉体を持つ魔境の住人だ。人間なんか簡単に粉砕できるような太い腕に鋭い爪。

 冷静に考えれば、人間がこんな異形のものと関わっていいはずがない。

 目の前にいるのが人間ではないことを改めて思い出し、体が強張った。


「ザルフェルさん。びっくりしましたよ。突然いなくなっちゃうんですもの」


 平静を装って大きな背中に声をかけると、ザルフェルはこちらを見ずにこう言った。


「人間の気配を感じたのものでな。ところで、お前。あの老婆の言葉を真に受けたのか?」



 どうやら彼は俺たちの会話を聞いていたようだ。困った。なんと答えたらいいものか。


「確かにあの女はお前と同じ人間だ。だが、それだけであやつの言葉を信じるのだとしたら、お前は愚かだぞ?」


 そうは言われても……。


「あの老婆は我々のような存在に対して偏見を持っている。まあ、我輩もこんな見た目だ。人間からしたら恐ろしいと思うのも無理はない。妖も我々異郷の者も人間とは生態も思考もまったく違う別の生き物だ。だが、それだけで分かり合えないと決めつけられるのは悲しいことだ」


「す、すみません」


「お前はタマさんと酒を飲み、共に語り合ったのだろう? 天狗とも話をし、この店を手伝おうと決めたのだろう。それはお前が彼らのことを好意的に受け止めたからだ。逆にあの老婆とは何をわかり合った? 老婆は一方的に人外とは関わるなと言っただけではないか。彼女は過去に妖に酷い目に遭わされたのかもしれない。だが、それは個人的なことだ。それをお前にまで押し付けるのは恥ずべきことだ」


 こちらを向いたザルフェルは静かに言う。彼の言葉は間違っていない。


「知らないから怖い。それは誰しも同じだ。だが、こうして我々は知り合えたのだ。ならば、わかり合うこともできるだろう。人間と悪魔ではなく、我輩とお前、個人と個人だ。そこに種族の違いは関係ない。少なくとも、我輩はそう思っている」


 ザルフェルは落ち着いた声で噛み締めるように言った。俺は自分が恥ずかしくなった。

 彼は見た目が人間とは違うだけで、他者とわかり合おうとするその姿勢は真摯だ。俺よりもずっと。


「すみません。俺、人間以外のヒトに会うのが初めてで、深く考えずにいました」


「ふっ。お前は素直だな。素直すぎて誰かに騙されないか心配だ。ま、結論は今すぐに出さないで良い。時間をかけてお前なりに、我々のような者との関わり方を考えていけば良い。その結果、あの老婆のような結論になろうとも、それは仕方のないことだ」


 俺は静かに頷いた。


「それにしても、天狗のやつはどこに行っておるのだ?」


「それが……、わかりません」


「まったく。あやつを信用するのは止した方がいいかもしれぬな」


 ザルフェルは苦笑した。それについては俺も同意だった。


「飲み直すか。もう一杯バーボンを」と注文したザルフェルに、ジョッキを渡しつつ、帰ってこない店主に呆れた。





 店主が帰ってきたのはザルフェルが帰ってから二時間も経ってからだった。



「なんや、怖い顔しとると思ったら、そういうことか。あの強欲女、来とったんか。流石やな」


 深夜一時。フラフラと帰ってきた天さんは俺の機嫌など気にすることもなく、あっけらかんとした顔で笑った。


「オレがいないのをいいことに、篤を取り込もうとしたんやろな。ザルフェルがいてくれてよかったなぁ」



 店の片付けをしている俺の横をひょいと抜けて、奥のソファに寝転ぶ。


「人間が店にいて驚いたんやろな、あの女は。もしかしたら売上が伸びてしまうかもしれんっちゅうことを考えて、篤に不信感を与えて、この店から引き離そうと考えたんやろなぁ」


 のんびりした口調に鼻歌まじりでボサボサの頭を掻く。まったく、呆れるくらいマイペースだ。謝罪の一つもないのが逆にすごい。


「あの女、体力有り余ってるからな。いつもは息一つ上がらんで駆け上ってくるで。でも、篤が優しそうな人間やって見抜いて、弱みをわざと見せたんや。あの女、人の優しさにすぐつけ込もうとするんや。怖いでホンマ」


 そういえば、オーナーが帰るとき、手を取って階段を降りたけど、とても足腰がしっかりしていたな。


「せやろ? 昔っから変わらん。そういう奴なんや。人間ほど怖いもんはいないで。篤は優しいけどその優しさは他人にカモにされるで。気をつけぇな」



 ドキッとした。

 言われてみればそうかもしれない。俺の人生は、断りきれずに、誰かの頼みを聞いて、損ばかりしてきたような気がする。

 学生時代の掃除当番とか、文化祭の役割とか、頼まれると嫌と言えず、面倒な役ばかりを押し付けられてきた。

 就職しても自分の仕事が残っているのに、先輩の資料作りを手伝わされたり、それで自分の仕事が追い付かず上司に叱責されたり。そんなことばかりだった。


 ……てか、あなたにも利用されてる感じがするんですけどね。


「ええ!? なに言っとんねん。オレらは仲間やないか。そんなことせんで」


 本気で驚いたようで天さんは目を丸くした。


「でも、俺わかんないです。喋る猫とか翼の生えた魔境の住人とかに会ったのも初めてですし、何を信じればいいのか」


「んー。のんびり決めりゃええやろ。世の中にはいろんな奴がおるってことや。この店も合わんかったら無理せんで辞めてもええし。ってか、売上が出んかったら来月には店も無くなるしな」


 わはは。と他人事みたいに笑う。


「ちなみに、いくら売り上げがあったら退去しなくていいんですか?」


「えっと……。なんや堅苦しい書面があったなぁ」


 ソファの傍の散らかった場所をガサゴソと探して、しわくちゃの紙を拾い上げ、俺に渡した。


「こういう大事な紙は綺麗にしといてくださいよ。どれどれ、……ひと月で売上一〇〇万円を達成すること?」


「そうやった。そうやった。一〇〇万や」


 待て待て。バーの売上相場はわからないのだが、その金額は途方もなく高いような気がするぞ。


「そうか? 昔はそのくらいいっとったで」


「昔ねぇ。先月はどうだったんです?」


「売上やろ? んーっと、一〇万くらいは、いったんちゃうかな?」


「全然ダメじゃないですか!」


「そうか?」


 あっけらかんとしていられるのがすごい。


「無理無理! 絶対無理ですよ」


「せやろか? 篤が手伝ってくれればいけるんちゃう?」


 このヒト、能天気すぎんだろ。



「まあ、頑張ってみようや。オレも手伝うからさ」


 なんで店主であるあんたが手伝う前提なんだよ。率先してやれよ。俺が手伝う側だろ。まいったなぁ。


「どうしたんや。うかない顔して。自分の意見はビシッと言えるようになった方がいいで。自分の人生なんやから」



 ギターをぽろん、と弾きながら天さんが言った。さすがに俺とてムッとした。 


「じゃあ、一ついいですか?」


「お、なんや?」


「こんな時間まで、どこ行ってたんですか?」

 

「いやぁ、タバコ屋の角で道に迷って泣いてるちっさい童がおってな。なんやお前迷子かー? 家まで連れてったろかー、なんて言って家まで一緒についてってやったら、そこの親御さんにめちゃくちゃ感謝されてな、晩飯ご馳走になってしまったんよ。篤に悪いなーと思いながらも、美味い酒は出るわ、良いもん食わせてもらうわで、帰るに帰れへんでこんな時間になってしもた。悪いなぁ」



 そんな都合のいい話があるのあろうか。……いや、嘘だろ。


 やっぱりオーナーやザルフェルの言うように、このヒトのことは信用したらダメかもしれない。



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