河童と和尚

イネ

第1話

 遠野市の北側に河童淵という静かな小川があって、そこはもう河童がすんでいるというので知られたところであります。

 夏になると全国から河童捕獲隊というのがやって来て、釣りざおやら虫取あみやらをふりまわして、川底まですっかりさらってしまうのです。そのわりに、あなたがたのうちどなたか一人でも、実際に河童を見つけたものがありますか。ないでしょう。


 河童淵の入り口に古い寺がありますな。あそこの和尚が、人間に見つからないよう河童らをお堂にかくまっているという噂です。

 なんたってあそこの和尚ときたら、夏になると大量のきゅうりを買い込んで、人間が何人も入るほどの大きな樽にめいっぱい、ぎゅうぎゅうと漬けるのです。河童の好物はきゅうりであるとは言いますが、和尚が言うには「小僧らがよろこんで食うでな」ということらしいのです。

 小僧というのは、お寺へ修行に出された子供のことです。もちろん人間の子供のことをいうのですが、ここの小僧さん達ときたら、着物の着方はあべこべですし、お堂の廊下を歩くのでもピチピチと魚のような音をたてます。いたずら好きで、居眠りはするし、鼻はたらすし、お経に合わせておならはするし、なにより和尚さんのつるつるした頭のてっぺんをやたらに触りたがったりするものですから、こっぴどくしかられます。しかられても食事の時間にはけろっとして、きゅうりに味噌をぬったようなものをバリバリとうまそうに平らげるのでした。

 近所に住む人々はそんな様子を間近で見ていて、口にはださなくてもめいめい、あれは河童の子が化けているのだと思っていましたから、いつでも、お寺へ米や野菜を運ぶときには、夏ならばきゅうりを多めに持って行ったり、冬でも家で漬けたのが残っていれば「小僧さんへどうぞ」と言ってわけてやるのでした。


 さて、河童捕獲隊の連中もまばらになった、夏の終わりのある日のことです。いよいよおかしな客が、寺をたずねてやって来ました。時代遅れのネクタイに、偽物のメガネをかけた、なんだか気味の悪い男です。

「えっへん! 私はね、東京のね、どえらい大学のねぇ…」

 なんて言って男が差し出した名刺には「へそのごま研究家」とあります。

「小僧さんがたのへそのごまをね、ちょっぴりいただいて、ね、それを煎じて、え、ありがたい薬をこしらえたいと、願います、へへ」

 あやしい話です。

 和尚はだまって男に茶を差し出しました。男はその茶をひとくちで飲み込んでしまって、「あ、熱い、あちち」と、じたばたして、それからまた言いました。

「どうぞ小僧さんを一人ずつここへ呼んでください」

 さあ、お堂の裏では大騒ぎです。すぐにご近所さんらが駆け付けて、小僧をあっちへこっちへ隠します。なぜって、ご存知ありませんか。いくら上手に人間に化けたところで、河童にはへそがないのでございます。

「さあ、逃げろ! そら、隠れろ!」

 一人は柱のかげへ、一人は漬物樽の向こうへ、一人は納戸の奥へ、それからまだ小さな子はおかみさん達がさも我が子のように抱っこして、こっそり懐に隠します。

 ところがなんと鼻のきく男でしょうか。

「じゃ! 逃げるか小僧!」

 男はキッと顔色を変えると、突然、獣のように座布団から跳びはね、大きな釣りざおを取り出してひゅんひゅんふりまわしました。その針先が、障子の裏にぴったりと張り付いていた小僧の着物のえりをぐいとつかみますと、すかさず和尚も跳びはねて、男の足にしがみつきます。小僧は恐ろしさにびゃーびゃー泣きながらそれでも間一髪、するりと着物を脱ぎ捨てると縁側から川の中めがけてトプーンと飛び込みました。するともうあっちの小僧もこっちの小僧も、みんなふんどし一枚になって次々と川へ飛び込んでゆきます。水の中でなら小僧達にかなうものはありません。

 男はくやしがってしぶとく暴れ、和尚ももみ合ううちにすっかり着物がはだけてしまってこちらもふんどし姿で、それでも火事場のくそ力と言わんばかりに男のわき腹に食いついております。そうして小僧達を残らず川へ逃がしたところで今度はご近所さんも総出で男に飛びつくと、毛むくじゃらの手と足と、それから大きなしっぽもひとくくりにしてようやく縛りあげました。

 そうです、しっぽです。研究家だなんて、東京のどえらい大学だなんて、とんでもない。男の正体は、腹を空かしてひどくやせた、毛もちりじりのみすぼらしいタヌキでした。

「やや! 殺生ダヌキめ。腹がへって小僧を食いに来たんだな。こらしめてやる」

 ところがみんなは、なんだか急にタヌキがかわいそうに思いました。それですぐに縄をといてやり、夏の終わりのかたいトマトや、曲がったナスや、残り物の豆腐などを集めていくらか持たせてやると、タヌキは嘘か本当かわかりませんが、泣きながら礼を言って、山へと帰って行ったのです。

 辺りはもう薄暗くなっておりました。

「小僧ら、今日は災難じゃったな」

 和尚が心配して声をかけますと、なんの小僧らは怖いことなんかさっさと忘れて、しっかり川遊びに夢中になっていたのですから、元気いっぱい水からあがってきて、またいつものようにけろっとして言いました。

「和尚さん、腹がへったよう」

 ところがそのときです。誰かが「ありゃ」とつぶやき、みんなも「おや」と思いました。なんと小僧らの腹にはちゃんと一人ひとつずつ、立派にへそがついていたのです。みんなはおかしいやら恥ずかしいやら、なんだか変な顔を見合わせておりましたが、まぁ、陽も落ちたことだし、自分たちも確かに腹がへってきたし、ひとまず一件落着と、家へ帰って行きました。


「よし、それでは晩飯にしよう」

 けれども豆腐もトマトもみんな殺生ダヌキにやってしまいましたから、晩飯と言っても今夜は本当にきゅうりしかありません。小僧らは、体の小さいのも大きいのもそれぞれ自分の茶碗に米を大盛りにして、そこへ味噌ときゅうりをたっぷりのせて腹いっぱい食べました。

 ところがそれにもましてうまそうに食べているのが、和尚です。和尚は米なんてほとんど手をつけずに、きゅうりの太いのを三本も四本もぺろりと飲み込んで、五本目はやめようかと思ったようですがけれどもやっぱり、舌を曲げてずるんと音をたてると、五本、六本、そして七本を平らげました。小僧らはそれを見てくすくすくすくす笑いました。

 山では殺生ダヌキが、久しぶりに腹をいっぱいにして、うつらうつらと心地よく、月光色の草のかげに横になっております。そしておそらくは寝言でしょうが、こんなことをしきりにつぶやくのでした。

「あの和尚、へそがなかったなぁ」

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河童と和尚 イネ @ine-bymyself

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