第5話 センパイ、料理ができるんですか

 お母さんの仏壇に手を合わせた美幽センパイは、ゆっくりと立ち上がり、私に向き直った。


「旭ちゃん。お母さんがいないなら、夕飯はどうしているの?」

「一人の時はお弁当を買ってくるか、自分で作ります。と言っても、冷凍食品が多いんですけどね」

「お父さんは?」

「お父さんは仕事で帰りが遅いから、たいてい外で食べてきます」

「あら、さみしいわね」

「さみしくないです。むしろせいせいするくらいで」

「ふうん。で、今日はどうするの?」

「レトルトカレーにしようかなって。あとヨーグルト」


 美幽センパイは鋭角のあごに手をそえ、真剣な顔でなにやら考えこんでいる。


「よければ私が作ってあげようか?」

「えっ!? センパイ、料理できるんですか!?」

「あら、こう見えてけっこう得意なのよ。旭ちゃん、なにが食べたい?」

「今日はカレーの気分です」

「そう、なんだか腕のふるい甲斐がないわね。でも、いいわ。作ってあげる!」


 美幽センパイは得意げに笑みを深め、くるっ! と勢いよく身体を回転させた。

 すると、あら不思議。制服の上に涼しげな水色のエプロンをまとった姿へとたちまち変身した。


「すごい! センパイ、服装を自由に変えられるんですか!?」

「うふふ。魔法使いみたいでしょう」


 私の反応に気をよくしたのか、センパイは清楚なナースや明るいチアガール、愛らしいメイド服へと立て続けに変身してみせてくれた。


「幽霊って便利ですね」

「旭ちゃんも幽霊になってみる?」

「い、いえっ。けっこうです!」


 美幽センパイの甘い誘惑を、私はぶんぶんっ! と首を横にふって、丁重にお断りした。


 美幽センパイは冷蔵庫からにんじんやじゃがいもを取り出し、包丁で器用に切っていく。

 でも、よく考えたら、美幽センパイが見えない人たちには、にんじんやじゃがいもが宙に浮いているように見えるんだよね? 想像するとかなりシュールだ。


「センパイって物に触れられるんですね。さっきもお線香に火をつけてたし」

「すり抜けることもできるし、つかむこともできるわ。こうして大好きな旭ちゃんをぎゅ~ってすることだって」


 美幽センパイはそう言うなり私に歩み寄ると、細くて長い腕を伸ばし、私を抱きしめてきた。

 不意打ちに驚き、背筋が凍るような冷たさにさらにびっくりした。


「センパイ、冷たいっ!」

「それなら、身体がぽかぽかするような辛いカレーを作りましょうか」

「私、あんまり辛いと食べられないんですけど」

「辛いカレーが食べられない旭ちゃんもかわいいなぁ」

「もしかして、子ども扱いしてます?」


 美幽センパイは否定せず、にんまりと笑みを深めている。

 明らかに子ども扱いしている顔だ。

 私は不満げにぷぅっと頬をふくらませる。


「旭ちゃん。お肉が見当たらないから野菜カレーになっちゃうけどいい?」

「もちろんです」


 手際よく、いよいよお鍋で煮こんでいく美幽センパイ。

 となりに立っていると、なんだか家族に似た温もりが感じられて、くすぐったい気持ちになった。


「センパイって、なんだかお母さんみたいですね」

「せめてお姉さんにしてほしかったなぁ。でも、旭ちゃんにならママって呼ばれてもいいかも」

「呼びませんよ。また子ども扱いして」

「あはは。旭ちゃん、味見てくれる?」

「そっか。センパイ、食べられないんですもんね」


 美幽センパイがお玉でカレーをすくい、小皿によそって私に差し出す。

 私は舌がやけどしないようにフーフー冷ましてから口にした。


「……おいしい」

「でしょう♪ かくし味に愛情をたっぷりこめたからね」


 美幽センパイが満足げににっこり微笑む。

 私に向けられた優しい笑顔と、温かい愛情。

 お母さんが生きていたら、きっとこんなふうに家族の温もりを毎日のように感じられたんだろうな……。

 そう思うと、にわかに涙がこみ上げてきた。

 目尻にたまった涙の粒を、美幽センパイが指の背でそっとぬぐい去る。


「ずっと一人でがんばっていたんだね。えらいね、旭ちゃん」


 なぐさめるような優しい声に、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 今度は私のほうから先輩に抱きつき、身体が冷えるのもかまわず胸の辺りを借りて顔をうずめた。


「旭ちゃん、いいこと教えてあげましょうか――孤独はね、人を強くするのよ。だから、この先いいことがいっぱいあるわ」


 美幽センパイは冷たい手で私の頭をそっとなでてくれた。


「……ぐすっ……ありがとうございます……」


 私は涙をこらえて顔を上げ、美幽センパイに微笑みかけた。

 美幽センパイもまた嬉しそうに笑みを返してくれた。


 食卓には一人分のカレーライス。

 食べられない美幽センパイは、それでも私の正面に座ってくれた。


「どう、おいしい?」

「すごくおいしいです」

「ふふっ。お父さんの分も作っておいたからね」

「えー。お父さんの分なんかいいのに」


 突然、お父さんに対して抱くわだかまりが、むくっと頭をもたげてきた。


 こうして育ててもらい、学校にも通わせもらっていることへの感謝の気持ちはもちろんある。

 けれども、私の胸のなかにはその反対の方向に働く気持ちもあるのだった。


 美幽センパイはそんな私の複雑な心情を敏感にくみ取ったらしい。

 カレーを食べる私を見つめながら、静かな声でたずねてきた。


「旭ちゃん。もしかして、お父さんのこと、苦手?」


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