石英ガラスの高次幻争録(メタ・ファンタジア)

小鈴危一

序章 過去である未来のこと


 ――どこだ、ここは。


 呆然と、僕は周囲を見回す。

 足下には前後に伸びる石畳のほこりっぽい通路。左右には灰白色の、大きな煉瓦でできた建物の壁。見上げれば、三階ほどの高さにある屋根と屋根の合間に、青空が見える。


 どうやら、小さな路地のような場所らしい。

 僕はもう一度自問する。ここはどこだ?

 深呼吸で動揺を抑える。日陰のにおいが微かに鼻を刺した。混乱する意識のまま、記憶を辿る。


 僕たちはクエストの真っ最中だったはずだ。竜退治のクエストの……。

 いや、違う。竜は後から出てきただけだ。初めは単なる回収クエストだった。

 僕たちはそのクエストを失敗した。

 パーティは全滅した。みんな死んだ。


 マナも。

 キィルも。

 カイロウも。

 そして、ニルヤも。


 最後には、僕も死んだ。死んだはずだった。

 だけど、僕は生きている。気づいたらこの場所に立っていた。

 どういうことだ。僕の記憶は正しいのか?


 この場所に見覚えはない。

 それどころか建物に使われている素材すら、見慣れた好適性コンクリや光触媒合板などではなく、大昔の煉瓦だった。

 まるで文化保護区の都市だ。


 自分の存在すら不確かに感じられて、僕は反射的にすがれる物を求めた。小脳の一部を置換したナノマシンの総合インターフェース、IMイマジネーション・マネージャを脳内に展開。データストレージの中から“ギルド”のライセンス情報を引っ張り出し、表示する。



〔氏名:サリハ・ケイ〕

〔社員番号:四五九六〇一〇九五六〕

〔階級:主任〕

〔現在年齢:十七〕

〔現在職種:〈盗賊シーフ〉〕

〔最終更新:新暦一四六年八月三〇日十一時十三分四五・三七秒〕



 僕は少し安堵した。

 階級と最終更新日には首を傾げたが、あとは僕の知っている僕の情報だ。

 冷静になって考える。エコーなら、この場所のこともわかるかもしれない。


《エコー》


 圧縮思考通信で呼びかけるも、反応はない。

 不思議に思ってIMにエコーの操作系インターフェースを開くと、起動停止中の文字があった。

 僕は焦り、すぐさま起動を試みる。魔法励起端末がないと、魔法が一切使えない。このわけのわからない状況ではあまりに不安だ。


 僕の心配をよそに、起動シークエンスはあっさりと進行した。

 路地の石畳や建物の屋根から、微細な黒い砂が舞い上がる。それは意思を持ったような規則的な動きで、僕の前に集結。微風と共に漆黒の球体が完成する。

 球体の表面に、淡い黄緑色の光が明滅した。


《ようこそ。サリハ・ケイ主任。当機種はエコー・コンダクターRDX7、制御人工意識はエコーである》


 僕は安堵の溜息を漏らす。

 圧縮思考通信の口調は毎度の機械的なものだが、これほど頼もしく感じたのは初めてかもしれない。


《エコー、僕のことわかるか?》

《当機種の登録使用者、サリハ・ケイ主任である。質問の意図が不明》

《登録してからの期間は》

《タイムカウントは一年四ヶ月二十九日二時間二分十二・四五秒である》


 よかった。

 少なくとも初期化とかはされてないみたいだ。


《なんでナノ砂形態のまま起動停止してたんだ?》

《不正な終了がなされた模様》


 不正な終了?

 エコーを貸与されてから、こんなことは初めてだった。不安になる。まさか、壊れてなんかないよな?


 念のため、魔法を使ってみることにする。

 ナノマシンのデータストレージより魔術思考レシピの一覧を開く。商用利用可のマークが並ぶリストの中から、一つを選択。エコーへ渡す。

 球体が再びナノ砂形態へと変遷し、周囲に希薄化する。砂の一部が僕の前方に凝集。今度は球体ではなく、幾何学的な魔法陣を形作る。人工意識エコーを構成する幾多の情報処理モジュールが、レシピに沿った意識パターンを形成。励起された魔術思考に従い、魔法が編まれていく。

 前方の魔法陣に、青い励起光が瞬いた。


《“ルミナスビュー・フリー版”をロード》


 魔法陣より光が放たれ、宙空にホログラム映像を映し出した。

 眼前に平面的に表示された、僕のライセンス情報と顔写真。“ギルド”のエンブレム――アヴノ・テジェンドラ攻性人材総合社のロゴマークだけが、立体的に回転していた。


 ほっとする。

 魔法は問題なく使えるようだ。


 魔法励起端末は、人間の代わりに魔術思考を行い、魔法陣を描く現代の魔法使いだ。計算処理やドローン的な機能はおまけに過ぎない。

 僕はさっさと魔法を解除、ホログラム映像を消滅させる。

 自分の顔写真をいつまでも見つめていたくはなかった。


 ともあれ、壊れてなくてよかった。

 少し落ち着いた心でエコーに通信を飛ばす。


《エコー。とりあえず現在位置と現在時刻を教えてくれ》


 百ミリ秒ほどの遅延の後、エコーが答える。


《不明。ネットワーク接続不可》

《は……? アクセスポイントがないのか? なら衛星と直接通信を》

《そちらも不可である》


 僕は再び混乱に陥る。

 現代ではアクセスポイントがない場所ですら相当に限られているのに、衛星との通信もできないだって? 電波暗室でもなければそんなことにはならないはずだ。ここは屋外だぞ。


《待て、エコー……今はいつで、僕たちはどこにいるんだ?》

《不明である》

《クエストログからわからないか》

《当機種は先ほどまで起動停止していた》


 そうだった。

 僕はなんとか冷静になるよう努める。


《なら、不正終了するまでの記録を見せてくれ。クエスト開始時から》

《了解》


 エコーがログとして保存していたデータを渡してくる。IMで開くと、広角映像や音声が脳内言語である感覚質クオリアの形式に変換され、意識上で再生が始まった。



 そう、僕たちは打ち捨てられた研究施設にいた。

 変異性ナノマシンに侵され、遺棄された郊外の巨大研究施設が、今回のクエストの舞台だった。

 残された一部の研究資料を回収するだけの、簡単なクエスト。そのはずだった。

 だがそこで僕たちは、事前配布資料になかった防衛装置群に襲われたのだ。

 パーティは崩壊した。

 初めに、マナが死んだ。

 次に、キィルが死んだ。

 それから、カイロウが死んだ。

 そして、ニルヤが死んだ。

 最後には、僕も死んだはずだった。

 実験体だったであろう、巨大な軍用竜から逃げる僕。

 吐き出された自己着火性反応ハイパーゴリックの火炎を懸命に避ける僕。

 振られた尾の攻撃を避けきれずに、吹き飛ばされる僕。

 その先にあったのは、ずっと用心深く避けていた重力地雷で。

 地雷のセンサーが僕を感知し、空間に微細な穴が開いて、放射されたガンマ線が僕を焼き尽くす――――。



 ログを確認し終えた僕は、いつの間にか息が荒くなっていたことに気づいた。

 心臓が激しく脈打っている。竜の火炎に混じったアニリンの特異臭が、未だ鼻に残っている感覚がした。ゆっくりと呼吸し、気持ちを落ち着かせる。


 僕が死ぬところは映っていなかった。

 ガンマ線放射が起こるタイミングで、エコーも起動停止したらしい。

 結論から言って、今僕がここにいる理由はなにもわからない。

 いや、わかったことが一つ。


《エコー、僕の階級が主任になってるのってもしかして》

《不正終了する九百六十ミリ秒前、ケイ主任には殉職見込み判定時の特別辞令が自動交付されていた。したがって、職種を二等級昇進後のものに更新した次第である》

《僕、まだ生きてるんだけど》

《辞令取り消しは本社人事部にしか行えない。当機種は現行に沿う》


 やはり、僕は死んだ扱いになっているようだった。

 まあどうでもいい。悲しむような人はいない。僕の生みの親は、僕の死を知ることすらないだろう。本社でもきっと機械的に処理されるだけ。生きていると伝える時の方が、面倒がられるかもしれなかった。


 冒険者が――攻性人材派遣企業の登録人員が死ぬことは、珍しくない。

 発注されるクエストは、危険な自然保護区での調査員警護やら私有地の深層迷宮ダンジョン探索やら懸賞金付き手配犯の確保やら、だいたい四割くらいは死の危険があるものだ。いくらヒーラーの加入を義務づけたり推奨パーティ編成を指導したりヒヤリハット事例のフィードバック体制を構築したりしたところで、死ぬ時は死ぬ。メディアに露出するようなハイレベルパーティの〈勇者〉の足下には、死体の山がある。なんと言っても、若年層の死因第二位だ。ちなみに一位は自殺だが、社会制度で生命が保証される現代で、この二つは似たようなものだろう。


 なにもせずとも生きていけるのに、好き好んで危険に飛び込み、勝手に死んでいく。現代の冒険者とはそういうものだ。

 だから、僕みたいな奴が集まる。


「はぁ……」


 溜息をついて思考を打ち切った。

 考えるだけでうんざりしたし、みんなのことまで貶めているようで気分が悪かった。

 それにまあ、死亡事故が珍しくないとは言っても。

 旧世界レス・ファンタジア時代の、剣と魔法の世界にいた本物の冒険者たちと比べたら、きっとなんてことないだろう。


「ん……?」


 そこで、ふと、僕は感じるものがあった。

 石畳や、建物の様子。なんとなくだが、古代や中世の都市を保存した文化保護区とは趣が異なる気がする。

 そう。どちらかといえば、これは旧世界の――。


《否定する》


 思考の一部が通信に乗ってしまったのか、エコーが返してくる。


《旧世界の文化保護区は存在しない。旧世界の文明は約一万年前に滅亡したとされ、このような遺跡は現存していない。遺物と呼べる物として、旧世界のことが記された石英ガラスの碑、蒼文石碑ラズリスが複数見つかっているのみである》


 エコーに言われるまでもなく、そんなことはわかっていた。歴史の課程では最初に脳記述ディスクリプトされる範囲だ。


 旧世界は、太古の昔に滅亡した文明だ。

 現代では絶滅種となっている、恐竜人サウリアン猫態人リトルヤーディのような魔族と呼ばれていた類人種たちと争い、時に共存しながら、繁栄していた高度な文明。優れた魔法技術を持ち、その中には現代の魔法理論をもってしても再現できないものまで存在するという。


 一万年も前に滅亡し、その後三千年以上に渡って人類史の空白期間となっていただけあり、街並みを残す遺跡などは見つかっていない。だから僕たちがアニメーションやゲーミングアプリや、VRバーチャルリアリティIRイマジナルリアリティなど創作作品で見る旧世界の景色は、蒼文石碑ラズリスの記述を元にした再現像に過ぎない。

 そんなものに似ていたからなんだというのだろう。僕は馬鹿馬鹿しくなる。どこかのテーマパーク、でもないはずだ。アクセスポイントがないわけがない。


《ともかく移動しよう。接続できる場所があるかもしれない》


 球形態に戻ったエコーに一応言って、僕は歩き出す。

 ガキン、と。

 手を振った拍子に、持っていたなにかが壁にぶつかって音を立てた。なんだ? と、手にしていた物を見て、僕は息をのむ。

 剣、だった。

 つや消しの黒の有機鋼刃に、薄青い回路が幾何学的な模様を描く細身の剣。

 僕の、じゃない。これは――――。


《エコー、これ……》

《ブライト・オブ・ハーモニクス社製端末、プリント・ハーモナイザー41Sと同定》


 エコーが続ける。


《当パーティ所属、キセ・ニルヤ統括主任が登録使用者となっている、〈勇者ブレイブ〉職用剣型端末である》


 もちろん、よく知っていた。ニルヤの手の中で、いつも目にしていたから。

 そうだ。

 僕はあのとき、これをニルヤから託されて――――、



『ケイ――――――て』



 エコーのログにも、剣を抱える僕の姿が映っていた。

 僕はあれから、ずっと持っていたのか。今までずっと。


《ケイ主任。移動を中止するか》


 立ち止まったままの僕を訝しんだのか、エコーが訊ねてくる。否定の答えを返し、僕は歩き出す。

 心強い気持ちと後ろめたい気持ちが、等しく渦巻いていた。

 心強いのは、この剣がニルヤの形見だから。

 後ろめたいのは、たぶん。

 僕だけが、生き残ってしまったからだろう。

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