第6話 誕生と祝い
――遠くの方でスマホのアラームが鳴り響いている気がする。
もぞもぞとスマホを探し当てて、薄めで待ち受けの時間を確認。朝の七時だった。
まだ二度寝をしたい気分ではあるんだけれども、そろそろ起きないと出社の時間だ。
とはいっても、ここは会社の中なんだけれどね!
そんな一人寂しいノリツッコミをしながらちゃんとデスクワークスタイルの服装に着替える。この職場は基本服装自由ってなっているけど、家にいるような格好じゃTPOというものにそぐわないらしい。一応、それなりの格好をする。
そして、備蓄用の棚からビスケットタイプの栄養食とミネラルウォーターを取り出して、咀嚼しながら水で食べ物を流し込んでいく。
最後にあちこちに跳ね回っている髪の毛を何とかブラシで整え、ようやくおれ専用の部屋から飛び出した。
「おはようございます」
あくび交じりで挨拶をしながら徒歩一歩の出社。もちろん出社時間前だ。もちろん誰も居るはずが……、
「おはよう結城君。ちゃんとご飯は食べたかい?」
誰もまだ来ていない時間だというのに、社長がおれのデスクの前でコンビニの袋をひらひらと見せびらかしていて、おれは一瞬幽霊が出たのかと思って腰を抜かしそうになった。
「社長。おはようございます。ちゃんとご飯は済ませましたよ」
「君のことだから、またブロック栄養食と水のみでしょ」
「うっ……」
見透かされたような発言を言われて、おれは反論する言葉が出ない。
「ダメだよー。ちゃんとご飯は食べておかないと。コンビニでおにぎりと揚げの味噌汁買ってきたから食べないさい」
そう言って、おれのデスクの上にコンビニの袋を置いた。
「ありがとうございます。いくらでした? 部屋に戻って財布取ってきます」
「いいのいいの、残業代ってことにしておいて。今、結城君に倒れられても困るからねー」
社長は愛想よく、おれからの申し出を断ったのだった。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
コンビニの袋を開けると、ツナと昆布とおかかのおにぎりがそれぞれ入っていた。おれはポットの湯を味噌汁のカップに注いで、かき混ぜてずずっとすすった。
寒空に沁みるような温かさだった。
「おいし」
おれはほっこりしながら社長からの差し入れを堪能する。
「それは上々。ところで、さっき偶然例のプログラムのファイル名を見てしまってね」
「あ゛」
社長からの一言はまるでおれの黒歴史を覘かれているような気分になって、さっと血の気が引く。
「なかなかステキなネーミングセンスじゃないか。『サチ』だなんて。幸福の幸から取ったのだろう?」
「ちっ、違いますよ。おれの名前が航幸(かずゆき)なので、その幸から取ったんですよ。仮のファイル名なんで、そんなに詮索しないでください!」
おれは急いでファイル名が表示されていたウインドウを消して隠した。
「ごめんごめん。そういうことだったのだね。まぁ、今がとりあえずは第一歩だ。皆で協力して頑張ろうじゃないか」
プロジェクトの進行を最初は六人と社長のみの少人数で行ってきたが、進捗が進むごとにどんどん社内での協力者は増えていった。
ただ秘匿義務の重点が多い箇所は任せることが出来ないので、プロジェクトメンバーではない他の皆は社内で感情を言葉にまとめた辞書と睨めっこしながら言葉を点数化するという作業などを手伝ってくれた。
まぁ、途中で『第一回エモい言葉選手権』などと辞書を見ながら一番エモい言葉を発掘するコンテストを始めて、最終的に最優秀エモい言葉が『こぼれるイクラ』と全くエモさからかけ離れたものになったのは目を瞑っておこう。
基礎が出来てきてからのデバッグでもかなりの苦労があった。動物園のベビーラッシュの記事が大半を占めていた日は、動物王国を建設しようとか提案し始め、国の八割が肉食動物で覆われる修羅の世界が誕生してしまったり、はたまた、悲しいニュースばっかり続いた日には『国家終了のお知らせ』なんて世紀末感バリバリのご提案が始まってしまったりしていた。見たときの全員の血の気が引いたのは言うまでも無い。
試行錯誤を繰り返し、いつの間にか季節は冬から春になっていた。
季節が変わっても、おれは家で引きこもったり会社で泊り込んだりの生活を送っていた。
納期のリミットまでギリギリの最終調整を続けて、、
「おわったー!」
“Sachi”(仮)がやっと完成した。
「みんなご苦労様」
へとへとで机に突っ伏しているメンバー全員を社長が労う。
「さて、明日にはそのソフト明日には提出しにいくとして、今日はひとまずこれで作業を終わってくれて構わないよ」
「社長、もしかして早上がりさせてくれるっすか!」
田中が嬉しそうに尋ねると、
「いいや、これからお疲れ様会として皆でご飯会するぞー! おー!」
社長はノリノリで手を挙げたが、メンバー全員嫌な顔を始める。理由は至極簡単だ。凄く疲れたので家より他の場所に行きたくないのである。
「社長! 動きたくないっす」
「田中に同感」
再びぐったりし始めるメンバーたち。
「そういうこともあろうかと、ケータリング頼んだから会社で食べるよ。もちろん僕の驕りさ」
「社長! オレ 好き!」
田中が何故かカタコトで社長に愛を叫んだ。
社内総出で行われている、お疲れ様会。おれは適当に料理をいくつか見繕い、社内の隅っこでジンジャーエールをちびちび飲んでいた。
「なんで、今回の主役がこんな隅っこにいるんすか?」
紙皿にこんもりと料理を持っている田中がおれに話しかけてきた。
「プロジェクトリーダーという肩書きだけだから、主役でもなんでもないし、おれはジメジメするのが好きなんだよ」
「そうっすかー。あ、隣いいっすか?」
どうぞと言うと、田中は嬉しそうにおれの隣へと来た。
「それにしても、先輩の作った人工知能、デバッグ見たときからすげぇって思ってたんすよー。処理もスムーズだし、バグもそんなに酷いものも無かったし、さすがっす」
「大学時代で好きなだけ作っていたから、そういうのには慣れているんだよ」
「なるほどー。でも、アレだけ凄いAIだったら、AIにも感情を持たせるとかしないんすか?」
「今回は心を宿して云々のタイプじゃないとおれが判断したから作らないだけだ」
そう、無のプログラムが有の心を宿せば……。
そんな事を考えていると、向こうの方で社長がおれのことを呼んでいる声が聞こえた。
「悪い、社長に呼ばれたから言ってくる」
「あ、行ってらっしゃいっすー」
田中はヒラヒラと手を振っておれを送り出した。
「……へぇー」
Sachiの完成はおれたちにとって喜ばしいスタートなった。
なったはずだったんだ。
――まさか、あんなことになるだなんて。
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