第四章 ~『クロウの裏切りの理由』~


 ルカから何が起きたのかを聞き終えたアトラスは苦悶で眉を顰める。


(クロウが俺を殺すために裏切る? ありえない。何の冗談だ?)


 幼い頃から共に過ごしてきたからこそ、クロウが金や名誉のために友情を捨てるようなタイプではないことを知っている。


 恨みを買った覚えもないため、裏切られる理由に心当たりがなかった。


「……ぐすっ……お願い、アトラス。クロウを止めて」

「ああ。俺に任せておけ」


 裏切った理由を考えるのは後回しにして、まずはクロウの暴挙を止めるべきだと、意識を集中させる。


「下手な真似はやめるんだね。僕は君が抵抗するなら、躊躇なくメイリスさんを殺すよ」


 メイリスの首元に当てられた刃物には多くの魔力が込められている。彼の《加速魔法》の力も加えれば、魔力の鎧を貫くことも可能だろう。


「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに……」

「気にするな。クロウの魔術の影響で抵抗できないんだろ?」

「手足が思うように動かせませんし、魔術を発動する隙もなさそうです」


 人質を救い出すにはクロウより速く動かなければならないが、彼の《加速魔法》相手ではそれも難しい。


「なぁ、クロウ。どうして裏切ったんだ?」

「事情があってね」

「その事情とやらを教えてはくれないんだよな」

「残念ながらね」

「なら俺は何をすればいい?」

「簡単さ。自害してくれればいい」


 クロウは腰からもう一本のナイフを取り出すと、アトラスに放り投げる。それを受け取った彼は白銀の刃をジッと見つめる。


「正義心の強い君だ。人質と自分の命を天秤にかければどちらを優先するかは悩むまでもないだろ?」


 クロウの目は何かを訴えかけるに輝いていた。その瞳には誰よりも友人を思いやる優しさが込められている。


「ははは、なるほどな。そういうことかよ」


 アトラスはすべてを察して哄笑する。なぜクロウが裏切ったのか、その秘密はルカにあったのだ。


(命の天秤という台詞。これは選考会でクロウが口にした問いだ)


 アトラスの命とルカの命、どちらか片方しか選べない時、どちらを残すべきか。選考会でクロウはアトラスに問うた。


 その裏に隠れた意図こそが、今回の裏切りの動機だったのだ。


(おそらくルカが何らかの手段で人質に取られている。ホセがルカを殺さなかったことがその証拠だ)


 ルカが人質だとすれば殺すわけにはいかない。命があるからこそ人質としての価値が生まれるからだ。


(ホセの要求は俺を殺せばルカの命を助けるってところか……クソッ、友人の命を天秤に賭けさせられたクロウの悔しさを想うと怒りが湧いてくる! 今すぐにでもホセに襲い掛かりたい……)


 しかしどんな手段で脅しているか分からない以上、下手に動くべきではない。受け取ったナイフを首元に持っていく。


「後は任せたぜ、親友」

「……っ……ああ。僕が必ず救ってみせるよ」


 クロウの目尻から涙が流れ、頬を伝って地に落ちる。ナイフで串刺しになった彼は、そのまま床に倒れ込んだ。


「あああああっ、アトラス、嫌だよ、死なないでよ」


 血飛沫の舞う光景を呆然と見つめながら、ルカは膝を折って涙を流す。咽び泣く声が地下室に反響した。


「さすがはクロウ。我らの心強き仲間だ」

「御託は良い。これで約束は果たしたんだ。解毒剤を貰おうか」

「もちろんだとも。私は約束を守る男だ」


 ホセは懐から薬瓶を取り出すと、それをクロウに手渡す。奪うように受け取った彼は、メイリスを離し、ルカの元へと駆け寄った。


「ルカ、これを飲むんだ」

「ねぇ……そんなことよりアトラスが……」

「――ッ……いいから。早く飲むんだ!」


 クロウはルカの顎を掴んで、無理矢理口を開かせると、受け取った薬を流し込む。透明色の液体を為されるがままに彼女は飲み込んだ。


「けほっ、けほっ」

「大丈夫かい!?」

「ね、ねぇ、クロウ。薬って何のこと? どうしてアトラスを殺したの? 説明して!?」

「それは……」


 クロウが言い淀む。質問に答えたくないと暗に拒絶していると、ホセは喉を鳴らして笑った。


「君が教えないなら私が教えよう」

「ま、待て!」

「いいや、待たないさ。実はね、君とお茶をした事があっただろ。あの時、紅茶に毒を混ぜておいたのさ。遅延性があり、徐々に体を蝕んでいく毒でね。あと数日後には君は死んでいたんだ」


 毒と聞いて、ルカには心当たりがあった。最近身体の調子が悪く、常に倦怠感を覚えていた。風邪だと思い込んでいたが、その実は毒に対する身体の拒否反応だったのだ。


「君かアトラス。どちらかしか救えなかったんだ……っ……む、無能な僕を許してくれ」

「ううん。本当に駄目なのは私だよ……私が毒なんて飲まされなければ……ぐすっ……またアトラスに救われちゃったよ……」


 ルカとクロウ。二人は自らの責任で友人を失ったことに涙する。その光景を嗜虐的な笑みを浮かべながら見つめる人物は二人いた。ホセとメイリスである。


「やはり仲間を裏切った馬鹿を見下すのは最高の気分だ。君も同じ気持ちかい?」

「私が? まさか?」

「だが君の笑み、同類のそれだと思ったがね」

「いいえ、私が笑っていたのは自分の過ちに気づかないまま勝利を確信するあなたに対してですよ」


 メイリスの言葉が引き金となった。倉庫を凄まじい殺気が包み込む。


「な、なんだ、この禍々しい空気はッ」

「ふふふ、あなたは絶対に怒らせてはいけない人物を怒らせてしまいました。感じるでしょう? 恐ろしいでしょう? その直感は正しいです。魔王アトラス様は殺しても殺しても地獄の淵から蘇るのですよ!」


 首元に刺さったナイフを抜きながら、アトラスがゆっくりと起き上がる。まるで地獄から生き返った死者のような眼でホセを射抜く。


「き、君はどうして生きて……いや、考えるまでもない。魔術だな。君は死んでも蘇生する魔術が扱えるんだ!」

「答えが分かったところでもう遅い。クロウやルカを泣かせた上に、俺を殺したんだ。お前が死ぬには十分すぎる理由だ」


 全身から魔力を放ちながら、アトラスは殺意をホセへと向ける。最強と評された執行官と、最弱と嘲笑された回復魔術師。二つの頂きが衝突しようとしていた。


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