第21話 誕生日と水族館デート

小凪こなぎ、明日デートしよう」


「は?」


 時は十一月の二十六日、土曜日。小凪の誕生日の前日である。


 バイトから帰宅した俺は、すぐさま小凪の部屋に向かいデートのお誘いをした。


 小凪の反応はというと、見てわかる通りなに言ってんのお前という様子。


 いやまぁ、たしかに、その反応もわかるねどね。来ていきなり「デートしよう」とか戸惑うに決まっている。


「兄さん、頭打った?」


「心配ありがとう、でも頭は打ってないぞ」


「兄さんバカになった?」


 急に失礼だな。


 唐突に飛んできた罵倒に驚いていると、続けて小凪が「なんで急に?」と尋ねてくる。


「ほら、明日って小凪の誕生日だろ?」


「うん、そうだけど」


「だから、まぁ恋人(仮)として、デートとかどうかって提案、なんだが」


 そう言うと、小凪はまるでハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。


 ど、どうしたんだろう。俺そんなにおかしなこと言ったか?


「に、兄さんがそんな……」


「こ、小凪?」


「兄さんが積極的に恋人らしいことを……っ」


「おいこら、そこで驚くな」


 たしかに、今まで積極的になにかをしようとはしてなかったが、彼氏らしいことはいくつかしてただろ。


 それはさておき。


「で、明日は大丈夫なのか?」


「え? まぁ、予定は入ってないけど」


「じゃあ、デート行くか」


「う、うん……なんか兄さん、強引だね」


 お願いだからそういうことを、頬を赤らめながら言わないでほしい。




   ーーーーーーーーーー




 そして翌日。小凪の誕生日にして、デートの日。


 待ち合わせ時間も昨日のうちに伝えておいたし、今のところ問題はない。


 強いて挙げるとすれば、わざわざ休みを取って小凪の誕生日パーティーを開催しようとしていた母さんが落ち込んでいることくらいだろうか。


 夜は家にいるわけだし、それで我慢してほしい。


 というか、俺と小凪のと対応の差よ。俺のときはなにもなかったというのに、小凪の誕生日は休み取るって。もう少し兄のほうも気遣ってくれはしませんか?


 いやまぁ、今さら気にしない。特別祝ってほしいわけでもないし。


 さて、とベッドから腰を上げ、時計に目をやる。


 そろそろ待ち合わせの時間だな。


 机の上に置いていた腕時計を左腕に身につけ、しっかりと見えるか確認。


 そうこうしていると、廊下のほうからガチャと扉が開いたような音が聞こえた。どうやら小凪が出てきたようだ。


 さて、じゃあ俺もそろそろ出るか。




「お待たせ、小凪」


「ん。なんで兄さんのほうが遅いの?」


 続くようにして玄関から出ると、小凪がやや不満そうに返してきた。


「ごめんごめん、ちょっとな。ってその服」


 小凪の格好は、青いバラがデザインされたブラウスと紺のロングスカート、淡いデニムのジャケットという、以前のデートで買ったコーデだった。


「に、兄さん似合ってるって言ってくれたし、兄さんから誘ってくれたデートだし、丁度いいかなって」


「そ、そうか」


 そんなことを考えていたとは……ちょっと恥ずかしいな。


「や、やっぱり、可愛いと思うぞ。……似合ってる」


 照れ隠し気味にそう言うと、小凪は目を見開いて、頬は徐々に赤らんでいく。


 不意打ちは卑怯、と弱々しくこぼす小凪の姿は、兄から見ても可愛らしく破壊力抜群である。


「……兄さん、今日は腕時計してるんだ」


「あ、あぁ。そうだな」


「に、似合ってるよ」


「お、おう」


 仕返しだと言わんばかりに褒められ、顔が熱くなるのを感じる。


 なんだこれ、玄関前で赤面する兄妹とか。誰得。


 しかしここでずっと突っ立っていては時間を無駄にしてしまう。そう思い、俺は咳払いをして「行くか」と小凪の手を取る。


「え、うん」


 戸惑った様子の小凪は、しかし小さく笑って頷いた。


「っと、その前に」


「? なに?」


「誕生日おめでとう、小凪」


「……ありがと」


 小凪はまるで照れ隠しのように、俺の肩に頭を当てた。



「それで兄さん、どこ行くの?」


「品川」


「品川?」


「まぁ、俺に任せてくれ。プランは計画済みだ」


 そう伝えると、小凪は小さく「大丈夫なのかな」と呟いたのち「うん」と頷いた。


 俺に任せるのはそんなに不安か……不安か。


 まぁ大丈夫だ。普段の俺は情けないが、今回はデート先についてしっかりと下調べをしている。


 彼を知り己を知れば百戦危うからず。備えあれば憂いなし。我が前に敵なし。


 今の俺には、これまでにないくらいの自身が宿っていた。



 最寄り駅から電車に乗り、事前に調べていた通りに乗り換えをすればなんということでしょう、目的地近くではありませんか。


 はぐれないようしっかりと小凪と手をつなぎ、脳内にマップを思い起こして歩き出す。


「兄さん、結局どこ行くの?」


「まぁ待て、すぐにわかる」


 ソワソワとしている小凪にそう言い聞かせ、道を行く。


「兄さん」


「なんだ小凪」


「あたし、なんとなく予想ついたんだけど」


「小凪よ、そこは兄の顔を立てると思って、わからないままでいてくれないか?」


「兄さんって、そういうところかっこよくないよね」


「う、うるせっ」


 そんな雑談をしているうちに、目的地が見えてきた。


「さぁ、ここが今日のデート場所だ」


「うん、わかってた」


 バッと手を広げて堂々と言ってみれば、しかし小凪の反応はなんとも平淡なものだった。


 まぁ、看板とかあったからな……。


 行き先サプライズは、今の小凪の反応からすれば失敗だろう。


 まぁ、これに関してはだいたい結果は見えていたわけだし、気にしない。大切なのはこれからだ。


 ということでやって来たのは、しながわ区民公園。そしてさらにはその中にあるしながわ水族館である。


「小凪は静かな場所が好きだったから、その方向で調べてみたんだ」


 水族館は雰囲気からして静かだし、公園も広いから人が多くてもそこまで騒がしくないだろう。


「……兄さん、あたしが静かな場所が好きって知ってたんだ」


「まぁ、な」


 俺の影響なのかは知らないが、思えば仲が良かった頃も、元気にはしゃぐくせに静かな場所を好んでいた。


 だから今でも変わっていないだろうという判断で選んだのだ。


 そしてその読みは正しかったようで、小凪は少し驚いた様子を見せたのち、小さく笑みを浮かべた。


「そう」


「おう」


「兄さんのシスコン」


「なんで?」


 柔らかい声音で罵倒(?)されつつ、俺は小凪と手を繋いだまま水族館へと向かった。


 そういえば、小凪と──というか、家族と水族館とか来たことなかったな。


 チケットを購入してから、ふとそんなことを考える。


 まぁ、親から誘われなかったわけでもない。しかし俺が興味を示さず、それに同調するように小凪も行かないと言うものだから、次第に親が出かけることを提案しなくなったのだ。


 今思うと、ちょっと申し訳ないな。もう少し孝行心を持ったほうがよかったな……。


 そんなことはさておき。


「なんな、凄いな」


「なにそれ」


 入って早々直感的な感想を口に出すと、小凪はよくわからないと言いたげな様子で俺にジト目を送ってきた。


 いやね、水族館の独特な雰囲気に感想を言っただけなんだ。だからそんな呆れたような目で俺を見ないでくれ。


 なんてことはともかく。俺はパンフレットを開いてマップを確認する。当然、事前にサイトでも確認していたが。


 とりあえず、入ってすぐ左手には川を模した水槽がある。その次は干潟に海。


「まぁ、順番に見て回るか」


「うん」


 頷くと、小凪は握っていた手を払い、おもむろに腕に抱きついてきた。


「小凪さん?」


「……他の人の邪魔にならないよう、詰めてるだけ」


「いや、言うほど混雑はしてない──」


「なに?」


「なんでもありません」


 小凪の急な行動に戸惑いながらも、ギロリと睨まれ俺は発言を撤回する。


 いや、小凪がいいならいいんだけど。胸が……んんっ、なんでもない。気にするな俺。


 気にしたら負けだと自分に言い聞かせ、小凪と共に館内を歩く。



「水族館だな」


「なに言ってんの?」


 通路に沿った水槽を見て、ふとこぼした感想をまた小凪に拾われた。


「兄さん、感想のボキャブラリー貧相すぎるよ。どうにかならないの?」


「いや、そう言われてもな……」


 ジト目で迫ってくる小凪に、俺はどう返したものかと頬を掻く。


 いやまぁ、小凪の意見ももっともだ。なんせ俺の頭には他に、魚だな、とか泳いでるな、くらいしか浮かんでいない。


 情緒の欠片もない思考回路に、俺ですら呆れてしまう。


 ごめんなと小凪に謝ると、小凪は「べつに」とため息をこぼして水槽へと目を向ける。


「兄さん、魚の下調べとかはしてないの?」


「してない」


「そこは堂々と答えるところじゃないけど」


「俺はな、してないことはしてないとハッキリ答える男なんだ」


「そういうところで男らしさ見せなくていいから」


「はい」


 やはり力関係は変わらず小凪が優勢。優勢というよりは、俺が弱すぎるんだが。


「そうだ小凪、なにか見たいコーナーはあるか?」


 目的もなく魚を眺めていると(それが水族館なのだが)またくだらない感想を漏らしそうだと思い、俺はパンフレットを開き小凪に見せる。


 水族館の看板と言えば、ペンギンやイルカだろうか。


「んー、クラゲ?」


「クラゲか」


 まさか見る対象にすら静かさを求めるとは。素質があるな。なんの素質かはわからないが。


「しかし、クラゲは結構後半のほうだぞ。そこまで他をスルーするってのもな」


「それなら結局、全部の水槽見るんでしょ」


「たしかに」


 まぁそれが水族館か、と納得して俺たちは次の水槽へと向かった。




   ーーーーーーーーーー




 それからペンギンやサメといった定番どころやイワシなどの群れ、クラゲや少し珍しい魚などを眺め、売店コーナーへと出た。


 スムーズに進んだと思いきや、時計を確認してみればもう既に昼時になっていて、楽しい時間は過ぎるのが早いなと感じられる。


「小凪、そろそろ昼飯にするか」


「うん。でもその前にあっち見たい」


 売店を指差し、小凪はそう言う。


「あぁ、そうだな。なんか記念に買ってくか、ぬいぐるみとか」


 ロゴ入りのものや公式キャラクターのぬいぐるみなど、水族館の限定品などが並んでいる一帯を指すと、小凪は静かに頷いた。


「小凪、どれがいい?」


「ん……じゃあ、これ」


 小凪が選んだのは、ロゴが刺繍されたイルカのぬいぐるみ。シンプル・イズ・ベストということだろうか。


 まぁ、ロゴとか入ってて記念ってわかりやすいし、丁度いいのかな。


 わかったと頷いて、俺はぬいぐるみを一つ取る。 


「他にほしいものあるか?」


「んー、兄さんは先買ってきて」


「わかった」


 小凪の指示通り、俺はイルカのぬいぐるみを片手にレジへと向かった。


 会計を終え邪魔にならないところで小凪を待っていると、少しして小凪がレジのほうからやって来た。どうやらなにか買ったらしい。


 まだあったなら、俺に言えばいいのに。そんなことを考えていると、目の前まで立ち止まった小凪は「はい」となにかを差し出してきた。


「なんだこれ、イルカのストラップ?」


「そう」


 小凪に渡されたのは、水族館の土産の定番、イルカのストラップだった。


「どうして俺に?」


「……お礼、今日の」


「なるほど」


 ちらりと小凪の手に見える、同じストラップには触れないほうがいいのだろうか。


 目を逸らしてソワソワとしている小凪に、そんなことを抱きながら「ありがとな」と伝えた。


「じゃあ、昼飯にするか」


「うん」



 というわけで、俺たちはレストランへと移動した。


 そこそこの人数だったが問題なく入ることができ、俺と小凪は店員に注文を伝える。


「っと、そうだ小凪、学生証あるか?」


「なに? 急に。一応持ってるけど」


「ちょっと出してくれ」


 小凪は不思議そうにしながらも、ハンドバッグから学生証を取り出した。


 それを受け取った俺は、店員に学生証を見せる。


「えっと、かっ、彼女が誕生日なんですけど」


 そう伝えると、店員は頷いて「お誕生日おめでとうございます♪」とプロの営業スマイルを輝かせた。


 店員が去ったあと、なにが起きたのかわかっていない小凪が「どういうこと?」と尋ねてきたのだが、俺は「さぁな」とはぐらかす。


「兄さん、なに?」


「まぁまぁ、それはあとの楽しみってことで。にしても、結構凄かったな」


 やや強引に話題を変えると、不満げな様子の小凪はため息をこぼして「そうね」と頷いた。


「トンネルのところとか、キレイだったよな」


「うん。あたしはやっぱり、クラゲが印象深いかな。あと、地球ってやつ」


「あぁ、あの球体の水槽な。あれも結構幻想的ってか、そんな感じだよな」


 水族館の感想を交わしているうちに、頼んでいたものが届いた。俺はエビフライカレーで、小凪はミニまぐろ丼と讃岐うどんのセットだ。


 雑談を挟みながら食べ進め、ほどほどの時間で完食する。


 そのタイミングで、再度店員がやって来た。


「なにこれ?」


 注文した覚えのないパフェの登場に混乱する小凪。


「それは、誕生日限定のスペシャルパフェらしいぞ」


 そう説明すると、小凪はなるほどと頷いてみせる。


「……ありがと」


「まぁ、ちょっとはサプライズになっただろ?」


「それを口に出すのは残念だけど」


「それは手厳しい」


 そう苦笑して、俺は改めて小凪に伝える。


「誕生日、おめでとう」


「……うん、ありがと、兄さん」



 俺は笑顔でパフェを食べる小凪を眺めているのであった。

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