第3話 センパイ、トイレの花子さんと知り合いなんですか

 カフェの柱に掛けられた時計に目をやる。午後四時四十分。もう少しいられるかな?

 美幽センパイが私の目線をたどり、時計に気づいた。


「旭ちゃん。時間が気になる?」

「ええ、まあ。五時までには学校を出たいなって」

「なにか用事があるの?」

「ちょっと家庭の事情で」


 家のことを考えると複雑な気持ちになる。

 私は話題を変えたくて、美幽センパイにたずね返した。


「ところで、センパイこそ大丈夫なんですか?」

「大丈夫って、なにが?」

「そろそろトイレに戻られたほうが」

「どうして?」

「どうしてって。センパイの部屋、トイレの鏡の奥にあるんですよね? つまり、センパイって、いわゆる『トイレの花子さん』なんでしょう? それなのに、トイレから離れて大丈夫なのかなって」


 学校の怪談の代表格と言えば、やっぱり『トイレの花子さん』だよね。

 花子さんに呼びかけてしまうと、たちまちトイレに引きずりこまれるという都市伝説が、今でもまことしやかに広まっている。


 私のイメージだと、花子さんはおかっぱ頭で赤いスカートをはいている。

 けれども、美幽センパイはつややかな黒髪ロングに制服姿で、私がイメージする花子さんとはだいぶちがう。

 花子さんが成長すると、こんなにも美しくなるのかな?


 美幽センパイは肩をすくめた。


「ちがうわよ。私は『トイレの花子さん』じゃないわ」

「えっ、ちがうんですか?」

「花子ちゃんならつい最近引っ越したわ」

「ええ~っ!?」


 衝撃の事実に、思わず声を上げてしまう。


「い、い、いたんですか、花子さん!?」

「うん。私、花子ちゃんにルームシェアしない? って誘われたから、今年の春にこの学校に移り住んだの。それなのに、花子ちゃんたら、もっといい物件を見つけたって出ていっちゃって。まいっちゃった」

「つまり、鏡の奥のセンパイの部屋って、元は花子さんのお住まいだったんですね。それで、花子さんは今どちらに?」

「最近、駅前に進学塾のビルが建ったでしょう? この学校のトイレもきれいだけど、あっちはシャワートイレの温水が気持ちいいんですって」

「花子さんも普通にトイレ使うんですね」

「それに脱臭機能もついているらしくて」

「あー、それは重要かも。トイレにいらっしゃる時間が長いんでしょうから」


 どうやら花子さんも最新式のトイレの誘惑には勝てなかったらしい。


「でも、学校じゃなくてもいいんですか?」

「花子ちゃん、子どもが好きだから。子どもがいる場所ならどこでもいいみたい。イケメンの受験生を見つけた♪ ってこの間SNSではしゃいでいたもの。まったく、私の気も知らないで」

「センパイといい、花子さんといい、かなり現代っ子ですよね」


 センパイと出会ってから、幽霊のイメージががらりと変わってきた。幽霊ってこんなにも流行を追うものなんだ。

 ふと、あることが気になって、ふたたび美幽センパイにたずねた。


「もしかして、この学校、センパイや花子さん以外にも幽霊がいたりするんですか?」

「うーん、どうだろ? 時々、霊気を感じることはあるけどね。今のところ校内で会ったことはないかな」

「ホッ。よかったぁ」

「校外にならたくさんいるけどね」

「うぇっ!?」

「でも心配いらないわ。幽霊って用心深いし、案外恥ずかしがり屋さんが多いから。人前にはあまり出ないんじゃないかしら」

「センパイは出てきたじゃないですか」

「だって、まさか私が見えるとは思わないもの。もう心臓が止まるかと思うくらいびっくりしたわ」

「センパイの心臓、もう止まってますもんね」


 トイレの洗面台で手を洗って顔を上げたら、いきなりセンパイが鏡に映っていたんだもの。心臓が止まりかけたのはむしろ私のほうだ。


「ところで、あの時センパイはなにをしていたんですか?」

「旭ちゃんはかわいいなーと思って眺めていたの。ほら、私、かわいい女の子を眺めるのが趣味じゃない?」

「知りませんよ」

「女の子って、鏡にいろんな表情を見せるでしょう。だから、見ていて飽きないの」

「まさか鏡の向こうからセンパイに見られているとは誰も思いませんからね」

「前髪を直している時の不満げな顔も好きだし、鏡をのぞいて一瞬見せるきりっとした顔もたまらないの」

「あまりいい趣味とは言えないなぁ」


 美幽センパイは明るい声を弾ませ、ムフフと笑う。

 私は苦笑するしかない。まったく、いつどこで誰に見られているか分かったもんじゃない。


 気づけば、時計の針がまもなく五時を指そうとしている。センパイとしゃべっていたら、あっという間に時間が経ってしまった。


「それじゃ、私そろそろ失礼しますね」

「うん。また明日ね、旭ちゃん」


 私はスクールバッグを肩にかけると立ち上がり、一礼する。

 美幽センパイは優しい笑みを浮かべ、小さく手をふってくれた。


 こうして、幽霊と出会い会話を交わすという、濃厚な放課後は終わりを告げた。


 最初はあんなに警戒していたのに。

 今はこんなにも別れがさみしい。

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