第6話 センパイ、幽霊になる前の記憶がないんですか
「旭ちゃん。もしかして、お父さんのこと、苦手?」
美幽センパイにたずねられ、カレーを食べるスプーンが止まった。
思わず顔を上げる。
すると、美幽センパイはさみしそうな目をまっすぐ私に向けていた。
罪をとがめられているような気持ちと、それでも素直になれない気持ち。
相反する二つの気持ちがない交ぜになって、たちまち胸がつまりそうになる。
「別に苦手ってわけじゃ……。育ててもらっている恩もありますし」
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
「お父さん、部屋を掃除しておけとか、洗濯物を取りこんでおけとか、勉強しろとか、とにかく注文が多いから」
「旭ちゃん、家事を手伝っているんだ。えらいね」
「はじめはお父さんも仕事で大変だろうからって、善意でやっていたんですよ。そうしたら、いつの間にか私がやるのが当然みたいになっていて」
「たしかに、善意は
「けっきょく、都合よく利用されているんですよ。お父さんの下着とか靴下なんて触りたくもないのに」
「もしかして旭ちゃんがたたむの?」
「だって、仕方がないじゃないですか。放っておくわけにもいかないし」
「うふふ。旭ちゃん、将来すてきなお嫁さんになりそうね」
「なりたくないです。どうせ利用されるだけですもん」
思い出したらムカムカしてきた。
お父さん、私のことをなんだと思ってるんだ。
口を大きく開いてカレーをなかに放りこむ。今なら底なしに食べらそうだ。
けれども、美幽センパイは私の気持ちに反して楽しそうに甘い声を転がした。
「旭ちゃんが将来どんな人を好きになるのか、楽しみね~」
「誰も好きになんかなりませんけどね」
「もう、すねないの。せっかくのかわいい顔が台なしよ」
「別にかわいくなんかないし」
「そういうところがかわいいんだな~。エヘヘ」
「変な笑い方しないでください」
やっぱり美幽センパイに子ども扱いされている。
そう気づいて、私はますますむくれた。
「センパイのお父さんはさぞかしお優しいんでしょうね」
「あら、どうしてそう思うの?」
「だって、センパイが優しいから」
私の話し相手になってくれて、夕飯まで作ってくれて。
幽霊って怖いイメージがあったけれど、美幽センパイみたいな優しい幽霊もいるんだ。
その美幽センパイは頬づえをつき、うーん、とうめいている。
「旭ちゃん。私のお父さんってどんな人だっけ?」
「私に聞かれても」
「私、幽霊になる前の記憶がないのよね。だから、お父さんのこともお母さんのことも思い出せないんだ」
「ええっ!?」
衝撃の告白だった。
「それじゃ、どうして幽霊になったのかも分からないんですか?」
「うん」
「私の勝手なイメージですけど、幽霊って誰かに恨みがあったり、なにか未練があったりして、成仏できないのかなって思ってました」
「恨み? なにかあったかなぁ?」
美幽センパイは難しい顔をして首をかしげ、記憶をさかのぼる。
それから、美しい眉をハの字にして、困ったように苦笑した。
「ダメ。なにも思い出せない」
「すみません、私が変なことを言ったばかりに。無理に思い出していただかなくて大丈夫です」
「でも、私にとっても大切なことにはちがいないから。記憶よ、よみがえれー」
美幽センパイがかけ声と共に両手をきゅっとにぎり、ポカポカと頭を叩き出す。
私よりもきっと年上なのに、発想も仕草もかわいらしくて、微笑ましくなった。
それから、美幽センパイは動きを止め、私に言った。
「でも、未練っていうのかは分からないけど、やりたいことはあるかな」
「やりたいことですか?」
「うん。私ね、なんだか無性に人助けがしたいの」
両手に頬を当て、キャー言っちゃったーっ! と顔を赤らめて恥ずかしがる美幽センパイ。
……って、そんなに恥ずかしがること?
「じゃあ、センパイは人助けがしたくて成仏しないんですか?」
「今のところ、そうかも」
「センパイ、いい人すぎますよ。それができたら幽霊というより神様です」
「ふふっ、私が神様かぁ。それもいいな。私をあがめるがよい」
「ははー。ありがたやー」
私は手を合わせ、小さくお辞儀をする。
それから美幽センパイと顔を見合わせ、くすくす笑い合った。
美幽センパイは食事の後もずっと家にいた。
「旭ちゃん、一緒にお風呂に入ろっか?」
「入りませんよ」
「旭ちゃん、もう寝ちゃうの? 私も一緒のお布団で寝てもいい?」
「ダメです」
美幽センパイはなにかと私にくっつきたがった。
――やたらとスキンシップを求めてくるのは、美幽センパイもさみしいから?
そんな考えがふと頭をよぎり、つい気を許してしまいそうになる。
けれども、美幽センパイの身体の凍りつくような冷たさを思うと、やっぱり断らざるを得ないのだった。
美幽センパイも、私が断るとそれ以上踏みこんでこなかった。
「センパイ、おやすみなさい」
「おやすみ、旭ちゃん。また明日ね」
美幽センパイはベッドに横になる私を見下ろし、口元に笑みを浮かべて優しい目を細める。
そして、一人静かに学校へと帰っていった。
翌朝。
キッチンに行ってみると、カレーライスはきれいになくなっていた。
お父さん、夜中に全部食べたんだ。
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