第51話 センパイに記憶がなかった理由(わけ)

 まもなく最終下校時刻となり、私たちは面談室を後にした。

 ほんとうは柳先生の元をたずねたかったけれど、もう帰らなくちゃいけない。


 私は正門で瞳子ちゃんと別れ、吉乃ちゃんと並んで下校の道を歩く。

 私はしばらく無言だった。

 若杉先生が語ってくれた真実があまりに重たくて、いつまで経ってもうまく消化できずにいる。


 けれども、一つだけ、私のなかで確実になったことがある。

 稲荷神社、神かくし……もうまちがいない。

 美幽センパイだって、以前私に言っていたじゃないか。

 稲荷神社が不思議となつかしさを感じる場所だって。


「吉乃ちゃん、稲荷神社に行ってみよう! そこに美幽センパイがいるかもしれない!」


 私ははやる気持ちを抑えきれず、ついに走り出した。


 まもなく、肩で息をしながら稲荷神社へとやって来た。

 まるで異世界への入り口のように開いている赤い鳥居をくぐり、人気のない参道を足早に進んでいく。


「美幽センパイ、いらっしゃいますかー! いらしたら返事をしてくださーい!」


 夕日が傾き、暗闇が差し迫りつつある稲荷神社の境内で、私は美幽センパイに大声で呼びかけた。

 しかし、いつまで待っても声は返ってこない。

 もしかして、ここじゃないの?


 赤黒い夕暮れ色を映した吉乃ちゃんの横顔に、私はたずねた。


「ねえ、吉乃ちゃん。吉乃ちゃんが仕えている神様って、いい神様?」

「はて、どういう意味でしょう?」

「だって、この世界から美幽センパイをかくしたの、吉乃ちゃんが仕えている神様なんでしょう?」


 私は吉乃ちゃんの両肩を強くつかみ、迫った。


「吉乃ちゃん、ほんとうは美幽センパイの居場所を知っているんじゃないの? 知っているなら私に教えて! 美幽センパイは今どこにいるの?」


 私は確信していた。

 十年前、吉岡美優をこの世界からかくしたのは稲荷神社の神様だ。

 だとすれば、その使いの子狐である吉乃ちゃんだって、なにか事情を知っているはずだ。


「吉乃ちゃんが教室で私たちをずっと観察していたのも、きっと神かくしと関係があるんでしょう?」


 神様はこの世界から美幽センパイをかくしたはずだった。

 それなのに、私は美幽センパイを見つけ出してしまった。

 もしかしたら、私がしたことは世界の禁忌きんきを破るような、神様の意に反する行為だったのかもしれない。


 だから、吉乃ちゃんは美幽センパイを注意深く見守り続けた。

 いや、美幽センパイだけじゃない。

 きっと私のことも観察し続けていたんだ。


 私は切なげに瞳をうるませ、吉乃ちゃんにたずねた。


「私……吉乃ちゃんと友だちになれて、すごく嬉しかった。打算のない、純粋な友情が築けていると思っていた。……でも、吉乃ちゃんにとってはちがうの? あくまで私を見張るために、友だちのふりを演じていたの?」


 私の目からとめどなく涙があふれ、止まらなくなってしまう。

 もし私の言った通りなのだとしたら、そんなの、悲しすぎるよ。

 吉乃ちゃんは感情の起伏にとぼしいすました顔で、ただじっと私を見つめている。


「……もう、訳が分からないよ」


 私はようやく美幽センパイの過去を知ることができた。

 それでもまだ、分からないことが多すぎる。


 なぜ美幽センパイが神かくしに遭わなくちゃいけなかったのか?

 美幽センパイの過去と私がどうつながっていくのか?

 どうして美幽センパイはずっと私を見守り続けていたのか?


 私は涙ながらに訴えた。


「お願い、吉乃ちゃん。知っていることをぜんぶ私に話して! 美幽センパイの居場所を知っているなら、私に教えて!」


 すると、冷えびえとする神社の境内に白いもやが立ちこめはじめた。

 そのなかで、吉乃ちゃんが徐々に本来の姿を取り戻していく。

 やがてもやが晴れると、巫女装束に袖を通し、白い狐の耳と大きな尻尾を生やした吉乃ちゃんが姿を現した。


 吉乃ちゃんの澄みわたった声が耳に届く。


「旭さん。それを知ってどうするのです?」

「決まってるよ、美幽センパイを救いたい」

「旭さんに受け止めきれるのですか? 美幽さんの深い悲しみが」

「えっ?」


 吉乃ちゃんは、試すような涼やかな目でまっすぐ私を見すえていた。


「人間は『神かくし』だと言いますが、ほんとうは少しちがいます」

「どういうこと?」

「この世界から消えてしまいたいと望んだのは彼女自身だということです。神様はそんな彼女の願いに応えただけ」

「うそ……」

「うそではありません」


 吉乃ちゃんは抑揚のない調子で話を続ける。


「旭さんは、なぜ美幽さんが記憶を失っていたのだと思いますか?」

「なぜって……そんなの、分からないよ」


 やっぱり、美幽センパイが記憶を失っていたのには、なにか深い理由があるの?

 とまどう私に、吉乃ちゃんは静かに告げた。


「なぜなら、美幽さんにとって過去が消し去りたいほど辛いものだったからです。だから神様は慈悲をほどこし、美幽さんの記憶を消した」

「そんな!」


 いったいどれほどの辛い記憶が美幽センパイにあったというの?

 私にいつも優しい笑顔を見せてくれた美幽センパイ。

 その笑顔がひび割れていくような錯覚に襲われ、私は胸がえぐられるような痛みをおぼえた。


「それなのに、美幽さんは自ら過去の記憶を掘り起こしてしまった。そして、旭さんまで」


 吉乃ちゃんは残念そうに首を横にふる。


「なぜそうまでして知ろうとするのです? 思い出したくもない過去なんて、知らないほうが幸せでしょうに」


 私は苦しい胸に手を当て、迷いながら、吉乃ちゃんの問いに精いっぱい答えた。


「……たしかに、知らないほうが幸せなことだってたくさんあるかもしれない。でも、過去はなかったことにはできないから。だって、過去の上に今があるんだもん」



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