第11話 小凪の膝枕
本当に大変な目にあった……。
帰路に就いた俺の頭には、そんなことしか浮かんでいなかった。
俺の予想の通り、いや予想以上に面倒なことになってしまうとは……。
一部始終を見ていたらしき
さらには白夜の話し声から聞き取ったのか、
そして
あの手この手を利用して話題を逸らし続け、今日のところはなんとか誤魔化すことができたのだが、所詮は姑息な手でしかない。
明日以降も続くと考えると、頭痛と胃痛で足がふらつく。
「ったく、なんで今日に限って白夜がいるんだよ……」
深いため息と共に、そうこぼす。
普段は学校の近くまで車で送迎されてるって言ってたのに。
……いや待てよ? なんで送迎してもらってるアイツがあの分かれ道のところにいたんだ?
白夜の家は、俺の家からすればおよそ学校の延長線上にある。
だからあの場所に白夜がいることなど、通常では考えられないはずなのだ。
ならば考えられるのは、なにかを予期してあの場で待っていたという説。なんなのアイツ、マジ怖い。
「……はぁあああ」
今までより深いため息を吐き、止まっていた足を動かす。
明日、休もうかな……。
何度もそんな考えが浮かび、そのたびにため息が漏れる。
そうしていつもより長く感じる通学路を歩き、帰宅する頃には体育祭のあとのように疲弊していた。
「ただい、ま……ぁ」
もはや言葉も滅茶苦茶で、眠ることしか考えられない。
寝よう。寝てすべて忘れよう……一時的だけど。
「っ、はぁ。階段ダル……」
今日のスピーカーはどんな組み合わせにしようと悩みながら部屋に向かっていると、小凪の部屋の前を過ぎたところでガチャと扉が開く音が聞こえてきた。
振り向いてみれば、私服に着替えた小凪が半身を覗かせていた。どことなく、心配そうな表情をしている。
「お、お帰り」
「ん、あぁ」
「兄さん、なにかあった?」
「あー、まぁ、ちょっとな」
さすがに、小凪と手を繋いでいたところを目撃され質問攻めにされたと答えることもできず、適当に誤魔化す。
しかしそこそこ頭がいいからか、小凪は自分が関係していると察したようで「ごめん」と呟いた。
「べつに、大丈夫だよ。大丈夫」
「嘘」
「嘘じゃないって。ちょっと小凪との関係を聞かれただけだ」
そっちはどうだったんだ? と話題を変えようと尋ねると、小凪は「そこそこ」と答えた。
「あたしに他校のカレシがいるって噂が、少し。まだ広まってるとは言えないけど」
「なるほど。告白は?」
「今日は三回」
「まぁ、まだそんなもんか。もう二三日すれば減るだろ」
「うん」
そうして確認が済むと、途端にお互い無言になった。
最近まで疎遠で、共通する話題があるわけでもないので、当然と言えば当然のことである。
それからしばらくの間、廊下で静寂の中立ち尽くしていると、不意に小凪が口を開いた。
「兄さん」
「ん? なんだ?」
「あたしの部屋、来る?」
「…………は?」
やや赤くなった小凪が紡いだのは、二度めのお誘い(誤解しないように)の言葉だった。
なぜ、小凪の部屋に……? カツアゲ?
真面目にそんな答えしか出てこず戸惑っていると、小凪は若干目を鋭くさせ「どうするの?」と圧のある声音で再度問うてきた。
「あ、行きます」
俺たち兄妹の力関係は依然として変わらず、俺は唯々諾々と頷いた。
「じゃあ、荷物置いてあたしの部屋来て」
「うっす」
もはや舎弟。兄ではなく下僕である。
そうして俺は、妹様の指示通り鞄を自室に放り投げ、小凪の部屋に入った。
「それで、俺はなにをすれば……?」
扉を背にして、俺はベッドに腰かける小凪に問いかける。
小凪はなぜか、大きめのブラウスにショートパンツと無防備かつ足の露出が多めのファッションをしている。妹とはいえ目に毒なので、是非ともやめていただきたい。
「こっち、来て」
「うす」
無の境地、再び。
小凪の意図はわからないが、俺はもう抗うのをやめる。というか抗う気力が残っていない。主に白夜のせい。
手招きされ小凪の隣までやって来ると、続けて「座って」と命令が下された。
あの日はベッドに座ろうとしたら蹴り飛ばされたのだが、さすがに小凪から呼んどいて蹴り飛ばしてくることはないだろう。
少しの不安と緊張を覚えながらベッドに腰かける。
それから数秒。脳内で数字をいくら数えていても、蹴り飛ばされることはなかった。
ひとまず安心していいのか……?
そう悩んでいると、不意に小凪が「ねぇ」と話しかけてきた。
「な、なんだ?」
「膝枕、してあげる」
恐る恐る尋ねてみると、小凪は自身の太ももトントンと叩き頓狂なことを口にした。
膝枕? 誰が? 誰に?
あまりに非現実的な発言に動揺していると、痺れを切らしたように小凪が俺の腕を引っ張った。
学校で体力と精神を消耗していた俺は抗うこともできず、小凪の太ももに倒れ込んでしまう。
顔に伝わる太ももの弾力に、先の発言で停止していた思考に『柔らかい』の文字が更新された。
これは……白夜にもらった枕より心地いい気がする……。
包み込んでくれるような温かさと、イヤな反発がなにもない弾力、そしてほのかに香る甘い匂いになぜだか安らぎを感じた。
──いや待てぃ。なに安らいでんの? ここは小凪の部屋で、現在進行形で小凪に膝枕されてるんですけど?
しかし少しして、乱されていた思考が落ち着きを取り戻し、冷静に現状を確認する。
いや本当にどういう展開だこれ。廊下で小凪に呼ばれたと思いきや、膝枕だって? 理解が追いつかないんだが。
そう冷静に戸惑っていると、まるで俺の思考を読んだかのように小凪が「朝のお返しだから」と呟いた。
「朝?」
「……朝、兄さんが頭撫でてくれたから」
「……あ、あぁ」
そういえば、そんなことしたな。
白夜をはじめとするクラスメイトたちの質問攻めに、今朝の出来事をすっかり忘れていた。
「あたしさ、昨日は強がったけど、やっぱりああいう噂って嫌で、それにあんまり関わりのない人からジロジロ見られるのも気持ち悪くて、正直行きたくなかった」
けど、と小凪は俺を見下ろして続ける。
「兄さんが頭撫でてくれたから、頑張れた。だからそのお返し」
横目でしか確認できないが、やはりと言うべきか小凪の顔は少し赤くなっていた。
恥ずかしいだろうに、わざわざそんなところにまで恩を感じて返してくれるとは、なんていい子に育ってくれたんだ……っ。
そんな感動からか、少し涙が浮かんできた。
「な、なに泣いてんの!?」
「ばっ、ばーろーっ、泣いてねぇやい」
「なにその口調。じゃなくて、誤魔化さなくても見ればわかるし。なんなら太ももに落ちてきてるし」
「う、うっせーやい」
我ながらどうなんだという返しをしながら、涙を
くっ、まさか小凪がこんなに泣かせてくるとは思ってもみなかったぞ……。
そんなわけのわからない敗北感を覚えつつ、そういうことならと俺は小凪の厚意に甘えることにした。
しかし、感動したあとになんなのだが、やはり素足で膝枕はお兄ちゃんどうかと思う。せめてロングスカートか丈のあるズボンにしてほしい。
「兄さん」
「な、なんだ?」
今までに経験のない状況に改めてソワソワしていると、突如として小凪に呼ばれた。
「太もも舐めたりしたら、そのまま窒息させるから」
「絶対にしないから今すぐ頭に添えている手を退けてくれ」
声のトーンがガチだった。本気で俺がそんなことをするとでも思っているのだろうか。
というか、そんな発想ができる小凪にちょっと驚きだよ、マジで。
少し呆れてため息をこぼすと、小凪が「ひゃっ」と普段より高い声を漏らした。
今度はなんなんだと見上げてみれば、先ほどの比ではないほど赤面した小凪が俺を睨みつけてプルプルと震えていた。
「く、くすぐったいから息するのも禁止っ」
「なんでいきなり死刑宣告?」
「う、うっさいっ」
照れているのか、小凪は「大人しく寝てて」と俺の頭に手を置いた。
なんというか、妹だとわかってるのに落ち着く……これが包容力というやつか……。
頭を撫でられ、その心地よさが眠気を誘う。
ま、待て。さすがに妹の膝枕で寝るのは、兄としてダメな気が、…………。
しかし学校でのことや、昨晩寝られなかったことから、眠気に抗う力は残ってなかった。
「おやすみ、兄さん」
薄れゆく意識の中、やけに温かい声が聞こえたような気がした。
ーーーーーーーーーー
どれくらい時間が経ったのだろうか。
程よく体から疲労感が抜け、心身共に回復しているのを感じる。
徐々に意識が覚めてきているのか、柔らかな太ももの感触と鼻腔をくすぐる甘い匂い頭の中を埋め尽くす。
ゆっくりと
見えるというか、ほとんどなにも見えない。
部屋のインテリアなどは一見してどこにもなく、布地が壁のように広がっている。
どこかで、見たような色だな……。
なんとか思いだそうと頭を悩ませていると、ふと違和感を感じた。
というのも、小凪の太ももと触れている頬が逆になっていたのだ。
つまり……寝返りを打ったのか?
そうなると、今見ている方向は部屋ではなく小凪本人……。
なんだろう、なぜかイケナイことをしているような気分だ。
そんなことを考えていると、不意に「起きたの?」という小凪の声が聞こえてきた。
声のするほうへ顔を向けてみれば──小凪の顔よりも先に反り返った崖のようなものが視界に入る。
いやこれ胸だわ。
すぐに悟った。そしてなにも言わまいと心に決める。
もし胸のことに関してなにか言えば、生殺与奪の権を握られている今、俺に未来はないだろう。
心を落ち着かせ、俺は平然とした調子で「おはよう」と返した。
「ん。寝れた?」
「そりゃもう、バッチリ」
「そ、そう。……よかった」
「あ、あぁ。……じゃあそろそろ部屋戻るわ」
「ん」
このままでダメになりそうだと思い起き上がろうとして──俺は自分の甘さを思い知ることとなる。
──ふにゅ。
なるべく小凪を触らないように体を起こしていると、突然頭に太ももの比ではないほどの柔らかいものが触れたのだ。
あ、終わった。そう悟るのに一秒もかからなかった。
そのまま数秒の沈黙が続いたが、やがて小凪がプルプルと震えていることに気づく。
「こ、小凪っ、これはあくまでも事故で──」
「にっ、ににに兄さんのえっち! ヘンタイ! ばか!」
言い訳が口からこぼれかかった瞬間、小凪の羞恥に満ちた声音によって遮られ、
「ばか!」
その罵倒と共に、俺は部屋から追い出されたのであった。
「あぁ、やらかした……」
俺はしばらくの間、そうして廊下に項垂れていたのであった。
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