第7話 小凪の〝お願い〟

 誕生日に様々な睡眠グッズを得てからというもの、俺の睡眠の質は格段に上昇した。


 お陰で朝がよりいっそうつらくなったが、そんなことどうでもいいくらい寝心地がよく、日中頭が冴える。目覚ましは五分早めた。


 良質な睡眠を得た俺は、生活の質の向上すら自覚できる。予習復習は朝飯前。


 水曜日という平日ど真ん中な日でも、自然と気だるさや疲労が出てこない。


 やはり快眠。快眠がすべてを解決する。


 いつものごとくストレッチで睡魔を振り切った俺は、上機嫌(テンション高め)なままリビングへと向かった。



「おはよう、小凪こなぎ


「……ん、おはよ」


 あの日から二週間は経ち、疎遠だった小凪とも自然に挨拶するほどになっていた。


 日に日に会話の量が増えていくことを、俺は存外嬉しく思っている。


 本格的に思考がシスコン寄りになってるな。そんな自嘲が浮かぶが、これくらいがちょうどいいのだろう。


 小凪が涙を流さないでいてくれるなら、不干渉でいるよりシスコン寄りになったほうがいい。もはやこれ最初からシスコンでは?


 そんなくだらないことを考えながらテレビに目をやる。


 ちょうど誕生月占いのところで、俺は有り体に言えば平凡な順位だった。


 しっかし、こういう占いってときどきラッキーアイテムが異常な場合があるよな。なんだよホットサンドメーカーって、持ち歩けと?


「兄さん、これ」


「ん?」


 ホットサンドメーカーだった。


 小凪に呼ばれなんだろうと向けば、こちらにホットサンドメーカーが差し出されていた。なんであるんだよ……。


「小凪? これを俺にどうしろと?」


「……ラッキーアイテム」


 どうやら、先程の誕生月占いを小凪も見ていたらしい。


 いやだからってホットサンドメーカー出してくる?


「うちにあったっけ?」


「ママが買った」


 なるほど。


「小凪、気持ちはありがたいんだが、朝の占いのラッキーアイテムなんぞ気にしなくてもいいぞ」


 なんなら先週はワインだった。未成年ですよ番組さん。


「じょ、冗談だし」


 なるべく機嫌を損ねないように言うと、小凪はやや頬を赤らめてホットサンドメーカーを台所のほうへと持っていった。



 それからはまた特に会話もなく、朝食を済ませて家を出た。




   ーーーーーーーーーー




 学校では特筆すべきことはなく、今日も今日とて平凡に過ぎ去った。


 トラブルらしいトラブルは起こらないし、人間関係の急激な変化なんてものも起こらない。


 まぁ白夜びゃくやは普通にウザかった。


 ファストフード店で小凪と遭遇してしまった日以来、特別話題がないと白夜は小凪の名前を口に出してくるのだが、まぁウザい。


 そのときの白夜は、表情や口調など、なにからなにまでウザかった。全国ウザいやつ選手権があったら優勝できそう。


 最近ウザカワ系と聞くことがあるのだが、少なくとも男がやっても人気は絶対に出ない。



「ただいまぁ」


 精神的に疲れたからか、気の抜けた声が口から漏れる。


 寝たい。今すぐベッドにダイブして三種の神器(枕、グースピー、睡眠スピーカー)で眠りたい。


 ダラダラと階段を登り自室へと向かう。


 堅苦しいブレザーを脱ぎ捨て、ベッドで即寝したい衝動を必死で抑え机に着く。


 さて、今日の授業の復習を始めるか。


 我ながら真面目かと突っ込みたいほどである。誰か褒めてほしい。


「ふぁ……っ、ねむ」


 欠伸をしつつ、俺はノートを開いた。




   ーーーーーーーーーー




 ──お兄ちゃんっ♪



 懐かしい声が聞こえたような気がした。


 最後にそう呼ばれたのは、いつだっただろうか。


 昔は甘えん坊だったな、なんて感慨にふける。


 よく〝お願い〟と言って夏休みの宿題とか手伝わされたな。


 なんの影響かわからないが、昔の小凪は〝お願い〟を多用していた。おかげで、一時期とてもワガママな性格になっていた。


 最終的には親父に叱られて、頻繁ひんぱんに〝お願い〟を使うことはなくなったのだが。


 本当に、懐かしい。



「──兄さん」



 凛とした声音に、意識にかかったもやが晴れていくのを感じた。


 開けた視界には、俺を見つめる小凪の姿がある。


 そこでようやく、勉強中に寝ていたことを自覚した。


 目が覚めたばかりだからか、高校一年生の小凪に幼い頃の姿を重ねてしまう。


 意識をハッキリと持つんだ、俺。


 んんっ、と背伸びをして頭を落ち着かせ、ようやく小凪と向き合う。


「珍しいな、小凪が俺の部屋にいるなんて」


 昔は毎日のように遊んでと部屋に突撃してきていたので、むしろ小凪がいない時間のほうが少なかったような気がする。


 ……って、また懐古してるじゃないか。ダメだ、やっぱり寝起きは頭がコントロールできない。


「なにか用か?」


 一つ深呼吸を挟んで、小凪にそう尋ねる。


 すると小凪は一瞬瞳に迷いの色を見せ、そして改めて俺の目を見つめてきた。


 まだ眠りから覚めきっていないのか、その姿に夢で見た幼少期の小凪が重なる。


 まさか、と思ったのと同時に、小凪が口を開いた。



「──〝お願い〟があるんだけど」



 ドキッ、と一瞬鼓動が高まる。


 どうして幼い頃の小凪を夢に見たのかわからなかったが、もしかしたらこのことの前触れだったのだろうか。


 推測しても答えが出るわけもなく、俺は思考を止める。


「それで、どんな〝お願い〟なんだ?」


「……勉強、教えて」


 そう言って小凪は、見覚えのある教材を見せてきた。


 去年、配布されたやつだよな。


 学校は違うが、地域が近いためか教材も同じのようである。


 少し不安だったが、一度解いたことのある問題ならどうにかなりそうだ。


「それはいいが、正直俺が教える必要あるか?」


 俺は日々勉強は欠かしていないためそこそこできるほうだが、小凪も真面目に勉強しているので成績はよかったと記憶している。


 学年分のアドバンテージがあるとはいえ、わかるわからないのラインはほとんど変わらないと思う。


 それでもいいかと確認を取ると、小凪は大丈夫と頷いた。


 まぁ、小凪がいいなら、俺はいいんだが。



 そういうことで、俺は何年ぶりかの〝お願い〟を受けたのであった。




   ーーーーーーーーーー




「──で、ここがこうなってだな」


 小凪に起こされてからしばらく。席を小凪に譲り、俺はわからないと指された問題を解説していた。中腰の姿勢を維持しているので腰が痛い。


 やはり兄妹というべきか、小凪がわからない問題はほとんど、去年俺がつまずいた問題ばかりだった。


 もちろんわからないところはしっかりと復習して解決済み。そのため最初の不安はすっかりなくなり、教えることに専念できる。


 まぁ、小凪の要領がいいから専念というほど熱心に教える必要がないが。


 それにしても、と小凪に目をやる。


「この教科はもう大丈夫」


「そうか、じゃあこれで──」


「次の教科取ってくる」


 さっきからこれの繰り返しである。


 一つの教科を教え終わると、一旦自室に戻り別の教科の教材を取ってくるのだ。


 すぐに終わると思っていたのだが、これはもう少し長くなりそうである。


 そう思ったのも束の間、ドアノブに手をかけたまま小凪がこちらを振り返った。


「兄さん」


「なんだ?」


「移動するの面倒」


 なら最初から全部まとめて持ってこいよ……。


 そう呆れていると、「だから」と小凪は続けた。


「あたしの部屋で教えて」


「は?」




 というわけで、場所を移動して小凪の部屋。


 ローテーブルを引っ張り出して、二人して床に座り勉強を再開する。


 入ったのはあの日以来か。


 内装は変わっておらず(そもそも変化を察するほど小凪の部屋を見ていない)、俺の部屋と違ってどことなくいい匂いがする。


 アロマとかしているのだろうか。


 そんなことを考えながら、小凪に問題の要点やコツを教えていく。



「兄さん」


 それから少し経って、手を止めないまま小凪が口を開いた。


「なんだ?」


「腰、大丈夫?」


「え?」


 どういうことだろうか。そう悩み、そういえばと思い当たる。


 俺の部屋で教えていたときは、小凪を椅子に座らせて俺は中腰をキープしていた。


 そのため腰がとてつもなく痛かったのだが、小凪の部屋に移動してからは床に座っていてその痛みもすっかり和らいでいる。


 もしかして、俺のために移動してくれたのか……?


 ローテーブルは俺の部屋にはない。だから、床に座って勉強できるよう小凪の部屋に。


 そう思い至った瞬間、鼻の奥がツンとするのを感じた。


 なんとなく、ここ最近の小凪の言動から実は優しいのでは? と思っていたのだが、ここまで気を配ることができるとは。


 妹の成長に感動していると、不意に小凪が「ねぇ」とシャーペンのノックボタンでつついてきた。ちょっと強いというか痛い。


「聞いてる?」


「お、おう。大丈夫だぞ」


「……そ」


 頷いてみせると、小凪は少しばかり口角を上げた。


 なんというか、こうして接していると小凪のイメージが変わるな。


 照れているのか頬を赤らめている小凪の姿に、ついつい苦笑が漏れる。


 それに気づいた小凪が、いっそう赤くなってシャーペンのノックボタンで頬をグリグリとしてきたのは半ば想像通りだった。


 想像通りなんだけど、ちょっと痛いというかわりと痛いし強いし痛い。


 絶対跡がつくな……。



 それから少しして、小凪が落ち着いてから勉強を再開したのだが。


「ところで、なんだが」


「……なに?」


「近くない?」


 教える手を止めずに、俺は先程から抱いていた疑問をぶつけた。


「狭いから」


 すると反ってきたのは、その一言のみ。


 から、なんなのだ。仕方ないということなのか? たしかに仕方ないけど……。


 しかしそれ以上言及しようにも、小凪から黙れというオーラが出ていて叶わない。


 まぁ、小凪が気にしないならいいんだけどさ……。


 ──そう納得するのだが、その後肩がぶつかったり、膝が触れ合ったりとまったく集中できない。


 しかも小凪のやつ、十月入ったってのにオフショルダーの服とショートパンツという露出多めのコーデをしてやがる。寒くないのか。


 いろいろな意味で不安を覚えながら、俺は小凪に問われる問題の説明に励んだ。



 それからしばらくして母さんから夕食ができたと呼ばれ、勉強会(ずっと教えてた)が幕を閉じた。


 小凪の部屋を出るとき、どことなく懐かしさを覚えたのは夢のせいだろうか。

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