第2話・飛頭蛮
人塊の事件から二日が経った、全身の筋肉痛に悩ませられながらも大学の講義に出席していた。
千尋さんに会いたかったが、口実が思い当たらず連絡を取り損ねて、仕方がないから講義を受けていると言ってもよかった。
無事に講義を終え、スーパーでスパゲティが安かったので大量に買い込み、帰り道に千尋さんのアパートの前をさしかかった。
ちらりとアパートを見るなり千尋さんと目が合った。
俺の顔を見るなり怒りの表情になり。
「おい、ちょっと来い」
と言い窓を閉めた、ウキウキしながら部屋に上がると、座れと言われたので、ちゃぶ台に対面して座った。
「お前私を避けてるだろ? 怖い思いをさせたから嫌っているのか?」
「いえ、好きですけど」
と言うと、赤くなりうつむいた。
「じゃあなんで今日私からの連絡を無視したんだ? LINEも電話も出ないし、嫌われたのかと思った」
俺はバッグからスマホを取り出した。見るとLINEが五件電話が二回入っていた。
「すみません、講義を受けてたのでマナーモードにしてました」
「そうだったのか」
「俺も会いたかったんですけど、口実が見つからなくて」
「助手なんだから口実とかいらないだろ」
「それもそうですね、お詫びにハグでもしましょうか?」
俺は千尋さんの方へ寄って行った。
「ハッ、ハグってギュッと抱きしめるあのハグか? それはまだ早いというかなんと言うかカップルみたいじゃないか、私達は付き合ってないんだぞ」
言い終える前に千尋さんを抱きしめた。暫くの沈黙の後千尋さんは泣いていた、離れようとしたらか細い声で言う。
「私の顔を見るなよ」
「わかりました」
と言って離れた千尋さんはくるりと背を向けティッシュで顔をゴシゴシ拭くとこちらに向き直った、目が赤い。
「お前は誰にでもこんな事をするのか?」
「しませんよ、千尋さんだからしたんです」
「ちょっと話があるが心の準備が出来るまで待ってくれ」
千尋さんは少なからず俺に好意を持ってくれている、そう確信した。
「いいですよ」
「その前に一つ問題を片付けなければいけない、お前ろくろ首を知っているか?」
「有名な話しですから知ってますよ」
「じゃあ、それによく似た首のないろくろ首は知ってるか?」
「幽霊と言うより妖怪ですね、昔中国からやってきた飛頭蛮の事じゃないですか?」
千尋さんは目を丸くして驚いている。
「驚いた、よく知ってるな。じゃあ対処方も知っているのか?」
「知ってます、本人は死んでしまう悲しい方法ですが、首が離れたら本体に首がくっつかないように油を塗ったりタオルを巻いたりして朝を待ちます、朝になって帰って来た首がくっつかないと日光を浴びて消滅します、残された体の方も死んでしまいます」
「私より詳しいじゃないか、私は中国の霊といえばキョンシーしかわからないぞ、丸一日かけて情報を集めたが無駄足だったみたいだな」
「漫画などに出てきますからね、ちなみに飛頭蛮は漫画などでは人を襲いますが、実際は街灯に集まってくる蛾やその他の虫を食べるだけだけで害はありません、せいぜい見かけた人が驚くくらいです、で今回は飛頭蛮の退治ですか?」
「ああ、元々は寺に依頼された事件だが、日本の仏教の念仏も御札も効果がないからと、私に回って来たんだ」
「起きてる時は本人に自覚はない、そんな無害な妖怪を殺してもいいんですか」
「家族も警察も手がつけられず、周りの住民からも恐れられてて退治出来るのなら死んでも構わないという事で話はまとまってる」
「警察も?」
「ああ、科学で証明出来ないものはノータッチらしい、早速今夜取り掛かろう。ところで今日はこの前よりレジ袋が大きいが何を買い込んだんだ」
「スパゲティですよ、安売りしてたので」
「私も食べていいか」
「いいですよ、作ってもらえます? ちなみに俺は二人前茹でてください」
「細いのによく食うな、わかった」
話してる間に外は鮮やかな夕日が広がっている。
食事をしながら話しをする。今夜の打ち合わせだ、ふと思った事を聞いてみる。
「千尋さんはなんでわざわざこんないわく付き物件に住んでるんですか?」
「幽霊が出るし家賃が安いから」
「まだ会うのは三回目ですが、見てる限りそんなに貧乏には思えませんが」
「ああ、別に金がないわけじゃない」
「幽霊に拘るんですね」
「今までずっとそうしてきたと言っただろ」
「わかりました、しかしこのアパートは取り壊し予定があると聞きましたが」
「知っている、そうなったら別のいわく付き物件を探す」
「いっその事一緒に住みませんか?」
「なっ、なんだいきなり、同棲みたいじゃないか」
「ルームシェアですよ、その方が助手として動きやすいですしね」
「一応考えておく、別にお前と一緒に暮らしたいわけじゃないからな、勘違いするなよ」
まるでツンデレのような言い方だ。
「わかりました」
「実はもう大家から退去依頼が来てる」
と言って封筒を手渡された、中身を読んでみる。
「今年中が期限じゃないですか、俺の知る限りこのあたりに別のいわく付き物件はないですよ」
「だから困っている」
「さっきのルームシェアの話、考えておいてください。からかってるわけじゃないんで」
「わかったよ、今日はこの話は止めよう、そろそろ飛頭蛮退治に出掛けるぞ」
「待って下さい、用意は?」
「さっき準備してある、少し遠いが自転車で行くぞ」
急いで後を追う、玄関を出て自転車に跨がり千尋さんの隣を走る。平地なので足の筋肉痛にはさほど響かない。
二十分程走り足が痛み始めた頃。
「このあたりの筈だ」
と言って自転車を止め、千尋さんはキョロキョロしている。
「この家だ」
表札に『田中』と出ている、二十二時になろうとしている。
千尋さんがチャイムを押す、くたびれた表情の女の人が出てきた、五十歳手前といった感じだろうか?
「どちら様でしょうか?」
「神野です」
「ああ、こんなに若い方でしたか、どうぞお入り下さい」
居間に通された、旦那さんと女子高生らしき娘もいる。みんな疲れ切った表情だ。
出されたお茶を飲みながら千尋さんが切り出す。
「今夜で一連の怪現象を止めてみせます」
「こんな若い人二人で大丈夫かね?」
旦那さんがいぶかしげに聞いてくる。
「大丈夫です」
「お坊さん二人神主さん一人、更に警察までもがお手上げだったんだ、失礼だがこんな若い人に何かが出来るとは思ってない、君達は霊能力者かね?」
「霊能力者とは少し違いますが、霊を見たり触ったり、因果関係を断ち切って鎮める事はできます」
「まあ、期待はあまりしてないが任せるよ」
「首を見せてもらってもいいですか?」
「好きにしてくれ」
千尋さんと二人で首を見てみる、普通の首だ。これといって異常はない。
「正直私は誰かの見間違いだと今でも思っている、私に似た首の霊が出るんだとね」
千尋さんが俺に向かって話す。
「説明して差し上げろ」
俺は千尋さんに夕方言った事を旦那さんに説明した。
「そうか、もし私がその飛頭蛮なら退治してくれ、会社も辞めて退職金もあるし、貯金もある生命保険にも入っている、残された家族が金に困る事はないだろう。最後になるかもしれないから、好きな酒でも飲んでおこう」
奥さんが運んできたウイスキーを飲み始めた、酒に弱いのかすぐに酔ってきているのがわかる。酒が特別好きと言うのではなく怖いのだろう。
「眠くなってきた、後は頼むよ。それと最後に質問なんだが退治される私には痛みがあるのかね?」
千尋さんが俺を見てくるので俺が答える。
「痛みはないと思います、眠っている間の事なので」
「安心した」
と言い寝室に入って行った。
「奥さんとお嬢さんに質問です、お二人は首が飛んでいるのを見た事がありますか?」
千尋さんの質問に二人が頷く。
「では、首のない旦那さんの体を見た事もありますね」
また黙って頷く。
千尋さんが立ち上がったのを手を引いて座らせる。
「まだです」
暫くすると旦那さんの軽いいびきが聞こえだした。
「もうすぐです」
いびきが止まった。
「行きましょう」
千尋さんと寝室に入る、旦那さんが血走った目を見開いてギョロギョロしている。耳が大きく翼のようになり、首が中に浮いた。
暫く部屋の中を飛び回りドアの方へ向かってくる。見守っているとドアを開けず通り抜けて行った。
「きゃっ」
と悲鳴が聞こえる、千尋さんがドアを開け追いかけていく、俺も追いかけた。首は玄関も素通りし外に消える、急いで靴を履き追いかける。
近くの街灯の側を飛び回り光に集まって来た虫を食べ始めた。
「おい」
千尋さんが呼びかける、一瞬こちらを向いたがすぐに目を逸らし飛び回る。
「理性も知性もないみたいですね」
「ああ、あるのは食欲のみって感じだな」
暫く眺めると、首がこっちへ飛んできた。俺は手で払った。千尋さんの方へ行った、千尋さんは首の髪を掴んでひっくり返し首の断面を確認し離した。
首はまた街灯の方へ飛んでいく。
大体の霊能力がわかった、かなり強い。いざとなれば俺が助けよう。
「驚きました、まさか取り押さえるなんて」
「私は昔からこうだ、実体のないものに触れられる」
「そうですか、そろそろ行きましょうか」
と声を掛ける。
「わかった」
二人で田中邸に入る、奥さんと娘さんは居間で待機している。
俺と千尋さんは寝室に入り、首のない体を観察する。
「さっきと同じだ、首の断面切れただけだと思ったのに、皮膚で覆われてるじゃないか」
「ですね、不思議な光景です」
千尋さんはリュックからサラダ油を取り出し首にかけている、続けてニット帽を取り出し首に被せる。
「これでいいか?」
「大丈夫でしょう、これからどうします? 明け方まで時間がありますが」
「一時間ずつ交互に寝て見張ろう、私から寝る一時間で起こしてくれ」
寝室の壁を背に並んで座り、千尋さんが寝る準備をしている。
「あっ、あの……、肩に寄りかかってもいいか」
「どうぞ」
千尋さんの頭が俺の肩に乗ってくる、シャンプーのいい香りがした。
「優斗の匂いがする」
完全に女の子に戻った口調だった。
「臭いですか?」
「ううん、優しい香り」
「初めて名前で呼んでくれましたね」
「嫌?」
「嬉しいです」
数分で寝息が聞こえてきた。見知らぬ他人の家で過ごす夜はキツい、一時間を知らせるスマホのバイブにそれを実感した。
優しく髪を撫でて千尋さんを起こす。
「あー、少し寝たら疲れが飛んだ、変わった事は?」
「ないです、知らない人の家での一時間は苦痛だって事がわかったのが収穫です」
「ふーん、今度は優斗が寝る番だよ」
「俺にも肩を貸して下さい」
「いいわよ」
「じゃあおやすみなさい、精神的にも疲れがピークです」
「おやすみ優斗」
聞き終えると同時に落ちた。
一時間経ったのか起こされた。大きく伸びをし強張った体をほぐす。
「どうです? 孤独の一時間は?」
「優斗が隣にいるから平気だった」
「光栄です、仮眠のおかげで体が軽いや。さあ交代です」
「私はもう眠くないわ、優斗もう一時間寝てもいいわよ」
「俺も眠くないです、日の出までもう少しです起きておきましょうか?」
「そうね」
千尋さんがもたれかかってくる、俺も千尋さんの頭に寄り添う。
朝までとりとめのない話をした、ほとんど俺が話していた。
突如居間から悲鳴が聞こえた。
「飛頭蛮が帰ってきたみたいですね」
「ああ、来るぞ」
首がドアをすり抜け入ってくる、体にくっつこうとしているがニット帽がそれを遮る。俺たちはそれを眺めていた。
やがて首はニット帽に噛みつき脱がそうとしている、そこであることに気付いた。
「この部屋には日光が差し込みません、ここは西窓です」
「気付かなかった」
飛頭蛮はニット帽を破り捨てたが油で滑ってなかなかくっつかない。千尋さんは飛頭蛮に近づき髪を鷲掴みした。
そのまま寝室から出る、俺も後を追う。居間にいた奥さんと娘さんが交互に叫ぶ。
「あなた」
「パパ」
千尋さんが話す。
「これで終わりです」
そう言うと居間のカーテンを開けた。朝日が差し込む。首を朝日にかざす。
飛頭蛮は苦悶の表情を浮かべると、シューと蒸発するように消えていった。
「これで依頼完了です」
残された奥さんと娘さんは涙を流してはいるが安堵の表情を浮かべている。
「お坊さんや神主さんまでもが捕らえる事の出来なかった頭をあなたは触れたんですね」
「ええ、昨夜も言いましたが触れる事の出来ない霊も私は触れます。首から下の体は残ってますが、奥さんにおまかせします、もう心臓も止まっているでしょう」
「わかりました、ありがとうございます」
「では、私達はこれで失礼します」
玄関に向かうと奥さんが追いかけてきた。
「これ少ないですけど謝礼です」
「私達はお金のためにこういう事をしてるのではないので」
「しかしそれではこちらの気が済みません」
千尋さん少し悩んだが。
「わかりました、それではいただきます」
と茶封筒を受け取った。
「警察にだけは私達の事は話さないでいただけますか?」
警察に知れると後々厄介だ。
「はい、わかりました」
「では、失礼します」
と言って玄関を出て、自転車に跨がり帰路についた。
千尋さんの家に上がりこむ。
「お腹が空いた、またスパゲティでも食べよう、優斗のパスタ使ってもいいか?」
「どうぞ」
「優斗は二人前だったな」
「お願いします」
食事を終えると俺は畳に横になった、疲労が溜まっている、そのまま眠りについた。
目が覚めた、布団がかけられていた。起きようとしたが横に千尋さんがくっつくように寝ている、寝顔を観察するやはり整った顔で綺麗系とかわいい系の両方を持ち合わせている、普段の男勝りな点を除けばかなりモテるだろう。
少し身じろぎしたら千尋さんも目を覚ました、目が合うと千尋さんが顔を真赤にして目を逸らす。
「おはよう、俺何時間くらい寝てました?」
声をかける。
「おっ、おはよう。多分六時間くらい」
と言って体を離す。
俺は上体を起こし体を動かす、畳の上で寝てたから体が痛い。千尋さんは起き上がり伸びをしている。
俺も伸びをする、体の骨がなる。
「謝礼の茶封筒いくら入ってました?」
千尋さんが思い出したようにリュックから茶封筒を取り出し中身を出す、万札が結構入っているようだ。
「半分ずつ貰っておこう」
と半分手渡された。
「俺はもっと少なくていいですよ、何もしてないですし」
「今回は優斗の知識が役立った、でなければ解決出来なかったかもしれないから」
「わかりました、金欠学生にはありがたいです、いただきます」
と言って貰っておいた。
「ところで昨夜の心の準備はできました?」
「ある程度は……」
「じゃあ聞きましょう」
千尋さんはポツリポツリと話しだした。俺は黙って聞いた。
母親が幼い頃に死んだこと、それを期に父親がおかしくなって仕事も辞め酒に溺れ、性的虐待を受けかけた事。それで男性不信になった事。父親が自殺した事、母方の祖父母のところに引き取られ育った事。幸い祖父母が金持ちで大学まで進学させてもらった事。
ここまで一気に喋り一旦お茶を飲み話を中断した。
「辛かったですね、でも男性不信なのに俺は大丈夫なんですか?」
「それが私にもわからないが、優斗は不思議と大丈夫なんだ。初めて会った時から自然と打ち解けられたし、一緒にいるとドキドキするし一人になると胸が苦しい時がある。私は今まで恋と言う物をしたことがない、だからこれが恋心なのかどうかわからないんだ」
また一気に話しお茶を飲んでからうつむいている。
「それは俺に恋心を持ってるって事ですよ、恋煩いですね」
「そうなのか、どうすればいい?」
「千尋さんはどうしたいんですか?」
「一緒にいたいという気持ちが大きい、抱きしめられた時に思った」
「俺は初めて会った時に千尋さんに一目惚れしました、俺は千尋さんが好きです。まだ出会いから日は浅いですけど試しに付き合ってみます? もちろん男性不信だから千尋さんが嫌がる事はしません」
「優斗は私の事が好きなのか。そう言われると温かい気持ちになるし嬉しい、試しに交際してくれるか?」
「じゃあ今日から俺たちは恋人同士です」
「ありがとう、でも嫌われるのが怖い」
「大丈夫ですよ、嫌ったりしません。だからルームシェアしようと提案したんです」
「わかった、これからよろしく頼む」
「じゃあ今度一緒に不動産屋に初デートとして物件を見に行きましょう」
「うん」
俺は千尋さんを抱きしめた、千尋さんも腕を回してくる。
離れた後、いろいろ話してるうちに夕方になった。
千尋さんが手料理を作ってくれて一緒に食べ、冷蔵庫に入っていたチューハイを飲み夜が更けていった。
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