第27話 小説『アイリス』に隠された真実


「それでね、みーくんにはやっぱりちゃんと伝えておきたいことがあるの」


 夜ご飯を食べ終わると江口がL字型のソファーに座る俺の斜め前に座ってきたかと思えば真剣な表情で言ってきた。それを見てお手洗いから戻って来た福永が慌てて俺の隣にやって来ては座る。そのままあろうことか甘え始めた。


「膝枕して欲しいー」


「ゆーちゃん目の前にいるけど?」


「いいじゃん。私達超絶仲のいい幼馴染なんだし」


 福永は勝ち誇った顔で自信満々に言う。

 それを見た江口が「へぇ~」と言って俺を見る。


「一人だけズルいわよ」


 怒られると思っていただけに予想外の言葉に俺が驚く。


「なら私とは手を繋ぎましょう」


 よくわからんが、福永が甘えて俺の右手を掴んでは頭に持っていき、左手は江口の温もりを感じている。

 なんだろう、この夢ではないかと思える幸福感は。


「それでね、みーくんにまず伝えて置かないといけないことがあるの。それは感謝の気持ちで実は一杯ってこと」


「……感謝?」


「えぇ。小説『アイリス』で私は自分で自分を評価するなら大成功したと思っているわ」


 それはそうだろう。

 なんたって当初は三巻完結を予定されていたのにも関わらず今は数字が出ている間は継続と出版社が言っているぐらいに人気作品とまでなったのだから。これはネットでもかなり噂になっている。


「あの日、あの時、みーくんが私の処女作を読んでくれて仲良くしてくれなかったら私はきっと今頃作家にはなっていなかったと思うわ。そう言った意味でみーくんには本当に心の底から感謝しているわ」


「でもそれはゆーちゃんが頑張った結果であって、俺はそのきっかけにしかなっていないと思うけど……」


「そうね。でもそれだけじゃないわ。アイリスの花言葉は知っているかしら?」


「知らない……」


「花言葉は「希望」「信じる心」「恋のメッセージ」と他にも意味があるわ。私は信じていたの。小学生の時に唯一できた友達にまた再会したい、中学でもまた一人になった私は純粋な心で友達として接してくれるある人に会いたいって言う気持ちでずっと頑張ったわ。そして連絡先も知らない私がみーくんとの繋がりをもう一度得る方法は一つしかなかったの」


「――それが『アイリス』」


「そう。私は高校の入学式でみーくんを見た時すぐにみーくんだとわかったわ。だけれどみーくんはいつまで経っても私に気付いてくれなかった。だから私からアプローチをしたわ。私の事を思い出す、最悪忘れているのならまたお友達になればいいと思ってね」


 俺はその時、なんで去年江口が放課後一人の俺の所にわざわざやって来て声をかけてくれたのかがわかった気がした。


 あれは……。


 そう――。


 偶然ではなかったのか。


「ただ私の一つの誤算は恋心だった。私は小学生の高学年から胸が急に大きくなって男呼ばわりされるのが嫌で美容にも力を入れるようになったわ。まぁ他にもちゃんとした理由があるのだけれどまぁその話しは別の機会に話すわ。今は関係ないから」


 そのまま俺の目を見て話す江口。


「それから中学生になると周りの男子達の態度が急に一変してしまったの。それから今度は逃げるようにしてまた一人になったわ。自分の好きな男を振った女と仲良くしてくれるような人が私の中学校の女子生徒にはいなったから。それは高校でも同じだった。私に近づいてくる人間の多くは私をステータス向上に使いたい人間かエッチな好意を抱いた人間だけだったわ」


 俺の視線が自然に江口の一点に誘導される。その先には大きくてきっとモミモミしたら柔らかいであろうおっぱいが二つあった。

 そう無意識に視線が誘導された……。


 そしてハッと気づいて視線を上に向けたが、下からは福永の冷たい視線と前からは少し不機嫌になったようにも見えなくもない江口の視線に咳払いをして誤魔化す情けない俺。


「真面目に聞いて貰えるかしら?」


「はい……すみませんでした」


「次セクハラしたら次巻の前書きにみーくんに胸ガン見されたって書くから」


「……勘弁してください。本当に気を付けますので」


 俺の全身から嫌な汗が流れ初めて止まらない。

 江口の場合、冗談が冗談で終わらない気しかしないからだ。

 それに――(笑)みたいな感じで書かれててもそんな事を書かれたら恥ずかしくてこの先長く生きてはいけない。


 少し間を開けてから。


「話しを戻すわ。中学生の私はある日をきっかけに『アイリス』を本格的に書き始めたわ。一人の時間を無くすための希望として。そして私がデビューをしてみーくんが『アイリス』を読み、ファンレターや応援メッセージというもので連絡を取ってきてくれることを願って。だけど当時の私はおろかだったわ。みーくんの好きを沢山詰め込んだ物語をどれだけ書いてもPN(ペンネーム)で活動する以上私だって気付いてもらえないと知ったのはデビューしてからだった。でもそこで奇跡が起きた。デビューした翌日高校の入学式にみーくんは私と同じ学校に偶然いたわ」


「なるほど……」


「それでね今の私の気持ちを伝えるわ。学校では絶対に言えない、江口唯の本当の気持ちを今ここで。だから真剣に聞いて欲しいの」


 俺は無言で一度頷き、息を飲み込んだ。

 初めてみる、ここまで真剣な表情の江口。

 それにさっきから左手に感じる温もりが急に熱くなったようにも感じる。

 江口がそれだけ緊張していると言うことなのだろう。


「私は上条湊君と高校で再会すると同時に友達としてずっとこれから仲良くしていこうと思っていたわ。でも今は違う。みーくんに告白されてずっと友達でいいやと思っていた私がいなくなった。告白されてもうお別れしないといけない、もう友達としては無理なんだって思った時に気付いたの」


「…………」


「私なんでその日の夜一人泣いているんだろうって考えた時にね、私はずっとみーくんとの再会を心の中で望んでいたんだって知った。そして知らず知らずのうちに約六年連絡すら取れなかった男の子との縁を必死になって掴み続けようとした本当の理由に気付いたの。最初は友人というカテゴリー、それから『アイリス』の主人公をみーくんをモデルに書いているうちにこの想いが大きくなっていたんだってあの日気付いたの。なにが言いたかって言うと、私は今、みーくんの事が大好きなの。一人の女として」


「「…………!?」」


 俺と福永の目が大きく見開いた。


 これは決して冗談ではない。


 それは江口の顔を見ればすぐにわかる。


「私は一度みーくんを振った。だけどね、本当のか弱い女の子の私は知らず知らずのうちにみーくんに恋していたの。だから今ここでハッキリと言うわ。江口唯は世界中の誰よりも上条湊のことを愛しているわ」


 それから息を吸いこんで。


「これは貴女に対する宣戦布告でもあるわ」


 そう言って江口は俺から福永に視線を移す。

 突然のことに俺だけでなく福永まで驚いている。

 そのまま膝から起き上がった福永の目つきが真剣な物になる。


「……やっぱり好意あったんだ」


「……いつ気付いたのかしら?」


「二人で放課後会うって言った時。女は好きでもない人と二人きりになろうとは思わないし、私と同じで沢山の異性に好意を抱かれている女は誤解を招きたく相手とはさらに一緒になろうとは思わないから」


「なるほどね。見事な推理力ね」


「ありがとう。湊は渡さないよ」


「なにを言っているの。それはみーくんが決める事よ。だから、みーくん」


 江口が今度は俺に視線を戻す。


「今は福永さんの事も好きで構わないわ。だけどこれだけは言っておくわ。私は……私の初恋に本気で全力で頑張るからと。だから時間が掛かっても構わない。上辺だけの私じゃなくて棘があって周りを警戒し遠ざける私でもなくて本当の私を今からは見て欲しいの。それで私に気持ちが固まったらもう一度告白して欲しいです。でももし私のこの気持ちがさらに膨れ上がって我慢できなくなったら私から告白する権利も欲しいです。どうかな……?」


 最後は恥ずかしいのか俺から手を離して、上目遣いで言う江口。

 頬が赤みを帯びて初々しくも途中から弱気になってしまった江口に俺は言う。


「わかった」


 とたった一言だけ。

 ここで余計な言葉はいらない。

 ただそう思っただけ。


 すると、今度は福永が立ち上がって言う。


「私も湊が大好き。江口さんが一度振ってくれたことで私にもようやくチャンスが来た。だからこそこのチャンスを失うわけにはいかないの」


 福永が一度大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。


「江口さんとはいいお友達になれるかもって思ったけど、それは無理みたい。私はライバルを倒してでも私の初恋の為に学校一の美少女の初恋を蹴散らす女だから!」


 宣戦布告に対して、一歩退く所が、稀にみる超好戦的な福永に俺は黙ってその場を見守る事にした。


「やれるものならやってみなさい! みーくんにとって可愛い幼馴染の初恋だろうとそれを正面から蹴散らしてでも私は私の幸せを手に入れる! 私もう後悔したくないもの!」


 対して、江口も一歩も退かない。


「だから恋愛抜きでは友達。だけど友達は友達でも強敵(ライバル)と言った所かな」


「そうね。それがいいわね。ってことで私の初めての女友達に言っておくわ。私に敗北という二文字は今までに一度もない! とね」


「そう。だったら私からも一言。私結構諦め悪いし、湊の事熟知しているから超手強いよ!」


 それから二人は「ふんっ」と言ってソッポを向いた。

 まるでラブコメの主人公みたいな気持ちになった俺はこの超嬉しいはずの状況に頭が追いついてこれず、てんやわんやしていた。

 右見て左見てとどうも格好がつかない俺の左肩にポンと手を置いた江口が言う。


「これが私の本当の気持ちよ。こんな私だけれどこれからも仲良くしてくれるかしら?」


「俺でよければ喜んでだ!」 


「そう、ありがとう」


 江口が微笑みを向けてくれる。


「ならあまりお邪魔しても迷惑だろうから私今日は帰るわね。ちゃんとお礼も出来たし、気持ちも伝えられたから満足のいく一日だったわ。なら明日また学校で会いましょう」


「ばいばいー」


「なにを言っているの? 福永さんもこのまま帰るのよ?」


「なんでよ! 私はもっと湊に甘えてから帰るから放っておいて」


「そうなの? 一応言っておくけどもう21時過ぎてるから時間には気を付けなさい。それに明日は朝から全校集会だから立って居眠りはできないわよ」


「あっ……」


「忘れていたわね」


「……うん。やっぱり今日は私も帰ろうかな」


 そう言って荷物を持つ二人を俺は玄関まで見送り二人の姿が見えなくなるまでその背中を見送った。とは言っても福永はすぐに自分の家の玄関に入っていき、江口はたまたた俺の家の前を通りかかったタクシーをすぐに拾いと一分にも満たず俺の見送りは終わってしまったわけだが。


 一人になった俺は少し肌寒い夜風を全身で浴びながら、綺麗に輝く星空と月をなんとなく見上げた。


 ――こうなった以上。


 俺は自分の気持ちと早急に決着をつけなければならない。


 そう思った瞬間だった。

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