金魚すくい

百川 凛

僕と金魚



 ぱしゃり。



 小さな水しぶきが上がる。夏祭りの出店の、真っ赤な金魚が跳ねた音だった。


 今にも踊りだしたくなるような祭り囃子とたくさんの人が行き交うガヤガヤとしたこの空間で、不思議と耳に入ってきたその音。


 僕は誘われるように屋台に近付いて行った。


 青地の布に赤い字で「金魚すくい」と書かれた、どこにでもありそうな屋台。


 法被はっぴを着た怖そうなおじさんの足元には、長方形のタライの中で所狭しと泳いでいる鮮やかな赤色をした大量の金魚。着物の帯を思わせる尾鰭おひれをひらひらと靡かせているその姿は数匹ぐらいならキレイだと思うのかもしれない。けど、こんなに大量にいるとちょっと気持ち悪いっていうか、若干の恐怖を感じる。


 僕は水面をじっと見つめた。こんな所に閉じ込められている金魚たちは、このまま誰にもすくわれなかったら一体どこに行くのだろうか。自由になりたいと、もっと広い場所で泳ぎたいなんて夢を持ったりしないのだろうか。小学生らしからぬ、いや、小学生だからこそ思うような事を考えていると、店のおじさんに声を掛けられた。


「そこの少年、やってくかい?」

「え?」

「大丈夫! すくえなかったらサービスしてやっからさ! ほら!」


 さすが商売上手と言うべきか、有無を言わせず赤い色のポイとプラスチック製のおわんを手渡される。僕は三百円を支払ってそれを受け取った。


 先にやっていた隣の女の子は金魚をすくえなかったらしく、半ベソをかきながら破れたポイとにらめっこしていた。この店は気前がいいのか、取れなくてもおじさんがタライの中から一匹すくって渡してくれるらしい。半ベソだった女の子はそれが分かった途端、図々しくも「デメキンがいい! デメキン! デメキン!」と大騒ぎだ。苦笑いのおじさんは赤いデメキンを透明なビニール袋に入れて女の子に渡す。どうやら、サービスしてくれるという話は本当らしい。こんなお人好しで儲けが出るのだろうかなんて、やっぱり小学生らしからぬ事を考えながら静かにしゃがむと、僕は長方形のタライの中を覗き込んだ。


 元気に泳ぎまわる子、端っこでじっとしている子、群れでスイスイと泳いでいる子、水泳選手のように素早く泳ぐ子。うーん、どれを狙えばいいのか。取りやすそうな子を狙っても、正直金魚なんて上手くすくえた試しがない。


 右手に持った赤いポイをぎゅっと握る。この屋台のポイは、薄い紙が貼ってある虫メガネみたいな形をした一般的なポイだった。たまにモナカの皮を洗濯バサミではさんだ残念なポイがあるけれど、僕はあれが嫌いだ。だって、薄い紙で出来たやつより破けやすいんだもん。一回水に浸けたらすぐふやけて、とてもじゃないけど金魚なんてすくえる状態じゃなくなる。最悪、洗濯バサミに数センチの皮を残してぼとりと落ちてしまうのだから。僕はモナカのポイを使っている屋台はぼったくりに違いないと思っているので、興味があっても近付かないようにしている。



 ぱしゃり。



 水しぶきが上がる。パッと水面を見ると一匹の金魚と目が合った。こんなに大量にいる中で何をバカなと思うかもしれないけど、黒い瞳と本当に目が合ったのだ。


 金魚は何かを訴えるようにパクパクと口を動かし、小さな目でじっと僕を見つめている。



 ……この子をすくおう。



 僕は何故かそう思った。きっと、最初に飛び跳ねた金魚もこいつだったのだろうと感じた。


 ポイを水に近付ける。危険を察知したのか、金魚たちは逃げるように泳ぎ出すが、その一匹だけはまるで待っているかのように動かない。


 僕は金魚すくいが得意じゃない。今まで一度だって自分の力ですくったことなどないのだ。


 それなのに。


 まるで引き寄せられるように、真っ赤な金魚が薄い紙の上にするりと乗る。そのままおわんの中に飛び込むようにぽちゃりと入って行った。持っていたポイはあっという間に破けてしまった。


「おっ! なかなかうまいじゃねーか!」


 何が起こったのかよくわからないまま、おじさんから金魚が入ったビニール袋を渡された。僕は祭りの喧騒の中を、透明なビニール袋を見ながら歩いて行く。


 僕が初めてすくった金魚。


 真っ赤な体に少し長めの尾をひらひらと靡かせ、小さな黒い目で僕を見ている。正面から目が合うと、口をパクパクさせて僕をじっと見続ける。……かわいい。


 確か昔使ってた水槽があったはずだ。帰ったら探してみよう。あとはカルキ抜きとエサを準備して……そうだ。どうせ飼うなら名前を付けなくちゃ。う〜ん、何がいいだろう。家に帰る間、僕はずっとわくわくしていた。

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