第三章 新しい友だちができました

第16話 センパイ、私のスクールバッグが気になりますか

 翌朝。

 私はスクールバッグを肩にかけたまま、教室には立ち寄らず、まっすぐ家庭科室へと向かった。


 家庭科室の扉の前で立ち止まり、左右をよく確認する。

 大丈夫、廊下には誰もいない。

 私は慎重に扉を開き、呼びかけた。


「センパイ、いらしてますか?」

「おはよう、旭ちゃん」


 返ってきた美幽センパイの声に安心し、私はなかに足を踏み入れた。

 美幽センパイは六人がけのステンレス製の大きな机に少女漫画を広げ、丸椅子に腰かけて読んでいた。


「それって、もしかして」

「旭ちゃんが昨日貸してくれた『ときめきハーモニー』よ」

「どうですか?」

「とっても面白いわ。今日、続きを借りにいってもいいかしら?」

「もちろんです!」


 私はにっこり微笑んだ。

 私が好きなものに興味を示し、一緒に楽しんでくれる。そんな美幽センパイの優しさがとても嬉しい。


「そんなに読みたければ、うちに泊まっていけばよかったのに」

「そういうわけにはいかないわ。旭ちゃんとお父さんとの家族の団らんを邪魔しちゃいけないし」

「団らんなんて……。お父さん、昨日も帰りが遅かったから」

「それでも、家族の時間は大事よ。私も迷惑かけたくないし」

「迷惑だなんて。夜の学校に一人きりだなんて、怖くないんですか?」

「むしろ誰もいない学校は楽しいわよ。体育館も音楽室もWi-Fiも使い放題だし。それに、自分の部屋のほうがやっぱり落ち着くしね」


 美幽センパイはかたくなに態度を変えない。

 昨日は九時ごろまで家にいて、その後は学校にある自室へと律儀に帰っていった。

 おかげで、今朝もこうして家庭科室で待ち合わせというわけだ。


 美幽センパイは、どういうわけか私のスクールバッグをしげしげと見つめている。

 気になって私も肩に提げたスクールバッグに目をやるけれど、なにも変わったところはない。


「センパイ、どうしました? スクールバッグが気になりますか?」

「旭ちゃん。アニメの缶バッチつけてないなー、と思って」

「つけませんよ。恥ずかしいし。そんなことしたら先生に怒られそう」

「つけてる子いたよ」

「きっと上級生ですよ。一年でそんなことしている子なんていません」

「でも、『ときめきハーモニー』の缶バッチをつけておけば、私もそれ好きなんだーって話しかけてくれる子がいるかもしれないじゃない」

「むしろ、うわーオタクなんだー、って思われそう」

「好きなんでしょう?」

「そりゃあ好きですけど」

「だったら、ありのままの自分を受け入れましょうよ。世間の目なんて気にしないでさ」

「それで先生に叱られたら、センパイはどう責任を取ってくれるんです?」

「その時はその時よ!」

「もう。他人事だと思って」


 美幽センパイはいたずらっぽく笑いながら、私が昨日あげた缶バッチを取り出し、私のスクールバッグにくっつけようとする。


「ちょっとセンパイ。なに勝手なことしてるんですか」

「旭ちゃんが自分でつけられないなら、私がつけてあげようかなーって」

「もう、子ども扱いしないでください」

「じゃあ、自分でつけられる?」

「つけません!」


 私はきっぱり断って、自分のスクールバッグを守るように抱えこんだ。

 美幽センパイもさすがに観念したらしく、それ以上は迫ってこなかった。


 美幽センパイはふと窓の外に目をやった。

 四月下旬の青空はまぶしく、朝の光に満ちて温かい。


「今日こそ、旭ちゃんの友だちが見つかるといいわね」

「いや、別に友だちなんていなくても。私にはセンパイがいますし」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ。でも、私だっていつまでこうしていられるか分からないから。今の私にできる精いっぱいの力で旭ちゃんに尽くしてあげたいんだ」

「センパイ……」


 美幽センパイの声には憂いがにじんでいて、とたんに切なくなってしまった。

 きっと、美幽センパイにも思うところはあるのだろう。

 いつまでも私のそばにいてくれるとは限らないし、そもそも私と美幽センパイがこうして一緒にいること自体、本来はとても奇異なことなのだ。


 美幽センパイが急にいなくなってしまったら、私はどうなってしまうだろう?

 ちゃんと一人で学校に通えるかさえ、怪しい気がしてきた。


「旭ちゃん。そんなに心配そうな顔をしないで」


 美幽センパイは私の不安をぬぐい去るように、細い手で私の頭をそっとなでてくれた。


「かわいい旭ちゃんのことだもの。友だちだってすぐにできるわ。さあ、共通の趣味の子を見つけましょう!」

「あの……センパイに撫でられると、震えるほどひんやりするんですけど。私、急に熱が出てきたかも……」

「ご、ごめんなさい、旭ちゃん!」


 美幽センパイの手はあまりに冷たくて、触れられると背筋が凍るほどぞくっとするのだった。


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