僕と金魚




 『デメ子』


 散々悩んだ結果、僕は金魚にデメ子という名前を付けた。この子は別に出目金じゃないしむしろ目は小さい方なんだけど、隣で金魚すくいをしていた女の子がデメキンが欲しいデメキンが欲しいと騒いでいたのがやけに印象的だったので、気付いたらその名を口にしていたのだ。金魚自身も気に入っているようで、名前を呼ぶたび嬉しそうに近寄ってくる。


 僕はあの日からずっとデメ子の世話をし、「金魚飼育日誌」というものをつけるほど可愛がっていた。飼育日誌にはデメ子の写真とその日の様子、エサやりや水槽掃除の様子などを書いている。夏休みの宿題も兼ねているので一石二鳥だ。


 それにしても、デメ子はこの狭い水槽で満足してくれているのだろうか。うちの前は長方形のタライだったし、もっと広い場所でもっと自由に泳がせてあげたいな。デメ子はもっと世界が広いことを知るべきだ。


 そう思った僕は風呂の浴槽にカルキを抜いた水を溜め、そこにデメ子を放った。デメ子は気持ち良さそうに浴槽を泳ぎ回っている。僕はその姿を見て満足気に微笑むと、へりに肘を置いて観察を続けた。しかし、仕事から帰って来た母さんに見つかって大目玉をくらった。


 母さんのヒステリックな説教をBGMに、浴槽をしっかりと掃除する。叩かれた頬が熱を持ってじんじんと痛い。……母さんはいつもこうだ。怒るとすぐに手が出る。女手一つで育ててるんだからそれなりに苦労してるんだろうけど、そのストレスを全て僕にぶつけてくるのは困りものだ。いっその事どこかの施設に預けてくれればいいのに、体裁を気にしてるのかそれもしない。あーあ。普段は怒らせないように気を付けてるのに、今日は失敗したなぁ。


 リビングの方で食器の割れる音を聞きながら、僕は自分の部屋に戻る。デメ子はそんな僕を水槽の中から申し訳なさそうな目で見ていたので、心配ないよと笑ってみせた。君が楽しそうだったから良いんだ。うん。





 金魚に名前をつけてはいけない、と知ったのは、たまたま見ていたテレビ番組でだった。なんでも、名前をつけて可愛がっていると金魚が死んだとき道連れにされるらしい。名前には力が宿るから。大事にされていた金魚ほど寂しいという気持ちが大きく、道連れを呼んでしまうのだろう。


 それを聞いても、僕は特になんとも思わなかった。すでに金魚に名前を付けていたし、今さら変える気もない。道連れ? 迎えに来るなら来ればいい。僕は喜んでついて行くから。


「デメ子」


 デメ子は今の話を聞いていたのか、不安そうに口をパクパクさせる。


「大丈夫だよデメ子。君が一人になりたくないなら迷わず僕を呼べばいい。僕はいつだって君の味方だよ」


 僕はガラスの水槽をちょんちょん、と叩く。デメ子はやっぱり何か言いたそうにパクパクと口を動かしていた。

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