第5話「荷物を担ぐ」

 フリーターなりのマナーとして、リタイヤを宣言してから一ヶ月ほど消化試合をこなした後、日雇い派遣の会社に登録した。当時、日雇い派遣は、「登録制バイト」と呼び方を少しマイルドに変えて、爽やかな印象のテレビCMを流す会社がいくつかあった。これは金貸しが明るいCMを流したがるのと同じ、悪いものを良く見せたいという理屈なんだと思う。実際は、長時間労働の合間にトイレへ行くタイミングを逃したオッサンが重い物を持ち上げた拍子にクソを漏らして泣いたり、大型トラックの箱型荷台の中に二十人ほどで詰め込まれて現場まで運ばている間、なぜか誰も口を利かなかったり、爽やかさのかけらもなかった。それでも、時給が良くて、金が貯まればすぐに辞められて、なおかつ誰でも雇ってくれるというのは、考え方によっては夢のような働き方だった。


 引っ越しシーズンに入る頃に始めたので、引っ越し屋の手子として派遣されることが多かった。旅人になる前にまず、旅立つヤツの荷物を担ぐ羽目になった。


 ある日、松山中から集められた荷物を、行き先別に長距離のトラックへ積み替える作業をやっていると、荷物の中に、「池田 悠紀」という名前を見つけた。荷物の自転車に、高校の名前が入ったステッカーが貼られていた。それと、送り先が三重というのを確認して、私の友達の池田で間違いないと思った。いくら松山が狭い街だとはいえ、こんなこともあるんだなと感心した。

 彼は八つ年下で、その年高校を卒業したばかりだった。三重にあるホテルの厨房へ就職が決まっていた。元々は弟の同級生で、歳は離れているが、池田と私は気があった。初めて会ったとき、池田はまだ小学生だった。


 自転車を運びながら、調理科だった彼が、学園祭の展示用に作ったケーキは、スポンジの代わりにプラモデルの箱を使っていたこと。ラグビー部で、最後の試合を負けて終わったときに泣いたこと。そのくせ卒業式では笑っていたことを思い出した。周りの人間が、愛媛を離れていくとき、いつも寂しい気持ちになったが、どういう訳か、この時は寂しさがなかった。「頑張れよ」とただ応援したい気持ちだった。

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