第24話 妹が為に

 一原いちはらさんから話を聞いた俺は、今日も今日とて小凪こなぎの部屋で勉強している。


 明らかに様子はおかしいし、一原さんの証言じゃ恐らく大変なことになっているであろうに、勉強だけは誘ってくるんだよな。


 そこまでできるなら、一言「助けて」とか言えるだろ。というか言ってほしい。俺は小凪の兄なのだから。


 そんなことはさておき。


 ひとまずは普通に勉強しよう。そう思い、黙々とノートと格闘する数時間。


 気づけば普通に集中しており、夕食の準備をしていたらしい母さんの声が、階段を伝い聞こえてきた。


 それが勉強時間の終了を告げ、俺と小凪はローテーブルに広げていた教材を片づける。


「なぁ小凪」


「兄さん、着替えたら?」


 話しかけようと試みるも、小凪はこちらへ目を向けることなくそう言った。


「あ、あぁ」


 タイミングを失ってしまったな……。


 一つ反省を胸に刻み、俺は小凪の部屋を後にした。



 翌日。今週最後の授業を終え帰宅した俺は、またもや小凪に捕まり部屋で勉強なう。


 まぁ慣れたものだが、しかし着替える猶予くらいほしい。勉強終わったあとに着替えるの怠いから。


 そんな不満は一旦忘れ、ペンを走らせる。


 問題とにらめっこしながら時折小凪の様子をうかがってみるのだが、変わらず表情は暗い。


 いまだに切り出せていない俺もどうかとは思うが、この様子で隠し通せていると思っている小凪もなかなかだ。


 しかし、進捗がゼロというわけでもない。


 小凪の態度がまだここ最近と変わっていないということは、少なくともアイツからさらになにかをされているわけではなさそうだ。


 だからと言って動かないでいいわけではないのだが。


 いつアイツが仕掛けてくるかわからないし、悠長にはしていられない。



「なぁ、小凪。俺に言ってないことないか?」



 動けと自身に言い聞かせ続け、やっとその言葉が出たのは勉強開始から一時間後のことだった。


 その問いに、小凪の手が止まる。


 これで素直に話してくれたらいいのだが……。


 チラリと様子を窺うが、小凪は無表情で口を閉ざしている。


 どういう意図なのだろうか。


 しばらくの間重々しい沈黙が続いたが、やがて小凪はゆっくりと口を開いた。


「なんにも、ない」


「……」


 小凪が出した答えは否定。しかしその表情は、とても痛々しくつらそうに思えた。


 そんな顔で言われても、信じられるわけないだろ。


 俺は静かに息を吐き、続けて尋ねる。


「アイツと、なにかあったのか?」


「っ」


 すると小凪はビクッと肩を跳ねさせ、わかりやすく動揺を見せた。


「な、なんで」


「すまない。最近小凪の様子がおかしかったから、気になってな。一原さんに話を聞いたんだ、小凪がアイツに呼び出されたって」


「……」


 事情を話すと、小凪はペンをノートの上に置き、おもむろにうつ向いた。


「なぁ小凪、なにがあったんだ?」


「……べつに、なにも」


 小凪はふいと顔を逸らしてそう答えた。


 どうしてここまで言って答えてくれないのだろうか。


 隠し通そうとしている小凪に、俺は拳を固く握る。


「……小凪、隠さずに教えてくれ」


「べっ、べつに……世間話しただけ、だし」


「……はぁ」


 本気でそれが通じるとでも思っているのだろうか。


「小凪」


 静かに名前を呼ぶと、小凪はビクッと震えた。


「小凪、顔を上げてくれ」


「……なに?」


 少しの間のあと、小凪はゆっくりと窺うように顔を上げ、目だけをこちらに向けた。


 まったく、世話がやける。そう胸中で愚痴をこぼしながら、俺は小凪の顔を両手で掴みグイッとこちらに向けさせる。


 少し強引な手段になってしまったが、そこは素直に話さない小凪にも非があるということで目をつぶってほしい。


「にっ、にいしゃんっ、にゃにうぉっ」


 頬を挟まれ開いた口でなにかを言おうとする小凪に、俺は真剣に思いを伝える。


「小凪、俺を頼れ、頼ってくれよ。俺はお前の兄で、今は恋人なんだから、遠慮なんかしないで、助けを求めてくれよっ! …………助けさせてくれよ」


 ずっと渦巻いていた感情をぶつけると、小凪の目から涙がこぼれた。それは頬から俺の手を伝い、流れ落ちていく。


「……」


「……」


 再び訪れた沈黙の中、小凪はおもむろに俺の手に自らの手を添わせ、頬から離した。


 そして手の甲で涙をぬぐうと、震えた唇を動かした。


「……兄さんを頼って、いいの?」


「あぁ」


「……兄さんに助けてって言って、いいの?」


「あぁ」


「……兄さんを巻き込んでも、いいの?」


「それを言うなら、あの日小凪を慰めたときから巻き込まれてるよ」


 むしろ俺から首を突っ込んだと言ってもいい。そう答えると、小凪は顔を伏せ、肩を震わせる。


「……兄さん、少しだけ動かないで」


「……おう」


 頷くと、小凪はゆっくりとこちらに近づいてきて、俺のシャツをキュッと掴んで額を胸に押し当ててきた。


「………………兄さん、あたしを助けて……っ」


「おう、任せろ」


 嗚咽混じりの〝お願い〟に、俺はもう一度、今度は強く頷いた。




 小凪が落ち着くまで背中を撫でて続け、十分ほど。


 ようやく泣き止んだ小凪は、一度顔を洗いに出て戻ってくると、なぜか俺のあぐらの上に座った。


 近い、近いぞ。頼れとは言ったけど、椅子にしていいとは言ってないぞ? あと近い。


 そんなことはさておき。


「それで小凪、なにがあったんだ?」


 改めてそう尋ねると、小凪はゆっくりと語り出した。


「アイツがさ、よりを戻そうって言ってきたの。でも、あたしはイヤだって断った。カレシもいるからって」


「あぁ」


「そしたらアイツ、脅してきたの」


「脅し?」


 どういうことだろうかと首を傾げていると、小凪はこう続ける。


「あたしと兄さんが兄妹だってバラすって。兄さんがあたしを迎えに来てくれたとき、アイツの知り合いが兄さんの写真を撮ってたみたいで、それでバレちゃったみたいで……」


 なるほど、それはなかなかに致命的だ。


 聞いた話だと、小凪の学校での俺と小凪に対する認識は、俺が公衆の面前で悪意ある噂を撤回させたことにより憧れのカップルとなっているらしい。


 それがもし、俺たちが兄妹とバレたらどうなるか。


 噂という曖昧なものとは違い、兄妹という紛れもない事実は他者には禁忌のように映るだろう。噂のとき以上に白い目で見られるだろうし、直接的な悪意をぶつけられるかもしれない。


 もともと俺の役割は男避けだったが、そのためにやったことが裏目に出るとは。


 間違ったことはしていないとハッキリと言えるが、もう少し理性的に動けばよかったと反省する。


 しかし過ぎたことは変えられない。そんなものに時間を労するよりも、これからどうするべきかに頭を使うほうが合理的だ。



「なにかするにしても、策を弄している時間はないだろうな。時期を考えて、アイツが復縁を迫ってきたのはクリスマスのためだろうし」


「うん、そんなこと言ってた」


「となると、直接的かつ素早く解決できるような作戦を立てないとだな」


 なにそれ難しい。


 シンプルに本人に直談判するか? それで止めてくれるほど聞き分けがよければ、そもそもこんなことにはなっていないだろうし。


 他の生徒にアイツのクズっぷりを話したとしても、アイツの外面のよさで信じてもらえない可能性がある。


 どうするべきか。そう悩んでいると、不意に机の上に置いてあった小凪のスマホから着信音が流れた。


 小凪は腕を伸ばしスマホを取ると、ロックを外し通知を確認する。


「……兄さん、アイツから」


「……なに?」


 思いもよらない出来事に、反応が遅れてしまった。


 噂をすれば影がさすというが、正直やめてほしい。まだなにも解決策が浮かんでいない状況で答えを急がされては、最終手段(物理)を取りかねない。


「それで、アイツはなんて?」


「……明日の夜、会いたいって。たぶん、急かしてくるんだと思う」


「やっぱりか……」


 最終手段(物理)か? やはり最終手段(物理)なのか?


 間違いなく大事おおごとになるし、非力な俺には勝算が見えない。


 しかし助けると言った以上、傷つくことも覚悟の上だ。


「それにしても休日の夜とは、危ないだろ。場所はどこなんだ?」


「学校から少し歩いたところにある小さい公園みたい」


 そんなところに女子を呼び出すとか、本当にやり口がクズだ。どうせ断られたときに実力行使に出るつもりなのだろう。


 もうあれこれ考えている時間はなさそうだ。


「よし、俺が行く」


「え? 大丈夫なの?」


 覚悟を決めそう言うと、小凪は不安そうに俺を見た。


「大丈夫だ、安心しろ。俺がなんとかしてやるから、小凪は家で待っていてくれ」


「……うん、わかった。けど、危ないことはしないで」


「わかってる、善処するよ」


「うん。……頑張ってね、兄さん」


「あぁ、任せとけ」


 そう約束を交わし、この話は終わりとなった。

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