第31話 初恋の麻薬
そんな江口に俺と武藤が目を奪われ、自然に彼女の歩みと同じ速度で視線が動いてしまう。
「悪い……やっぱり俺の目は江口という女に棘があるようにしか思えない」
「大丈夫だ……俺も昨日見たプライベートの江口とは別人だと感じている」
俺はそのままゆっくりと言葉を紡ぐ。
視線は江口に固定したまま。
「こっちの江口は何処か氷の女王って感じがして気品があって高貴って感じがする」
「ってことはさっき上条が話したのは、あるバカが妄想で創りあげたってことで正解か?」
「違う」
武藤の反応がなくなった。
無理もない。
どこか吹っ切れたかのように堂々とした江口の態度は昨日の積極的で可愛いものに目がない江口を微塵も感じさせない。
「とりあえず友達なら挨拶でもしてこい」
武藤が俺の身体を軽く叩いて揺らす。
「いや……この状況無理だろう」
優柔不断の人間でありながら臆病な俺にはこの状況で昨日の感覚で声をかけることはできなかった。昨日の放課後とは明らかに状況が違う。クラスの連中がここにいて、耳をすませば聞こえてくる声を聞いていながら、敢えてそれを無視し声をかける。そんな勇気はない。
「行かないのか?」
「もし行ったらどうなると思う」
「クラスの過激派男子に消されるだろうな」
「……わかってるなら、人を行かせようとするな」
「墓参りの心配か? それなら問題なしだ。一年に一回お前の命日には必ず行ってやるぞ?」
「そうじゃねぇよ!」
この悪魔!
せめて週に一回は来い。
すると偶然にも江口と目があった。
ニコッ
ほんの一瞬。
一秒にも満たないような刹那。
江口が俺に微笑んでくれた。気がした。
「あれ?」
俺の近くにいたせいか武藤だけはその決定的な瞬間を見逃さなかったらしい。
首を傾けて、江口が今までと違うと違和感を感じ取っているのかもしれない。
「いまさ、あの江口がほほ笑んだよな?」
武藤は俺に信じられないような光景でも見たような口調で訪ねてきた。
「さぁな」
俺はあえて江口の笑みに気付いていながら、気付いていない振りをした。
だって恥ずかしいから。
俺がここでそれを認めたらどんだけちょろい男なんだってまた武藤にバカにされる、そんな気しかしなかったから。
その時、俺の直感が危険を感じ取る。
振り向かなくてもわかる。
冷たい視線が俺を射抜くようにして後方から向けられている。
これは、幼馴染――福永さよの視線だ。
それも嫉妬して心の底から怒っている。そう思い恐る恐る後ろを振り返ると福永が不機嫌そうに視線を向けていた。ただし俺にではなかった。視線の先を追うと江口にだとすぐにわかった。
「さてと」
そう言って今度は江口が席を離れて教室の中を歩き始める。
凛とした態度で美しく可憐に歩く江口はそのまま口を開いて止まった。
「おはよう。みーくん」
それは学校で初めて聞くプライベートの時の言葉だった。
今まで何処か不機嫌そうだった棘が一気になくなり、昨日プライベートで見た江口そのもの。
クラスの連中を含め近くにいた武藤ですら「嘘だろ? 学校に爆弾でも落ちてくるのか?」と言って驚いている。せめてそこは爆弾ではなく雨で終わらせて欲しかったが、まぁなんだ、それだけ皆が驚いているんだろう。
「江口、おはよう」
「うーーーーん?」
「もしかして江口じゃなくて、学校でもゆーちゃんの方がいい?」
「えぇ。そっちの方が嬉しいわ」
「わかった」
終わった……。
俺の人生……。
短い人生だったが悔いは……ない。
「か~み~じょ~く~ん」
「これはどうゆうことかなぁー?」
ほらな。
モテない男は決して一人抜け駆けをすることを許しはしない。
なぜならそいつだけがリア充幸せルート人生に入るのを黙って見ていたくないからだ。
だからこそ蹴落とし合い、道ずれにする。
なんとも器の小さいことで。
これ、もう冗談が冗談が終わりそうにない雰囲気なんだけど、どうしよ……。
いつもなら福永が鬼の形相で護ってくれるが、どうやら今回はダメらしい。
ハンドシグナルでヘルプを求めると「いや」とアイコンタクトと満面の笑みで見捨てられたのだ。
――血の雨が降ると思われた瞬間。
江口が素早く俺の盾になるようにして一歩横にずれる。
「みーくんに手を出したらあなた達の社会的人生を終わらせるわ。その覚悟できているのかしら」
江口の表情から笑みが消えいつもの棘があり、どこか近寄りがたい氷の女王様となって彼女が告げる。
声のトーンが低く目が本気って感じがするので、俺はお口をしっかりとチャックして余計な事を言わないようにした。
それにしても近くで見るとマジでこえー。
本当に味方でよかった。
「仮にここで私になにかあれば新聞に下手したらあなた達の名前が載るわよ? 未成年だからって理由で載らなくても私の社会的影響力はそこそこにある。別に新聞以外にも方法はあるのよ。先に言っておくと、あなた達に勝ち目は一ミリもないわ」
暴力ならぬ言葉の圧力に過激派男子達が黙る。
「例えば新刊出せない理由を適当にあなた達の行為が原因って事にして世間に名指しでSNSにあげたら一体どうなるかしらね。まぁ私としてはそれで学業専念、さらには数ヶ月休業できるから別にそれでもいいのだけれど」
「い、いや、江口には……」
「そ、そうだ。俺達は上条に――」
「だからその嫉妬に狂った文句や喧嘩じみた行動はこの状況から察するに私が主な原因なのでしょ? だったら最初から私にぶつけろって言ってるのよ」
クラス全体が静寂になる。
ここまで強気な江口は今まで見た事がない。
というか、誰も知らない。
「黙ってないでなにか言ってくれないかしら?」
「…………すまん」
一人目撃沈。
「す、すみませんでした。お、おい、行くぞ?」
続いて二人目撃沈。
「あぁ……」
強気な江口が一瞬で過激派男子達を無力化しクラスに視線を飛ばす。
するとクラスのモテない男子達の嫉妬の眼差しが一気に消えた。
「これで解決よ。だからこれからは学校でもみーくんはみーくんでいて欲しいわ」
「わ、わかった」
「それにしてもまさか上条が言っていた事が本当だったとは。急に仲良くなるって本当にあるんだな」
武藤は俺と江口を交互に見て言った。
「ん? そうでもないわよ」
「どうゆう意味だ、江口?」
「元々私の中では小学生の時から仲が良い友達ポジションにみーくんはいたの。ただなんていうかあろうことか私との大切な思い出をみーくんが忘れていたみたいで、私とみーくんの距離感が今までかなりズレていたのよ。だから正確には元に戻ったって感じよ」
二人の視線が向けられる。
一人は呆れているのか悲しい視線。
一人は同意を求めつつもどこか呆れているような視線。
ただ共通して言えるのは、頼むからそんな可愛そうな目で俺を見ないでくれと言うことだ。
「否定はしないけどその目二人共止めてくれない?」
「私なにか間違っていること言ったかしら?」
「……言ってないけどさ」
あーもう調子が狂う。
と思いながら、俺は落ちこんだ。
「ふふっ。やっぱりみーくんは見ててわかりやすいわね」
楽しそうに笑った江口を見て、武藤が物珍しい光景でも見たかのように口笛を吹く。
「ゆーちゃんって昔から俺の事からかっては楽しんでたの今思い出した……」
「だって楽しいじゃない。もしかして嫌? だったら気を付けるし謝るわ」
「いやべつにそうゆう意味じゃないけど」
「ならどうゆう意味?」
「ただこうやってさ、普通に話しているとゆーちゃんも普通の女の子なんだなって思って」
「そうね。わたし昔から普通の女の子だからね」
そう言ってまた今度は嬉しそうにして笑みをこぼした江口。
なんだろう。その笑みを見るたびにとても懐かしい感覚になっては俺の方まで嬉しくなるこの感覚は。
もっと江口には笑っていて欲しい、そう思った。
しばらくすると、朝のHR開始のチャイムが鳴った。
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