第22話 小凪にサプライズを

 昼食を終えた俺と小凪こなぎは、水族館を後にして公園のベンチで休んでいた。


 午前中に十分な運動をしていたし(はたして水族館を回ることを運動と呼ぶのか)、食後はゆっくりするのもアリだろう。


 まぁ、そもそも今日のデートプランだと、午後は公園でゆっくりするって決めていたわけだし。


 ここ、しながわ区民公園にはテニスコートなど様々な施設があり、予約すれば利用することができるのだが、俺も小凪もそこまでスポーツが好きというわけでもないので今回はナシだ。


 まぁ、ベンチに座ってるのに飽きたら歩けばいい。公園は結構広いし、いろいろと面白い場所があるようだし。


 しかし、こうしてなにもせずに時間を浪費するのも、なかなかいいな。忙しい日々から離れられて心身をリフレッシュできる。俺は会社勤めに疲れたサラリーマンかなにか?


「なんか、時間が経つのって早いよな」


 空を眺めながら、ポツリと呟く。


 冬に移ろうとしているこの季節の魔力か、なにかしみじみとした気分になる。


 懐古的な思考になるというか、ノスタルジックになるというか。べつに故郷を離れたわけではないが。


 誰にかけるでもなく、ただ漏らした一人言だったのだが、少し間が空いて「そうね」と同調する声が聞こえた。


「兄さんが慰めてくれたの、もう二ヶ月も前なんだね」


「もうそんな前になるのか、本当に早いなぁ」


 今でも簡単に思い出せる。二ヶ月前のあの日、偶然小凪が泣いているところを見てしまったことから俺たちの関係は変わった。


 無論、悪い意味ではない。ほどよく話すようになったし、兄妹として助け合うことも増え家族観系で言えば良好と言えるだろう。


 まぁ、恋人(仮)は想定外の出来事であったが、今では違和感もない。いまだ学校などで苦労は多いがな。


「なんというか、今まで生きてきた中で一番濃い二ヶ月な気がする」


「あたしも」


 小凪を慰めたり、誕生日を祝われたり、『兄さん』と呼ばれたり、恋人(仮)になったり、膝枕をされたり、脱衣所でトラブったり、デートしたり、小凪を迎えに行って一つ下の女子を泣かせたり。あとは、小凪への誕生日プレゼントについて三週間も悩んだり。


 いやぁ、振り返ってみると本当に濃い二ヶ月だな。


 まるでなにかを埋め合わせるようだな、なんて考えていると、小凪が「兄さん」と呼んできた。


「ありがとね」


「ん? なにがだ?」


「あの日、あたしの部屋に来てくれて。この二ヶ月、あたしの〝お願い〟を聞いてくれて。あたしを助けてくれて。……ありがと」


「ははっ、なんだそれ。まるで物語の最終回だ」


 そう笑うと、小凪は小さく「そうね」と頷いて笑みをこぼした。


「まぁ、なんだ。そんな礼を言われるほど俺はなにもしてねぇよ」


「ふふっ、照れてる?」


「ばっか、その程度で照れるほど俺はピュアじゃねぇよ」


「でも兄さん、顔赤い」


「っ、気のせいだ、気のせい」


 ちょっと暑いんだよと言えば、小凪はにぃっと笑い「ふぅん?」とからかうように首を傾げてみせた。


 ったく、そういうことをどこで覚えてくるんですかね。妹が小悪魔系に成長しないか、お兄ちゃん心配だ。


 そんなやり取りをしているだけで、早くもベンチに座ってから三十分ほどが経過しようとしていた。


 本当に最近の若者ですかと問いたくなるくらい、まったくと言っていいほど動きがない。


 そんな中、小凪がぽつりとこんなことを呟いた。


「なんか、老夫婦みたいだね」


「ぶっ」


 あまりの例えに思わず吹き出してしまうレベル。


 小凪がなにを考えているのかよくわからない。しかしここでまた動揺しては、先ほどのようにからかわれかねない。


 俺は咳払いと深呼吸を使い冷静さを取り戻してから、「そうだな」と頷く。


「たしかに、公園とかで見かけるよな、ずっとベンチに座って日向ぼっこしてる老夫婦」


「兄さん、大人になったね」


「大人になりすきだろ。あと、それを言うなら小凪もじゃねぇか」


「たしかに」


 なんとか小凪を動揺させてやりたいと返してみたのだが、特に効果は見られない。


 ま、まぁいい。そんなことに固執するほど、俺は子どもではないからな。うん。


「小凪、ちょっとは歩くか?」


「いいけど、歩いてばっかだね」


「そう言うなよ。午前は水族館を回ってただけなんだし」


 先ほど同じようなことを考えていた自身を棚に上げつつ、俺はベンチから腰を上げ小凪に手を差し出す。


 それに運動量を言うのであれば、モールでのデートのほうが散々と歩いている気がする。


「じゃあ、エスコートお願い、兄さん」


「公園を歩くのにエスコートとかあんの?」


 差し出した手を取って静かな笑みを浮かべる小凪に、俺は苦笑を返した。



 それから俺と小凪は、手を繋いで公園内を歩き回った。なかなかの面積があるこの公園には、一般的な公園にはないようなものがいくつかあり、普段では味わえない楽しさがある。


 例えばゆりかもめ橋と呼ばれる橋や園内トンネル、渓流や一万平方メートルもの人口湖など。公園を歩いているはずなのに、ちょっとした観光地を回っているようだ。


 まぁ観光地と言えば観光地なのかもしれないが。


 それはさておき。


 その公園とは結びつきにくい場所を巡ること一時間ほど。時刻はおやつの時間を少し過ぎた頃。


 俺と小凪は再びベンチで休んでいた。


 一時間も歩いて疲れたからな。



「結構いろんなモンがあるんだな」


「うん。プールとかあった」


「意外だったよな。今は釣り堀になってたが」


「うん」


「あとはキャンプ場な。まさかこんな都会のド真ん中にあるとは思ってなかった」


「そうね」


 ひとしきり公園を回った感想を語り合った俺たちは、ふぅとため息をこぼし脱力する。


 頬を撫でる秋風が心地好く、気を抜けば寝てしまいそうだ。



「兄さん、ことあとはなにか予定してるの?」


「ん? いや、俺の考えたデートプランは終わりだよ」


「そうなんだ」


「あぁ。一日中遊ぶのもいいかもしれんが、疲れるからな。ほどほどのスケジュールにしたんだよ」


 そう伝えると、小凪は「言い訳みたい」と小さく苦笑した。


 まぁ、たしかに言い訳のように聞こえるな。実際、今日以上のデートプランは、今の俺には組めそうにないわけだし。


「しかし、だ。遊びと休憩はバランスよくするからこそ楽しいのであって、ただ遊んでいたら疲れるだろ」


「まぁ、そうだけど」


 自分でもわけのわからない力説をすると、小凪はちょっと引いたような表情を浮かべながらも頷いた。


「さて、じゃあそろそろ帰るか」


「え? もう?」


 俺が帰宅の提案をすると、小凪は困惑した様子で時計を確認する。


 まぁたしかに、一般的な高校生カップル(俺たちは(仮)だが)のデート時間に照らし合わせたら短いかもしれない。


 でも、そんなのは関係ない。これが俺の組み立てたデートプラン。終わるのが早かろうが、中身が詰まっていればそれでいいのだ。


 まぁ、歩いたりぼーっとしてたりばっかだったのだが、それはともかく。


「ほらほら、帰るぞ小凪」


「え? ちょ、ちょっと」


 困惑した様子の小凪の手を引っ張り、俺は駅へと向かう。


 こうして俺史上初の、自分でプランを考えたデートは幕を閉じたのだ。




   ーーーーーーーーーー




 ──しかし話はもう少し続く。


 電車内で小凪に急だとか文句を言われつつ、無事帰宅することができた。


 あらかじめ出かけることは伝えておいたのだが、しかし妹とデートをしてきたと思うとやはり緊張する。


 小凪との恋人(仮)関係がバレてないか、気が気でないのだ。


 それはともかく。


 二人並ぶには狭い階段を登り、先に小凪の部屋の前に到着する。


「兄さん、今日はありがと」


「さっきまで散々文句を言われたけどな」


「それは兄さんのプランが滅茶苦茶だからでしょ。あたしだったからよかったけど、あたし以外だったら嫌われても仕方ないからね?」


「え、そんなに……?」


 自分でも少し無理のあるプランだとは思っていたが、そこまで言われると自身をなくす。


「それでも、ありがと」


「お、おう」


 赤らんだ頬と窓から射し込むオレンジがかった日の光が相まって、小凪の浮かべる笑みの破壊力は抜群。


 俺の妹は本当にキレイだな、なんて改めて実感させられる。


 少しの間静寂が俺たちを包む中、少しして小凪が「じゃあ」と口を開く。


「あぁ」


 頷いてみせると、小凪は俺から視線を切り扉を開けた。


 しかし開いた扉は閉められることはなく、部屋に足を踏み入れた小凪は「え?」と頓狂な声を漏らす。


 硬直していた小凪は、扉を閉めずに部屋の中へと行き──そして紙袋を抱えて戻ってきた。


「兄さん、これなに?」


「さぁ? なんだろうな」


「とぼけないで。兄さんが犯人だってわかってるから」


「その心は?」


「朝部屋を出たときはなかった。兄さんはあたしより遅れて来た」


「母さんかもしれないだろ?」


「あたしの部屋に無断で入ってくるのなんて、兄さんしかいない」


「それだと俺が妹の部屋に無断で侵入するシスコン兄になるだろ」


「そうでしょ」


「違うだろ」


 適当に口に出した例えを肯定され空かさず否定すると、小凪は「そういうのはいいから」と睨みつけてきた。


「なんなの、これ」


「そんなに睨むなって。ただの誕生日プレゼントだよ、誕プレ誕プレ」


 睨み顔で迫られ、俺は手を上げて慌てて説明する。


「誕生日プレゼント?」


「そうだよ、事前に買ってたんだ。デート先に持っていくにはかさばって邪魔になるから、小凪の部屋に置いたんだよ」


「なんであたしの部屋なの? 兄さんの部屋でいいじゃん」


「それはあれだよ、サプライズ。名づけるなら『ドキッ、いつの間にか部屋にプレゼントが!? 大作戦』だ」


「そのまんまじゃん」


 だって今名付けたからな、なんて返すと黙れと言わんばかりに睨まれた。


 家に帰ってから睨まれてばっかりだな、俺。


「まぁ、開けてみてくれよ。小凪が気に入るかはわからないが」


「……気に入らないわけないじゃん」


「なにか言ったか?」


「なんでもないっ」


 ボソッとなにか呟いたように聞こえ尋ねてみたのだが、顔を赤くした小凪に頭突きされた。


 どういうことだ……。


 微妙に痛む胸部をさすっていると、小凪は紙袋を床に起き、中からもこもこした水色のなにかを取り出した。


「……服?」


 両手でそれを広げた小凪は、驚いたような声音でぽつりとこぼす。


「部屋着だよ、部屋着。冬になるってのに、いつも露出の多い格好してるから」


 そう説明すると、小凪はゆっくりとこちらに視線を移し「えっち」と口にした。


「誤解だ。俺は小凪のことを心配してだな」


 あとは目のやり場の心配も。


「でも、これってパジャマみたいだよね」


 水色のもこもことしたルームウェアを体に当てながら、小凪はそんなことを呟く。


「ちょっと大きくない?」


「あー、小凪のサイズがわからなかったから、見た感じ大きめのにしといた」


 セットのズボンもあるからなと補足しつつ、俺はしゃがんで紙袋の中から箱を取り出す。


「あと、これもプレゼント」


「これは……アロマスティック?」


 箱を見た小凪は、不思議そうに首を傾げた。


 恐らく、朴念仁の俺がどうして女子ウケしそうなプレゼントを選んだのか疑問に思っているのだろう。誰が朴念仁だ。


「俺は女心とかわからないし、プレゼントにどんなものを選んだらいいのかすらわからない。だから、俺が知ってるものの中で女子が、というか小凪が喜んでくれそうなものを選んだんだ。アロマスティックは、どうしたらよく眠れるか研究してるときに知った」


 そう説明すると、小凪は「そうなんだ」と呟いてアロマスティックの箱に視線を落とす。


「ついでにそれはラベンダーの香りだ。安眠に向いてるからな」


「そ、そうなんだ」


 小凪は先ほどよりぎこちない『そうなんだ』を口に出した。


「どうだ? 俺なりに考えたんだが……」


 用意していたプレゼントを出し終え、俺は恐る恐る小凪に尋ねる。


 俺としては自信があるのだが、女子にプレゼントを送るという経験が少ないため、ちゃんと選べているのかわからない。


 そんな不安を胸に、小凪の返答を待っていると、不意に小凪の手が俺の頬に触れた。


「ありがと、兄さん。嬉しい。大切に使うね」


 ふわりと小凪が浮かべた笑顔に、胸の内にあった不安は溶けていく。


 よかった、ちゃんとしたプレゼントを選べたようだ。


 そう安堵を覚えるのと同時に、ふっと全身から力が抜けるのを感じた。


 どうやら、無意識に緊張して体が力んでいたらしい。


 しかし妹の前で床に座り込んでは情けないと、なんとか踏ん張り姿勢を維持する。


「じゃあ、俺はそろそろ部屋に戻る。疲れたからら一休みしたい」


「ん、わかった」


「誕生日、おめでとう。小凪」


「……うん、ありがと」


 最後に小凪の満面の笑みを拝んでから、俺は自室へと向かった。


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