死者な織姫と生者な彦星が夫婦喧嘩をしている件

久野真一

10回目の再会

あおい、今年も来たよ……」


 柘植家乃墓つげけのはかと書かれた墓石の前に来て、独りつぶやく。

 今日は、7月7日。世間的には七夕である。

 俺はといえば、こうして墓参りの真っ最中だ。

 大学では准教授じゅんきょうじゅなんて、偉そうな肩書きだ。

 今年で38の、ただの中年のオッサンだけどな。


「なーにが、「今年も来たよ……」よ!センチ入っちゃってー」


 唐突に目の前に現れた、妻の葵が茶化してくる。

 いや、鬼籍に入っているから正確には亡き妻か。

 彼女が死んで今日で10年経つけど、全く変わっていない。

 24歳の若々しい容姿から。


「少しくらい感傷に浸らせて欲しいんだがな」


 文句をいいつつも、そんな彼女を望んでいた自分が居たのも事実。


「しゅーちゃんも、別にセンチるために来たわけじゃないでしょ?」


 相変わらず勝ち気な表情で、そう断言されてしまう。

 そして、変わらず、子どもみたいなあだ名で俺の事を呼んでくる。

 秀一だから、しゅーちゃんだ。


「普通は命日とかもっと厳かにやるもんだからな」 


 そう。本来ならありえない邂逅。

 神様か他の何かかわからないけど、誰かの気まぐれが起こした偶然。

 しかし、偶然が10回続けば奇跡と言っていいのだろうか。

 

「そんなことはどうでもいいの!この1年間、どうだった?」


 興味津々と言った様子の葵。

 聞きたくて、聞きたくて、うずうずしているといったところか。

 結婚してた頃は、いっつもこんな様子だった。


「相変わらずだよ。大学の運営予算は削減されるし、雑用は忙しいし」


 なんとなく、最近の日々を愚痴ってみる。


「それ、毎年のことじゃない!?もっと違うこと!」


 葵は見るからに不満げ。

 若いな、なんて思ってしまうのは俺が歳を取ったのか。

 年齢で言えば、俺が面倒を見ている院生の一人と同じくらいか。


「ああ、そうだ。今年入ってきたB4がなかなか見込みありそうな奴でな。間違った事言ったら、俺だろうがゼミの最中だろうが、講義中だろうが、お構いなし。「柘植先生、そこの定義間違ってますよ!」って」


 俺の勤め先である東京計算機大学では、4年から研究室配属が始まる。

 そして、研究室配属される4年生の事をB4と呼ぶ。


「それって、単に空気読めない子じゃないの?」


 葵は怪訝そうな顔をしている。


「研究以外でもそんな感じなのは少し困ったところだけど、優秀だよ。B3の時に国際会議の論文一本通したくらいだ」

 

 言っているのは、研究室配属もまだなのに、英語論文を国際会議の大舞台で堂々と発表したということだ。絶対に居ない程レアではないけど、滅多に居ない逸材なのは間違いない。


「しゅーちゃんもそのくらいだったと思うけど?」

「俺の事はおいといて。B3で国際会議の論文投稿とか、化け物だぞ」

「その辺の、研究者感覚は未だにわからない」


 その言葉に彼女が生きていた頃の毎日を思い出す。


◆◆◆◆


 結婚当時、葵はまだ20歳。

 当分は、彼女も大学に通いながらの結婚生活だと思っていた。

 しかし、彼女は、専業主婦になる!と言って聞かなかった。


「もう、今どき、専業主婦とかって時代じゃないだろ」


 そう宥めたのだが。


「時代とかはどうでもいいでしょ?しゅーちゃんは嫌なの?」

「嫌とかじゃなくて、大学は卒業しといた方がだな」

「別にそんなの私はどっちでもいいの!」

「そうじゃなくてだな……まあいいか」


 当時、俺は身分が不安定な大学院生だった。

 このまま研究者への道を進むならなおさらだ。

 だから、そう言ったのだが、葵は聞かなかった。


 そして、結局、宣言通り、専業主婦として俺を支えてくれたのだった。

 毎日、帰ってきた夜には、その日の事を語って聞かせるのが常だった。

 専業主婦になると決めたものの、葵なりに寂しかったのだろう。


◇◇◇◇


「結婚してから、えーと、14年か。俺も歳食ったもんだなあ」


 この日だけは、彼女と死別している事を忘れそうになる。


「しゅーちゃん、その言い方、オッサンっぽい」

「オッサンだから仕方ないだろ。俺の顔見て感じないのか?」


 まだ老けるには早い歳。

 しかし、肌のツヤもだけど、色々なところで歳を感じる事が増えた。


「うーん……ちょっと大人っぽくなった?」

「こういうのは老けたって言うんだよ」

「褒め言葉は受け取ってよ。卑屈なのは、しゅーちゃんの良くないとこだよ!」

「ま、結婚してから、なにかと謝ってばかりだったな」


 彼女の機嫌を損ねた時は俺が謝って仲直りが常だった。

 それも、4歳年上の俺が大人にならないと、と思ってのことだったけど。


「ちょっと懐かしいよねー」

「ああ、ホントにな。しかし、神様は残酷なもんだ」


 結婚してから3年目に入ってから、葵は徐々に体調を崩すことが増えていた。

 最初は、風邪が長引いたのか?と二人して不思議に思っていたか。

 彼女の病気がもっと早期発見出来ていればと、今でも悔やむ。


「仕方ないよ。私も単なる体調不良って思ってたし」

「とはいっても、俺が早めに病院受診勧めてればだな」

「はいはい、そういう湿っぽいのはナシ!今更後悔しても変わらないし、私は後悔なんてして欲しくないんだから」


 当時の後悔を口にしようとすると、葵はいつも不機嫌そうに話を打ち切る。

 最期が近くなっても、「仕方ないよ」なんて諦めて笑っている強い奴だった。

 ただ、生きていたら……なんて、葵も思った事がないわけじゃないだろう。


 あの世というのは大層退屈なところらしく、寝ないでもいいし、お腹もへらないけど、物が何もなく、色々な人と雑談をして退屈を紛らわしているらしい。妙に現実的で世知辛い、あの世の事情を最初に聞かされた時は笑ってしまったものだった。


「ところで、しゅーちゃんは、まだ、いい人出来ないの?」

「前から言ってるけど、俺は葵一筋」

「生きてたらでしょ。いい人見つけて再婚しても誰も責めないよ」


 この話を持ち出されるのも、もう何回目だろうか。

 そして、悲しそうな顔になることも。


「そもそも、出会いがない」

「研究室に入って来た学生さんを狙うとか?」

「下手したらパワハラとかセクハラになるぞ」

 

 いや、そういう先生方もちらほらといるのだけど。

 しかし、色々な意味で危険な道だ。


「うーん……じゃあ、婚活アプリとか?今も流行ってるんでしょ?」

「ああ。その辺はもうすっかり普通になったな」


 20台の頃「恋愛とか結婚とか別にいいよー」と言っていた奴らが、恋活や婚活アプリで恋人や結婚相手を見つけた話も周囲でちらほらと聞く。


「でしょ?だったら、そこで登録して、いい人見つけて……」

「だから、そういう気にはなれないんだって」


 葵としては善意で言ってくれてるんだろうけど、

 1年に1回の再会でも、葵はこうしてここに居る。

 その前で、こういう話はしたくなかった。


「頑固なんだから、しゅーちゃんは」

「昔からだから知ってるだろ」

 

 この日になると、どうにも言葉遣いも昔に引きずられるな。

 それだけ、ずっと一緒に居たのだから、仕方ないか。


「はいはい。でも、本当にこのまま一生独身を貫くつもり?」

「前からそのつもりだけど」

「そういうのは今どき流行らないって」

「なあ、お前は」


 声は知らず強くなっていた。


「そんなに、俺が他の奴と一緒になって欲しいのか?」


 言ってて悲しい気持ちになる。

 死者がただ生者の幸福を祈る。

 確かに、物語でよく見るお話だ。

 実に綺麗な話で結構。


 でも、俺たちの間で、それは言って欲しくなかった。

 仮初めでも、年1回でも会えるのだから。


「……正直、複雑な気分だけど」


 表情は怒ったような、悲しいような、複雑なものだった。


「しゅーちゃんが他の人と一緒になるのは嫌だし、自分で話してて胸がムカムカするんだけど。でも、私はもう死んでるんだから。生きてるしゅーちゃんを束縛する権利はないよ」


 そう、ぽつり、ぽつりと語る葵。それはまさに生者の葛藤だと思う。


「じゃあ、俺から言わせてもらうけどな。こうして、会えて、近況も話せる。年1回だけど会える。それって生きてるのとどう違うんだ?」


 死者はおとなしく身を引く。確かに、それは綺麗かもしれない。

 しかし、彼女はこうして自分の想いを持っているのだ。

 そんなお約束で縛り付けるのはおかしい。


「大有りだよ!だって、デートも出来ないし、キスも出来ないし、エッチも出来ないし。それに、子どもだって出来ないし、しゅーちゃんに触れることも出来ない。他の人から見たら、きっと、何もないところで独り言つぶやいてる変な人!無い無いだらけだよ!」


 悲痛な叫びだった。


「遠距離恋愛してるカップルだって同じだろ!」


 気に入らなくて反論する。


「しゅーちゃんは、毎回毎回、そういう屁理屈をつけて……!」

「理屈つけるのが研究者の仕事だからな」

「それとこれは別でしょ」

「いいや、同じだ。というか、このやり取り、毎年だよな。そろそろ、建前はやめて本音で語ってくれないか?」


 ムカつかせるのを承知で、挑発する。


「建前って……私は、本気で、しゅーちゃんのためを思って……!」

「だって、お前自身の希望がないだろ。お前はどうしたいんだよ」

「私だって、一緒にいたいよ。でも、こうして会えるのは年1回で。毎年、毎年、ジェネレーションギャップは増えていくし。でも、しゅーちゃんの重荷になるのは嫌なの!」

「じゃあ、いいだろ。俺の人生だから、俺が決める」

「いい人見つけた方が幸せになれるとしても?」

「そんなのは知らねえよ。一回きりなんだから、俺みたいなのが居たっていいだろ」

「讓るつもりはないの?」

「無いな」

「離婚するって言っても?」

「死んでるのに、離婚出来るのか」

「ああ言えば、こう言うんだから……!しゅーちゃんは、前からそう!」


 気がついたら、普通の夫婦喧嘩になっていた。


「なんか、……ぷふ……笑えてきた」


 きっと、本音で語り合えたからだろうか。

 どこか、楽しくなっていた。


「喧嘩してるのに、なんで笑うの?」

「だって、こうしてると、普通の夫婦喧嘩みたいだろ」

「みたいっていうか、喧嘩なんだけど?」

「だから、喧嘩したかったんだよ。死んでようが生きてようが、会って話せるなら、思うところもモヤモヤもあるだろ?そんなのが嫌だったんだよ」

「しゅーちゃんみたいな議論好きに付き合ってくれるの、私くらいだからね?」


 ようやく諦めたように、どこか笑顔でそう言う葵。


「だろ?お前みたいな最高の嫁さん、二度と見つけられないって」

「最高って……も、もう」


 こうして、照れた様子を見せてくれるのは、彼女が死んでから初めてだろうか。


「というわけで、仲直りしたいんだけど、どうだ?」

「ずるい」

「だって、それこそ離婚に発展するかもだろ?」

「さっき、死んでるから離婚出来ないって言ったのに」

「それはそれ、これはこれ」

「ほんと、屁理屈なんだから。わかった。仲直り」


 触れ合うことは出来ないけど、小指を絡める。

 昔から、仲直りの時の定番の儀式。


「……それで、今年も、夜まで、居座るつもり?」


 じろりと見据えられる。

 これも毎年の恒例行事だ。


「当然。昼飯も、夕飯まで買い込んで来たからな」


 命日には、彼女がこっちに居られるギリギリまで一緒にいると決めていた。

 とはいえ、腹が減っては戦は出来ない。

 昼食も夕食も持参だ。

 

「周りからみたら、完全に頭おかしい人だからね?」


 もう諦め気味にそんな事を言われる。

 確かに、毎年、時折来るお墓参り客の視線をよく感じる。

 きっと、頭が可哀想な人だと思ってるんだろうけど。

 

「研究者ってのは、だいたい頭おかしい人の集まりだって」


 特に、優秀な研究者は頭がおかしいことが多いと重う。


 落ち着いた俺は、持参した昼食を開けて、のんびりと食べ始める。


「はあ。私、なんでこんな人と結婚しちゃったんだろ」

「昔は、お兄ちゃん、お兄ちゃんって慕ってくれてたのにな」


 それは、結婚するよりもっと昔の物語。


「そんな黒歴史思い出させないで欲しいな」

 

 不満げな顔。でも、そんな顔も可愛らしいと思う。

 もし、同じように歳をとっていたらどうだっただろうか?

 そんな事を考えるが、考えても仕方ないことか。


「でも、神様って奴も粋なはからいをしてくれるもんだ」


 照りつける日差しの中、そんな事をつぶやく。


「私は病気でこんな歳で死んじゃって、恨んでるけどね」

「いや、そこは……まあそうだな」


 根本的に何かがずれてる俺のような奴はともかく。

 葵もこれからの人生、したいことがいっぱいあっただろう。


「冗談だよ、冗談。私も、嬉しいよ」

「しかし、お前の命日が七夕なのも、ほんと偶然だよな」

「織姫と彦星みたいって言いたい?」

「だいたい、そんなところ」

「理屈っぽいのに、変なところ、ロマンチストだよね」

「ロマンチストって失礼な。実際、そのものじゃないか?」

「しゅーちゃんは、頭のネジが外れてるからいいとして、あの世とか、色々イライラすること多いんだからね?延々しゃべり続けるおじさんとか、延々しゃべり続けるおじいさんとか」

「まあ、あの世の愚痴は、聞いてやるから」

「じゃあね……」


 そうして、あの世が如何に退屈でつまらないかを聞かされながら、7月の暑い日を過ごしたのだった。


 俺たちは、織姫と彦星のようなロマンチックな関係にはなれそうにない。

 

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死者な織姫と生者な彦星が夫婦喧嘩をしている件 久野真一 @kuno1234

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