第35話 エピローグ①

 ふと、誰かが俺を呼ぶ声がした。

 心地よい二つの感覚が俺を包んでいる。

 一つは、体内の中から毒気が抜けるような感覚だ。魔王軍時代に、何度も何度も感じたことのある。当時は、治った途端に再び任務で突撃命令をかけられていたのが懐かしい。一時期、ノイローゼになるほどに回復されるのが嫌だったな。治れば、もう一度戦場に戻されるからって。だが、その分治癒は一級品だった。これは多分、治癒吸血姫の異名を取るキャロルが治癒をしてくれているのだろうと、そう判断できた。


 もう一つは、身体の外から、包み込んでくれるような感覚だ。温かくて、それでいて安心して、身を委ねられる。勇者パーティーに参加してから、どれだけこの温かい回復術に助けられたことだろうか。


 まるで夢のようだ。

 決して交わることのない魔王軍と、勇者軍の治癒を両方味わえるなんて、なかなかどうして贅沢な時間ではないか。


 そんなことを思いながら、俺は再び異常な眠気に意識を吸い取られていった――。


○○○


「だーかーらー! 私は、エリクちゃんの同僚で! 治癒吸血姫ってちゃんと歴とした異名を取るくらいには治癒能力に長けてるの!」


「そう言って治療してたけどお前、エリク全然目ぇ覚まさないじゃねーか! 魔王軍から抜け出してきたエリクを殺しにでも来たのか!? あぁ!?」


「そんなわけないじゃない! バカなの!? さっきから何回も同じ事言ってるじゃないこの脳筋エルフ!」


「誰が脳筋だコラァァァッ!! エリクがこのまま起きなかったらただじゃ帰さねーからな!?」


「そういう所が脳筋エルフだって言ってるのよ!」


「ルイス。落ち着いて。落ち着いてください。どうどう」


「キャロルさんを信じましょう! ルイスさん!」


 ……なんだかとてつもなく外が騒がしい。

 身体が嘘のように軽く感じた。


「…………ハフッ、ハフッ」


 目を開けた瞬間に、目の前には巨大な黒い犬の顔があった。


「…………」


「…………ハフッ、ハフッ」


 やだ、目があった。

 生暖かい息が俺の頬をなぞる。

 ついで、俺の頬に別のあたまがのっそりと近付いてきて、くんくんと嗅いでは舐め、嗅いでは舐めを繰り返している。


「ァオォォォォンッ!! バフッ! ァオォォンッ!!」


「なぁぁぁぁぁ!!??」


 それは、ケルベロスのケルちゃんとベロちゃんだった!

 二頭は俺の足下から颯爽と飛び降りて、部屋の外へ全速力で駆け出していく!


「エリクちゃん、起きたのね!?」

「エリクぅぅぅぅぅ!! どっか身体悪いところねーだろーな!?」

「エリクさんも、何とか無事だったようですね……」

「エリグざぁぁん!! 良かった、良かったでずぅぅぅぅ!!」


「ちょっと待って俺の方がキャパオーバーぐふぉぉっ!?」


 どこかしらのベッドに寝かされている俺の元にダイブしてくるのはナーシャだった。

 キャロルと、ルイスがなぜかぎゃーぎゃーと口喧嘩している。

 それを抑えようと、シュゼットは必死なようだった。

 ナーシャは目尻にたっぷりと涙を溜めて俺に抱きついてきていた!


 何が何やら分からないままに状況が進んでいくなかで、「あのねぇ」と唐突に聞き覚えのある声が横から聞こえてくる。


「一応ぼくも病人だからね? そっちのが起きたんだったら少しは静かにしてもらえないかな! 魔力の毒気が抜けて無くて、どちらかというとぼくの方が重傷だよ!?」


 キレ気味な様子で寝たままこちらに、不機嫌そうな表情を向けるそいつは――ガルマ・ディオール。

 クシオール国の勇者は、包帯で身体をぐるぐる巻きにされて眉間に皺を寄せていた。


「……一応魔王軍仕えの私が勇者のあなたを治療してあげたんだからもう少し殊勝な態度取れないの?」

「まったくだ。勇者の威厳も何もあったもんじゃねーな」

「勇者様もああ言ってることですし、ここは立ち去りますかね」

「お二人とも! こんな所で喧嘩しちゃ、めっ! ですからね!」


「あれ、ぼくって勇者だよね? なんでこんな扱い受けなきゃ行けないの……?」


 四人+ケルちゃんベロちゃんが、ガルマを心配する素振りもなく外に出て行き、扉ががちゃりと閉まると同時に、奴は小さく息を吐いた。

 お互い、木で作られた質素な天井を見ながらただ時間が過ぎていく。


「結果論ではあるけど――」


 そんな静寂を打ち破ったのは、ガルマだった。


「ドルゴ村を主戦場にして暴れ回ろうとしたぼくが、ドルゴ村で匿われ、治療を受けているって言うのは何とも皮肉なことだよ」


 寝返りを打って、俺に背を向けるガルマ。

 そうか、ここはドルゴ村だったのか……。


「なかなか目の覚めないぼくたちを三日三晩、村人たちが交代でつきっきり、面倒を見てくれていた。ここを壊してでも魔王軍を蹴散らしたいと思っていたのにね。おかしな話だ」


「いい人達ばっかだろ、ここは」


「魔族がそんなことを言うなんてね」


「魔族だろうがヒトだろうが、いい人はいい人なんだよ。いつもこっちにちょっかいばっかり出してくる勇者軍の中に、素晴らしい奴等がいるみたいに、な」


「そうかい……。じゃあ、君は魔王軍の中の素晴らしい奴・・・・・・ってのなんだろうね」


 お互い、傷だらけの身体を笑い合いながら、他愛のない話を続けた。

 ガルマが勇者になった理由や、上からの圧力で戦いをしている内に畏怖されるからと、止められなくなったこと。勇者軍の疲弊度合いから、早急にこちらを討ち滅ぼしたかったこと。

 そして俺も話した。魔王軍で、勇者軍を迎え撃ち続けていたこと。勤続100日を迎えて心をぶっ壊して、逃げてきたこと。


「いやー、お互い、上からの命令に逆らえないってのは辛いね。勇者と言っても、国の上層部からの圧力や、下の冒険者達からの尊敬という名のプレッシャーに耐えなきゃいけないんだから」


「……まさか、勇者が中間管理職だったとはなぁ……」


 分かったことが、一つだけある。

 1000年続いた戦争も、民を束ねるカリスマ性も関係ない。


 勇者軍も、魔王軍もどうやら、負けず劣らずなかなかのブラック企業だったらしい――。

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