第36話 乙女の攻防


 この日の朝。

 江口と福永は珍しく二人で校舎の屋上に来ていた。


「それで福永さんが朝から私になんの用なわけ」


「特に大きな理由はないよ。ただ――」


「ただ?」


「『アイリス』全巻読んで思ったんだけどさ、このメインヒロインの明日香って女の子江口さんにそっくりだなと思ったんだよね」


 江口は面倒くさそうにして、大きなため息を一度ついた。


「具体的には?」


「遠距離恋愛しながらも主人公を想う気持ちの部分かな。湊はそこまで気付いていなかったようだから何も言わなかったけど」


 江口の眉がピクリと動く。

 そんな江口を見て福永が言葉を続ける。


「でね、私がわざわざ気を利かせて屋上に呼んだ理由なんだけど……」


 福永は一度深呼吸をして心を落ち着かせる。


「最近湊に対するアプローチが『アイリス』の第三巻に似ている気がするのは私の気のせい?」


 そう江口は知らず知らずのうちに主人公とは別にメインヒロインに自分を重ねていた。その為か妙にリアリティーが増し、それが世間に受けた。現実味を帯びて出来上がった二人の恋模様はある意味理想で綺麗な形。これもまた江口が知らず知らずのうちに書き上げていた事実でありフィクション――夢物語でもあった。


「だったらなに? 著作権は私にあるし、別にそれは悪い事でもないと思うのだけれど」


「そうだね。でもさ――」


「…………」


「いやなんでもない。本当はね、一つどうしても確認しておきたかったことがあるの」


「でしょうね。特別な理由がない限り福永さんがわざわざ屋上に行こうなんて私を誘うわけないものね」


 江口が二度目のため息をついた。


「無理するのもう止めなよ。無理して気強くいようとして苦しむの止めた方がいいと思う。これは私から江口さんに対しての友達としての忠告であり警告だよ」


「……どうゆう意味かしら?」


「本当はもう気づいているんでしょ?」


「……なにに?」


「私思い出したの。昔の江口さんって気弱で泣き虫だったなって。なにより臆病だったよね? だからさ、湊の前だけでもいいからもっと素直になりなよ。湊なら受け止めてくれるからさ」


 福永は何かを諭すようにしてゆっくりと言葉を紡ぐ。


「本当は湊と江口さんが仲良くするのは見ていたくない。だって好きだから。でもね、友達になった以上江口さんの事も実は少しだけ心配だった。だから忠告。湊は根が優しくて鈍感で大馬鹿。だけどいつか気付くと思う。だって明日香さ、本の世界ではいつも一人頑張って弱音を吐かない強いヒロインじゃん。つまり私が言いたい事はそうゆうことだよ。湊の幸せを前提として友達としての忠告。無理は止めな。本当にいつか潰れるよ。今度は物語が二度と書けなくなるかもしれないよ」


 二人の間の空気が一気に重たくなる。

 江口の突き刺さるような視線を浴びても福永は一切は怯まない。

 ただ目の前にいる強がって無理している少女だけをしっかりと見つづける。


「なにを言っているのかしら?」


「江口さん前教室で言っていたよね。休業しても構わないって。それに一度二巻の販売を延期している。建前上は学業優先らしいけど、本当は違うんじゃない?」


「そう思う根拠は?」


「私好きな本を読むときはかなり感情移入しちゃうタイプなの。そこで明日香に自分を重ねて読んでいてわかった。明日香の描写だけやけにリアリティがあるなって。そこから考えられる結論はただ一つ。江口さん今スランプなんじゃないの?」


 江口が唇を噛みしめる。

 それを見た福永が確信する。

 江口もまた自分と同じなんだと。

 福永は恋に強い焦りと不安を抱えていた。今までなんだかんだ言ってずっと一緒にいた湊が自分から離れていくのではないかと思ったからだ。福永さよという少女はこれからも何があろうと上条湊と共に過ごしていきたいと言う強い願望がある。だけどその為には目の前にいる美しくも可憐に咲き誇る一輪の花が美し過ぎて目障りだった。だからなんとかして上条の目を自分に向けようと頑張った。だけどそう簡単にはいかなかった。だから一旦遠ざける事をやめて、上条の幸せを願い受け入れることにした。すると色々と見えてきたことがある。それが素の江口唯の姿だった。それから江口もまた自分と同じようにここまで上条を好きかを考えた時、ある答えが生まれた。江口にとっても自分が邪魔なのだと。だからこそよく私達は反発するのだと。そして好きな人の為にどこか身を退く時は退くとサッパリしているところまで同じだった。


「私ね、もし湊に振られても諦めないよ。湊が誰かと結婚するまで絶対に。私の幸せは湊ありきだから。だから湊の為に言うよ、私と一緒で今表面に出さないだけで心の中結構荒れてるでしょ。本が書けないぐらいに」


「どこで気付いたの?」


「あの日、湊を男子達から守った日だよ。あの日あの瞬間江口さんそれを、本気で願っているように、遠まわしに、言っている気がしたの。私の最高のライバルだからこそよく見てたからわかるよ」


「そう。いい目を持っているのね」


「まぁね」


「『アイリス』が成功した。だけどそれは元々湊との繋がりを再び得る為の手段に過ぎなかった。そしてそれが叶った今執筆本来の目的が失われた。つまりはそうゆうことなんでしょ。私にはわからないけど変に大成功した為に世間の目や大人の目が沢山ある。それが今は重圧となっているんじゃない。そんな時にこれだもん。本当は辛いんじゃない?」


 江口は小声で「そうね」と福永の言葉を認めた。

 福永の言う通り、今の江口はスランプに入っていた。

 だってこれから先、上条の好きを詰め込んだ作品を読んでもらいたいという欲よりも今は私だけを見て欲しいと言う欲がかなり強くそれどころじゃないから。それでも使命感だけを頼りに四巻の物語を頑張って裏では執筆していたが、江口だって六年いや今では七年以上この時を待ちに待っていたのだ。そしてようやく訪れたチャンスを簡単に手放せる程、人間ができているわけではない。人間の心なんて儚くて脆いの一言に尽きるし、非合理的な存在なのは百も承知している。だからこそ、今はせっかくの女子高生なんだから青春を楽しみたいと思う事はなにか間違っているだろうか。いや間違ってはいないと思う。だってそこに答えはあってないようなものだから。


「まずは敵を知る所からか……。貴女可愛い顔して見た目以上に強敵だったのね」


「うん。私性格悪いから」


「そう……だったら一つだけ私からも一つ忠告しておくわ」


「なに?」


「種まきが終わったのは福永さんだけじゃないってこと」


「性格悪すぎ」


「ありがとう。私も友達の幸せを素直に喜んで身を退く程性格良いわけないじゃないのよ」


「そっかぁ。それだけ本気なんだね」


「ちなみに知っているかしら」


「なにを?」


「メインヒロインはハッピーエンドの為なら全てを注げる覚悟があることを」


「知ってるけど、この世にはバッドエンドもあるの知らないの?」


「「この負けず嫌い!」」


 二人の間に目に見えない火花が飛び始める。


「「最後に勝つのは私だから! ふんっ!」」


 二人は同時にソッポを向いて別々に行動を始めた。

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