第26話 この恋の終わらせ方

「──諦められなくなるじゃん!」



 その叫びに、俺は唖然とした。


 先ほどとは違う、真に感情がこもったような声音に、まるで隠されていた小凪こなぎの真意があるように感じたのだ。


「……小凪?」


「ばか、ばかばかばかっ! 兄さんのばかっ!」


 小凪はひたすらに「ばか」を連呼しに、俺に涙をこぼす。


 どこか痛々しい声音と想いの熱がこもったような涙に、俺はどうすればいいかわからなかった。


「こな、ぎ……」


 なんて言葉をかければいいのか。俺の頭にはそんな悩みしかなかった。


 くそっ、なんなんだなにがどうなってんだ。アイツと殴り合って、小凪が来て、小凪が泣いて。まったくもって急展開っぷりに理解が追いつかない。


 それでも俺にできることはないかと思考を巡らせる。悲鳴を上げる体に鞭打って、体を起こし小凪を抱きしめ頭を撫でる。


 なにをすればいいかわからないから、記憶を辿って昔小凪を泣き止ませるときにしたことを再現したのだ。


 しかし小凪は泣き止むどころか、さらに声を張り上げて泣き叫び、俺の背中をポカポカと殴ってくる。


「ばかっ、兄さんの大ばかっ! 朴念仁! 女たらし!」


「小凪!? 待て、それはどういうことだ!?」


 ただでさえわけがわからないのに、次々と付け足されていく不名誉な称号にいっそう頭が混乱する。


 どうしたらいいかも、どうするべきかもわからず、俺はただ小凪の感情が鎮まるのを待った。



 それから小凪は一頻ひとしきり叫ぶと、シャツの背中をギュッと掴み嗚咽する。


「小凪、説明してもらえるか?」


 俺はタイミングを見計らい、ゆっくりと優しく小凪に問いかける。


 すると小凪は腕に力を入れて強く抱きしめてきて、


「兄さんが悪い」


「そう、なのか?」


「うん、兄さんが悪い。……兄さんがかっこいいのがぜんぶ悪い」


「うん……うん?」


 なぜだろう。非難されているかと思ったら、なぜかいきなり非難とは似つかわしくない言葉が聞こえた。


「小凪、一ついいか?」


「……なに?」


「小凪がさっき言ってた、諦められなくなるってどういう意味だ?」


「……」


 俺の問いに、小凪が口を閉ざす。


 しかし答えるつもりがないというわけではないらしく、絞め殺さんとするいきおいで力いっぱい抱きしめてくると、小凪はゆっくりと答えた。


「あたし、本当は兄さんのことが大好きなの」


「……へ?」


 自分から求めておきながら、いざ反ってきた突拍子もない言葉に、俺の思考は一瞬停止していた。


 すぐに復活するも、あまりに非現実すぎる小凪の告白に理解が追いつかない。


「そ、それは家族として、的な?」


「違う。異性として、兄さんのことが好きだった」


「……ごめん、えっと、正直言うとまだちょっと頭が追いついてない」


「うん、そうだと思った。あたしだって、急にこんなこと言われたらビックリするし」


 いや、ビックリとかそういう次元じゃない気がするんだが。


 そんな感情は一旦置いておき、俺は努めて客観的に小凪の言葉を分析しようとこころみる。


 まず、小凪が俺のことを好きだとする、と……やっばなんかこういうこと考えると恥ずかしいな。


 そんな脱線をしながらも、俺は必死で小凪の言葉から事実を導き出そうとする。


 しかしそれよりも先に、小凪が言葉を紡ぐほうが早かった。


「あたしね、小さい頃から兄さんのことが好きだった。かっこよくて、頼り甲斐があって、いつも助けてくれる兄さんのことが好きだった。最初の頃は、特に違和感もなくて、それでいいと思ってた」


 けど、と小凪の声の調子が一つ下がる。


「少し大きくなって、それがおかしいことだって知った。兄さんに恋心を抱くことはおかしくて、いけないことだって知ったの。それであたしはどうすればいいかわからなくなって……兄さんと距離を置いたの」


「……それが、疎遠になっていった原因か?」


「うん。一度兄さんから離れたら、本当にどうすればいいかわからなくなって、どんどん話しかけられなくなったの。それでも、日常会話ができるくらいには大人になって、寂しかったけど、これでもいいのかなって思ったの」


「……あぁ」


「でも、それでもやっぱり兄さんのことが好きって感情は変わらなくて。どうしようって、どうすればいいんだろうって悩んでいるうちに高校生になったの。そんなとき、アイツがコクってきて、別の誰かと付き合えば、兄さんのこと、兄さんに対する感情を忘れられるかなって、思った」


 ……だから、小凪はアイツと付き合ったのか。


 知らされた衝撃の事実に、俺は動揺を覚えながらも小凪に伝わらぬよう「そうか」と平然な様子で相槌を打つ。


「でも、あたしが相手をちゃんと見ようとしなかったから、アイツの性根に気づけなかった。それでなにやってんだろって泣いてたときに、兄さんが慰めてくれた。昔みたいに、兄さんが助けてくれた」


 小凪の声音が少し明るくなる。しかし、悩みや迷いがあるかのように、その声ははかなげでもあった。


「そのときあたしは、戸惑ったけど嬉しかった。疎遠になってたのに、そんなの関係なく兄さんが手を差し伸べてくれたら。……だから、少しだけ欲が出たの。もう少しだけ、もう少しだけ兄さんと一緒にいたい、兄さんと話したいって。だからあたしは、お礼だって言って兄さんと関われるよう動いたの」


「……そうか」


「兄さんの好きな料理を作ったり、勇気を出して『兄さん』って呼んでみたり。……そうしたら、最初はちょっと甘えるだけだったのに、だんだん我慢ができなくなって……」


「〝お願い〟を使うようになった、か?」


「……うん。きっと兄さんは優しいから、あたしが〝お願い〟って言えば断らないって思ったから」


 たしかに、小凪の思い通りは俺は断らなかった。


 兄だから、当然それもあるが、疎遠だった関係が修復されていく気がして、嬉しかったのだ。


「でも、〝お願い〟を使いだしたら、余計にあたしの欲求は大きくなっていった。少しだけ兄さんに甘えるつもりだったのに、どんどんどんどん、諦めようとしていた感情が浮かんできたの。それを止められなくて、あたしは学校でのことを利用して、兄さんと恋人になったの」


「そう、だったのか」


「昔から夢だった、兄さんのカノジョになることが。それがニセモノでも叶って、嬉しかった。けど同時に、これ以上は進めないって理解したの。どれだけ理由をつけても、あたしがすすめるのはこの関係まで。……だからあたしは、せめて問題が解決するまでは今の関係を楽しもうって思ったの。それで、問題が解決したら、キッパリとこの感情とお別れしようって」


「……」


「でも、兄さんが迎えに来てくれたとき、みんなの前であたしを守ってくれたとき、あたしの想いが暴れたの。イヤだって、兄さんとまだ恋人でいたいって。それでも、なんとか我慢してた。これ以上兄さんを困らせちゃいけないって」


 言葉の間に、嗚咽が漏れ始める。


 俺はゆっくりと落ち着かせるように小凪の頭を撫でて「それで?」と促す。


「兄さんの優しさが嬉しくて、でもその優しさが痛いくらい染みて……。こんないびつで曖昧な関係を終わらせよう、兄さんのことを諦めようって、毎日自分に言い聞かせた。……けどっ!」


 小凪は背中へと回していた手を戻し、押し飛ばすように体を離した。


「兄さんは呆れるくらいお人好して! 優しくて! ばかで! あたしのために、こんなにボロボロになって……っ! もう立てないくらいツラいのにっ、あたしが来たら弱音一つ吐かないで、あたしを責めもしないで『大丈夫だ』って笑って! そんなことされたら諦められないよっ! 諦められるわけないじゃんっ! なんでそんなにかっこいいことするのっ! なんでそんなに頑張ってくれるのっ! これ以上、兄さんのことを好きにさせないでよ……っ」


 絶えず涙を流しながら、小凪は精いっぱい叫んだ。


 今まで溜め込んでいた感情、苦悩、葛藤。そのすべてを吐き出すように、小凪は叫び、涙を流す。


「諦め、させてよ……っ、兄さんのこと、諦めさせてよ……っ」


「……」


 俺はかける言葉を持ち合わせず、せめてもと嗚咽する小凪を抱き寄せ、頭を撫でる。


「そういう、ところだよ……。突き放せばいいのに、優しく包んでくれて、頭撫でて……兄さんの、ばか、シスコン……」


「それで、いいよ」


 俺は苦笑をこぼし、そう返した。




 それからどれくらい時間が経っただろうか。


 小凪の嗚咽も止み、早く帰れと吹く風が冷たい。


「小凪」


「……なに?」


「提案、なんだが」


「うん」


「俺にも、手伝わせてくれないか?」


「……なにを?」


「えっと、小凪の、恋を終わらせる方法を探すことの、手伝いを」


「…………………………本気?」


 小凪は呆れたような、なんとも言えない表情だった。


「ほ、本気だ。あんだけ聞いといて、放置なんてできるわけないだろ? ここまで来たら、最後まで付き合ってやるよ。小凪が諦められるように、な」


 そう伝えると、小凪は少しの間驚いたような顔をして、そして朱を帯びた頬に手を当てて「ばか」と口にした。


「本当に、兄さんはお人好し」


「そうでもねぇさ」


「優しすぎ」


「俺が優しいのはだいたい気まぐれだ」


「……すけこまし、シスコン」


「思ったんだが、それって照れ隠しなのか?」


「っ、兄さんのばかっ! そこは黙ってるところでしょっ!?」


 小凪は目を見開いて、ばかばかと連呼しながら力のこもってないない握り拳でポカポカと叩いてくる。


 そしてしばらくして手が止まり、小凪は目を逸らしながら口を開く。


「……ホントに、いいの?」


「いいよ、俺は小凪の兄だからな」


「……ばか、兄さんのばか、シスコン…………でも、ありがと」


 小凪は照れながらも、兄として誇らしい最大級の笑顔を浮かべた。




   ーーーーーーーーーー




 それから歩けるくらいには回復してから、小凪に支えてもらいながら帰宅した。


 途中で確認したのだが、どうやら俺が家を出てから二時間も経っていたらしく、帰ると母さんが玄関に仁王立ちしていた。どうして小凪といい、仁王立ちをするのだろうか。


 それはさておき。


 母さんはボロボロな俺を見るや、怒るよりも先に心配してくれた。


 なにも話さなくていいからと、小凪と協力して手当てをしてくれたのだ。


 そして公園へと向かう途中すれ違った親父はというと……、


「やっと帰ったか」


 まるで俺がなにをしてきたのかわかっているかのように落ち着いた態度で俺を待っていた。


「た、ただいま……」


「とりあえず、事情を話してもらうぞ。こんな遅くまでどこでなにをしていたのか」


「わかった」


 俺は今日起きたこと、そして今日までにあったことを要約して伝えた。当然、小凪の想いは伏せて。


 ことの顛末てんまつを伝えると、親父はただ静かに「そうか」と頷いた。叱ることもなく、俺の身を案じることもなく、ただ頷いただけだった。


「部屋に戻っていいぞ……あぁ、母さんがお風呂を用意しているから、寝る前に体を洗うんだぞ」


「わかった。じゃあ、おやすみ」


 俺は頷いて、ドアノブに手をかける。


「……よく頑張ったな、夜露よつゆ


 ただ一つ、親父が送ってくれた称賛の言葉に、少しだけ得意な気持ちになって、俺は自室に向かった。


 まぁ、たまには体を張るのもいいかもしれないな。


 そんなことを考えながら、俺は汚れを落とすべく風呂へと向かったのであった。

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