記憶喪失になったけど実質ノーダメ

@nnamminn

第1話

 目を開くと、そこには美少女がいた。


 十代前半と思しき小さな体躯にブレザーの制服をまとい、中央で分けた前髪をかわいらしい髪留めでとめている。首元のほつれたマフラーはどぎつい赤色で、少女のはかなげな雰囲気と破滅的に合っていない。あらわになった無垢なおでこは理由もなくつっつきたくなる魅力に満ちている。


 彼女は私の視界の隅の方で、せっせと花瓶に花を活けていた。花瓶の横ではありふれたデジタル時計が正午過ぎの時間を示している。私はベッドに寝かされているみたい。心電図の電子音が聞こえ、点滴の管が見える。全体的に白く清潔な空間だから、入院患者かもしれない。


 へいへいそこの美少女さんと声をかけようとしたけど、出たのは声とは呼べない掠れた音だけだった。体もほとんど動かないし、これは相当長い間寝てたんだろうな。


 しかし美少女さんはその掠れた音を聞きつけたらしく、私の方をちらと向く。目が合って、ぱっちりした瞳を大きく見開いた。


「お姉ちゃんっ!」

「ぐふぅ」


 かと思うと目にも止まらぬスピードで抱きついてきた。寝たままタックルを食らったようなもので、先程よりは声らしいうめき声がもれる。んもう、病床の相手にやっていいアクションじゃないぞ。


「お姉ちゃん……よかった、よかったよぉ……」


 文句を言おうとしたけど、私に覆いかぶさったまま美少女がしくしく泣き出したので、優しく頭をなでてやる。抱きつかれた衝撃で多少は体が勝手を思い出しているのか、腕はなんなく動いた。ふわふわした栗毛の髪が指の間をすり抜けていく。


 この美少女は私の妹なんだろうか。それとも私を姉と呼び慕う近所の子供とか。なんにせよ、私の目覚めを心から喜んでくれているのは確かだ。きっと大切に思われているのだろう。


 だからこそ、はっきり言ってあげなきゃいけない。


「ぐす……そ、そうだ、お医者様呼んでこなきゃ……お姉ちゃん?」


 べそをかきながら立ち上がった美少女。その制服のすそを引っ張って止める。


 ぬか喜びはさせたくないから、分かりやすくいこう。


 私はゆっくりと深呼吸した後、寝起きからちょっと意識の冴えてきた今まで明白な事実を、ここに宣言する。


「ここはどこ、私は誰。ついでにあなたも誰?」


 私、記憶喪失っぽい。


 美少女の顔が驚愕に歪んだ。




ーーー




 全生活史健忘。知識や常識などの意味記憶と思い出などのエピソード記憶のうち、後者の方がまるごと欠落している。宣言の後で飛んできたお医者さんが言うには、そういうことらしい。記憶は戻るかもしれないし戻らないかもしれないとか。


 私にとってはどっちでもいい。それよりも記憶を失ったきっかけが気になる。お腹の辺りに異物を埋め込まれたような違和感があるから、事故か何かでそこに大きな怪我を負い、そのショックで記憶が失われたのかもしれない。


「そ、それは……私はこれで失礼します」


 何気なく聞いてみると、お医者さんは気まずげに美少女へ目配せ。かと思うと足早に病室を出ていき、後には私と自称妹の二人だけが残される。


 妹ちゃんは私に詰めより矢継ぎ早に語った。


真道しんとうみすず、ね」

「そうだよ、みすずお姉ちゃん。すずねのたった一人のすずねだけのお姉ちゃんなんだよ……?」

「分かった。じゃあすずね、手鏡貸して」

「へ?」


 美少女、もといすずねは首をかしげながらも制かばんから手鏡を取り出し、渡してくれた。


 鏡の中にはやはり美少女がいる。すずねが妹である以上遺伝的に予想はついていたけど、期待以上の美少女だ。形のいい小顔にすっと通った鼻梁、意志の強そうな瞳に桜色の唇。入院生活がたたって若干痩せてはいるが、たぶん百人に聞いたら九十人くらいはかわいいって答えそう。ちょうかわいい。


「ちょうかわいいやん私ぃ!」

「お姉ちゃん……」

「あっ、今のなし、なしね」


 思わず声に出た。すずねは呆れ果てて嘆息している。鏡の自分と向き合いながら悦に浸ってるお姉ちゃんとか誰だって嫌だよね。


 咳払いで空気をリセットしまして改めて。


「で、すずね。色々と聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「うん、何でも聞いて!」


 何でも聞いた。


 まずは私の身の上から。真道みすず十五歳、幼い頃に父親は蒸発し母親も間もなく事故で死亡。引き取ってくれる親戚もおらず、二歳違いの妹、すずねと二人きりでほそぼそと暮らしていた。


 と、そこまで聞いたところでたまらずつっこむ。


「ちょっと待った。未成年二人が施設にも入らず二人きりで暮らしてた? 現実味がなさすぎるよ」

「そ、それは機関の人たちが……ごにょごにょ」

「なんて?」


 すずねは目を泳がせてしどろもどろになっている。


「ねえ、お姉ちゃん本当になんにも覚えてないの? どうしてここに運び込まれたのか、とか」

「なーんにも。別に言いにくいことなら答えなくていいよ」

「言いにくいってわけじゃ……うーん」


 難しい事情があるらしい。中学生の女の子が昏睡した挙げ句記憶喪失になるような事情なのだから、きっと想像を絶するような内容だろう。とても信じられない非現実なものかもしれない。とはいえ、私の目覚めを心から喜んでくれた実の妹から語られることであれば、どんなファンタジーだろうと受け入れる自信がある。私は辛抱強くすずねの言葉を待つことにした。


 すずねは苦々しい顔で数分間を逡巡に費やし、「どうせすぐ分かることだもん」と自分に言い聞かせ、ついに語りだす。


 果たしてその内実は──


『ときは21世紀初頭。世界の『回帰』を企む悪の秘密結社クロ・ノスタルジスの暗躍により、世界各地で黄昏の魔物ダスクが暴れだしてしまう。これに対抗するため正義の組織パラダイムが秘密裏に結成され、そこに所属する魔法少女たちの活躍によってノスタルジスは壊滅寸前まで追い詰められる。総力戦の末ノスタルジスは壊滅し、世界に平和が戻った。ありがとう、魔法少女よ!』


 なるほど。正義の魔法少女と悪の組織との戦いがあって、世界は平和になりましたと。なるほどなるほど。


「ふざけてんの?」

「ほらぁ! お姉ちゃん絶対そうやってキレるもん! だから言いたくなかったのぉ!」

「キレてないよ。妹のオリジナリティ皆無の中2ワールドに呆れてるだけ」

「黒歴史じゃないしそもそも私まだ中1っ!」


 黒歴史にしたって独創性に乏しい。ぶっちゃけクロなんちゃらとかパラダイムとかの固有名詞別のに置き換えた話が全国各地の黒歴史ノートに載ってそう。


「こんなありきたりな設定じゃ今どき小学生にも受けないよ?」

「だーかーらー!」


 ベッドシーツをぼふぼふ叩いて憤慨するすずね。いやいや、起き抜けにありがちなソシャゲの設定みたいな話聞かされて信じる方がおかしいでしょ。


 すずねはしばらくふくれっ面を晒していたかと思うと、何かを思いついたようにハッと息を呑んでかばんに手を突っ込む。間もなく中から取り出して私に突きつけたのは通帳である。


「これは?」

「さっき、子供が二人だけで生活するのは無理があるって言ってたよね。それが出来てたのもお姉ちゃんが魔法少女だからなの。お給料すっごくいいし、パラダイム機関が親権? とかの問題もどうにかしてたんだよ」

「なんか嫌に生々しい魔法少女ね……んん!?」


 嘆息しつつ通帳をぱらぱらめくってみると、そこにはすさまじい大金を示す数字が並んでいる。これだけあれば中学を出た後姉妹揃って私立の高校と大学を出てもまだまだ余裕がある。その後でも二、三十年は裕福な暮らしができるだろう。


「うへへ……」

「お姉ちゃん目が『¥』」

「おっと」


 よだれを拭いてごまかすようにページをめくりつつ、さりげなくベッドサイドのデジタル時計に目をやった。今日と通帳の日付を比べてみる。『パラダイムキカン キュウヨ』の印字が最後にあったのは半年前で、以降はもろもろの費用の引き落としだけが記載されていた。私が魔法少女として生活費を稼いでいたと仮定すると、何かが起こったのは半年前のことか。


 直接聞いてみたほうが早い。そうして口を開こうとしたけれど、その前にすずねが緊張の面持ちで詰め寄ってくる。


「どう、信じてくれた!?」

「魔法のまの字もない通帳見てもピンとこないよねー」

「えーっ!?」


 ぶっちゃけもう信じてもいいっちゃいいんだけど、すずねの反応が面白くてつい意地悪をしたくなってしまう。


「その、魔法少女? の力を見れば、信じられるんだけどなー。こんな生々しい数字見せられても興ざめっていうかー」

「う、うぬぬ……でも……」


 頭を抱えてぶつくさ独りごちるすずね。内心ワクワクしながら次のアクションを待っていると、すずねは出し抜けに立ち上がり腕を突き上げる。


「えーい!」


 どこか間の抜けた掛け声と同時に視界が白く染まり、とっさに目を腕でかばった。猛烈な光がおさまってから恐る恐る目を開く。そこには、制服姿の美少女から破廉恥な美少女に衣替えしたすずねが立っている。


「こ、これが魔法少女の変身、なんだけど……」


 エロい。拘束衣と天女の羽衣の合体事故めいた奇抜な格好なのだけど、とにかくエロい。拘束ベルトの締め付けにより強調される胸、丸出しのおへそと鼠径部がいやらしい。スケスケの羽衣の下に見える曲線のシルエットは想像力を刺激する分丸出しよりも逆にエロい。細く華奢な手首と足首にはめられた拘束具は、幼げな外観とあいまって背徳的なエロさを醸し出している。さらにはほんのり浮き出た肋骨、チラチラ見える脇──


「エッッロ」

「ほらぁ! やっぱりそういうこと言うー!」


 すずねは顔を真っ赤にしてまたもシーツを叩き出した。


 しかしいかに反駁されようとエロいものはエロい。あんまり妹である実感がないせいか普通に興奮する。なんだこのエッチな中学生は、着衣エロの擬人化か何か?


「どうせまた性癖テロリズムとか歩く劣情ジェネレーターとか股間と下腹部に対する挑戦状とか考えてるんでしょっ!」

「そ、そこまでは考えてないわよ!」

「部分的には考えてるのねこの変態スケベシスコン!」


 すずねはすっかりむくれてしまった。膨らませたほっぺたが餅みたいに美味しそうだったので指でつついみる。手をはたき落とされた。しばしごきげんななめのまま私をにらみつけてから、すずねはぱっと表情を輝かせてかばんに手を突っ込む。なんでも入ってるのねそのかばん。


「私のことえっち扱いするけど、お姉ちゃんも人のこと言えないんだから!」


 取り出したのはスマホだった。大きめの画面に表示された再生ボタンをすずねがタップすると、動画が再生される。


 背景はどこかの廃墟だった。ガレキの山と崩れかけの建築物が見渡す限り続いていて、目を灼くような西日が世界を橙に染めている。


 ごつごつしたガレキがきつい陰影を刻む中央に、一人の少女が佇んでいる。背中とおへそが丸出しの魔改造僧衣を身にまとい、手には身の丈に倍する双刃薙刀。冷静に何かを待ち構えているような少女に私は見覚えがある。


「あっ、私」


 私だった。


『20xx年5月12日。B級任務。ランク1、ブレードストーム』


 妹とは違う少女のきんきん高い声が画面から響く。撮影者のものだろうか。その声を契機に画面内でめまぐるしく状況が動く。


 目に痛い黄昏色の陽光が水面のように歪む。私を取り囲む無数の歪みはやがて奇妙な異形を形成し、化け物へと姿を変えた。


 怪物たちはそれぞれ牙を持ち、爪が生え、中には剣や槍を構える者もいる。大きさも形もまちまちだが、すべて黄昏色に輝いて私に敵意を向けている点は共通していた。


 今にも怪物たちが飛びかかろうかというその時、画面がブレる。かと思うと、怪物たちの体が両断され虚空へ消える。穴の開いた包囲網の間から、薙刀を振り抜いた姿勢で残心する私の姿が見えた。


 そこからは速かった。画面内の私が双刃薙刀を自在に振り回し、怪物たちをなぎ払っていく。虚空から新手がにじみ出てくるのもまとめて薙ぎ払う様は、嵐が吹き荒れているかのようだ。牙も爪もかすらせることすらなく殲滅していく。


『任務完了、撮影を終了するっす!』


 その言葉を最後に映像は途切れた。なんだか夢でも見ていたみたいだ。


 すずねは何かを期待するようにちらちらとこちらをうかがっている。


「どう、かな。何か思い出したりしない?」

「……なんにも」


 すずねは悄然と肩を落とす。


「でも、魔法少女のことは信じる。私が戦ってたってことも」

「ほんと!?」


 自分と同じ顔の誰かが戦っているのを見てもよくできた映画の戦闘シーンにしか思えない。ケチをつける方法はいくらでもあるけど、なんとなく今のが真実の映像であることは確信している。失った記憶の中に根拠があるのかもしれない。


 あるいは、半年も昏睡していた現状に通じるものを感じたからだろうか。


「こんな風に戦ってるうち大怪我して、ここに運ばれた。そういうことだよね?」

「……うん」


 痛々しい沈黙が落ちる。互いの息遣いだけでなく点滴液が落ちる音さえ聞こえる。


「……半年前、ノスタルジスとパラダイム機関の大きな戦いがあったの。お姉ちゃんはそこで……」

「そっか」


 一文字ごとに涙を溢れさせようとしているすずねを見ていられなくなって、頭に手を伸ばした。すずねはうつむいたまま肩を震わせている。


「寂しい思いさせてごめん。よく頑張ったね」


 すずねが前世(記憶を失う前)の私を大切に思っていたことは短い間にもよく分かった。大切な誰かが怪我をしていつ覚めるとも知らない眠りについてしまった心痛は、きっと想像を絶する苦しみだろう。それに半年間も耐えたすずねは間違いなくえらい。


 震える手で私の手を捕まえ、すがりついて泣きじゃくるすずね。うんうん、よく頑張った。ここからは私が頑張る番だ。


 まずは記憶を取り戻す。ぶっちゃけ個人的には戻んなくても問題ないけど、すずねが快復を願っていたのは前世の私であり今の空っぽな私じゃない。手段を選ばず可及的速やかに記憶を取り戻し前世へ立ち返るのが、姉としての義務である。


「ダメ」

「えっ」


 何が?


「記憶なんていらない。お姉ちゃんは私だけのお姉ちゃんなの」

「す、すずね?」

「それだけ覚えてれば他にいらないの」

「やー、でも……」

「お姉ちゃんだって、他にはいらないでしょ?」


 いらないかどうかさえ判断できない。だって覚えてないし。


 といってもすずねがこう言ってくれるなら大して意欲もわかないのは事実だ。もともと過去にはこだわらない性根だったのだろうか。今楽しくて未来があるなら、過去なんてどうでもいい。そんな風に思っている自分がいる。


 すずねも本当に必要なことなら教えてくれるだろうし、今はいいや。


「ずっと一緒にいようね、お姉ちゃん」


 さしあたっての問題は、目と鼻の先に迫った妹の眼光と圧が怖いことか。ぱっちりした瞳は暗く濁り、頬に赤みがさして桜色の唇からは熱い吐息が漏れている。


 私はその柔らかそうなほっぺにそっと唇を押し当てた。


「……!?」


 とたん、顔を真っ赤にして弾かれたように後退するすずね。ふふん、妹の威圧に屈するお姉ちゃんではないわ。


「お、おね、尾根……!?」

「山でも登ってんの?」

「じゃなくてお姉ちゃん! 何すんのっ!?」

「ごめんごめん、唇の方が良かったよね」

「くち……っ!? もう、知らない!」

「怒ってるすずねもかわいいなぁ」


 知らない、とは言いつつ病室を出ていくでもなく、そっぽを向くだけのすずね。ぷりぷり怒っているがまんざらでもなさそうなあたり、前世の私とは相当仲が良かったと思われる。


 記憶はない。けれどこんなにかわいい妹がそばにいてくれるなら、大した痛手ではないだろう。つまりは──


 記憶喪失になったけど実質ノーダメ、である。




ーーー




 病院から電車とバスを乗り継いて二時間半行ったところに、私とすずねの住居はあった。


 人と車でごった返すターミナル駅から徒歩十分。オフィス街の摩天楼を抜けてすぐの場所にたつレディースマンションの一室だ。一階だけでなく部屋それぞれにも電子オートロックが付いてセキュリティは万全。間取りの方も2LDKの広々した空間に小綺麗な内装が配置され、実に快適な物件だった。


「家賃ヤバない?」

「お姉ちゃんが買ってくれたから平気」


 リッチだな魔法少女。通帳のページをアレ以上めくっていれば引っくり返っていたかも。


 さて姉妹仲良く家に帰ってきてまずやるべきは生活の建て直しだろう。半年間も眠っていればいろいろな雑務がたまっているはず。特に私は中学生活と魔法少女の二つのわらじを履いていたのだから。


 そう思ってまずは学校のことからすずねに聞いてみると、


「学校は行かなくていいよ」

「えっ」


 当たり前のように言い切られた。


「お姉ちゃんの貯蓄もあるし、私の魔法少女のお給料もあるから。なーんにもしなくていいの」

「んもう、すずね? その言い方じゃあ一生養ってくれるみたいよ?」

「そうだよ。当たり前じゃん。お姉ちゃんはもうなーんにも頑張らなくていい」

「マジでか」


 マジマジ、とうなずいてくれたので、私はニートになる決心をした。


 不思議と迷いはなかった。これも前世からの性根なのか、毎日勉強や労働で時間と精神を浪費するよりも、誰かに甘えきって怠惰に過ごしたいと強く思う。


 末永くお願いしますと頭を下げると、すずねはなぜかほっと胸をなでおろし「任せて」と力こぶを作ってみせた。


 それからの日々は早かった。朝起きてすずねのごはんを食べ、いってらっしゃいと送り出す。料理はからきしだから掃除と洗濯だけ私が担当し、残った時間はテレビやネットサーフィンに費やした。


 テレビを見ても誰一人見知った芸能人のいないのには興奮した。タイムスリップしてきたみたい。記憶喪失ならではの貴重な体験だ。


「すごいわすずね、テレビ見ても誰の名前も知らないの! お姉ちゃん浦島太郎!」

「お姉ちゃんもともとテレビとか全然見なかったから……」


 残念ながら記憶は関係なかったらしい。さてはテレビも見ずに仕事三昧だったりして。いや、そんな働き者なら妹のヒモになる決心などできないだろう。


「お姉ちゃんお風呂わいたよー!」

「はいはーい。ってコラコラ、ナチュラルに入ってこない」

「一緒に入ろうよー」


 お風呂には必ず一人で入るようにした。スキあらば入ってこようとするすずねはおでこへのデコピンで毎日撃退している。ヒモになってる時点で恥じらいの心は死んでるけど、それ以上の理由があるのだ。


 全身の古傷である。


 全裸になった私はかわいい。すずねと同じく偏差値の高い顔面と、出るところは出て引っ込むところは引っ込む理想的な体型はラブドール──じゃなくて美術の彫刻めいた美しさがある。すずねにだって見せびらかしたい裸体だ。


 が、古傷がすべてを台無しにしている。数え切れない切り傷、火傷、縫合痕が首から下を埋め尽くしており、見るからに痛々しい。前世の私は自分の体を大切にするタイプではなかったと見える。


 特に下腹部からみぞおちまで届く紡錘形の傷跡はひどい。何かの切り傷のようだが、実は背中にまで同じ痕がある。つまりは巨大な何かが貫通した──刺し傷である。


「いや、死ぬ死ぬ」


 見るたびツッコミを入れてしまう。普通に致命傷だ。医学知識なんてツバ付けて絆創膏貼る程度の私でも分かるくらい致命傷だ。内蔵も脊椎もまとめてぶっこぬいて即死でしょ。失ったのが記憶だけなのは僥倖が過ぎる。


 目が覚めてから一週間の検査入院を言い渡され、初めてこの体に気づいたときには甚だげんなりしたものだ。せっかくかわいいんだからもっと自分を大切にすればいいのに。前世の私はおバカに違いない。


「っつ……」


 傷がうずき、浴室に膝をつく。紡錘形の大きな刺し傷が、痛い。ただただ痛い。


 そう、たちが悪いことにこの傷不定期でうずく。しかも痛い。どのくらいかというと、一年半分の生理痛と体調不良を一瞬でまとめて叩きつけられるくらい痛い。


「お姉ちゃん? 静かだけど、どうかした?」

「……んー、ちょっとエッチなこと考えてるー」

「すけべ!」


 抗議するように浴室の曇りガラスが叩かれ、すずねの足音が遠ざかる。こんな姿を見られると心配かけちゃうもんね。痛いのは嫌だけどすずねの笑顔を曇らせるのはもっと嫌だ。


 痛みはやがて波が引くように消えていく。いつものように私は息を整えて立ち上がり、平穏なヒモ生活に戻る。すずねとごはんを食べ、送り出し、おかえりを言っていっしょに寝る。記憶が戻る気配はないけれど私には大した問題じゃないし、すずねも望んでいない。平穏でありふれた姉妹だけの時間が過ぎていく。


 しかし、人は過去なくして生きていけない。今と未来だけでは人たり得ない。


 すずねと暮らし始めて一ヶ月が経った頃、ついに私は過去へ踏み込むのだった。




ーーー




「私って嫌われモノだった?」

「ふぇ?」


 同じベッドの中でおはようのあいさつをして、朝の食卓についての開口一番である。すずねはぽかんと口を開け、傾けたしょうゆさしをホールドし続けていた。目玉焼きがつゆだくになっている。


「私って魔法少女として結構頑張ってたんだよね?」

「うん。ランク1のブレードストームっていえば知らない子はいなかったよ」

「じゃあ──」


 テーブルに手をついて立ち上がる。


「なんっで退院から一ヶ月たって誰も訪ねて来ないのよっ!」


 そう。私は妹以外の誰とも話していない。大怪我して半年間眠っていたにも関わらず、誰一人病室にお見舞いにも来なかったし、この家にも訪ねてこない。便りすらない。


 もっとこう、あるでしょ。こんなかわいい子がやっと退院したんだよ? ずっと心配でしたとか退院おめでとうございますとか、快復祝いとか。チヤホヤする感じのアレがあるでしょう。それがないってことはつまり──


「ぼっちだったの? いっそ死ねとか呪われるレベルの女だったの? ねえすずね、答えて!」

「あ、あわわ……」


 すずねは数秒間しどろもどろに視線をさまよわせた挙げ句、こういった。


「うん、そうだよ! お姉ちゃんは学校じゃ便所飯のプロだったし人数が偶数なのに二人組作るとき絶対あぶれるし誕生日にはハッピバースデートゥーミー歌ってたし──ああっ、待ってお姉ちゃん泣かないで!?」

「生きててごめんなさい……」


 玄関に向かうのを止められる。ごめんねすずね、こんな嫌われモノのお姉ちゃんでごめん。きっとすずねも血縁があるから仕方なくお世話してくれてただけ──


「全部ウソだから!」

「すずねぇ! アンタぶっ殺すわよ!」

「ご、ごめんなさーい!」


 この嘘つき妹許さん。栗毛の間にのぞくきれいなおでこを突っついてやる。元が白いからすぐ赤い痕になった。


 涙目でうずくまり上目遣いに見上げてくるすずねは世界一かわいい。許す。


 逃げないように膝の上に乗せて尋問を開始する。なんでこんなウソをついた? ホントのところはどうなの? 矢継ぎ早に聞くと、渋々語ってくれる。


「上の判断?」

「うん。覚えてないと思うけど、パラダイム所属のランク1って本当にすごい立場なの。だから入院場所どころか容態まで部外者には完全に秘匿されてる。お姉ちゃんが退院したってことも」


 私がぼっちだったのをごまかすための詭弁、には聞こえない。しかし『すごい立場』と一口で言われてもピンと来ない。仮に秘匿が破られたとしてどんな影響があるというのか。


「たぶん各国の機関から刺客がやってくると思う」

「こっわ!?」


 割と切迫した事情のようだ。


 私が倒れた半年前の戦いで悪の組織は壊滅したらしいが、悪がいないならいないで勝手に争ってしまうのが人の性なのだろう。必死で悪を潰した前世の私が知ったら泣くな。


「あれ? じゃあなんですずねは普通に私のお見舞い来てたの?」

「妹だもん」


 むふーとドヤ顔で胸を張るすずね。妹特権、もとい唯一の肉親として当然の権利か。


「それと、お姉ちゃんはぼっちじゃないよ。むしろ色んな国の魔法少女たちにすっごく頼りにされてて、みんなのお姉ちゃんだった。私だけのお姉ちゃんでよかったのにあの子達──」

「えっ」

「ううん、何でも。えっと、信頼のできる子達には段階的にお姉ちゃんの情報が伝達されることになってる。そのうち顔を見せに来ると思うよ」

「そ、そう」


 一瞬だけ別人みたいにドスの効いた声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだろう。うん、なぜか鳥肌が立ったのも気のせいだ。


 最大の懸案だった私ぼっち説は否定された。この先誰か会いに来てくれる情報も得た。有意義な朝の時間だった。


「あっ、もうこんな時間。ごめんお姉ちゃん、行かなきゃ」


 壁の時計に目をやったすずねが慌てて立ち上がる。玄関まで私も連れ立って行き、すずねは靴を履き姿見で身だしなみチェック。


 ブレザー、リボン、折り目正しいスカートのひだ。最後に、真っ赤な原色が目に痛いほつれたマフラー。似合ってない。


 目覚めた直後にも思ったけど、このマフラー本当に似合ってない。出来も悪い、作りも粗雑。たぶん大量生産に定評のある某国製だ。


 ただ、すずねは変身した後もこの奇妙なマフラーを身に着けていた。もしかしたら魔法少女関係で仕方なく着けているのかも。


「すずね、そのマフラー。魔法のアイテムだったりする?」

「これ? ……うん。とーっても強い魔法がかかってる」


 はにかむすずね。何かを期待するように、くるりと身を翻してみせる。


 すずねが妹でなければ似合ってると世辞を言っただろう。でも私は姉だ。ときには望まれないことだってはっきり言う義務がある。


「ぶっちゃけ似合ってない。色がきつい。作りも雑。魔法のアイテムなら、こう、都合よく色を変えるとかできない? その方がすずねには合ってるわよ」


 沈黙。


 何一つ聞こえない、時間さえ止まったような静謐が、私たちを呑み込んだ。


「……っ」


 ほんの瞬きほどの間のことだった。笑顔をこわばらせたすずねが息を呑み、音が戻ってくる。


 同時にすずねは踵を返し、玄関のドアを開けた。


「ありがと。でも私、これが好きだから」

「なら、いいけど。行ってらっしゃい」


 行ってきますと返ってきたすずねの声音には、何一つ異常がなくて。


 私は胸騒ぎを抱えたまま、部屋に戻った。




ーーー




「ムラムラする」


 妹が学校へ行って数時間後、私はそうつぶやいた。声に出るくらいムラムラしている。


 今日はテレビではなくネットサーフィンでダラダラ時間を潰していたのだけど、ネットにはどうしてこうもエッチな広告ばかりが溢れているのか。健全な動画サイトを見ていたはずなのに、突如動画に割り込んできた妹萌えのエッチ広告を見たせいで火がついてしまった。


 当たり前のように二次元の女の子に欲情していることに思うところもあるけれど、全部前世の私が悪い。性の好みは記憶喪失にさえ犯せない聖域なのだろう。しかし困ったことに、前世の私がムラムラの解消に何を使っていたのかは記憶になかった。履歴やブックマークを見ても真面目なニュースサイトが数件あるばかりで役には立ちそうも──あった。


『CONNECT』


 ブックマークに一件だけ登録されているウェブサイト。名前からして出会い系か海外運営のエロサイトに違いない。私がブックマークするサイトなんてエロ関連以外になさそうだもの。


 さっそくクリックしてみると、IDとパスワードの入力フォームが現れる。幸運なことに自動ログインのボックスにチェックが入っており、すでに入力済みだった。嬉々としてログインボタンを押す。さてさてどんなエッチ動画が待っているのか。


ウィザード:訓練しんどい。もうやんなくてよくない?

聖女:だるいですわ

ジャンヌダルク(本物):学業との両立が難しいのは理解できるが、気を抜くな。ノスタルジスの連中が滅びたとはいえ、自然発生のダスクが絶えることはない。

新☆ランク1:まーまーいざとなればウチがぜーんぶ引き受けてやるって! 気ぃ抜け!

ウィザード:空き巣一位はちょっとなぁ

聖女:絶対気は抜きませんわ

運営bot:♡妹♡ さんがログインしました。


 なんてこった。ただのチャットルームじゃないか。


 匿名掲示板のまとめサイトなら見たことあるけど、そことは雰囲気が違う。ムラムラと好奇心がせめぎあった結果後者が僅差で勝利し、サイト内を見て回る。メニューバーを見つけ、「初めての方へ」をクリック。どぎついショッキングピンクの文字列がでかでかと表示される。


『ここは魔法少女専用チャットルームです! 内容はパラダイム機関の人にも見えないようにしてるから、安心して何でも書き込んでね! ただし誰かの悪口、陰口はNG! 管理人:ランク29アーカイブ』


 学校の裏サイトみたいなものだろうか。


 私の情報がいたずらに拡散することは良くない。でもこういった匿名掲示板なら、同じ立場の少女たちと気兼ねなく交流できそうだ。


 すでにBOTがログインを告げている。早くあいさつをしないと。


♡妹♡:こんにちは

ウィザード:は?

聖女:はいぃ?

ジャンヌダルク(本物):妹御はついに気が触れたか……

新☆ランク1:すぐ連絡とるわ、一人で抱え込むな

♡妹♡:いやいや、これ私のアカウントでしょ? 本人だって


 匿名かと思ったら普通に特定されている。しかも悪い方向に。


ウィザード:あのさあすずね? アンタも気苦労が多いのは分かるけど、さすがに悪質よ?

聖女:わたくしたちだってあの方のことは気にしています。不愉快なマネはやめなさい


 あっ、この子たちいい子だ。でも勘違いしている。すずねが私のアカウントでなりすましている、と。


♡妹♡:ほんとに私だって! 一ヶ月くらい前に目が覚めたの。記憶喪失だけどね!

ジャンヌダルク(本物):呆れてものも言えん

運営bot:シィちゃん さんがログインしました

シィちゃん:あの人を騙る。誰であれ許さない。すずね、お前も。

死縺カ縺。谿コ縺誠ィちゃん:こ縺カ縺。谿コ縺ろす

運営bot:シィちゃん さんがログアウトしました


 えっ、なんかめっちゃ怒ってる。どうしよどうしよ。


聖女:まあ……妹特権で私だけ入院先知ってまーす、なんて

聖女:さんざんマウント取ってらしたものね

ジャンヌダルク(本物):一度死にかけてメンタルがリセットされればいいんだが

ウィザード:残念でもないし当然

新☆ランク1:ちょ、なんかおkしい

新☆ランク1:すずね今演習場にいた。いっしょにいる

ウィザード:どゆこと?

ジャンヌダルク(本物):アカウントを端末間で共有することはできない。あの方になりすますなら自宅のPCを使う必要がある。

聖女:なんか頭がこんがらがってきましたわ

ジャンヌダルク(本物):管理人。手っ取り早く確認を

運営bot:お姉ちゃんラブ がログインしました

お姉ちゃんラブ:たすけてたすけてしーちゃんにころされ縺翫◆縺?¢縺ゅ≠

運営bot:お姉ちゃんラブ がログアウトしました


 PCをシャットダウン。続けて立ち上がり小走りで玄関へ。嫌な汗が背筋を伝う。


 どうやら私はネットリテラシーの巻き込み事故を起こしてしまったらしい。あのシィちゃんって人完全にバチ切れてた、文字だけで分かる。どうにかしてすずねを助けないと。


 玄関で服装も気にせずつっかけを履いたところで、すずねの居場所を知らないことに思い至る。一ヶ月間引きこもっていたから私の中の地図は道路向かいのコンビニまでしかない。一人では駅にすらたどり着けないだろう。


「ひっ!?」


 どん、と扉が揺れる。誰かが外から叩いたような音だった。思わず尻もちをついてしまう、痛い。


 どんどん、と続けて何度も揺れる。恐怖に体がすくみ、顔から血の気が引いていくのが分かった。刺客、暴漢、強盗、ネットにまつわる事件事故。嫌な想像が瞬時に脳裏を駆け巡る。


 すずねいわく、悪の組織を壊滅させたランク1のものすごい魔法少女の私は過去の私だ。今の私はダラダラしたい欲求のまま妹に扶養されているダメ姉に過ぎない。もしも扉を破られれば一貫の終わりだ。


「ふ、ふん。オートロックをなめないでよね! 破れるもんなら破ってみなさい!」


 しかし目前には心強い味方、ドアくんがいる。オートロック搭載の分厚い金属でできた、むしろドアさん。ドア様。この方がおられる限り私の安全は揺るがない。


「えっ」


 が、ドア様の粘りは長くは続かなかった。


 ぴ、と高い電子音とともに何重にも施錠された鍵がひとりでに解除されていく。ドア様この野郎一瞬でも様付けで呼んでた私が馬鹿だったよ。


 ドアノブが回り、外へ向かってゆっくりと開かれていく。死に際みたくやけにスローな動きで、開かれた扉の先にいたものは──


「せん、ぱい?」


 ピンク色の少女だった。


 すずねよりも一回り小さい小学生のような体躯。ブレザーの冬服はすずねと同じ学校のものだ。ショッキングピンクのどぎつい長髪は腰のあたりまで伸び、前髪は頭頂部のあたりでふっくらとした房にくくられている。つんつんしたい色白のおでこに目が行き、くりくりした瞳と視線が合う。


 とたん、ピンク少女の瞳が洪水のごとく涙で濡れる。


「せんぱい、先輩先輩センパーいっ!」

「わ、わわっ!? 誰誰誰ぇ!?」


 尻もちをついた私に飛びつき、ほとんど押し倒す勢いのピンク少女。ああ、お気に入りのジャージ一張羅が涙と鼻水でぐしゃぐしゃに。


「すみません、でもっ……もう一生会えないって、思ってた、から……まだボク、なんにも返せて……」

「あー、はいはい」


 涙声で何を言っているのか分からない。とりあえず分かることは、前世の私に縁のある子だってこと。背中に腕を回してさすりつつ頭をなでてやる。さらに激しく泣き出した。


 泣き疲れるまで付き合って、話はそれからかな。




ーーー




 びしょ濡れのジャージを着替え、ピンク少女にはタオルとお茶を出してリビングのソファに座らせる。彼女の号泣が一段落したのを見計らい、一ヶ月前からここで暮らしていることをまず話した。


 ピンクちゃんは跳ねるように立ち上がり、地団駄のつもりなのかぴょんぴょん飛び跳ねる。


「どうしてそんな大事なことをすずねさんは黙ってたんです!? ムカツキムカポンタスっ!」

「誰だよ」

「誰、って、ほんとにボクのこと忘れちゃったんですか!?」

「おっとそうつなげてくるか」


 ツッコミを思わぬ方向へ持っていかれる。事実は事実なんだけどどうしてすでにそのことを知っているのか、なぜここに来たのか。色々と聞かないと。


「そう、記憶喪失。一般常識や知識以外は全部忘れちゃった。君のことも全然分からない」

「そんなっ」

「だから改めてよろしくしたいな。私は真道みすず。君は?」

「……」


 口を真一文字に結び、膝の上に握りしめた手に視線を落とすピンクちゃん。たっぷり数分は経ってから、やっとピンクちゃんは弱々しく笑った。


「今と未来があれば過去なんていらない。そういう人でしたね、先輩は」

「あ、やっぱり前からそうだった?」

「はい。ボクもそんな先輩だからこそ……あはは、仕方ないとは思うんですけど……どうしても、モヤモヤのムシャクシャニコフっす」

「シベリアの風感じていけ」


 語尾ボケしつつ感傷に浸るとはこの子やりおる。


 もう一度目を閉じ、深く深呼吸するピンクちゃん。次に目を開いたときには、一点の曇りもない笑みが輝いていた。


「ボクはパラダイムのランク29!  《アーカイブ》の津久見つくみヨミといいます。改めてよろしくです、先輩!」


 ヨミちゃんはすずねの同級生だった。同時に魔法少女としてはすずねの先輩でもある。ただし戦闘向けの能力ではないため、半年前の戦いでは裏方に徹し、肩を並べて戦えないことに歯がゆい思いをしたとか。


 能力、と聞くといかにもファンタジーらしくて俄然わくわくしてくる。


「能力? なにそれどんなどんな?」

「ウッキウキのウカレンティーヌっすね……これです」


 《アーカイブ》と唱えながら中空にさっと手を走らせる。すると半透明のディスプレイが幾重にも展開され、部屋を埋め尽くした。それに伴いヨミの体が強く光り、輝きの収まったときには姿が一片している。体のラインが浮き出る不思議なボディスーツとフリル付きの白衣を融合したような衣装で、頭部には巨大なヘッドマウントディスプレイ。その液晶部分には0と1の羅列が流星群のごとく流れては消えている。


「情報処理と分析に特化した魔法です。アーカイブの名前の通り全魔法少女の戦いを記録してるっす。0と1を超高速で分析・処理することで電脳空間を支配することもできるんですよ!」

「すごーい。あ。もしかしてここに来たのも?」


 不意に、先程のチャットルームで見かけたピンクの色彩とヨミのピンクが重なる。


「よく分かりましたね。あのサイトの管理人はボクっす。書き込みの発信元がここだったから、空き巣が勝手にPCを操作してると思って飛んできたっす」


 電子錠の解錠はちょっとやりすぎたっす、と気まずげに頬をかくヨミ。


 いやはやすごい。魔法を実際に目の前で見るのは初めてだけど、こんなことができるなら世界を救うことだってそりゃできる。


「ヨミはデータバトルタイプね。土壇場で敵の弱点割り出して立役者になりそう」

「……っ」


 それにしてもヨミのこのきんきん響く高い声、どこかで聞いた気がする。前世の記憶じゃなくてもっと最近、目覚めてからすぐにこの声を聞いた、と思う。すずねに聞いたら覚えて──


「あ、そうだすずね」

「へ?」

「いけない! さっきチャットでピンチになってたの忘れてた!」


 そうだ、私の軽率な書き込みのせいで誰かに殺意を抱かれていた。すぐ助けにいかないと。


「心配ないっすよ。すずねさん、しょっちゅうシィさんにマウント取ってはしばかれてるから」

「え、いやそれ……安心要素どこ?」


 大丈夫じゃないでしょその人間関係。どういう間柄よ。


 心配をつのらせていると、ヨミの指先が宙を複雑にかき乱す。ディスプレイの一つがゆらりと私の眼前に飛んできた。そこには、向かいのコンビニ前をくたびれた面持ちで歩くすずねの姿がある。制服はヨレヨレだがほつれた原色マフラーだけは汚れの一つもついていない。よかった、もう帰ってきたんだ。


「ふふん、監視カメラをハッキングすればちょちょいのちょいっす」

「便利ー。ありがとね」

「ふっふーん。……ん?」


 ひとしきりドヤ顔でふんぞり返ったヨミは唐突に真顔へ転じる。さらには顔を真っ青にしてガクガク震えながら、ディスプレイ上のすずねを凝視する。


「や、やばいっす」


 何がよ。


「ボクの前途がですっ! も、もしボクがすずねさんの許しなくこの縄張りに来たことがバレたら──」

「バレたら?」

「ボッコボコのギタギタリスト確定っす!」

「パンクロッカーか何か?」


 ライブの最後にギター粉砕しそう。


 たしかにすずねは多少独占欲の強いところがなくもないけれど、基本的には優しいいい子だ。女の子が一人こっそりと私に会いに来たからといって激高することはありえない。


「先輩はすずねさんのことになるとポンコツポンポンタヌキっす!」

「た、たぬっ、唐突な罵倒やめい!」

「えっとえっと、これ渡しとくんで何か困ったら連絡してほしいっす! じゃ、ボクのことはくれぐれも内密にぃー!」


 ひらり、と宙を舞う一枚のカードが私の手のひらに収まる。『パラダイム機関 ランク29《アーカイブ》津久見ヨミ TEL--』。名刺かと思いきやなぜか住所や血液型まで書かれている。身分証明か何かだろうか。


 玄関の戸が音を立て足音が遠ざかる。半透明のディスプレイは霧のようにうっすらと消えていった。言動といい色合いといいえらくサイケデリックな後輩だったな。


 過ぎ去ったヨミの余韻にしばし呆然と浸っていると、玄関の戸が再び開かれる。ほどなくリビングにすずねがやってきた。


「おかえり」

「ただいまー。疲れたぁ、シィちゃんは毎度毎度急なんだよね……」

「お疲れ様すず──」

「誰?」


 ソファの背もたれごしに細い腕が首にからみついてくる。普段通りの声音なのになぜか圧を感じる。ごめんヨミ、すずねのこのモードはたしかに怖いわ、


「知らない女の子の匂いがするよ。だぁれ?」

「……」


 黙秘。都合の悪い事実を隠すときの基本だ。ウソは決してついてはいけない。よほど二枚舌でないかぎり、ウソの上塗りが始まって矛盾の末破綻するからだ。ヨミがパンクロッカーのギターにされないためには徹底して黙秘を貫くほかない。


「お姉ちゃん、嫌いになるよ?」

「津久見ヨミって子が来たよ」


 ごめんヨミ、骨は拾う。あーめん。パソコンの書き込みからヨミの来訪、話した内容まで詳らかに語った。


 視界の外で、すずねが不機嫌そうに顔をしかめるのが見えた気がする。


「インターネットで不用意な書き込みしちゃダメ!」

「ごめん」


 ムラムラしてて頭が回らなかったの、とまでは言わなかった。言い訳がましいからね。


「ヨミちゃんとは後できちんとお話するとして。もう隠し事はしないで、お姉ちゃん。絶対、二度と。じゃないと私──」

「すずね?」


 またも不自然な沈黙。首に回された腕がきつくしまる。苦しいと感じた次の瞬間には腕が解かれ、すずねの体も離れていった。


「なんでもない。すぐご飯作るね!」


 すずねは制服姿のままエプロンを着て台所に立つ。真っ赤なほつれたマフラーさえ首に巻いたままで、ひらひらして危ないから外しなさいと言いたかったけれど、言葉が喉元でつっかえてなぜか外に出ない。


 すずねがそのマフラーをやっと外したのは、数時間後パジャマに着替えてからのことだった。




ーーー




 働こう。私は決意した。


 だって今の私って姉として以前に人としてありえない。お金があるからと学校にも行かず働く意欲も皆無、朝起きて掃除と洗濯だけやって後はネット見てテレビ見てときたまムラムラしてるだけ。最初の方こそ気持ち良かったけど一ヶ月と半月も同じ生活を繰り返していると、罪悪感ばかりが募る。


 かといって十五歳の身ではバイトもできない。台所の主導権はすずねが掌握していて料理を手伝おうとすると怒られる。しっしってされる。ならばできることは一つしかない。


 魔法少女だ。記憶を取り戻してめっちゃ強かった頃の私に立ち返るのだ。悪の組織を滅ぼした英雄様の帰還なのだ。


「ぜぇーったいダメっ!!」

「なのだ……!?」


 なのだなのだと意気込んですずねに相談すると、すさまじい剣幕で反対された。


 朝食の席。食卓に激しく両手を叩きつけ、肩を怒らせ身を乗り出している。表情には困惑と怒り、それからわずかな怯えの色が見て取れた。


「で、でもすずね、お姉ちゃんこのままだとぐうたらダメ人間になっちゃう。すずねに甘えるばっかりのお姉ちゃんなんて嫌でしょ?」

「嫌じゃない! 一生養うって言った、もう頑張らなくていいって言ったもん! お姉ちゃんはずーっとダメ人間のプータローでいいのっ!」

「ええー……?」


 私は困惑するばかりで何も言い返せない。すずねが少しへそを曲げるなんてレベルではなく、紛う方なき本気で怒っていることがひしひし伝わってくるからだ。


 すずねは荒々しく席に着き直して、無言で朝食をかきこみ始める。間もなく食器をシンクへ運ぶと、言葉少なに「言ってきます」と残しそそくさと登校していった。


 私にはすずねがなぜ激高したのか分からない。私の把握している情報だけでは原因が見当たらない。それなら失われた過去に起因しているのかもしれない。


 というわけで、私は頼れる仲間たちに相談することにした。


聖女:懸想するエロンヌに主神はこう言われました。その人のことを思い、行ってシコりなさい。さすれば道は開けるだろう。

聖女:いいですか? つまり人間とは考える穴と棒なのです。私は聖書のこの一節を読んですぐ入信しました。さあ、入信希望の方は?

ウィザード:いねーーよ

ジャンヌダルク(本物):やれやれ、魔法少女は奇人しかおらんのか

聖女:ご自分をジャンヌダルクの転生体だと思い込んでる精神異常魔法少女は黙ってろですわ

バロットとパップのガチ択:それよりさー、この前来たんでしょ? みすずさん。ログ消えてるんだけどどんな話だったの?

新☆ランク1:普通に生存報告。消されてんのはなりすまし疑われて騒ぎになったからじゃね

新☆ランク1:ちな本物なのは管理人が確認済み

ジャンヌダルク(本物):しかし(本物)と付いてなかったぞ

バロットとパップのガチ択:まじかー。一言だけでもお礼言いたいんだけどなー。

バロットとパップのガチ択:堂々と帰ってこないのは、やっぱ政治とか絡んでんの?

ウィザード:それもあるけど

管理人bot:♡妹♡ さんがログインしました。

♡妹♡:こんにちはー。ちょっと相談があるんだけどいいかな?

聖女:はおえう

シィちゃん:菴輔〒繧りィ?縺」縺ヲ繧キ繧」縺ッ縺ュ縺医?縺ョ謨オ縺ェ繧芽ェー縺?縺」縺ヲ谿コ縺吶@菴輔〒繧ゅd繧九@螯ケ縺ォ繧ゅ↑繧後k縺励←繧薙↑縺ィ縺阪〒繧ゅ?縺医?縺ョ蜻ウ譁ケ縺?縺九i諢帙@縺ヲ繧句、ァ螂ス縺榊・ス縺阪せ繧ュ繧ケ繧ュ螂ス縺榊・ス縺阪☆縺阪☆縺阪☆縺阪☆縺阪☆縺阪☆縺

シィちゃん:《書き込みがブロックされました》

管理人:仮想サーバーがアッツアッツのヌクヌクリーニョ! シィさんは思念直接送りつけるのやめるです! これ18回目の警告ですよ!

ジャンヌダルク(本物):久しいな。力になれるかはわからんが、話ならいくらでも聞こう。どこで落ち合う? あと(本物)って付けてくれ

ウィザード:だーからまだ直接はダメって言ってんでしょーが!

新☆ランク1:秒でわちゃわちゃしだしたな


 例の魔法少女専用チャットルームだ。管理人のヨミからある程度私について情報共有があったらしく、話は速い。シィちゃんちゃんの書き込みを見るたび悪寒を覚えるのは不安だけど、話を聞いてくれる人は多いほうがいい。


 私は自分のダメ人間っぷりを乙女の尊厳というオブラートに包んで開示し、これを魔法少女への復帰をもって是正せねばならぬ決意を伝えた。ついては現役時代の私の記憶を取り戻すのに協力してもらいたい、と。


ウィザード:無理

聖女:無理ですわ

バロットとパップのガチ択:ないよねー

ジャンヌダルク(本物):却下

新☆ランク1:ウチのランク下がるから一生どっか行ってて

管理人:まあこうなりますよね

♡妹♡:なんで!? 恨みでもあんの!?


 この後も一時間はゴネてみたけど取り付くシマもなく、チャットのメンバーは「一生ダメ人間でいろ」と口を揃えた。


 私だって目覚めた当初はそのつもりだったさ。でも私は小心者なんだ。誰かに甘えている現状をずっと許容できる度胸はない。そして脱却には過去が必要だ。


 しかし過去というものは当人の思いに関係なく、ひとりでに動き出してしまうらしい。私の過去は知らずのうちに私を追いかけていて、加速の末に追突事故さえ起こしてしまう。


 そのことを私は間もなく、嫌というほど思い知らされることになるのだった。




ーーー




「お姉ちゃんお風呂入っちゃってー」

「ちくしょー、記憶喪失の主人公をみんなで助けようって気概はないのかねー」


 ある日の夜。こっそりアルバムを探したり瞑想して過去を思い出そうとしていたときのことだ。集中していた私だけど妹の声に体が勝手に反応し、文句たらたらでお風呂場へ向かう。そのせいだろうか、パジャマだけ持ってパンツを忘れてしまった。


 お風呂場から自室へ戻る。すずねと共用の寝室のクローゼットに下着一式が入っているのだ。


 寝室のノブに手をかけると、


「う、うぇぇ、ひっぐ、ぐす……っ」


 心が凍りついた。


 押し殺した忍びなき。聞き覚えのある声は、もちろんすずねのものだ。すずねが部屋で一人、忍んで泣いている。なぜ、どうして?


 ゆっくり、音を立てないよう扉を押す。真っ赤な布地をぎゅっと抱きしめていた。


「すずね」

「……っ!」


 すずねはさっと振り返り背中に隠すけれど、原色のそれは一瞬だけでも目につく。


「そのマフラーが、どうかしたの?」

「う、うぅ……!」

「わっ」


 真っ赤な赤いマフラーを思い切り私めがけて投げつける。視界が真っ赤に染まったかと思ったら、お腹のあたりに衝撃。浮遊感の後、背中に強い衝撃が走って肺の空気が全部出ていく。


 咳き込みながらマフラーをどけてみると。


 馬乗りになったすずねの両手が、私の首筋を強く締めた。




ーーー




 分からないの。


 お姉ちゃんは昔から強かった。お母さんに叩かれるのもご飯を抜きにされるのもいつもお姉ちゃんなのに、平気な顔で笑って私の頭をなでてくれた。


 魔法少女に覚醒してからも強いままだった。パラダイムのおじさんたちにはいろいろなお仕事を任されて、同じ魔法少女の子たちからもどんどん頼りにされるようになった。暮らしは楽になったけど、お姉ちゃんは毎日夜遅くに帰ってきて、やっと寝たと思ったら急なお仕事で呼び出され、終わったら直接学校。学校でも色んな人たちに頼りにされてた。お姉ちゃんは私だけのお姉ちゃんじゃなくなっちゃった。


 お金なんていらない。家なんてどこでもいい。お姉ちゃんばっかり頑張らなくていい。しんどいことはしなくていい。そんな風に言ってもお姉ちゃんは困ったように笑って、私の頭をなでてくれるだけだった。


 私も支えようと思ったの。だから頑張って魔法少女に覚醒したんだけど、才能がなくて演習ばっかり。お姉ちゃんは毎年祝ってくれてた私の誕生日も忘れてお仕事漬けの毎日だった。


 全部全部どうでもよくなった。何か悪の組織だ、黄昏の魔物だ。お姉ちゃんに無理をさせるような世界なんて早く滅べ。そうして目に付くものみんな呪うようになったとき、お姉ちゃんはくれたんだ。


『──』


 真っ赤な毛糸を雑に編み上げたマフラー。毛糸の隙間が大きくてあんまり暖かくない。


 なのにお姉ちゃんの言葉を思い出すだけで、マフラーと一緒にかけてくれた言葉を思い出すだけで、どんなマフラーよりも素敵で暖かくなる。


 お姉ちゃんはもう覚えてないよね。だから似合ってないなんて言えたんだよね。あのとき魔法みたいに私の心を溶かしてくれた『──』って言葉も、何一つ覚えてない。


 ううん、思い出さなくていい。思い出したらきっとまた壊れるまで頑張り続けちゃう。一生私に頼りっきりなぐうたらお姉ちゃんでいて。


 そう思ってたはずなのに。


 私はお姉ちゃんに思い出してほしいって思ってる。大好きだけど大嫌いなあの頃のお姉ちゃんに。倒れるくらい必死で頑張ってるのに私のことを忘れなかった、最高のお姉ちゃんに戻って欲しい。このマフラーを見てたらなんでかそう思っちゃうの。


 記憶があろうがなかろうが、お姉ちゃんはお姉ちゃんなのに。記憶を取り戻してほしい、取り戻してほしくない。両方思ってる私がいる。どうしてなのかな、お姉ちゃん。


 分かんないよ。




ーーー




「分かるよ、すずね」

「えっ」


 力なく首を絞めるすずねの両手を握り、そっと押し返す。火事場の馬鹿力なのか、マウントを取られているにも関わらず腹筋だけで上体を起こす。涙に濡れたすずねの顔がすぐそばに迫る。


「すずねは寂しいだけ。前の私と今の私、両方が欲しい。それだけよ」

「そう、なの……?」

「前の私がほしいから、今の私が邪魔になった。だけど今の私も同じくらいほしいから、割り切れなくて泣いてるの。よしよし」


 すずねの体を抱きしめてあやす。小さな体はかわいそうなほど震えている。興奮と後悔で激しく脈打つ鼓動が伝わってくる。


 私がすずねを好きなのと同じように、すずねも私を好きでいてくれる。その気持ちが高じて拗らせて追い詰められてしまったのだ。


 ならば今の私がやることはたった一つ。


「あっ……」


 すずねを置いて立ち上がる。名残惜しげな声は聞かなかったこととする。


「全部、取り戻してくる」


 部屋を駆け出し、扉を蹴り開け、長い長い廊下を疾駆して非常階段を駆け下りていく。あっという間に地上へ着いた私は全力で走り出す。夜の景色が光の尾を引いて濁流のように後ろへと流れ去っていく。道路向かいのコンビニを超え、一心に行くべき場所を目指した。




ーーー




 オフィス街の外縁部、繁華街との境目のあたりにその雑居ビルはあった。一階のコンビニと二階の目的地を除いてテナントは空っぽらしく、「津久見探偵事務所」の看板だけが出ている。


『これ渡しとくんで何かあったら連絡してほしいっす!』


 あのときヨミからもらった名刺らしきものの住所はここだ。看板のおかげで分かりやすい。走って五分もかからない近場なのも幸いして見つけることができた。


 入り口を探している最中、例の真っ赤なマフラーを手で引っ掴んでいるのに気がつく。持ってきてしまったらしい。首にまきつけると、編み目の隙間からすーすー冷風が入り込んでくる。我ながらひどい出来。


 むき出しのコンクリートが寒々しい階段を上がり、二階の扉の前に着くやいなやインターホンを押した。


「しょちょー、お客さんでーす」

「はーい、ってフドーさん出てくださいよ、すぐそこでしょ!」

「休憩時間中には死んでも働きませーん」

「こんのダラダラダランドール……」


 若い女性の声と、ぶつくさ言うヨミの声。ぱたぱたと小走りの足音が続き、扉が開くとショッキングピンクの少女が顔を出す。


「はいはいお待たせしましたー、って先輩!?」

「こんな時間にごめん。急ぎで頼みがあるの」

「頼み? と、とりあえず中へどうぞ」


 中に入ってすぐのところに応接用のソファとテーブル。パーティションを挟んだ向こう側に数脚のスチールデスクと書類の山々が見えた。いかにも探偵事務所らしい雰囲気に好奇心が鎌首をもたげるけど、今はそんな場合じゃない。促されるまま応接用ソファに腰を下ろす。


「ぐえっ!?」

「せ、先輩、ソレどけなきゃ」

「へ?」


 やけに分厚いクッションかと思いお尻の下を見てみると、女の人だった。タイトスカートとビジネススーツをだらしなく着崩し、手にはスナック菓子の袋。私のヒップアタックをお腹に食らったせいか涙目になっている。いけないいけない、すぐどこう。


 ほうほうの体で脱出した女性は口を尖らせ私をにらみつける。


「なんなんですかこの人! 私の休憩時間を台無しにしくさって!」

「ごめんなさい」

「フドーさん、先輩急いでるみたいなんで後にしてもらっていいです?」

「ひどい! 助けて労基署〜!」


 そうして女性は別室へと引っ込んでいく。荒々しく閉じられた扉の横には「休憩室」のプレート。元からそこで休んでろよ。


 ヨミはため息とともに腰を下ろして私と向かい合う。


 無駄にキャラの濃い人と遭遇したせいで毒気を抜かれてしまったけれど、悠長にしている時間はない。前置きなしでさっさと告げる。


「私が大怪我を負った半年前の戦い。その映像を見せてほしい」


 目を見開き、声を詰まらせるヨミ。構わず私は続けた。


「ヨミ、あなた言ってたわよね。すべての魔法少女の任務を記録している《アーカイブ》だって。実際、あなたの記録の一つを見たこともある。半年前の戦いの記録も当然あるんでしょう」

「あります、けど……」


 私が目覚めたあの日、すずねがスマホで見せてくれた私の戦闘記録。ヨミの声に聞き覚えがあったのは、あの映像の撮影者の声と同じだったからだ。ああいった記録を多数保存しているのなら、大規模な作戦だったという半年前の戦いのものもあるはず。私が記憶を失う直接のきっかけとなった戦いの記録が。


 それを見て記憶が戻る確証はない。ただ、何もせず妹が苦しむ現状を看過することはできない。


 ヨミは手元に視線を落とし、形のいい眉を寄せている。


「……断る、っす。理由は二つ」

「……」

「第一に、もしすずねさんにバレたらボクがカリッカリのトロトロペトロ不可避」

「聖人を出来たてパイっぽく言うんじゃありません」

「第二に、ボクも嫌だからっす。記憶と力を取り戻した先輩が、以前のように無理をするのが」


 ヨミは手をもじもじしながら視線をあげようとしない。


「先輩は……誰彼かまわず救ってきました。自分が傷ついてでも困ってる人を助けてきました。それで救われた子はたくさんいるっす……だけどそれと同じくらいみんなを傷つけることもあったっす」


 ヨミはどことなくふくれっ面になって、上目気味に非難の視線を向けてくる。


「背中が爛れた。腕がちぎれかけた。ひどい切り傷で肋骨がむき出しになったこともあったし、骨が折れたまま一ヶ月放置して生活してたこともあったっす」


 思った以上にひどい。女の子なんだからもっと体を大切にしてほしい。そのせいで今の私はお風呂入るとき毎回げんなりしてるんだから。


「でもパラダイム機関の連中は、最大戦力だからって先輩にいくらでも任務をぶん投げて、先輩も全部完遂するもんだからもっと忙しくなって……だからみんな、先輩は今のままでいてほしいんです」


 みんな、というのはチャットルームで見かけた子たちのことか、さらに多くの誰かを含んでのことか。どちらにせよ前世の私の仕事中毒っぷりを心配してくれているのは確かだ。


 気持ちは分かる。正直私も具体的なことを聞いてドン引きしてる。何が楽しくてそんなに働いてたんだろう。お金? 戦いが楽しかった? 理由は分からないけど、仕事なんて誰かに心配かけてまで頑張るようなもんじゃない。しんどいなら休めばいいし、休んで文句を言われたらやめちゃえばいいんだ。前世の私はそんなことも──分からなかったから、すずねがああなっちゃったんだろう。馬鹿なことをしたもんだ。


 しかしだからこそ、記憶を取り戻さなければいけない。


「知らないわよ、そんなこと」


 顔を上げ、目を丸くするヨミ。


「だって覚えてない。話を聞いても他人事にしか思えない。成し遂げたこと、やらかしたこと、手に入れたもの、今のままじゃ何一つ背負えない」

「な、何を──」

「ヨミ、あなた私に良くしてくれるわよね。チャットルームのみんなも。そういうの全部、出来の悪い小説の設定でも読んでるみたい。うすっぺらなの、何もかも」

「……っ!」


 誰かとの関係性が人を形成し、それを絆と呼ぶなら、絆の基礎になるものは何か。それは共有した時間だ。積み重ねた思い出が人と人をつなぎ、その繋がりが人を人たらしめる。


 では今の私はどうか。思い出に裏打ちされない上っ面だけの絆に支えられ、甘えている私は人と言えるのか。せいぜい人形がいいところだろう。


 かといって薄っぺらな関係性を捨てることはできない。過去を知っている一方が捨てない限り、私は完全な空っぽにもなれない。


 時間が解決してくれるかもとか、半端なまま新しい絆を紡いでいくというのは悠長が過ぎる。


『どうしても、モヤモヤのムシャクシャニコフっす』


 あのときのヨミは、大切な誰かを失った喪失感に満ちていた。


『お姉ちゃんはもう覚えてないよね。だから似合ってないなんて言えたんだよね。あのとき魔法みたいに私の心を溶かしてくれた「──」って言葉も、何一つ覚えてない』


 先程のすずねは私の目を覗き込み、その中に別の誰かを探していた。迷子の子供が親を探すような目だった。あの目を見た以上、思い出のない人形を続けることはできない。


「だからお願い。私が私であるために、力を貸して!」


 立ち上がり、頭を下げる。


 物音一つしない。パーティションの向こう側から複数の視線を感じた。休憩室の中からスナック菓子を貪る音が聞こえ、徐々に現実へ立ち返っていく。


「ずるいっす」


 つぶやきと共に、まばゆい光が目を灼く。


「先輩にここまで頼られて……断れるわけないじゃないっすか」


 フリルだらけの白衣と、サイバーパンクなボディスーツ、ヘッドマウントディスプレイ。魔法少女に変身したヨミが、さっと宙を腕で撫でる。応接セットの周囲を半球型に無数のディスプレイが取り囲み、『ACCESS DENIAL』の表示で埋め尽くされる。最後に半透明のディスプレイが一つだけ姿を現し、再生アイコンが表示された。


「すずねさんにバレたらそのときは……骨、拾ってくださいっす」


 うなずくと同時、映像が動き出す。


 失った思い出の一つと、私は直面した。




ーーー




『ACCESSING...

 AUTHENTICATION CONFIRMED. HELLO, ADMINISTRATOR.

 OPERATION CODE: THE END OF DUSK

 EDIT: WITHDRAWAL

 CLEARANCE LEVEL: 5』


 機械的なアルファベットの後暗転。映し出されたのは赤い、赤い風景だった。


 見渡す限り広がる瓦礫の海の中、ぽつぽつと墓標のようにそびえる崩れかけの高層ビル。直視に堪えない真っ赤な西日を受け廃墟の一方は燃える赤に照らされ、もう一方には長い影を落としている。赤と影のコントラストはあまりにきつく現実のものとは思えない。


『負傷者は撤退! ここは私が引き受ける!』


 そんなどこか非現実的な廃墟の上で、私は声を張り上げていた。


 背後には傷ついた魔法少女らしき少女たち。前方には獣型、人型、昆虫型、多種多様な黄昏色の怪物たちがひしめいている。


『はあっ!』


 双刃薙刀が旋風のごとく振るわれる。斬撃の嵐に飲み込まれた怪物たちは細切れの霞へと姿を変えるが、数が多すぎて焼け石に水だ。早く逃げて、と戦いながら急かす私。


 どこに逃げんのよ、と疑問に思ったとき、傷ついた少女たちの足元が淡く輝く。非常口の標識を思わせる緑と白の光だ。少女たちは痛ましげに顔を歪め、非常口のような魔法陣が光を強めていく。


 やがて魔法陣の中央に立つ少女が何かを叫び、傷ついた少女たちの姿が消失し始める。消える前、幾人かは何かを叫んでいるが聞こえない。いいから早く逃げろ、と私は思っているのだろうか。


 怪物たちは際限なく真っ赤な陽光からにじみ出てきてキリがない。太刀筋が鈍ってきたそのとき、魔法陣から最後の一人が飛び出してくる。


『ちょぉい、マフマフ!? あれ終電なんですけどぉ!?』

『泊まってけばいいだろうっ!』

『んもー!』


 マフマフ、と呼ばれたその人影は私と背中合わせになって怪物たちと向き合う。ひらひらした衣装と両手にはトンファーを装備している。


 私は不満げに口を尖らせてるけどまんざらでもなさそうだ。斬撃の暴風雨で怪物たちを薙ぎ払い、その間隙を埋めるようにマフマフのトンファーとキックが閃き、見る間に怪物たちの数を減らしていく。


 そのまま一時間ほどは経った頃、ようやく怪物たちの増援が止む。周囲は夜闇の藍色に染まり、怪物たちの黄昏色がひどく目立つ。


 目に見える場所に黄昏色がいなくなったころ、戦いが転機を迎えた。


『さってラストスパート。この戦いが終わったら私有給使う!』

『不吉なこと言うんじゃないアホっ!』

『あ、ホントだやばい』


 うっかりフラグを立てている私たちの目前で、夜の闇がにじむ。藍色の波紋が無数に連鎖し、そのにじみはついに巨大な人型へと収束した。


 巨人・ナイトフォール。クロ・ノスタルジスが人工的に作り上げたダスクの変種だ。私はなぜかこのことを知っている。


 ナイトフォールは大樹のような左腕に刺々しいランプを、右腕に小さな雑居ビルほどの長大な剣を装備している。ランプの炎が夕暮れ色に強く輝き、無数の火の玉が私たちに踊りかかった。


 薙刀を高速で回転させ炎を切払う私。気をひきつけているうちに、マフマフは風のように疾駆し巨人の足元に迫る。


 鋭い蹴撃と輝くトンファーが闇を照らす。連撃がアキレス腱のあたりを深くえぐり、巨人の体がかしぐ。


『もらったぁ!』


 そのすきに私も距離を詰め、もう一方の足を切り刻む。巨人はひざをついて剣をやたらめったら振り回し、私たちは一度距離を取った。同時に降り注ぐ火の玉が廃墟を焦土へ変えていくけれど、当たらなければ問題ない。


 そう、私たちはこの巨人と戦うのは初めてではなかった。ランプの火力をやりすごし接近することさえできれば、鈍重な的に過ぎない。このときもそうだったんだ。


 だけど──


『マフマフ!?』

『なっ……!?』


 とっくに全滅させたはずの黄昏、ダスク。瓦礫の中に隠れていた獣型の一体が、マフマフを背後から押し倒した。


 場所は巨人の剣の間合い。巨人は腕を引き、仲間のダスクごとマフマフを貫こうとしている。


 私は駆け出した。武器は重い、邪魔だ。思い切り空へ投げ捨てひとっ飛びに駆ける。


 間に合え。


『「間に合え」』


 間に合った。


 マフマフの前に身を投げ出すと同時、正中線を刃が貫く。内蔵をえぐり、脊椎を削り、黄昏の魔物を貫いて、それでもマフマフの体には届かなかった。


『こ……後方注意』


 巨人に向けて手をかざす。先程全力で投げ捨てた薙刀はそれに応じて突如軌道を変え、高速回転。弧を描いて巨人の後頭部に迫る。


 巨人が風切り音に気づいたときにはすでに遅く、首を刎ね飛ばし薙刀は私の手に収まった。


 映像は、そこで途切れた。




ーーー




「……えっ、私幽霊?」

「違います」


 ウソやん。絶対実はもう死んでるってオチやん。


「いやいやいやどう考えても即死じゃん。これで生きてたらインチキよインチキ」

「自分で言いますか……」


 呆れたようにため息をつくヨミ。


「変身中の魔法少女は自己治癒力含め身体能力が強化されてるっす。特に先輩はそのあたりデタラメに強力だったっす」

「そ、そうなんだ」


 死んだのに気づいてない地縛霊気分をリアルで味わってしまった。魔法少女ってすごい。


「それで何か思い出したです?」

「んー、後少し」


 ほとんど映画の戦闘シーンを眺めている気分だったけど、部分的に当事者意識を持つことができた。何を聞いても他人事でしかなかった今までと比べると大きな前進だ。


 何より、古傷が痛む。映像の中で負傷したあのときほんの一瞬だけ蘇った痛みは、過去と今をつなげる重要な手がかりだろう。


 であれば、そこからたどって行けばいい。過去を取り戻す手段はもう決まった。


 念の為もういくつか過去の任務の映像を見せてもらう。私は赤く照らされる廃墟か荒野で、マフマフと共に怪物たちを蹴散らしていた。先ほどのような当事者意識は発生せず、別の古傷がうずくようなこともない。さしあたり手段は一つだけか。


 一つだけでも十分な進展だ。お礼を言って席を立ち、事務所を後にする。


「あれ、ついてくるの?」

「なんか、その……胸がザワザワのハラハラニアン……」


 誰だよ。もはや人名シリーズかどうかすら怪しいぞ。


 夜道を歩く私の袖を、ヨミはきゅっと握る。瞳は不安に揺れていた。


「これからどうするつもりっす?」

「記憶を取り戻す」

「どうやって?」

「別に無茶するわけじゃない。心配いらないわ」

「どうやって、って聞いてるっす」


 ヨミは強情だった。とはいえ私もこれが本当に正しい方法なのか自信がないので、あいまいに「過去と今のつながりをたどる」とだけ答えておく。


 適当に人気のないほうへ歩いていくと住宅街に入り、やがて土手のある河川敷へ出る。黒いタールのような川面が遠くオフィス街の明かりを反射し、ちょろちょろとわずかな水音を響かせている。


 土手を歩いていくと小さな橋を見かけたので、その下へ潜り込んだ。明かりも人気もまったくない。実行するにはうってうつけの場所だ。


 まず、ポーズを取る。


 こう、なんかかっこいい変身ヒーローっぽいポーズ。後は気合を入れて、


「へーん、しん!」


 そうして私は最強の魔法少女の姿へと──変わってないな。ジャージのまま。


 でも一番必要な薙刀は召喚できている。包丁みたいなサイズで片刃だけど、これだけあれば十分。


「先輩、力を……!? あとポーズださ……!?」

「つごう三回も変身見てればちょっとは思い出すよね。ポーズは忘れて」


 膝をつく。ジャージの上を脱ぎ、肌着も脱いで上半身は下着だけになった。小さな薙刀もどきを両手で保持し、刃先を体へ向ける。


「え、えっ? どういうことっすか? 何、して……」


 簡単な話。私はできる限り早く記憶を取り戻したい。古傷の痛みだけが過去と今をつなぐ手がかりである。であれば古傷を抉るショック療法こそ現状最善の手段だ。


 その古傷が期せずしてお腹にあるから、この方法は端的に言って──


「ちょっと切腹すんね」


 切腹、だろう。




ーーー




 目を開くと、そこには美少女がいた。


 さらりとした栗毛を髪留めで中央分けにして、露わになったおでこにはつつきたくなる魅力が満ちている。ぱっちりした目は涙に濡れ、かわいらしい童顔が悲しみに染まっている。首元にいつも巻いているはずの真っ赤なダサいマフラーがなく、細い首が丸見えだった。


 白い天井や壁には見覚えがある。腹を切って昏倒し、病院に運ばれたのだろう。魔法少女だから大丈夫だと思ったけど、見込みが甘かった。


 すずねは私の顔の横に腕をついて、じいっと見下ろしている。いつからこうしてたんだろ。


「おはようお姉ちゃん」

「おはようすずね」


 あいさつは大事。


「ヨミちゃんから話聞いた。記憶を取り戻そうとしたんだよね」

「うん」

「なのに何がどうやって切腹になるの?」

「ショック療法」

「お姉ちゃんって世界一バカだよね」

「諸説あるわ」

「ないよ」


 徐々にむすっと不機嫌顔になっていくすずねだけど、空が陰るようにまた悲しげに目を伏せる。


「……ごめん。私のせいだ。お姉ちゃんはどんなになってもお姉ちゃんなのに……私のワガママでまた無理させちゃった……」

「マフラーは?」

「え?」


 誰が悪いかとか無理をしたとか、今はどうでもいい。それよりもマフラーだ、あのマフラーはどこ。腹を切る前に外すの忘れてた。


「ここにあるけど……お姉ちゃん!?」


 ベッドサイドテーブルに置いてあった真っ赤なそれを手に取る。上体を起こすとお腹がいたんだけれど我慢我慢。呆然としているすずねの首に巻きながら、取り戻した過去を披露する。


「『こんな着衣エロの擬人化みたいな格好、風邪引くわよ』」

「あ……」


 結論から言うと、私は過去を思い出した。痛すぎて叫びすらあげられない激痛の中すずねの顔を思い出し、必死で過去をたぐりよせて取り戻したのだ。


 マフラーは確かに私の手作りだった。知らない間にすずねが危険な魔法少女の世界に踏み込んでいたのは当時すごくショックだったけれど、それ以上に気になったのがけしからん変身後の姿だ。少しでも肌色面積を減らそうと、誕生日に合わせて慣れない手編みでマフラーをしつらえプレゼントした。私にとっては何気ない言葉と一緒に。


「思い出したの……?」

「全部は無理だったけどね」


 すずねのことだけを考えているうちに意識が落ちてしまったから、ヨミや他の魔法少女たち、あのマフマフと呼ばれていた子のことなんかは思い出せないままだ。


 でもひとまず、すずねが欲しがっていた「思い出」は取り戻すことができた。私はすずねの変身を見るたび、歩く劣情ジェネレーターだの股間と下腹部がどうこうだの、しょうもない寸評を言っていた。まったくロクでもないばかり言ってたんだな、私。


 ともあれ思い出すべきことは思い出した。後は前世の私のような無理無茶無謀を控えつつ適度にダラけて──ん?


「もしかして私、また無茶した?」

「したよ! めちゃくちゃしたよ! 今更!?」


 あっ、これが無理するってことか。


 痛いのも苦しいのも嫌いなのに、気がつけばハラキリまでしてる。えっ、頭おかしない私?


「ち、違うのすずね。これは違う、ノーカンよ」

「なりませんっ! ノーカンなりません! ヨミちゃんも超凹んでるし機関の人たちてんやわんやだし、マフマフさんは卒倒したんだからね!」

「これっきり! これが最後の頑張りだから、ね!?」

「知らない! もうお姉ちゃんは何もせずご飯トイレ睡眠だけ繰り返してなさいっ!」


 その後すずねは生産性に喧嘩を売るような要求をさんざん私に叩きつけ、あまりにうるさいので看護師さんから病室を締め出されるまで怒り続けた。


 たぶんいくら怒られても変わらないと思う。すずねが苦しんでるからなんとかしなきゃ、と考えたら一直線に動いてた。これが私、真道みすずの本質なのだとしたら変えようがない。動いてるときにはもう気づけないもの。


 その人をその人たらしめるものは、きっと思い出だと思ってた。でも今回みたいに何も考えず誰かのために動こうとする気性もまた、人の本質なのかもしれない。


 だとすれば、やはり過去よりも今。今が楽しくて未来があるなら、過去は必ずしも必要ない。つまりは──


 記憶喪失になったけど実質ノーダメ、ってことかな。

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