003

 午前 クレーター内第1エリア 東区 救護所


『これより1時間後、第3エリアより順次『東雲』の活動を停止します。住民の皆様は寒さへの備えを行ってください。なお、活動再開は午後6時になります。これより…』


「うっそ…止まんのかよ。せめて救護所だけでも暖房つけてくんないかしら」


 紺色のセットアップジャージの上に白衣と雪用のウェアを着込みながら、救護所責任者の夕霧ゆうぎりは両手に嵌めていたゴム手袋を外した。

 そして、ジャージのポケットから煙草を取り出し、火は点けず口に咥えた。


 一番暖かい第1エリアに建てられた救護所及び診療所は、街の全ての病人を受け入れ治療をしている施設だ。

 救護所を訪れる者の主な症状は凍傷。

 叢雲たちのようなクレーターの外に出る運び屋たちはもちろん、意外にも患者の大半は小さな子供や炊事場で働く女性が多い。

 そんな重要な施設でありながら、必要最低限の人数しかいない。が、患者は毎日のようにやって来る。


「先生、また口が悪くなってますよ」

「せっかくのべっぴんさんがもったいないわよ」

救護所ここの暖房を切られるわけにないかないんでね…」


 所狭しと並ぶ簡易的なベッドの上で、女性たちは薄い毛布に身を包みで口元を隠しながらクスクスと笑った。

 彼女たちもまた、凍傷により入院している。

 炊事場での作業は氷点下の中冷たい水を使うため、主に手を負傷しているものが多く、彼女たちも指を数本切り落としている。

 もちろん、彼女たちの凍った指を切り落としたのは夕霧である。


「寒くなったら傷が痛むだろ?今は平気か?」

「えぇ、先生のおかげです。足もだいぶ動くようになりましたし」

「そうか、それは良かった。みんなも何か文句があれば伝えに行くが、何かあるか?欲しい物でもいいぞ」


 救護所全体に聞こえるように声を張り上げ、夕霧は救護所内を見渡した。

 毛布に包まり寝ている者や痛みに呻いている者、子供の見舞いにきた母親や体の一部を失っても陽気なおばさま方。

 そんな人々を横目に夕霧は何か必要な物は無かったかと考えた。


「やっぱり化粧品ね!」

「そうね!ここを出てもすっぴんのままじゃ夫に見てもらえないわ」

「私も男に振り向いてもらえないわ」


 陽気なおばさまたちは「口紅をお願い」や「私はファンデーションが良いわ」などと目を輝かせながら夕霧にお願いをした。


「あんたたちはその笑顔だけで十分だろ」

「まぁ…良いこと言うじゃ無いの」

「先生が男だったら惚れてたわよ」

「勘弁してくれ…旦那さんに怒られるぞ」


 おばさまたちの話を聞き流しながら、夕霧は”東雲”停止を提案したであろう霞に文句を言ってやろうと救護所を出て、口に咥えた煙草に火を点けた。

 白い煙を吐き出し、第3エリア南区にある中央収集所に向かった。


「夕霧せんせー!」

「ん?あぁ…さくら


 中央広場を通ると、足元から子供の声が聞こえた。

 声の方向に目を向けると、モコモコの上着に身を包んだ桜が夕霧の白衣を軽く引っ張っていた。

 夕霧は半分以上残ったタバコの火を消し、桜と同じ目線になるようにその場にしゃがみ込むと真っ赤になった桜の頬を両手で覆った。


「せんせーの手冷たいね」

「まぁな…で、寒いのにどうした?」

「えへへ。せんせー見つけたから声掛けただけ!」


 曇り空も晴れるほどの満面の笑みを夕霧に向けた。


「お?下の歯が抜けてるな。ちゃんと屋根の上に投げたか?」

「屋根の上?なんでそんなところに投げるの?」

「昔の人は立派な歯が生えてこい。って意味で下の歯は上に上の歯は下に投げてたらしいぞ」

「へー…帰ったらやってみる!」


 歯の抜けた部分を夕霧に見せる様に口を開き、桜は「おっきい歯生えてくるかな!」と楽しそうに飛び跳ねた。

 そんな桜を見て、夕霧は桜のことを我が子の様に愛おしく思えた。


 桜は産まれる時に夕霧が取り上げた。

 気温は氷点下50度まで下がった、猛吹雪の日に桜は産まれた。

 沸かしたばかりのお湯も瞬時に凍ってしまうほどの寒さの中、街中の住民が救護所に駆けつけ新たな命の誕生に歓喜していた。

 桜の名前は産まれる前から決まっていた。

「春の陽気を連想させる暖かい子に」と言う思いで名付けられ、この名前の通り、桜は笑顔の可愛い暖かい子に育った。


「悪いが、私は少し用事があるんだ。またな、桜」

「うん!バイバイせんせー!」


 桜のふんわりと柔らかくを撫で、夕霧は走り去る桜の後ろ姿を見送った。

 桜は「先天性黒衣欠損症せんてんせいこくいけっそんしょう」という病気だ。

 

「先天性黒衣欠損症」

 太陽消滅によって多くなったこの病気は、新しく生まれて来る新生児に多く見られる。

 ”暁”の光量では十分なメラニンを生成することができずに起こる色素疾患の一つで、この病気を発症した人はアルビノの様に真っ白な見た目をしているため、愛好家などの物好きによく狙われる。

 そのため、この病気を持つ多くの人は髪を黒く塗るなど、自分がこの病気だと気づかれない様に隠して生きている。


 そんな「先天性黒衣欠損症」研究の第一人者である夕霧は、高く昇った”暁”を直視した。

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