一章 凍月の勇者


 路地を抜けると、景色が大きく開けた。


 そこは広場のような場所だった。

 路地よりは少し大きめの石畳が敷かれた、小規模な緑化公園ほどの円形の広場。中央には石材で作られた丸池と、盃を重ねたような噴水がある。


 僕は広場へと歩みを進める。

 人影はないものの、遠く、微かな喧噪が聞こえた。

 顔を上げれば、空がとても広い。

 なぜだろうと考えて、高い建造物がないからだと思い至る。周囲に見える木材と煉瓦でできた建物は、せいぜい三階か四階建て程度。都市型タワービルや積層ドームなどは影すらもない。


 遠くを見据えると、景観を取り囲むように鼠色の高い壁が見えた。あれは城壁だろうか?

 まるで古代の城塞都市だ。


《エコー、まだネットワークには繋がらないのか》


 なんとなく噴水へと歩み寄りながら、僕はエコーに通信を飛ばす。


《試行中…………接続不可》


 溜息をついて、僕は噴水のオブジェへと目をやった。

 盃を三枚ひっくり返して重ねたような単純な造形だが、真上からは水が噴出している。

 僕は少し安心した。揚水ポンプを使っているなら、定期的に人の手が入っているんだろう。まあドローンかもしれないが、少なくとも現代文明の及ばないような場所ではない。


 あれ、でも待てよ。

 たしか噴水って、動力なしでも自然水圧だけで実現できたような……。


 そのとき、轟音が遠くに聞こえた。


「っ!?」


 直後に上がる、大勢の悲鳴。

 なんだ?

 音の方向を見たが、なにもわからない。

 だがなにかが起こっている。


《エコー》


 エコーをナノ砂形態に変化させ、状況の確認に向かわせようとしたが、思いとどまる。おそらくは観測可能範囲外だ。それにあまりエコーの密度を薄めたくない。エコーの描く魔法陣は、構成するナノ砂の編隊飛行なのだ。いざというときに対応できなくなる。


 様子を見に行くべきか……?


 迷っている内に、状況が動いた。

 街路の一つから、広場に人影が現れた。

 一人や二人じゃない。大小入り交じった何人もの人間が、こちらへと走ってくる。

 とっさに身構えたが、彼らは僕に用などないようだった。

 皆噴水を避けて広場を横切ると、反対側の街路へと各々飛び込んでいく。

 何人かに怪訝な目や、ぎょっとしたような目を向けられたが、それだけだ。


 逃げている。

 そう、時折、轟音のした方角を振り返りながら、なにかから逃げているようだった。

 人相はよくわからない。皆走っているし、日よけのためか、衣装についた深いフードを被っている人間が多いからだ。


《……変わった服だな。どこの衣装だろ。というかこれ、実写映画の撮影かなにかか?》

《観測範囲に撮影用ドローン等の存在なし》


 いずれにせよ話しかけられる雰囲気ではない。

 僕はしばし様子を見ることにする。一応、エコーでの警戒は忘れない。

 そのとき、走っていた子供が一人、足をもつれさせて派手に転倒した。

 足を痛めたのか、そのまま立ち上がれないでいる。兄弟と思われる子供が戻ってきて手を貸すが、困難なようだった。なにかを大声で言い合う。周りの大人が助ける様子はない。


 ある意味丁度いい。話しかけるきっかけができた。

 僕は子供たちへと近づく。


「どうしたの。大丈夫?」


 子供二人が驚いたようにこちらを振り向いた。

 弾みでフードが外れる。

 その顔を見て、僕は息をのんだ。

 突き出た口。切れ目のような鼻孔はあるが、鼻はない。その眼は、瞳孔が奇妙なほど縦に伸びている。

 それになにより、露出した部分すべてを、深緑色の鱗が覆っていた。


 人間じゃない。

 口や眼球どころか舌や瞳孔まで動くこの精巧さは特殊造形でもありえない。

 まるで本物のトカゲ、いや――――恐竜人サウリアンのような。


「****、**********」

《……エコー、翻訳を》


 子供の一人が紡ぐ奇妙な言語を聞いて、僕はかろうじてエコーへ指示を飛ばす。


《統一語含む現存十一言語に該当なし。アーカイブしている全言語に検索範囲を広げ、抽出中。絞り込みに音節情報が不足。会話を続けよ》


 エコーの返答を聞いて、そんなことは無駄だと思った。

 こんな生物が紡ぐ言語など世界にあるはずがない。現実感が揺らぐ。僕はいったい、どこへ来てしまったのか。


 子供たちの表情のない顔は、どういうわけか泣き出しそうに見えた。

 子供たちもまた、僕を怖がっている。僕を恐れているようだった。兄は弟を隠すようにしてこちらを怖々見上げている。僕は自嘲的な気分が湧くのを感じた。独りでに頬が歪む。


「泣きたいのは、実は僕の方もなんだよ」

《警告。ランクB》


 突然、エコーが危機予測アラートを鳴らした。

 危機の詳細が感覚質クオリアの形式に変換され、IMにフィードバックされる。

 まったく予期していなかった事態に驚愕する。が、体は勝手に動いた。目前の子供、ではなく僕の遙か左方より飛来する高速の脅威を二本、半歩後退することで躱し、最後の一本は上体を反らして躱す。


 剣だった。

 三本ともすべて、骨董品のような鉄剣。


 IMに表示されたエコーのスクリーンショットを確認しつつ、僕は謎の襲撃者へと目を向ける。

 そこに立っていたのは――――意外なことに、年若い少女だった。

 おそらくは十代後半、僕と同じくらいだろうか。特徴的な錆色の髪に、丈の長い立派な拵えの黒い装束。幼さの残る顔立ちは険しく、鋭い視線を僕に向けてきている。右手には宝石が埋め込まれた大仰な杖を携え、そして左手には、大量の剣が収められた大筒を引きずっていた。


「******」


 少女は僕をにらみつけたまま言葉を発した。

 するとはっとしたように、傍らの兄弟が動いた。倒れている方を無理矢理引き起こすと、その小さな背に背負い、広場を離れるように一目散に駆けていく。

 いつの間にか、周りには誰もいない。

 僕は、少女があの子供たちを逃がしたのだと、少し経ってようやく気づいた。


「***********。***************」


 少女の言葉。言いながら、左手の大筒を石畳へと放った。骨董品のような剣がぶちまけられ、重たい金属の騒音を奏でる。

 理由は不明だが、彼女は僕に明確な敵意を持っているようだった。先ほどの攻撃も彼女だろう。

 僕は少女の動向を注視しつつ、言葉を返してみる。


「ごめん。悪いんだけど、君がなにを言っているのかわからないよ」


 少女の眉が顰められたのが見えた。


「*************?」

「なにか訊かれたのはわかった。でも答えられないんだ。ごめんね」

「*******」

「そう言われても」


 相手の気配に戸惑いが混じる。

 エコーに言われたとおり強引に会話を試みただけだったが、意外なことに状況が好転しつつあった。少女の持つ敵意が薄らぐのを感じる。

 ひょっとすると、彼女の方にも積極的に争う理由はないのかもしれない。僕を暴漢とでも思っていたのか?


 一方で、頭の片隅には別の疑問もわだかまっていた。

 ここはどこで、彼女は何者なのだろう。

 八割超の都市国家で統一語が話され、泡沫言語のほとんどが消滅した現代にあって、なぜ言葉が通じないなどということが起こる?


「**、**************」

「ちょっと待ってね」


 ふと、思いついたことがあった。

 僕は宙空に目をやりつつエコーに通信を飛ばす。


《抽出はまだか、エコー》

《進捗率約九十二・四七パーセント》

《それはつまり、あと少しということか?》

《個人の主観による》


 最後の返答は予想したとおりだった。

 言語特定はひとまず置いておくことにする。


 僕はナノマシンのデータストレージを開き、“ギルド”のライセンス情報を表示する。

 僕の登録する“ギルド”、つまりアヴノ・テジェンドラ社は、攻性人材派遣企業の中でも最大手の一つだ。あらゆる国で宣伝プロモーシヨンしているし様々な商品にスポンサードしている。企業ロゴくらいならば誰だって見たことがあるだろう。例え言葉が通じなくても、ライセンス情報を示せば僕の身分くらいはわかってもらえるはずだ。


 関連付けられたホログラム用レシピを選択し、僕は少女へと、少し困っていることを示す笑顔を向ける。


「これを見てくれないかな」


 エコーが一瞬で凝集し、魔法陣を形成する。


《“ルミナスビュー・フリー版”をロード》


 励起光の瞬き。

 それを前にした少女が目を見開くのを確認して、

 僕は失敗を悟った。


《警告。ランクB》


 突如風を切り、襲いかかってくる鉄剣を、予測軌道を頼りに懸命にかわす。

 防御用のレシピを選択している余裕はない。回避の間に合わない一本を、ニルヤの剣で弾いた。重い振動が手のひらに伝わる。


「違っ、待っ」


 さらなる追撃が来る。

 飛来する剣の群れを大きく飛んで回避。金属が石畳を削る音を背後に、膝をついて元凶たる少女を見据える。

 ハーモナイザーを構え、脳内では魔術思考レシピのリストを展開。

 思わず舌打ちが漏れる。


 少女の気配は、明確にこちらを警戒するものへと変わっていた。


 自分の軽率さに吐き気がする。

 エコーは日常生活で使われる魔法励起端末とは違う。ハーモナイザーと同様、危険区域調査や要人警護などに用いられる“荒事”向きの機体だ。いきなり魔法陣を展開されては誰だって身構える。しかし、もはや問題はそんなところにない。


 少女の周囲には剣が浮遊していた。

 切っ先を下に、まるで糸で吊されたかのように微動だにしない。

 だが固定するものなどなにも存在しないことは、エコーの観測結果も示している。


 魔法だ。

 緊張が鼓動を早める。


「***。***********」

「待ってくれ、誤解だ」

「****」


 少女の瞳には明確な敵意と、微かに失望の色があった。

 数本の切っ先がこちらを向く。それを認識するやいなや、弾かれるように僕へ襲いかかってくる。

 しかし、今度はこちらにも備えがあった。リストより即座に適正レシピを選択。


《“クロガネ・ProfessionalEdition”をロード》


 魔法陣が展開。

 そして、僕の眼前に漆黒の金属壁が出現した。


 殺到する剣を受け止める悲鳴と振動。

 致死的な攻撃力をすぐ向こう側に感じる。だが、破られることはない。この特殊合金鋼の防弾壁レシピは、六脚ドローンの対物砲くらいならば優に防げる。

 欠点としては窓がないので向こう側が見えないことだが、僕の場合はエコーの観測機能があるので問題ない。


 そのエコーが、走り出す少女の姿を捉えていた。

 浮遊する剣たちが、円形に互いの間隔を保ったまま機械的に追従する。まるで猟奇趣味な広間照明シャンデリアのよう。

 防弾壁の側面に回り込むつもりなのか。対処は容易だが、後手に回るのも不安だった。

 リストからレシピを絞り込む。今度のは攻撃用だ。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ6”をロード》


 魔法陣を展開するが、すぐには発動させない。目標を設定し、レシピの変数域に入力。エコーの魔術思考が、必要な射出を行うために微調整される。これで十ミリ秒。

 六条のステンレス鋼刃が、少女に向かって打ち出された。

 頭部や頸部、腹部は避けている。

 あくまで牽制。だが対応を見る意味もある。

 少女は足を止めた。浮遊する剣たちが滑るように動き、盾になるよう配列。ナイフが弾かれる澄んだ音が響く。

 ここまでは予想通り。さて追撃だ。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ18”をロード》


 今度は十八本。刃の群れが少女へと殺到する。

 半分はかすりもしない弾道。だが圧力はかけられる。

 少女はまた剣の盾で防御、しなかった。剣を広間照明シャンデリアの状態に戻し、そして右手の杖を構える。

 励起光が輝く。

 なにも起こらないように見えた。

 だが、ナイフはいずれも少女には命中しない。少女の手前でぐにゃりと軌道を曲げ、上下左右にすべて逸れていく。

 広場の石畳に、乾いた金属音が空しく響き渡った。


《電磁気力による防御と推測》

《わかってる》


 エコーに言われるまでもない。もっと言えば、原理も想像がつく。

 金属が急激に磁場へさらされると、電磁誘導によって渦状の誘導電流が発生し、磁場を生じる。反発磁束レンツの法則により、この磁場は必ず元の磁場と反発する形で現れるため、質量や運動量が足りなければあのように弾かれることになる。


 鉄剣を操る魔法も、おそらくは磁場によるものだろう。

 だが一方で疑問も残る。


 魔法の原理は予想できるが、それを既存端末向けにレシピ化した製品プロダクト名が思い当たらない。魔法励起端末であろうあの杖のデザインにもまったく見覚えがない。

 いや……そもそも端末なのかあれは。単なる木の杖に、模造宝石イミテーションが付いているだけのような……。

 どうも違和感がある。


《“クロガネ・ProfessionalEdition”をロード》


 走りつつ壁の側面に回り込む少女の攻撃を、防弾壁を追加して防ぐ。

 防戦一方にも見えるが状況は悪くない。磁場の範囲から外れた鉄剣は当然回収できないようで、少女の残弾は減るばかりだ。戦闘継続が難しくなれば対話に応じるかもしれない。


 状況は優位に進んでいる――――そういう油断があったせいだろうか。

 少女の接近に気づくのが遅れた。


「っ!?」


 最後の剣を射出すると同時に距離を詰めたようで、防弾壁のすぐ向こう側に迫っている。一瞬動揺したが、しかし少女がそこからできることはない、はずだった。


 壁が消えた。

 少女の姿が正面にある。


 なぜだ? 八十ミリ秒ほど経ってようやく気づく。防弾壁が上方で放物線を描いている。浮かされて放り投げられた? 魔法で? あれだけの質量を? 違う、今は攻撃に備えろ! だが浮遊している剣はない。こちらの魔法が間に合――、


「**」

《警告。ランクA+》


 IMの示す危機予測に怖気が走る。少女の杖に励起光が瞬くのを認識したのは、そのすぐ後だった。レシピの選択すらできない。なにもかも捨てるように思い切り横に跳ぶ。

 次の瞬間、背後で轟雷が舞っていた。

 杖より放たれた幾条もの紫電の嵐が僕のいた空間を貫き、地面に吸い込まれていく。直視することすら躊躇われる暴風。一瞬おいてオゾン臭と、落下した防弾壁が石畳を割る轟音がした。


 雷撃の魔法。

 今度は製品名が複数思い浮かぶ。だが今、そんなことにまったく意味はない。


 周囲に散らばっていた剣が少女の磁場にかき集められるのを確認した僕は、すぐさま“クロガネ”を再展開する。雷撃がきてもとりあえず避雷針代わりになるはず。

 しかし距離を詰める少女の姿を確認し、無意味さを悟る。これではさっきと同じだ。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ18”をロード》


 最近使ったレシピ欄から適当に攻撃用レシピを選択、展開する。

 十八条のナイフは、案の定磁界の防壁で逸らされる。だが数秒の足止めにはなった。


 分厚い鋼の防弾壁が、またもや少女の魔法によって放り投げられる。だが、すでに僕は大きく後方に距離を空けていた。雷撃魔法は例外なく射程が短い。少女の表情が忌々しげに歪む。


 僕はなんとか動揺から回復しつつあった。特殊合金鋼も主成分は鉄で、磁石に引き寄せられるいわゆる強磁性を持つ。重量は鉄剣とは比べものにならないものの、磁場の操作対象ではあった。

 だが不思議だ。あれだけ出力があって応用も利くレシピなら、使用者が少ないはずがない。僕が知るくらいの知名度はあってもいいはずなのに。


 再び“クロガネ”を展開。防弾壁の向こうで飛来した剣が弾かれる。

 疑問は後でいい。今はこちらの対処が先決だ。


 少女が距離を詰める。向こうからすればこちらの攻撃ナイフは無効、防壁は吹き飛ばせるため、一方的な優位を感じているだろう。だから同じ手でくる。

 またしても巨人に持ち上げられたかのように防弾壁が浮き上がる。

 目前にくる少女の不敵な笑み。杖に励起光が瞬く。

 今度は逃げなかった。


《“ザ・雷がよけるクン”をロード》


 エコーの魔法陣が形成され、黄緑色の格子模様が僕の前面に展開。

 同時に、轟雷が迸った。

 凶悪な光の蛇たち。それはしかし、僕に届くことはなかった。宙空の格子に沿って這うように、四散していく。

 オゾン臭が立ちこめる中、少女は愕然とした表情を浮かべたまま固まっている。


「話し合おう。こちらには対話の用意がある」


 返答は再度の雷撃。

 だが同じことだ。


 放電とは空中を奔る電子の流れだ。飛び出した電子が原子中の別の電子を弾き出し、それが連鎖していく電子雪崩という現象。電流の通り道とはつまり、これがもっとも抵抗なく起こる経路となる。

 “雷がよけるクン”の効果は、一定範囲の電子の質量をほんの少しだけ増加させるものだ。ほんの少しだけ弾き出されにくくする。それだけで電流の経路には選ばれなくなる。


 “よけるクン”シリーズはユーザー評価も高い信頼ある製品だ。たいていの雷撃魔法を防げる。


 二度目の轟雷もすべて外れ。

 動揺を隠しきれない様子の少女と向かい合う。


「ちょっと落ち着いてくれないかな」

「******!」


 磁場の効果範囲にあった鉄剣が巻き上げられる。

 “よけるクン”でこれは防げない。


《“マンストッパー・Basic”をロード》


 魔法陣が即座に形成。非致死性のゴム弾が打ち出され、鉄剣を遠くへ弾いていく。

 絶縁体の弾丸ならば磁界の防壁では防げない。


 これで、少女に打つ手はなくなった。

 だが油断はしない。魔法陣を展開しつつレシピを待機状態におく。これ以上敵対の意思を見せられたら、物理的に行動不能にするしかない。

 少女は険しい表情のまま。思考は読めない。


「僕に争う気はないよ。そちらも同じだといいと思ってる」

「*****」


 押し殺した声。

 軽く掲げた杖に励起光が点る。

 僕の判断は、少し遅かったと思った。


《“マンストッパー・Basic”をロード》


 レシピを解放。ゴム弾の予定弾道は、今度は少女へ集中している。

 判断が遅れようが関係ない。鉄剣もない相手はこれを防げない。

 そのはずだった。


 突如、少女の足下にあった敷石がぐらつく。

 いや足下だけではない。少女の周囲すべての地面が振動し、そして、水中で浮力を得たように石材が浮き上がった。撃ち出されたゴム弾はすべて、少女の正面に浮かぶ一際大きな岩石に弾かれる。


「なっ!?」

「*******」


 間を置かず岩石が打ち出される。僕へ。

 よりにもよって危機予測は不発。だが速度が遅かったのが幸いした。全力で飛び退き、辛うじて石材の砲弾を回避する。破砕音を背後に崩れた体勢を整えながら、僕は思わず口走る。


「どうなってるんだよ……」


 混乱の中思考を巡らせる。

 これも少女の魔法であることは間違いない。

 しかし、当たり前だが普通の岩は磁石につかない。電磁石にだってできないだろう。磁場という前提が間違っているのか? だが、他にあのような選択的かつ遠隔的な操作を可能にする力は思い当たらない。考えにくい。

 ならば、別の前提が間違っている。

 だとすれば……。


《エコー》


 エコーに指示を飛ばし、内蔵魔法陣を起動。ある程度当たりを付けて観測魔法を展開する。もし予想通りならば……。


 周囲の石畳が振動を始める。

 すぐにその場を離脱。浮き上がり、襲いかかってくる岩石を、危機予測の示す弾道を頼りにかわしていく。

 整然とした広場はもはや見る影もなかった。噴水は崩壊し石畳は掘り返され、まるで土木工事ドローンが暴走したかのような惨状を呈している。


 エコーから通知音の感覚質クオリアが送られてくる。

 結果が出たらしい。


《それで、どうだ?》

《ケイ主任の予測とほぼ合致。周辺環境中にある分子の磁化率を測定した結果、鉄、ニッケル等の他、炭酸カルシウムが強磁性を示した。通常炭酸カルシウムは室温で磁化率マイナス〇・三八二を示す反磁性体であるため、なんらかの魔法の影響が考えられる》

《だろうな》


 間違っていたのは、岩は磁石につかない、という方だった。

 通常、炭酸カルシウムのような反磁性体は不対電子を持たないため、個々の原子内で磁気モーメントが相殺されてしまいどのような構造であれ強磁性を示すことはない。しかし仮に、原子内に存在する電子の軌道運動や自転運動の操作によって強制的に磁気モーメントを生み出せるとすれば、強磁性を付加することは可能だ。


 あくまでも推測。こんなことを可能にするレシピなど聞いたことがないからだ。今確かなのは、少女の操る石材が、炭酸カルシウムを主成分とする大理石だということのみ。


 そして、それで十分だ。

 情報さえあれば対処できる。


 僕は息を整えながら少女を見据える。大量の石材や鉄剣を宙に従える少女もまた、こちらへ向き直る。

 強磁性化されているのが炭酸カルシウムなら、炭酸カルシウムでなくしてしまえばいい。


《“ネオンちゃんの化学研究室ケミカル・ラボ”をロード》


 レシピを待機状態にしつつ、僕は少女へハーモナイザーを差し向ける。


「随分おもしろいことしてくれるな。でも次はこっちの番だ」

「**が*なよっ、『勇者』風情がっ!」


 っ!?

 少女の叫びと共に鉄剣や岩石が撃ち出される。だが僕は完全に反応が遅れた。刃に装束を裂かれ、石材の破片を身に浴びながら、がむしゃらに逃げ惑うことしかできない。


《エコーっ!》

《言語特定が完了した。すでに即時翻訳を開始している》

《開始する前に言えっ! 僕の方の言葉は》

《約七百ミリ秒前に発話法記憶の書き込みが完了。運動野を順応させるため、数単語の発声から長文朗読までの発話習熟ステップが推奨されている》


 即、却下した。今はそんなことをしている場合ではない。


「まっ、待て待て!」


 僕は身振り手振りを交えて少女へ呼びかける。

 やや特殊な発音があるためか、うまく舌が回らない感覚。だがこれで通じるはずだ。

 少女は驚き半分、不審半分の表情で、それでも攻撃の手を止めた。


「なんだ、お前? メルズ語が話せたのか?」

「ああ、そう、そうだ。話せる。話せます」


 僕のたどたどしい喋りに、少女はいよいよ訝しげな顔になる。


「またえらく下手くそだな。なんだ? 今さら命乞いか?」

「そうだ、いや、違う。僕に争う気はない」

「はあ……? なにを言い出すかと思えば。先に仕掛けてきたのはお前の方だろ」

「誤解だ。攻撃の意思はなかった」


 少女の気配に、蔑むような色が混じる。


「ふん、見下げ果てたやつ。ここまで無様な『勇者』は初めてだ。見苦しい真似はやめろ。いくら戯れ言を並べてもお前には極刑が待つだけだ。諦めて戦って死ね」

「な……?」


 僕は混乱した。極刑? 彼女はなにを言っている? それに、勇者とはどういう意味だ? 即時翻訳の精度が悪いのか。


「なぜ、勇者だ。違う、勇者とはなんだ。なにを意味する」

「あたしの聞き間違いか? まさか『勇者』を知らない、なんて言ってくれるなよ」

「勇者は知っている。だけど、僕の知る勇者とは違う意味に、感じる」


 少女はややうんざりしたような面持ちになる。


「もうなんでもいい。お前のせいで商街区マルカは滅茶苦茶だ。お前と話すことなどない」


 少女が緩慢な動作で杖を構える。そして最も大きな宝石に、剣呑な励起光が点った。その様子を見て、僕はひとつ、決意を固める。


「それは僕じゃない。本当だ。僕はずっとここにいたんだ」


 エコーを球形態に戻す。

 それからハーモナイザーを、むき出しになった地面に突き立て、手から離してみせた。


「でも、君はそれを撃つといい」

「はあ?」

「撃つといい、と言った。雷撃の魔法は、制御が難しい。そこからなら四割は外れる。君が撃って、僕が生きてたら、今度は僕の話を聞いてくれるか」


 少女が僕を睨みつける。

 杖を構えたまま、二歩、三歩と歩みを進める。


「意味がわからないし、お前の話を聞く気もない。ほら、ここからなら九割九分当たるぞ」

「いや、せいぜい八割五分だ」


 五歩、六歩。


「もう当たる」

「九割くらいか」


 七歩、八歩。


「当たる」

「九割五分」


 九歩、十歩。


「当たるぞ。お前は死ぬ」

「うん……もう外れないな」


 十一歩、十二歩……。

 やがて、少女が足を止める。

 今やすぐ目前に、剣呑な励起光を纏う杖と、少女の姿があった。

 針のように尖った空気が、僕らの間を満たす。


「……お前は、本当に『勇者』じゃないのか」


 少女の琥珀色の瞳が、僕の目を覗き込む。

 不意に、なにか奇妙な感覚がした。

 やや戸惑いながらも、せめて誤解されないよう文法と発音に気をつけながら言葉を紡ぐ。


「だから、それがわからない……でも、僕はたぶん、勇者ではないよ」


 千ミリ秒、二千ミリ秒、無言のまま時間だけが経過していく。

 目前の少女は、改めて見ると、精悍さと幼さが同居したきれいな顔立ちをしていた。強気な表情は、攻性人材派遣企業の宣伝プロモーションに起用されてもおかしくない。そういえば、前にキィルがそんなことを言いながら女の子に声をかけていたっけ。


「……わかった」

「えっ」

「わかった、と言ったんだ。信用してやる」


 そう言って、少女は杖を下ろす。


「お前が何者で、なぜこの街に来たのかは知らないが、『勇者』でないなら今はいい。中央街区にでも行っていろ。避難場所になっているはずだ。道は訊くなよ。ここから北東だ」

「え、あの……」

「なんだ? 殺すぞ」


 少女はいかにも鬱陶しそうに言う。


「いや、いいの? なんか、端末取り上げたりとかしなくて。これで終わり?」

「お前、この街で揉め事を起こす気があるのか?」


 琥珀色の瞳が僕を見据える。

 また、あのざわつくような感覚。


「ない、けど」

「ならいい。さっさと行け。どのみちあたしは、今お前になんか構ってられないんだ」


 少女は、もはやどうでもよさそうに言った。

 色々と訊きたいことはあったが、これ以上の対話は無理そうだった。

 言われたとおり北東に向かおうと踵を返しかけた時、不意に少女から声がかかる。


「待て――お前、名前は?」

「えっと……ケイ、だよ。サリハ・ケイ」

「ふうん、サリハ? 言いにくいな。まあいい」


 そう言うと、少女はふんっと鼻を鳴らす。


「あたしはハスビヤ。ハスビヤ・ラビ・サリム・ホルマトだ。せいぜい覚えておけ、ここにいる間くらいはな」

《ケイ主任。先ほどの行動について説明を要求する》


 不意に、エコーの圧縮思考通信が割り込んできた。


《なんだよ、急に。先ほどの行動?》

《ハスビヤ・ラビ・サリム・ホルマトに対し、攻性魔法の解放を促す言動をしたことについてである。攻撃への心理障壁が低い状況下での挑発行為は、どのような結果を期待してのものだったのか。詳細を報告せよ。場合によっては産業医による精神矯正を》

《いらないよ。そもそも、あの子は攻撃する気なんてなかった。危機予測アラートだって鳴らなかったし》

《時間遡行量子観測による危機予測は、確実さが保障されていない。製造企業はあくまで戦闘の補助に用いるものであると標榜している。判断根拠としては著しく不確実》

《本当に攻撃する気なら、黙ってさっさと撃って終わりだよ。あんなにもったいぶってた時点で、迷ってたか、こっちの反応を見るつもりだったのは明らかだ》


 これは、たしかカイロウが言っていたことだったか。

 でも、なぜあんなにあっさり信用されたんだろう。誠実さを見せれば、少なくとも悪いようにはならないとは思ってたけど。


《判断根拠としては著しく不確実。精神矯正を推奨する》

《だから、余計なお世話だ……そんなことより訊きたいことがある。僕が今話しているこの言語は、結局なんなんだ? あの子はメルズ語と言っていたけど》


 タイミングがなく確認し損ねていたが、現状を知るもっとも大きな手がかりであるはず。


《現存言語じゃないんだろ。発話法データが存在するということは割と最近に消滅した言語なのか?》

ノー。発話法データは文字形式で残されていた発音方法等の情報より起こされたものである。話者の消失年代は古い部類に入る》

《ふうん、いつ頃なんだ》

《約一万年前というのが定説である》

《は……?》

《メルズ語とは、かつてその時代でもっとも広く話され、文明の滅亡と共に話者が消失したとされる、人類にとって最古の、類人種にとって唯一の、存在が確認された言語――――すなわち、旧世界レス・ファンタジアの言葉である》



「ちょッとちょッとォ、なァに和解しちゃッてんのお二人さァん!」



 それはひどく、場違いな声だった。

 まるで今までのことはすべて茶番で、あの軍用竜と死の待つ廃研究施設へにわかに叩き返されたかのような感覚に陥る。

 不吉な予感に突き動かされ、僕は声の主を振り仰ぐ。

 一人、男がいた。


「戦いはどーしたよ戦いはァ! ずーッと待ッてたオレサマがバカみてェじゃねェかオイ!」


 斜めに突き立った石材に腰掛けた男が、いらだたしげにのたまう。

 少年と青年の間くらい。ぼさぼさの髪にぼろぼろの装束を纏っている。前世紀に貧民街を形成していた乞食にも似た風体だが、装束の拵え自体は上等なものであるし、その見下すような雰囲気もまた、脳記述ディスクリプトされた知識と乖離している。

 それに、男が手で弄ぶ宝剣――いくつもの宝石が象られた直剣が、なによりその風体とそぐわない。


 ハーモナイザーを、再び手に取る。エコーが周囲に希薄化していく。


「ふん、なるほどな……」


 ハスビヤの、刃を内包した呟き。


「一応訊いておくぞ。お前が、魔王様を狙う『勇者』か?」

「あァん?」


 問いかけに、男は嘲弄するような声を返す。


「そういう手前は、格好を見るに魔王の使い魔リクトルか? はッ、ガキで人間にしか見えねーがなァ。あーそうそう、勇者ね。さァ、どーだろうなァ? オレサマかもしれないが、そッちのカレ? カノジョ? かもしれない。どッちが」


 男の声は最後まで聞こえなかった。ハスビヤが撃ち出した石材や鉄剣が男へ降り注ぎ、代わるように轟音が響き渡ったからだ。

 粉砕された瓦礫が、煙のごとく粉塵を舞い上げる。

 死んだ。あれで生きていられるわけがない。

 僕は言葉を失った。

 いくらなんでも、警告もなしに殺すなんて……、


「どッちが勇者かわかる前に、まずはそッちで殺し合ッて欲しかったンだがなァ」


 背後から声。

 信じられない思いとともに振り返る。


「まァ、どーでもいいわ」


 男は何事もなかったかのように、僕たちの後ろに佇んでいた。

 負傷した様子はない。あの徹底した破壊の痕跡は衣服にすら見られなかった。先ほどと変わらず、気だるげに宝剣を弄んでいるのみ。

 なぜだ? どうやってあれを防いだ? いつ移動した?


「……どうでもいい? そう捨て鉢になるなよ」


 ハスビヤの声にも、微かに動揺が滲んでいる。


「まだ、お前は生きている。戦争の不文法に習わず民に紛れて王を狙う卑劣な『勇者』だが、今は戦いの相手として認めてやる。来い。思い残すことのないように」

「はッ、不意打ちしといてなに言ッてやがる」

「そうだな。死ね」


 磁化された大理石たちが再び撃ち出される。

 質量、速度ともに直撃すれば即死は免れないどころか、貧弱な防壁であればもろとも粉砕できてしまうだろう。防ぐのは容易ではない、はず。


「さすが、残虐非道な魔王の臣従たる使い魔リクトルだ。やることがコスい。ッたく立ち会いの時機タイミングッてもんがあンだろーが」


 大理石の砲弾は、だが男には届かなかった。

 奇妙に赤黒く変色し、空中で完全に静止していた。

 目を疑う。あれだけの質量弾が男の手前で急激に減速して、どういうわけか今は凍り付いたように動かない。これも磁場? いや、明らかに挙動が違う。それに、あの色は……?


「まッ、その方がやりやすくて助かるが」

《警告。ランクA》


 IMに危機予測の詳細が表示される。

 その異様な内容に、一瞬誤報を疑った。だが迷っている時間はない。同じく効果範囲にいたハスビヤを抱えるようにして横へ跳ぶ。


 男の宝剣が励起光を放つ。そして、その姿がかき消えた。凍り付いていた大理石が息を吹き返したように元の灰色を取り戻し、男のいなくなった空間を貫通していく。


 一瞬後。

 僕たちのいた瓦礫の原に、無数の黒い槍が次々と突き立った。

 真後ろからの攻撃。

 砕かれる石材の粉塵を浴びながら、僕は体勢を立て直し、データストレージを展開しながら男を見据える。

 男はまたしても、僕らを挟んで反対側にいた。初めの瓦礫に再び腰掛け、頬杖をついている。


「オイオイ、今の避けるのかよ」


 意外そうな声音。

 男の視線が僕を射貫く。


「どーでもいいッつッたのはジジイどもの宝物庫からパクってきたこの剣が最強過ぎてどうせ誰でもすぐにぶッ殺せるからだッたンだが、手前は結構めンどくさそうだなァ。つーか、男? 女? どッちだ手前?」

「……男だよ。見てわからないか」

「わかンねー、くはは。手前どこの……まてよ、そうだそうだ。おいそッちの女も、せッかく死ンでないンならアレやろうぜ、アレ。名乗り」

「名乗り、だ……?」


 傍らで膝をつくハスビヤが呟く。


「ああ。みンな大好き正々堂々だ。ホラ、いくぞ。オレサマからな」


 男が立ち上がり、大仰な動作で両手を広げた。

 荒れ果てた広場に嗄れ気味の声が響き渡る。


凍月いてづきの塔七代目塔首、導師アルトフェイル・ジオファグスが門弟筆頭、ギリィだ。誇りある立ち会いを所望する」


 ハスビヤが目を見開く。


「なっ、凍月の塔だと!?」

「くはは、実在するとは思わなかったか? だろうなァ。今や門弟はオレサマ一人。あとはジジイどもがグダグダやってるだけの侘しい『塔』だよ。だがな、確かに存在する。その研究成果の結晶が、オレサマの手の中にある――ホラ、そっちも名乗れ」


 険しい表情で立ち上がったハスビヤが声を張る前に、僕はデータストレージの最近使ったレシピ欄を開く。


使い魔リクトル、第一柱は――、」

「悪りッ、やッぱどーでもいいわッ!」


 ランクAの危機予測アラートが再び騒ぎだし、IMに黒槍の軌道予測が表示される。

 今度は正面からの攻撃だ。宝剣に励起光が点る。発動まではまだ数百ミリ秒の余裕があるはず。

 反撃を含めた対応策を考えていた僕は、だからこそ、予想を超える早さで目前に現れた漆黒の穂先に一瞬理解が追いつかなかった。


「っ!」


 とっさにハーモナイザーで軌道をそらし、急いでハスビヤの手を引いて後退する。

 待機状態にしていた“クロガネ”を展開し、黒槍の第二陣以降を防ぐ。頬に熱と液体感覚。IMが出血を知らせていた。黒槍の破片が掠めたらしい。ごく軽度だ。血中に常在するナノマシン群がじきに塞ぐだろう。


 それより、今なにが起こった?


 普通、魔法は励起光が顕れる一次励起反応と、物質生成やエネルギー発生の二次励起反応という段階を踏んで発動するはずだ。先ほどのように後者が、つまり黒槍の生成過程がまったく目視できないなどありえない。

 だがエコーの映像記録を見直しても、複数の槍が突然顕れたようにしか見えない。


 やつの魔法はなんだ?

 運動物体の強制停止、二次励起反応の省略、それに――、


「はー、でけェ壁。手前はどこの出だ? この手の魔法は混剛の塔、いや冶鐘の塔か?」


 ギリィが防弾壁の上にしゃがみ込み、材質を確かめるように縁を指で叩いている。

 思考が硬直する。

 エコーの観測映像から意識を外したのは一瞬だった。また、この瞬間移動――。


「っ……」

《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ18”をロード》


 エコーの魔法陣より十八条のナイフが撃ち出される。

 だが、展開は先ほどと同じだった。ナイフが赤黒く染まったかと思えば、男の手前、なにもない空中で完全に静止する。


「くはは、ムダムダ」


 ナイフが再び動き出す、と同時に男の姿が一瞬で消失。


「オラ、こッちだこッち。くはは」

「ならついでにこれも食らっておけッ」


 またしても背後から聞こえた嘲弄に、ハスビヤの声が被さった。振り返ると、少女の杖には励起光。ギリィの目が一瞬見開かれる。


 次の瞬間、瞳孔を刺すような轟雷が迸った。


 凄惨な光の暴力。決まった、と思った。男の防御魔法は謎だが、あの電子の奔流まで止められるとはとても思えない。


 という予想もまた、あっけなく裏切られた。


 紫電の蛇は男の目前で四散していく。ただの一条すら届かない。その光景は、“雷がよけるクン”による効果とよく似ていた。

 ハスビヤが愕然と呟く。


「ばかな……時の魔法であんな防御が可能なのか」


 その言葉が耳に引っかかる。時の魔法、だって?

 ギリィの方はというと、こちらもどういうわけか呆然とした様子で手の宝剣に目を落としていた。


「お、おお……? あービビッた、クソッ。なんだ? 雷の魔法を食らうとあーなるのか……くはは、オモシレー」


 男は口の端をつり上げる。


「これ、ジジイどもは知ッてたかな。くはは、ニドもロルガもリーリアも、今の見てたらマジでビビッたろーなァ……くッはは、そうだ、これだよコレ。この緊張感だ。これが魔族との戦いじゃねーか! 熱病や寒さやしょーもねェ魔獣に襲われて死ぬためじゃねェ、オレサマたちはこのために旅立ッたんじゃねーかよ、なァ!! 手前ら! だからもッと楽しませろよなァッ!!」

《“基本盗賊シリーズ・けむり玉1”をロード》


 魔法陣より、赤リンの燃焼による白い煙幕が濛々と吐き出される。


「こっちだ」


 辺りを満たしだした白煙の中、僕はハスビヤの手を引き、黒槍の着弾範囲から逃れる。そしてそのまま、広場の外へ向かって走り出す。


 まともに相手をしていられなかった。正体不明の魔法も危険だが、言動にしたって真っ当な話し合いができるとはとても思えない。


 しかし一方で、男の言葉には妙に引っかかるものがあった。

 魔族に、塔。まるでファンタジーものの娯楽作品かなにかだ。

 旧世界を、モデルにしたような――。


《“マンストッパー・Basic”をロード》


 ゴム弾の魔法で、被弾可能性のあった黒槍を二本弾いた。

 数が少ない。正確な位置は掴まれていない、か? だが屋外はどうしても煙幕が薄れがちになる。あいつに索敵の手段はあるのか?


「お、お前っ、奴の攻撃がわかるのか!?」

「こっち」


 答える前にハスビヤを誘導する。

 予測軌道のとおりに、三本の黒槍が彼女のすぐ傍で石畳に砕け散った。


「それより訊きたいことがある」

「な、なんだ?」


 顔を引きつらせながら少女が答える。


「あいつの魔法のことだ。あの黒い槍や妙な防御や瞬間移動はいったいなんなんだ? なんであんなことが起こる」

「あ、あの黒い槍は……展開数は異常だが、おそらくは普通の、〈黒槍ヴェルトゥム〉の魔法だ。知らないか? 錐状の黒曜石を撃ち出す、一番広く使われている攻撃魔法のはずだが」

《破片に見られた貝殻状断口、および色合い、質感などは、黒曜石の特徴と合致するものである》


 嘘をつかれる場面でもない。

 だとすれば、二次励起反応の省略はやはり別の魔法か。


「あいつの、本当の武器は……」


 ハスビヤが息をのむ間が空く。


「時間停止の魔法だ」

「は……?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「時間、停止? なにを……」

「間違いない! お前も見ただろう! それに、聞いたことくらいあるはずだ、時の魔法を探求していたという凍月の塔の伝説を。遙か昔に高名な魔導師の逆鱗に触れ、すべてを灰にされたと聞いていたが……まさか、教えを継ぐ者が今になるまで残っていたとは」


 そう言ってハスビヤが唇を噛む。

 正直なところ疑わしい。荒唐無稽と言ってもいいくらいだ。時間流の操作自体、現代でも未だ机上の理論に過ぎない。


 だが一方で、これを前提とすればギリィの魔法が説明できてしまう。


 瞬間移動や励起反応の省略は、自分以外の時間を停止すれば可能になる。物体の運動だって、通過する空間の時間を止めてしまえばいい。雷撃が逸らされたことにも不思議はない。停止時間中の電子は、当然電子雪崩の発生に寄与しないだろう。電流は時が止まった空間を避けて流れるはず。


 それになにより、時間流操作魔法の技術は、かつては存在したと言われている。蒼文石碑ラズリスに刻まれた旧世界の記録、その中に残された、いわば失われた技術ロストテクノロジーの一つとして。


 こうまで符合すると考えずにはいられない。

 僕は今、旧世界にいるのか?


《警告。ランクC》


 被弾確率の低い黒槍の軌道から念のため離れつつ、僕は考える。

 この場所のことはともかくとして、時間停止の魔法、という点には、やはり引っかかるものがある。


 なぜ黒槍の魔法など使う? 自分以外の時間を止められるのなら、飛び道具になんて頼らず僕たちを直接斬るなり殴るなりして殺せばいい。今だってそうだ。時を止めて探し回れば、どれだけの範囲だって一瞬だ。煙幕なんて無意味なはずなのに。


 遊んでいるだけか、それともなにか理由があるのか――。


「ここからどうするつもりだ」


 ハスビヤの硬い声に、僕は即答する。


「逃げるんだよ」


 このまま街の中に逃げ込むのが最善のはず。もう、街路は目の前だった。三階建てほどの建物の間に挟まれた、細い道が見える。


「ふ、ふざけるなっ! そんなことができるかっ!」


 だが建物の手前で、急にハスビヤが足を止めた。


「逃げてどうなる! ここで奴を止めなくてどうするんだっ!」

「はっ、いやっ」

「むっ……ああ、お前に言うのは筋違いだったかもな。ならさっさと逃げろ、ケイとかいうやつ。奴はあたしが食い止めておいてやる」


 動揺の中、僕は言葉を絞り出す。


「い、いや……どうする気だよ、なにか手があるのか?」

「別にない」

「はあ?」


 僕の困惑を引き取るように、ハスビヤが硬い表情で続ける。


「それでも、あたしは逃げるわけにはいかない。あたしが逃げたら終わりなんだ。この街も、魔王様だって」

「……なんだよ、それ……」

「単純な話だ。『勇者』を倒す。魔王様の使い魔として」


 魔王。勇者。思考の中を単語が巡る。

 そのとき、重い破砕音が響いた。背後で黒曜石の槍が、建物の壁へと次々に突き立っていく。


 アラートは鳴らない。鳴らなかった。

 だから油断した。


「ばか避けろっ!」


 ハスビヤに強く突き飛ばされる。

 次の瞬間、僕の目の前に、太い石柱が轟音を立てて倒れ込んだ。

 それが契機となったように、三階建てほどの建物が煉瓦と粉塵を撒き散らしながら見る間に倒壊していく。

 ハスビヤの姿は、その中に完全に見えなくなった。

 建物が瓦礫の山となってしまっても、動く姿はない。


「……おい、ちょっと……」


 答える声もない。


《警告。ランクA》


 襲いかかる黒槍の群れを、大きく飛び退ってかわす。

 同時に“けむり玉1”を最大出力で発動。ますます濃くなる白煙の中、「クソッ、コラァッ!」という悪態が耳に入った。

 逃走経路を読まれていたのか、それとも会話で位置が知れたのか。いずれにせよ、すぐにここから離れなくては。


 僕は逃げる。

 市街地の中を、剣を抱えて逃げる。


 IMに脳内ナノマシンの過稼働を示す警告が表示された。これ以上の連続稼働は特定処理の緊急停止が発生するようだ。すぐに物陰に身を隠して息をつく。


 また、仲間が死んだ。


 思いが浮かんでから気づく。ハスビヤが仲間だったとは言いがたい。しかし、その感覚はどうにも消えなかった。


 空を仰ぎ見る。

 環境浄化に力を入れていた直轄都市以上に、青く澄んだ空。

 現実感がない。

 自分がここにいる感覚が薄い。

 仲間の死から今までの全てが――いや、みんなと出会い、共に過ごした日々すら全て、夢であるように感じる。


《ストレスによる意識グラフの歪化傾向を検知。適正化処理を推奨》


 エコーの通信が飛び込んでくる。

 すると不思議と、周りの風景がはっきりとした輪郭を取り戻した気がした。

 そう、全て現実なんだ。

 気を取り戻すように、僕はかぶりを振る。


《いや、必要ない。それよりエコー、あいつは追ってきているか》

《観測範囲に対象の姿はなし》


 見失ったのか、そもそも深追いする気はなかったのか。いずれにせよひとまずは安全だろう。

 それにしても、


「時間停止の魔法、か」


 ギリィとの戦闘を思い返す。

 単純に考えれば、ほとんど最強と言っていい力だ。なにせ敵に行動を一切許さない。連続での使用ができなかったとしても、あのナイフや雷撃を防いだ停止空間シールドとも呼ぶべき防御魔法もある。攻略の鍵が見当たらない。


 だが、先も考えたように妙な点もある。

 接近戦に持ち込まない理由、煙幕の中で僕らの位置をつかめなかった理由。それだけじゃない。


 そもそも本当に、奴は自分以外の時間を停止させているのか?


 たとえこの宇宙全体の時間を止めたとしても、意味があるのは自分の周囲に限られる。魔法は効果の規模が大きくなるほど励起が難しいことを考えると、あまりに非効率だ。もっと効率のいい方法だって――、


「待てよ……そうか、あの赤色は」


 僕は今さらのように気づく。

 あれは赤方偏移だ。


 時間の流れが遅い場所から出てきた光が、波長を引き延ばされている。だとすれば、あの空間は時間が止まっているわけじゃない。完全に時が止まれば振動数はゼロになるから、ナイフも大理石も黒く見えたはずだ。


 時間の加減速。

 自分の時間を加速、あるいは一定空間の時間を減速する。これなら効果範囲も限定的で済む。奴の魔法の正体はこれだ。


 問題は起こっていることが時間停止とほぼ変わらないことだが、少なくとも赤方偏移が起こるということは、ある物理法則には従っている。だとすれば使える手がある。しかし、足りない。少なくともあと一手――、


《ケイ主任》

《なんだ? エコー》

《現状、対象との戦闘は推奨されない》


 エコーに言われて、初めて気がついた。

 僕は当たり前のように、ギリィとの再戦を前提に考えている。


 〈盗賊シーフ〉職は、索敵、防衛設備セキュリティ攻略、戦闘補助などの他、戦況分析や戦術提案を主な役割とする役職だ。

 だから僕のこれは、癖みたいなものだと言っていい。今の状況、敵の情報、すべて考慮し皆がどう動くのが理想かという、頭に染みついた思考回路。

 いや、それは嘘だ。

 僕は自覚しつつ、エコーに皮肉を返す。


《攻性端末用の人工意識の癖に、戦闘を推奨しないのか?》

《当機種の存在目的は、所有法人オーナーであるアヴノ・テジェンドラ社の存続及び発展に設定されている。目的達成には登録使用者であるケイ主任の生存を前提とし、その上での持続的な活躍が必要である》

《それは要するに、今は戦いを避けることで今後もっと戦え、ってことか?》


 僕は少し驚く。

 内容よりも、そんな設定が普通に開示されたことが意外だった。所有者オーナーである本社の機密だと思っていたのだが。

 他の端末も全部同じ設定だろうか――と考えたとき、僕は思わず抱えていたニルヤの剣に目を落とした。そういえば。


《エコー、この端末、使えないか?》


 ひょっとすると、〈勇者ブレイブ〉職の魔法が使えるようになるかもしれない。そうなれば戦術の幅も広がる。


《ケイ主任が持つプリント・ハーモナイザー41Sの登録使用者は、キセ・ニルヤ統括主任となっている。使用は不可能》

《そうだけど、エコーなら認証を突破できるだろ》


 遺棄された施設などの独立防衛設備セキュリティ解除のため、エコーには電子侵入機能クラッキングオプションが追加されている。普通は依頼者の同意と併せて使用予定をあらかじめ本社に提出しなければならないところ、だが。


《緊急時には事後報告でも可だったよな。問題ないだろ》

《起動時認証の突破は可能。しかし、継続的な使用は不可能》

《なんでだよ》

《起動後、四・〇五二秒ごとに人工意識プリントによる意識紋走査が行われる。登録使用者でないことが判明した場合、プリントは全機能を凍結する。回復は製造企業メーカーでなければ行えない。よって使用可能なのは、起動後の四・〇五二秒間のみである》


 初めて聞く情報だった。少なくともエコーにそんな機能はない。ニルヤからも、プリントは少し怖いけど実はやさしいお兄さんみたいな感じとか、そんな程度のことしか聞いたことがなかった。


 勇者の剣だから、勇者にしか抜けないのだろうか。


 いずれにせよ、四・〇五二秒ではできることも限られる。魔法は使えてせいぜい一つ。それで二度と使えなくなるなら、今使うのは割に合わない、気がする。


《一応確認するけど、電子侵入クラッキングで凍結状態から復帰させることはできないのか》

《不可能。電子侵入クラッキングは稼働しているシステムに対し行うものであるが、プリントは文字通り全機能を停止する。停止したものを動かすことはできない》


 僕は予想していた落胆を受け止める――同時に、頭の中を雷光が閃いた。

 停止したものを動かすことはできない。

 そうだ、そのとおりだ。だからあいつは――。


《繰り返す。対象との戦闘は推奨されない》


 立ち上がりかけた僕を制すように、エコーからの通信。


《対象と敵対していたハスビヤ・ラビ・サリム・ホルマトが死亡したと見込まれる以上、対象と戦闘を行うメリットは少ない。また、単独での戦闘行為は社内規則第十三条第二項により禁じられている。敵を避け、対話可能な現地住民と接触し、まず情報収集に努めることを提案する》

《却下だ、エコー》


 目を閉じ、IMに表示された身体情報を確認しながら、エコーに返す。


《あいつはこの街を襲ったんだ。制圧すれば共同体全体が現地協力者になってくれるかもしれない。その方がずっとやりやすい》


 僕はハーモナイザーの握りを確かめる。


《それに、あんなやつを放ってはおけない。たしか社訓にもあっただろ、正義と治安維持がどうとか、って。人助けだよ、エコー。僕は戦う。決まりだ》

《……了解した》


 十ミリ秒の遅延。僕は内心で苦笑する。

 エコーは、いわゆる人工知能アーティフィシャル・インテリジェンスとは違う。機械的な印象は受けるが、情報処理の系としては人間の脳と同程度の複雑さを持つ人工意識アーティフィシャル・コンシャスネスだ。


 今、たぶんエコーは呆れたんだろう。

 僕の欺瞞に。


 人助けなんて大嘘だ。

 現地協力者だってどうでもいい。


 僕が戦うのは自分のためだ。


 どうしようもなかった僕の過去を忘れたくて“ギルド”に登録したときから、僕の動機は一切変わっていない。


 みんなが死んでしまっても、こんなわけのわからない状況に放り出されても。

 僕はなにも変わらないようだ。



 ◆ ◆ ◆



「あァ? なンで手前がまた来てンだよ」


 巨大な瓦礫から腰を上げながら、ギリィがのたまう。砂埃の舞う荒れ果てた広場で、僕は敵の様子を視界に捉えながら、ゆっくりと歩みを進める。


「ここは次の、新たな敵が来るところだろーが。その次、そのまた次ときて、最後に魔王。全員順番にサックリぶッ殺して終了。ッつー予定だッたのに、のっけから躓いちまッたじゃねーかオイ」

「それは悪かったよ。でも、こっちは助かった」


 まさか、まだ広場に残ってくれているとは思わなかった。

 これで探す手間が省けた。


「で? 逃げたヤツが今さら何しに来たンだよ」

「少し訊きたいんだけど」


 僕はギリィの言葉を無視して言う。


「勇者、ってなにかな」

「はあ?」


 ギリィは呆気にとられた表情をした後、小馬鹿にするような薄笑いを浮かべる。


「勇者は勇者に決まッてんだろーが。頼れる仲間と悪の魔王を討つ、勇気ある者、選ばれし者だ。他に何かあンのか?」

「お前は勇者なのか」

「はッ、まァな」

「仲間は」

「……死ンだよ、全員。長ェ旅だッたからな」

「じゃあ、お前はどうしてまだ戦うんだ」

「……それは」

「いや、やっぱりいいや」


 ギリィの表情に真剣さが差したのを見て、僕はすぐに遮る。

 使命のため、共同体のため、あるいは死んだ仲間たちのため。きっと、続く言葉はこんなところだったろう。

 聞きたくもない。そんな立派な答えは。


 ギリィはいよいよ訝しげな表情になる。


「なんなンだ、手前は? 妙ななりして、人間のようだが本当に魔族か? まさか手前も勇者だなんてこたァねーよな」

「よくわからないけど、僕は人間だ。そして勇者じゃない。でも、悪者は退治しようと思うんだ」


 僕は、ハーモナイザーをまっすぐ敵へ差し向ける。

 ギリィの目が細められる。


「……なンで人間が勇者に剣向けンだよ。手前、こッちの住人か? それとも金で雇われたか」

「どっちでもない。僕が戦うのは――むしゃくしゃするからだよ」

「……あァ?」

「世界には腹が立つ。人間関係はうまくいかないし、閉塞感にうんざりする。僕ばかりが不幸なんだ。全部リセットしたくて仕方がない。だから、僕は僕の戦場を求める。暴力の単純さは気分を楽にする。戦って勝てば、自分が社会的にも成功したと錯覚できる。僕には、それが必要なんだ。ただそれだけだよ」


 親に捨てられ『盗賊』に落ちぶれた人間なんて、そんな程度のものだ。


「チッ……気狂いかよ」

「お前はすごくちょうど良い。やっつければ喜んでくれる人が結構居そうだし、それに」


 僕は、自分の顔に笑みが浮かぶのを自覚する。


「よく考えたら、サックリぶっ殺せそうだから」

「……ああそォかよ、なら今度は逃げンなよなァ!」

《“基本盗賊シリーズ・けむり玉1”をロード》


 発煙魔法が最大出力で発動し、一瞬で辺りが白い煙で満たされる。『ッざけんなコラァ!!』という叫び声。

 ふざけてなんかいない。

 逃げるつもりなどまったくないから。


《対象の位置が移動。西南西八・九八六メートル先》


 ギリィの相対位置がIMに表示される。

 予想通り、瞬間移動してきた。初期位置からまず動くのは当然だ。さて、問題はここから。


《“マンストッパー・Basic”をロード》


 ゴム弾が射出される。

 だが、当然のようにすべてギリィの目前で停止。攻撃の方角からか、走り出す僕の姿が薄れかけた煙幕の中に捉えられてしまう。


「あンまオレサマをなめンなよ」


 宝剣の宝石が励起光を放ったとほぼ同時、一瞬にして黒槍の魔法が展開。走る僕に、無数の死の雨を降らせる。

 槍は、一切の抵抗なく僕を貫通した。

 まるで空を切るように。


「なッ」


 ギリィの足下に小石が転がる。

 ほぼ同時に振り返り、斬りかかる僕のハーモナイザーを宝剣で受けてきた。金属の悲鳴が響き渡る。


「こいつッ……」

「……」


 奇襲は半分失敗だ。未だに走る僕の姿を映し続ける“ルミナスビュー・フリー版”を解除し、魔法陣を砂塵に戻す。


 シールド状の減速空間がギリィの背面を覆ってないことは、煙幕の赤方偏移がないことから予想できていた。だが、念のため小石を投げて確かめたのは軽率だったか。


 まあいい。

 接近できれば半分は成功だ。


 ランクCの危機予測アラート。僕は大きく姿勢を下げ、同時に前へと踏み込んだ。僕の上方を減速空間から解放された“マンストッパー”のゴム弾が通過していき、さらに後ろへ逃れようとしていたギリィとの距離が詰まる。ゴム弾を囮に間合いを空けようとしていたのがバレバレだ。


 刃を叩きつける。

 受けた宝剣ごとギリィを押し込みながら、僕は半笑いで言う。


「ほら、どうした。止めてみろよ、時間」

「クソがッ!」


 罵声と共に剣を右に逸らされる。

 同時に衝撃。ギリィの強引な前蹴りによって、やや距離が空いた。宝剣に励起光が点る。空が青から緑、黄色へと変わり、灰色の瓦礫は赤茶けていく。と同時に、体の後ろ側が重くなるような感覚。すかさずギリィとの距離を詰めると、感覚はすぐに消え去った。

 ふむ。これくらいならまだ大丈夫なのか。


 刃が打ち合わされる。

 ギリィの攻勢は弱い。僕は片手剣技能スキルなど基礎しか脳記述ディスクリプトしてないし、ナノマシンによる身体強化も支援者指向なのだが、それでも優位に立てている。

 やはりまったく、接近戦なんて想定していなかったんだろう。


 僕はギリィとの間合いを計りながら、周囲の景色を確認する。


「ハァッ、ハァッ……手前ェ、知ッてやがッたのか」

「なにが?」


 適当に返しつつ、僕は考える。

 今は空も瓦礫も戻っているが、先ほどの現象は興味深かった。あれが時間加速の景色か。あのまま魔法が続いていたら、視界のほとんどが赤黒く変わっていただろう。視覚的な制約は大きそうだ。


「ふざけンな! この魔法が、オレサマの近くにだけは効果がねェッてことをだよ!」


 それ言っちゃうのかよ。

 僕は呆れつつも、親切に答えてやる。


「仮にお前以外のすべての時間が止まったとする。それで、お前はどうやって移動する気だ? それ以前に呼吸は? 攻撃魔法の展開は? どれも無理なんだろ。時が止まったら、いや、止まって見えるほど加速したら、空気すら動かせなくなるから」


 ギリィが目を見開いて立ち尽くす。

 考えれば当然のことだ。時間が遅い中で同じ運動量を実現しようとすれば、それだけエネルギーが要る。

 加速の度合いを考えると、空気すら重たい粘液のように感じるはずだ。


「だから、どうしても自分の周りに同じ時間流の空間スペースが必要になる。これはお前の魔法が抱える構造的欠陥なんだよ」


 接近戦なんてできるはずがない。煙幕だって有効だったわけだ。敵に近づき過ぎれば加速空間に取り込んでしまうのだから。


「はッ……だから、お得意の剣技で勝負ッてわけかよ」

「別に得意でもないけど」

「そう思い通りになると思うなよなァッ!」


 宝剣の鍔飾りに付いた緑石が発光。

 ギリィの前方に、長い黒曜石の穂先が生成されていく。


「遅っ」


 しかも一本だけ。時間加速による多重展開ができないと、〈黒槍ヴェルトゥム〉の魔法とやらもこの程度らしい。これなら危機予測に頼るまでもない。


 撃ち出された穂先を身を沈めて躱す。

 だいたいにして、この間合いで使うには大仰すぎる。


「接近戦にはこういうのを使うんだよ」

《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ6”をロード》


 エコーの魔法陣よりナイフが飛翔。

 ろくに狙いもつけなかったが、左の上腕と肩口、右大腿部に命中した。突き立ったナイフに、ギリィが呻き声を上げて膝をつく。


 そもそもこのタイミングで射出系の魔法なんて、減速空間シールドがないと言っているようなもの。明らかな悪手だ。


 もはや、潮時だった。

 僕はそのままの勢いで間合いを詰める。この戦いも終わりが近い。


 宝剣の柄頭に光が瞬く。

 突然、目の前の空気が爆発した。


「っ!」


 一瞬、思考が混乱に支配される。新たな時間流操作の魔法か? 体勢を立て直そうと、反射的にギリィから距離を空ける。微かな硫黄のにおい。ようやく気づく。時間流操作じゃない。魔法で生成された火薬による、普通の爆発。しかも殺傷力を高める礫の類は一切混ぜられていない。

 ギリィの意図に気づいた時は遅かった。


《警告。ランクA》


 背後から襲いかかる黒槍の群れを、大きく飛び退いてかわす。左足に激痛。思わず膝をつく。見ると、大腿の一部が抉り取られ、大量に出血していた。ナノマシンのアラートが鳴り響く。さすがに治療が必要な重傷らしい。


 来ると思ったのに、避けきれなかった。完全にやられた。あの爆発は、僕を加速空間から閉め出すために――。


「はッはァーッ、ザマーみやがれ! もう手前は近寄らせねェッ! お得意の剣技は一人でやッてろオラァ!!」


 遙か先で、ギリィが喚き散らす。

 奴も軽傷じゃない。ナイフもそうだが、爆発だって至近距離で受けている。左肩の出血が特にひどく、服がどす黒く染まっている。右足も引きずっている様子だ。


「オレサマとオレサマの魔法は最強だ! 何があろうとオレサマだけは勝つッ、これはそういう魔法なんだよクソがッ!」


 だが、鬼気迫る表情からはまったくそんな気配を感じさせない。おそらくはC9H13NO3、いわゆるアドレナリンが分泌されているのだろう。


 僕は脳内ナノマシンの過稼働警告を無視し、痛覚の意識優先度を下げる。動けなかったほどの激痛が、日常生活を送れなくもない激痛にまで緩和された。


 同時に、データストレージを展開。とあるレシピを選択する。

 まだ戦いは終わってない。

 でも、もうすぐ終わる。


「手前の攻撃はもう絶ッ対に届かねェ! こッからはオレサマの番だ!」


 ギリィの手前では砂埃が赤黒く変色し、不自然な対流を見せていた。

 おそらくは減速空間シールドを展開しているのだろう。

 だが関係ない。


「オラッ、また逃げ回って見せろよその傷でェ!」

「だから――もう逃げるつもりはないよ」

《“アカツキ・StandardEdition”をロード》


 ナノ砂で形作られた魔法陣が、青白い励起光を瞬かせる。

 そして、一層眩い紫色の光線が放たれ、減速空間ごとギリィを貫いた。


「がッ……!」


 変数域を操作。光線が斜めに移動し、空へ抜けていく。

 ギリィが足をよろめかせ、倒れ込んだ。

 立ち上がる気配はない。

 僕は負傷した左足を引きずりながら、ギリィへ歩みを進める。もう砂埃は普通に流れ、宝剣に光もない。だが、油断はしない。


「ほら、サックリ終了だ」


 ハーモナイザーの切っ先を、仰向けに倒れたギリィへ突きつける。

 攻撃用の魔法陣が僕の背後にいくつも浮かび、すべての照準をギリィに合わせている。


「ゴホッ、なン……で……手前の……魔法、が……」


 ギリィは顔を歪めて視線を僕に向け、かすれた声を漏らす。


「時は……凍ッて、た……はず……」

「レーザーだからね、あれ。光速度不変の法則ってやつだよ」

「あァ……?」

「知らないか? でも、疑問に思ったことくらいはあるだろ。なぜ、時間が遅くなったものは赤く見えるんだろう、って」


 ギリィが目を見開く。


「赤は可視光の中では波長の長い、つまり単位時間当たりの振動数が少ない光だ。時間の流れが遅い空間では、当然光の振動数も減少する。だが光速度自体は一定であるために、波長が引き延ばされほとんどが赤色光や赤外線になる。これが赤方偏移。時間の流れが変わっても、光の速度が変わらない証だ――時の魔法は、光には無力なんだよ」


 こんなこと、もっと早く気づくべきだった。

 ややこしいことを考えなくても、減速空間越しにギリィの姿が見えていた時点で、レーザーが有効なのは明らかだったのに。

 みんなならきっと、もっとうまくやれていた。


「光、だと? ……融日ゆうじつの塔の、ゲホッ、魔法、か……? 手前は、いッたい……」


 うわごとを聞き流しながら、ギリィの負傷具合を観察する。

 右肺を貫通させた後、そのまま右腕を焼き切ったつもりだったが、まだ普通に繋がっている。どうやら砂埃で大幅に威力が減衰したらしい。

 可視光レーザーの魔法なんてこんなもんか。軍事企業向けのX線やガンマ線によるレーザーのようにはいかない。


「投降しろ」


 僕は言い放つ。


「その剣から手を離せ。まだ動くはずだ。というか、早く治療しないと死ぬぞ」

「ゴッホッ、ゲホッ……く、はは」


 咳き込みながら、ギリィが口の端を歪める。

 傷口は焼灼されているため出血は少ないはずだが、それでも口元は吐いた血で真っ赤だ。


「まだ、だ……まだ、終わッて、ない……」


 うわごとも囁きのようになっている。


「この剣、には……奥技がある…………時を……戻せる、ンだよ……」


 僕は目を眇めて、へぇ、とだけ呟く。


「ぜン、ぶ……なかッたことに、で、きる……やり直、せるンだ……この、戦いも……今までの、旅、も……あいつら、との、出会いすら、な……く、はは、は」

「……そうか、ならやってみてくれよ、今」

「くはは、はッははは、ははははははッ!」


 ギリィの右手が、宝剣を強く握る。


「嘘、だよッ……!」


 柄頭の赤い宝石が、強く励起光を放つ。


《警告。ランク――》


 エコーの警告は、最後まで認識できなかった。

 次の瞬間、轟音に意識が埋め尽くされたからだ。

 視界が黒一色に変わる。


「……」


 硫黄のにおいが、強く鼻を刺す。

 僕は簡易軽量LITE版の“クロガネ”を解除した。合金鋼の盾が消滅すると、こびりついていた肉片や血が落下し、飛沫を散らした。

 耳がおかしい。内耳をやられたらしかった。

 でも、それだけだ。


「なんだよ」


 いくつもの断片に分割されたギリィを前に、僕は呟く。


「少し期待したのに」


 突然、視界がブラックアウトする。

 一瞬混乱するが、すぐに思い至る。無視していた脳内ナノマシンのアラートを広げると、IMが埋め尽くされた。

 ほとんどが過稼働の警告。どうやらそのうちの一つがいよいよやばくなって、脳の処理が重い視覚情報を遮断したらしい。これは……。


《エコー、僕、けっこう危なかったんだな》

《……当機種から言及するべきことはない》


 呆れて言葉もないということらしい。

 とりあえず、さすがに目が見えないのは困るので、止めても問題なさそうなナノマシンの処理を止めることにする。思考最適化調整や、感覚優先度調整あたりはもういいか。あとは休んでおけば大丈夫だろう。


《非推奨。その処理の停止は――》

「あ、あれ?」


 急に足に力が入らなくなった。

 目は見えるようになったが、景色が揺れる。わけもわからぬまま、僕は地面に倒れ込んだ。


 起き上がれない。

 左足の傷が熱い。全身が重たかった。圧縮思考通信すら辛い。

 どうやら止めてはいけない処理まで止めてしまったらしい。僕は、こんなにギリギリだったのか。

 目を開けていることすらできなくなって、瞼を閉じる。

 これは、気を失うやつだ。


 人の声。

 なんだ? 誰かいるのか? まさか敵? 気になったが、意識は闇に引きずり込まれていく。


「――う様、―――――さい!」

「――です、――ては――」

「――――魔王様!」


 魔王?

 数人分の声。どれも、男のものだ。

 だが次に聞こえたのは、高く、青空に溶けるような、気鳴楽器オカリナのようにやさしい声――――聞き覚えのある声。



「―――――――。――――――」



 ニ、ルヤ?


 耳鳴りが治まらず、よく聞こえない。

 だけど、ニルヤの声だ。

 薄れゆく意識をかき集める。

 重たい瞼を、必死にこじ開けた。

 気を失う直前、揺れる視界の中に見たのは――――。

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