2.女上司は指令を下す
パレードの次の日、イルムはいつものように腹に意識を飛ばすような一撃を喰らってから目を覚まし、眠気な眼のまま仕事に出かけた。
少し薄い緑色の制服に身を包み、胸元には誇り高き竜の紋様が刻まれた軍服を着てイルムはセントラル王都にあるアスタリスクと呼ばれる王国軍本拠地の地下室にいた。そこはイルムの所属する部隊に与えられた部屋だ。とは言ってもこの部隊は常に何処かに出かけているので物と言う物はソファと隊長が座る大きな机しかない。
そして現在、まるで仕事に忙殺されているように資料の山が積まれたその机で両肘をついて手の甲に顎を乗せ、イルムを見つめる女性が一人。
「おはよう。イルム准士官」
「おはようございます! キリス少佐!」
その休日のだらしなさとは裏腹のそのピシッと敬礼する態度は誰が見ても二度見してしまうことだろう。
「昨日の休日はどうだった?」
「はっ! とても有意義な休日でした」
イルムがそうハキハキと喋ると、キリスは徐ろに笑い出す。まるで抑えていたものが出ていくように。そうこれはいつものイルムではない。キリスという上司によって、罰としてやらされたもの。一昨日の任務の報告をユリスがしたことでイルムが衛兵に見つかったことがバレたのだ。
そしてこの有様ということだ。罰と言える罰ではないがキリスが楽しそうに笑っているのでイルムはそれ以上言うことはない。
「ぶふっ! あっはっはっはっ!! くくっ、も、もういい。いつも通りにしろ。笑いを堪えられない」
キリスにそう言われ、イルムは肩を落とし楽な姿勢になるといつも通りに覇気のない声で喋り出す。
「はぁ、そうですか。ま、楽しかったですよ。ネイとも久しぶりに外で遊べましたし」
「ふむ、そうか、そうか。確か、王女のパレードに行ってきたらしいな」
一瞬、どうしてそのことをとイルムは固まるがキリスの手元にある一枚の封筒を見て合点が行く。
「ネイからの手紙ですか。毎度毎度よく書くなぁ、あいつ」
「そう言うな。ネイの手紙のおかげでお前達がどんな生活をしているのか、離れていてもわかるのはとても助かってる。それにネイの手紙は私の楽しみだからな」
キリスはそう言うと机の引き出しから一枚の封筒を取り出して、イルムに渡す。恐らくはネイの手紙への返事だろう。苦笑いしたイルムはその手紙を胸ポケットに折れないように入れた。
それを見届けたキリスは先ほどまでの世間話とは打って変わった、上官の雰囲気で低い声で話し出す。その空気にイルムは自然と背筋を伸ばした。
「昨日の任務はご苦労だった。……しかし、やはり奴も蜥蜴の尻尾のようだな」
「そう、ですか」
蜥蜴の尻尾と揶揄されたのは一昨日の暗殺任務によってイルムの手によって殺害されたガルドのことだ。
イルム達の部隊は軍の中でも異質だ。本来ユグドラシル王国の軍事力は最高位に聖竜騎士を筆頭にした竜騎士が配属する騎士団があり、その下に軍という組織がある。騎士団の役割は国王やその近辺や王城の守り、そして国同士での戦争において、その騎士団は最も活躍するだろう。
そして軍の役割といえば、衛兵などの街の警護や事件の捜査など、どちらかと言うと騎士団を花型と呼べば軍は下請けと言うしかない。勿論戦争時にも出撃するがその力は例外を除いて騎士団の足下にも及ばない。
今回のイルム達の任務もその軍の役割の一環といえる。そして、そんな極秘の任務に携わるのがイルムのいる異質な部隊なのだ。
「ブリタニア帝国からの間者は既に我が国の深部まで入り込んでいる。ガルド=ナーガスの身辺を調べて幾人かの間者を始末できたが、その上にたどり着くことができなかった」
いくつもの枝分かれしたその間者達の一部を潰しても意味がない。キリスが狙うのはその大元、恐らくは王族か、またはその近辺の人間。こんなこと王族絶対の騎士団が聞いたら卒倒する。
それに、これはあくまで予想でしかなく決定的な証拠もその人物すらも特定できていない。騎士団や軍、そして王族の一部の人間しか知らない、極秘の話だ。
「また、振り出しですか……」
「いやそうでもないぞ。一つ面白そうな事件が一昨日の朝方に起こった。とは言っても情報規制によって民間人には知らされていないが」
「……?」
イルムがため息混じりに呟いた悲鳴にキリスはニヤリと笑って一枚の報告書を差し出した。イルムは訝しむようにその報告書を見ると、目を見開き食い入るように読み込んでいく。
「──! 王の暗殺未遂……ですか」
「あぁ、しかもこれ面白いことにお前達がガルドの屋敷にいるときに起こったみたいだ。私達の部隊が王の護衛隊と別行動を取ったときに、だ」
「……偶然では?」
イルムは細めた目で未だにその報告書を読む。報告では王の暗殺には至らなかったものの、騎士団の親衛隊が二人ほど死亡している。
「偶然かもな。だが、そう言う万一の可能性を探るのが私の部隊だ」
そうキリスの直感は何かあると訴えている。その言葉にイルムは肩を空かせて、その報告書を机の上に置いた。
「で、俺は何を?」
「早速で悪いが護衛任務についてもらいたい」
「王の……ですか?」
イルムは首を傾げる。それもそうだ、イルム達のいるこの部隊の主な役割は王族を影から護衛することだ。キリスがイルムを呼び出してなお、言うことではない。
だからこそイルムの背筋にいい知れない不安の冷や汗が流れるのを感じた。そしてキリスはいつものからかいとは違った深みのある笑みを浮かべた。
「お前には──極秘で第三王女の護衛についてもらう」
一瞬の沈黙が室内を包み込む。イルムは第三王女と呼ばれて脳内から摘み出された情報を整理していく。そして、その王女はつい最近、いやもっとまじかでイルムは聞いた覚えがあることを思い出した。
「あー、確か王都の竜騎士……学園に入学……する……あの?」
「あぁ、あのセントラル竜騎士学園に入学する、あの第三王女レムリアナ=ユグドラシル殿下だ」
今一度キリスによって整理されたその情報にイムルは今度こそ顔が青くなる。
「あれですよね。……登下校を影で見守れ的な」
現実逃避のように明後日の方を向いてそう口にするイルムにキリスは呆れたように言い直した。
「いや、あそこは完全寮制だ。だがら──学園に入学しろ、イルム」
…………──。
「──はっ、はぁぁぁぁああ!!」
その言葉を理解した瞬間、イルムは吐き出すようにそんな大声を発した。そんな声にキリスはうるさそうに両耳を塞いで、距離を取るように椅子に背中を預けた。
「断ります! だいたい学園なら入学せずとも侵入すればいいじゃないですか!」
イルムは自分がどれだけ危ないことを大声で言っているのかも理解していないように荒々しく抗議する。そんなイルムの言葉にキリスは難しそうな顔をする。
「お前、竜騎士学園の警備がどんなのか知らないのか? あそこは在校生か教師しか基本入ることが許されない。しかも、その守りも絶対だ。魔力防壁や魔力感知、そして元竜騎士の教師達。いくらお前でも無理だろう」
「それ……王城よりも硬いんじゃ」
「硬いぞ。王城は様々な人が出入りするからな。しかし学園は人の出入りは徹底してる、そうなれば当たり前ともいえるがな」
キリスは腕を組んで目を瞑る。これ以上は意見を聞く気はないというような態度にイルムは不満そうに眉を顰める。
「往生際が悪いぞ。お前が組織下にいる限り上官の命令は絶対だ。それにこの『ファントム』の任務に拒否権がないのはお前が一番よくわかっているだろ」
『ファントム』とはキリスが隊長を務め、イルムが所属する異質の部隊の名称。確かに軍に所属しているが、その存在は上層部しか知らない。どこを見ても崖っぷちな所だ。
「んぐっ……でも入学したら寮に入ることになる。可愛い可愛いネイを一人にするわけには」
そうイルムが今一番に頭に浮かんだのはそのことだ。ネイは今でもイルムと一緒に寝ないと寝れないのだ。これは何もネイが子供ということもあるからではなく幼くして両親が死んだことに起因する。今でこそ元気にはなったが、両親が亡くなったすぐは夜泣きはいつものことで起きているときも笑うことは全くなかった。
しかし、イルムの心配を最初から解っていたかのようにすかさず口を開いた。
「安心しろ。今頃、私の荷物がお前の家に運び込まれている頃だろう」
「……ん?」
「ネイの了承も得てる。あ、あともうお前の荷物も既に学園に送られてるぞ」
唖然と口を開くイルムは昨日の朝を思い出す。イルムの服を畳んで荷袋に入れるその光景はまさに荷造り。昨日のネイの行動に合点がいったイルムは大きく肩を落とす。
「ネイまで巻き込んで、外堀を埋めようとするなんて……」
「……諦めろ」
それがイルムの崩れかかった対抗の意思を一押しで、完全に崩れ落とした。
あとがき
序章で出てきたバルムンク帝国→ブリタニア帝国に変更しました。すみません。
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