第32話 儚き想い出
その日の午前中。
江口は珍しく授業中ぼっーとしていた。
その理由――昔の思い出を懐かしんでいたから。
※※※
――ある女の子の過去。
昔々あるところに一人の女の子がいました。
女の子はいつも一人で、学校でも、家庭でも、一人の時間が大半を占めていました。
そのせいか、女の子は陰口をいつも言われ、時にはいじめられたりもしました。
それでも共働きの両親に心配をかけたくないという、気持ちから不登校にはなりませんでした。だけど、日々女の子の精神は擦り減っていき、誰もいないときはいつも一人泣いていました。それからは心の拠り所として、両親に買ってもらった物語の世界へと逃げるようにして没頭しました。本の世界はいつも素敵な出会いや発見で満ちあふれており、本を読んでいる間だけは嫌な現実から目を背ける事ができました。
そんな女の子にある日転機が訪れました。
学校で一人自由帳にこんなお話しがあったらいいなと思い執筆と呼ぶには低レベルの文字起こしをしていた時です。
偶然近くを通りかかった男の子が女の子の近くで止まりました。
男の子の視線の先には女の子の自由帳がありました。
女の子は自由帳を取られて皆にからかわれるための道具にされると思い身体をピクッと震わせました。
急に怖くなった女の子は日々の境遇からまたいじめられて、文句を言えば罵倒されてさらにいじめられると思い黙り込みました。それでも自由帳だけはと思い、些細な抵抗として書いていた内容を見えないように手で隠しました。
「面白い、詩? を書くんだな」
今まで誰からも認められる事がなかった女の子は驚きました。
酷評ではなく、普通の感想を貰えるとは思っていなかったからです。
詩ではない。だけど読んで面白いと言ってくれた男の子の言葉に女の子はなぜかとても嬉しい気持ちになりました。
「もしよかったらこれから定期的に読ませてくれないか?」
女の子はその言葉を聞いた時、急に怖くなってしまいました。
私を油断させてバカにするんだと思ったからです。
それが後からなのか、裏でなのかはわかりません。だけど、今の自分の境遇から非常に臆病になっていた女の子の警戒心は非常に高く、すぐに心を開く事に躊躇いを覚えました。でもそんな心情とは別にこの人と仲良くなりたいと思うもう一人の女の子が心の中に居た事も事実です。
「無理にとは言わないけどさ。どうかな?」
「……わかった」
女の子は男の笑みに負けてしまい、返事をしました。
それから男の子は軽い自己紹介をして、女の子の手を握り、クラスの目を全く気にせずにこう言いました。
「俺は物語の世界が好きなんだ。だからこれからよろしくな! 江口!」
初めての好意的な視線と言葉。
そしてどこか暖かい言葉で名前を呼ばれたことに女の子は内心大喜び。
初めての友達は気の優しい素直な男の子でした。それから女の子の元に定期的に来ては話しかけてくれました。
短髪黒髪。当時は髪を伸ばすと掴まれたりして虐められる理由になるからと言って男に間違われる髪型をして、服装もスカート捲りの対象となることから短パンを基本的に履いてと女の子らしさはどこにもない女の子。
だけどそんな女の子に対して、クラスで唯一の友達はそれでも一人の女の子として接してくれました。それから事あるごとに裏ではいじめっ子からさり気なく守ってくれていました。そんな光景を何度も目にしました。それもあって女の子はかつてないぐらいにその男の子に心を開きました。
「……えっと……か、かみ、かみじょうくん」
女の子は男の子の名前を初めて口にしました。それからは女の子からも話しかけに行くように二人の仲はどんどんよくなります。
休み時間二人で会っては色々な物語のお話しをしては、自分の書いた作品を定期的に見てもらい感想をもらう。これが女の子の学校生活をとても豊かな物にしました。
それから女の子はこう思うようになりました。
「ねぇ、教えて欲しいの」
「なにを」
「か、かみじょうくんが好きな本のとくちょう」
女の子は男の子の為に、本を、物語を、書いてみたいと。
それから男の子の話しを聞いた女の子は一生懸命に男の子が望む物語を何度も書いては消してを繰り返し少しずつ書いていきました。
それは時間をかけてゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと丁寧に書かれていきました。ようやく一話が終わった所で男の子に見せては感想とアドバイスを貰い修正しては加筆していく。地道な作業でしたが女の子は家で一人の時間は物語を書いている時間がとても幸せで学校でも家でも気付けば物語の事ばかり考えていました。
「みーくん、わたしがんばるから!」
日が経つに連れ、苗字から名前、そしてニックネームで呼び合うまでになった二人。
女の子はこれが友達の為になにかを頑張ることなんだ。
友達とは素晴らしいものだと知ります。
勿論、一人の時間も今はとても素晴らしい。
だけど、それ以上に男の子との時間はとても充実しており素晴らしいものでした。
ある日女の子は知ります。
それは三年かけてようやく第一章までが書き終わった頃、家の都合で男の子とお別れをしないといけないと知った日のことです。
心が痛み、モヤモヤすると。
涙が止まらないと。
気付けばいつも物語の主人公と男の子を一緒にして、いつも男の子の事ばかり考えていたと。
離れたくない。
もっとずっと一緒にいたい。
もっと私の作品を読んで欲しい。
数々の感情が生まれた女の子はこれが友情なのだと知ります。
そう女の子が唯一現実世界で知る友情。
だけどその友情は物語の世界でよくある恋心によく似ているなとも思いました……。
それから女の子は転校して男の子とは会えなくなってしまいました。
幼く経験がない故に男の子に恋をしていたと、正しく認識ができない女の子。
だけど、一度火が付いた想いは会えなくも消えてなくなりませんでした。
むしろ激しく燃える炎となり荒々しく女の子の胸の奥深くで燃え広がり続けました。
そして唯一の繋がりである、まだ未完成の作品を完成させると心の中で誓いました。
これが小説『アイリス』誕生の秘密であり、原点でもあるのです。
そしてそれはペンネーム木菊一華(もくいちか)の人生の原点でもあったのです。
――私は諦めない。みーくんにまた振り向いてもらう。
そして。
――再会した時にすぐに見つけて貰えるように、美しく綺麗に咲いてみせる!
※※※
「あーそうだった。思えばあの日から恋してたんだ……」
授業中、江口がボソッと呟く。
それは誰にも聞こえない程度の声の大きさで。
「初めての友達でありながら、初恋相手にもなったみーくん」
だからこそ大きくなった女の子――江口唯はあの日自分の気持ちを正しく理解することができなかったと知りました。
それから大きくなった女の子はため息をつきました。
もっと早くこの気持ちに気付いていれば今頃手を繋いで一緒に登下校したり、お昼ご飯を食べたり、キスしたりともっと高校生活を充実したものにできたのではないかと思ったからです。
想いは胸の中で留まることを否定し、胸の奥が締め付けられる。
それから気付けば手が動きその感情を一言の文字にしてしまった。
今は自由帳でなくノートの余白に大きく書かれた言葉は。
『大好きです』
昨日までは六年振りに再会した相手を想うと辛くも嬉しい気持ちにもなれたし幸せな気持ちにもなれた。だけど今は違う。昨日知った、特別な感情を抱いた相手を見ると不安になる。
原因――上条湊の隣にいつもいる福永さよという幼馴染が陣取るだけでなく、この私に戦線布告してきたから。
初恋相手、初めての男友達(上条湊)、初めての女友達(福永さよ)、初めての恋のライバル……と江口の初めてを総取りし一人占めし与えてくれた上条湊。
だからこそ江口唯にとって上条湊こそが本命の相手であり、上条湊が見てくれるのであれば、ある程度の犠牲は気にしないし気にするつもりはない。例えこの学校で多くの生徒に嫉妬され険悪な眼差しを向けれれても。
才能があって美人だから?
そんな理由で多くの女に毛嫌いされ、多くの男に嫌らしい目で見られても江口は構わない。
ようやくずっと欲しかった物が今まで以上により明確になって見えたのだから。
裏で毎日一人泣き、苦しみ、会えないことからの辛い日々に嘔吐し吐いては原稿と向き合った時間、両親に心配をかけないように勉強も死ぬほど頑張り、日々寝不足でありながら美容にも力を入れている江口唯は頑張り屋で努力家であることをたった一人でいいから理解してくれるのであれば大衆の眼はどうだっていい。
それぐらいに江口の心は覚悟で固まっていた。
だからこそ、もう変な意地やプライドは捨てて自分から今度は積極的に行くことにした。
待っていても恋は進展しないし、何よりあの日の失敗を成功の為の礎にするために。
学校一の美少女は失敗から学び、失敗から成長する。
そして最後は――。
「必ず勝つ!」
小声でありながら、自分にしっかりと言い聞かせた江口に迷いはなかった。
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