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 とある高層ビルの一室でふたりの男が800メートル先を見つめていた。ひとりは狙撃銃ライフル照準スコープを覗き込み、もうひとりは彼の後ろに立ったままに中央公園セントラルパークの一部を切り取って眺めている。


 開け放した窓から風が強く吹き込みカーテンを激しく揺らすが、ふたりの男たちは彫刻のように微動だにしなかった。


 照準スコープの中、男の動きが止まる。息を止め引鉄トリガーを引く。銃声、すかさずボルトを動かし排莢はいきょう


HITヒット


 背後の男の低い声を聞き、膝立ちの男へ向けもう一度引鉄を引く。銃声、排莢。


HITヒットDOWNダウン


 地の底から響く低い声が部屋の中から消えるまで、ふたりは油断することなく倒れ伏した男を見ていた。照準の中の男はもう永遠に動くことはない。たった二発。たった二発の弾丸がいとも容易くひとつの命を奪い去る。照準を覗き込んでいた男はひとつ息を吐き、鮮やかな金髪をかき上げる。広い額には薄っすらと汗が滲んでいた。


 ひどく美しい男だった。自ら発光しているかと思うほどの輝かしい金髪、エメラルドグリーンの瞳に通った鼻筋、シャープな顎。ブランドスーツに包まれた細身の身体は手足が長く、小さな顔との均整が芸術品のごとき完璧さだった。


 彼の本名を知る者はこの国にはひとりしかいない。彼の裏家業を知る者たちは、その美しき容姿とスマートな仕事ぶりから彼をこう呼ぶ。英国紳士プリンス、と。


「お疲れさまでした、坊ちゃま」


 彼の後ろに立っていた大きな男が絨毯に落ちた薬きょうを太い指で器用に拾い上げる。はち切れんばかりの筋肉をどうにか執事服の内側に仕舞い込んでいる。灰色の髪を丁寧に撫でつけ、片眼鏡モノクルに白い手袋を着用した姿はまさに執事そのものだ。


「坊ちゃまはやめてくれよ、ネイサン。この国ではアルって名前で通しているんだ。そっちで呼んでくれ」

「はい、アル様」


 英国紳士プリンス・アルは狙撃銃を大きなレザーケースへと丁寧に仕舞い込む。備え付けの冷蔵庫から炭酸水を取り出し、ひと口飲むと、コートを羽織り颯爽と部屋を後にした。


 THE・ホテルニューヨーク。陳腐な名前だが数年前に建てられた高級ホテルだ。廊下には毛足の長い赤絨毯が敷かれ、靴音のすべてを吸い込んでいく。何気なく壁面に飾られた絵画も一枚数十万する名画であり、調度品のひとつひとつにまで細かく気が配られている。


 しかし、アルが気に入っているポイントはそこではない。このホテルは貝のように口が固い。なにがあろうと宿泊客の秘密プライベートを外に漏らすようなことはしない。たとえとある上院議員が娼婦を呼び乱交パーティーしても、犯罪組織ギャングスタたちが麻薬の取引に使っても、アルが中央公園セントラルパークへ向け狙撃スナイプをしても、だ。


「またのお越しをお待ちしております」


 慇懃に下げられた頭に手を挙げて答えると、アルはホテルを出る。回転扉の外へと一歩出ればそこは大都会ニューヨーク。排気ガスの臭い、視界を埋め尽くす人、耳をつんざく警察車両パトカーのサイレン。津波のように情報が五感を埋め尽くしていく。こんなとき、英国の優雅な午後を思い出し憂鬱になる。


 サングラスを取り出しかける。空を見上げた。重苦しい鉛色の空の端、雨雲の一団が顔を覗かせているのを確認し、アルは顔をしかめ、足早に雑踏の中へと紛れ込んでいく。だが、あまりにも見事な金髪と、主人の身体を覆い隠すほどの従者の巨体は、どれほど遠くへ行っても異物のように浮いていた。


「やあ、大変だったね」


 社長室に入るなり、ホワイトが白い歯を覗かせた。立派な眉がくいと上がったのは彼が愉快な気分である証拠だ。彼は人の不幸でライスを三杯食べることが出来る。金の髪から水滴を垂らすアルなど、彼からすれば極上のフィレステーキみたいに見えていることだろう。


It dosn’t matter問題ない


 雨で濡れていることなど構わずアルはソファに腰を下ろした。艶のある革張りのソファはそれなりに高価な品物と思われるが、ホワイトも気に留めていないようだ。足元に置いたレザーケースについた水滴が照明の光を反射している。


「タオルを持ってこさせよう、二枚で足りるかな」


 ホワイトがネイサンを見て言ったのは彼の身体がかなり大きいからだろう。内線に手を伸ばし秘書に言いつけると、受話器を置き指を組んでからまたにっこりと笑った。名前通りの白い歯が彼の自慢だ。アルはそれにうんざりしながらも、雇い主の手前、礼儀としてサングラスを外し懐へしまった。


 ニール・K・ホワイト。アメリカ合衆国ニューヨーク州に本社を構える清掃会社『ホワイト清掃会社』の社長。『美しい世界のために』という謳い文句を聞いたことのない人はいないだろう。


「さきほど確認したよ。いつも通り迅速な仕事ぶりには感心するよ」

「報酬はいつものように」

「まったく相変わらず冷たい態度だね、きみは。そこがまた魅力なんだが」


 アルはこの男のことが好きではなかった。典型的なアメリカ成金。圧倒的な手腕でのし上がった彼は金ですべての問題が解決できると本気で信じている。祈る神も持たぬ拝金主義者。


 だが、アルがいまこうしてアメリカで暮らすことが出来るのもまたこの男のおかげであった。祖国を追放され、ひとりアメリカへ渡ったアルを拾ったのがホワイトだ。英国でのアルの仕事ぶりを評価してのことだった。蛇の道は蛇。外道は同じ外道の話に耳聡い。


 ホワイトの秘書がタオルと共にティーカップを持ってきた。ホワイトなりのもてなしだろうが、アルはひと口飲むなりカップを置いた。薫りと甘味がやけに強く飲む気にならない。アメリカらしい香料と合成甘味料で構成された人工紅茶がアルはこの世で最も嫌いだった。


「君はどんな顔をしていても絵になるね」


 太い眉の下で目が細められる。よく日焼けした浅黒い肌に、頬の縦皺が深く刻まれる。ホワイトほどの富豪ならばアルの気に召す紅茶などいくらでも買えるのに、それでも安物の人工紅茶を出すのはアルの苦い顔を見たいがためだろう。性格の腐った男だ。


「ほら、この表紙の表情も素晴らしい」


 社長室に飾られた雑誌の中からひとつを手にとって見せる。マスカレードマスクを着用した豊かな金髪の男が狙撃銃ライフルを手に表紙を飾っているそれは一部のセレブ向けに発行されているホワイト清掃会社の特別冊子『LoSロス』だ。


「見たまえよ、マスクの奥のエメラルドグリーンの瞳。冷徹な光を帯びたこの瞳が君の魅力だよね」


 中身は清掃プランなどの載ったなんでもないものだが、その表紙にこそ意味がある。ダイナマイトでジャグリングをするアフロの黒人、狂喜の光を目に宿したボクサー、東洋の女学生の制服に身を包みナイフを持つ少女。社長室にずらり並ぶバックナンバーは飛び飛びで、その表紙モデルは人種も年齢も性別も様々だが、その顔を一様に仮面で隠している。


「よかったらまたモデルをやってくれないかい? 君が表紙を飾った月は注文が殺到したんだよ」

「断る。その一回は必要だったからやったに過ぎないからな」


 長い足を組み威圧的に睨みつけるアルに対して、ホワイトは相変わらずの笑顔を浮かべている。彼らに対して泰然としていられることがホワイトの器の大きさを実直に表している。


「絶対零度だね、君は」


 特別冊子『LoS』の表紙、そのうちマスクを被ったモデルたちはホワイト清掃会社が誇る掃除屋ころしやたちだ。つまりはこの表紙が新顔ニューカマーのカタログ代わりというわけである。アルの次号には彼の後ろに控えるネイサンが鋼のような肉体を披露している。


「仕事の話がないのなら帰らせてもらうが」

「悪かった、つい無駄話をしてしまうのは私の悪い癖だね」


 組んだ足を解き重心を前に移しかけたアルをホワイトが手で制した。冊子を机の上に放り投げて、自身の椅子に腰を下ろした。彼の大きな身体にスプリングが軋む。


「ひとつ、君にお願い事があるんだよ。私の仕事相手パートナーに少し困ったことが起きてしまってね、その解決に力を貸してほしい」

仕事相手パートナー?」

「君も聞いたことくらいはあるだろう、透明人間カメレオンについて」


 裏で仕事をするものでその名を知らぬ者はいないだろう。どんな情報も彼の目を逃れることは出来ない。誰にもなびかぬ中立を貫く、絶対的情報屋。彼の手に入らぬ情報はこの世にないと言われている。


「断る」

「残念だが英国紳士プリンスくん。向こうの指名なんだ。拒否権は君にはない」


 人差し指で机を強く叩く。ホワイトの笑顔に浮かぶ暗い色は、滅多に見せない彼の裏の顔だ。ホワイトの鋭い視線がナイフのようにアルの喉元へと突き付けられている。アルは彼からの圧力を意に介さず立ち上がると、


「了解した」


 タオルをソファに投げ捨て、ホワイトへ背を向けた。レザーケースを持ち歩き出すアルに、寡黙なネイサンが口を閉ざしたままに追従する。扉を開け去ろうとするその後ろ姿に向けて、ホワイトが声を投げかける。


「そういえば英国紳士プリンス。最近、仕事のやり方を変えたのかい?」

「何の話だ」


 足を止め、その場で振り返ったアルの顔は到底嘘をついている風には見えなかった。無論、彼も仕事人だ。やろうと思えば平気な顔で嘘をつくことも出来るだろう。だが、ホワイトはそれ以上追及することをやめた。彼には彼の流儀があり、それを簡単に曲げるとは思えないからだった。


「いや、足止めして悪かったね」というホワイトの返答を待つことなくアルは再び歩き出した。ネイサンがその太い腕には似合わぬ繊細な動きで扉を音もなく閉める。最後に隙間から見えたアルの背に、ホワイトは白い歯を見せて笑った。


「よろしく頼むよ、私の掃除屋ころしやさん」

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