第50話 センパイがいた教室

 面談室に入るのは初めてだった。

 悪いことをしたわけじゃないのに、空気が重くてつい緊張してしまう。

 私は吉乃ちゃんと瞳子ちゃんに挟まれ、こわごわと椅子に腰を下ろす。


 私の正面のテーブルには若杉先生が座っていた。

 若杉先生の表情は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。


「なぜ、あなたたちは吉岡美優について調べているの? 誰かから、なにかを聞いたの?」

「いえ、なにも。ただ、美幽センパイが今も過去に苦しんでいるのなら、救ってあげたくて」


 夕暮れ時の稲荷神社で目にしてしまった美幽センパイの泣き顔が頭から離れない。

 今もどこかで一人泣いているかもしれない。そう思うと、胸が張り裂けそうなほど辛くなる。


「もしかして、彼女とどこかで会ったのですか?」

「いえ」


 まさか幽霊になって私の前に現れましたなんて、口が裂けても言えない。

 私が黙っていると、若杉先生は一度深く息を吐き、それから古い物語をひも解くようにゆっくりと語りはじめた。


「十年前に受け持ったクラスは、成績がとても優秀で、褒めるところが多かった。……でも、生徒を成績だけで判断してはダメね。表面的には利口に見えても、心はそう簡単には大人になりきれない。私はその点を見落としていた。私が気づかない水面下で、いつしかいじめが発生していた」

「もしかして、そのいじめに遭っていたのが美幽センパイですか!?」


 私はカッとなって叫んだ。

 あんなに優しいセンパイをいじめる人がいるなんて、絶対に許せない!

 けれども、若杉先生は静かに首を横にふった。


「いいえ、いじめに遭ったのは吉岡美優ではないわ。むしろ、いじめについて私に教えてくれたのが彼女だった。彼女は正義感が強い、素晴らしい生徒だったわ」


 私は安堵した。よかった、私のよく知っている美幽センパイだ。

 すると、となりで聞いていた瞳子ちゃんが思いついたようにたずねた。


「もしかして、そのいじめられていた生徒って、柳先生ですか?」


 瞳子ちゃんの憶測に、私は胸がつまりそうになった。

 たしかに、柳先生は暗い過去の影を引きずっているようなところがある。

 でも、あんなに優しい癒し系の先生がかつていじめにあっていたなんて、想像がつかなかった。


 若杉先生は肯定も否定もしなかった。

 そして、重い口をふたたび開いた。


「私はいじめに遭っているという生徒を呼び出しては何度も話を聞いたわ。けれども、その子はどうしてもいじめを認めなかった。本人が認めない以上、私はそれ以上動けなかった。結果的に、全体に注意を呼びかけることしかできなかった」


 吉乃ちゃんが納得顔でうなずいた。


「それで、先生は終礼の時によく私たちに注意をなさっていたのですね」

「ええ、そうよ」


 若杉先生に言われてきたことを、今さらながら思い出す。



――最近、いじめや言葉の暴力などがニュースになっていますね。とても心が痛みます。


――優しい気持ちを持ち寄って、みんなで過ごしやすい教室にしましょうね。



 そうか。若杉先生が私たちに言い聞かせてきた言葉の背景には、十年前のいじめがあったんだ。


「その後、いじめはどうなったんですか?」

「ある日を境に、ぴたりとなくなったわ」

「よかった。いったいどんな方法で解決したんですか?」


 私は安心感をおぼえ、若杉先生にたずねた。

 けれども、若杉先生は急に表情をくもらせ、


「……解決? なにも解決していないわ」


 苦しそうにつぶやいた。


「え? 解決していないって、どういうことですか?」


 私も、吉乃ちゃんも、瞳子ちゃんも、若杉先生の口から吐き出される次の言葉を息をのんで待った。

 すると、若杉先生が衝撃の事実を打ち明けた。


「ある日、吉岡美優が消えてしまったの。まるで神かくしにでも遭ったかのようにね」

「――ッ!?」


 私たちは言葉を失った。


 美幽センパイが幽霊になったのは、死んだのではなく、神かくしのせい?

 でも、なぜ美幽センパイが神かくしに遭わなければならなかったの? 正義心を発揮して、いじめを先生に伝えたのは美幽センパイなのに。

 混乱する私に、若杉先生は教えてくれた。


「吉岡美優は、近くの稲荷神社で目撃されたのを最後に煙のようにきれいに消えてしまった。そして、その日を境にいじめはまったくなくなったわ。きっと、みんな怖くなったのね」


 重たい沈黙が相談室を包みこむ。

 三人ともなにも言えず、ただ若杉先生が語る事実にじっと耳を傾けていた。


「誰かが言っていたわ。いじめがあった陰湿な教室で、吉岡美優だけが正義を訴えていた。そして、みんなにいじめを止めさせるために、自ら生けにえになったんだって。……それを聞いた時、私は胸がつぶれそうになった。ああ、私の責任だ、って」

「生け贄……」


 聞き慣れない怖ろしい言葉に背筋がゾッと寒くなる。

 若杉先生はついに涙を流しはじめた。

 嗚咽をくり返す若杉先生を目の当たりにして、私はたまらない気持ちになった。


 きっと若杉先生もこの十年間ずっと苦しんできたんだろうな。


 そして、柳先生も……。


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