第三章 ~『久しぶりの我が家』~


 魔王城へと戻ったアトラスは玉座に腰掛けながら天井のシャンデリアを眺めていた。


「うわの空のようですが、どうかしましたか?」


 メイリスが心配そうに訊ねる。


「落ち着かないなと思ってさ」

「ふふふ、それも今だけです。すぐに自分の家だと思えるようになりますよ♪」

「そうは言うが、既に一か月以上経過しているんだぞ」


 フドウ村での出来事の後、アトラスは魔王城で生活をしていた。もちろん一か月の間、遊んでいたわけではない。


 さらに強くなるために、ダンジョンで修行をしていたのだ。その結果、ダンジョン内で未討伐の魔物はいなくなり、暇を持て余すように城の中に籠るようになったのだ。


「落ち着かないなぁ~」


 王城よりも贅を凝らした魔王城は、質素倹約を旨とするアトラスの性分と合わなかった。決めたとばかりに、玉座から立ち上がる。


「俺は家に帰るよ」

「アトラス様は既にご帰宅ではありませんか?」

「魔王城じゃない。学園通りにある俺の自宅だ」


 魔術学園に通う生徒たちは、学園より貸借された住居で暮らしている。魔王城と比べると、何一つとして勝っている部分はないが、それでも住み慣れた家に戻りたかった。


「分かりました。アトラス様の願いなら叶えましょう」

「助かる。場所を伝えれば、メイリスの魔術で飛べるよな?」

「ええ。住所さえ分かれば、私の魔術は使用可能ですから」


 メイリスは伝えられた住所と繋がるための扉を出現させる。扉を潜った先には見慣れた光景が広がっている。


 学園への通学路から少し外れた位置にある住居は、吹けば吹き飛ぶような安普請だ。学園から貸与される住居は、その魔術師への期待値の高さで決まるため、最弱魔術師と称されていた彼にこのボロ家が与えられたのは必然だった。


「あ、あっ……」

「どうかしたのか?」


 メイリスは目の前にある住居に困惑すると、勢いよく頭を下げた。


「ア、アトラス様、申し訳ございませんでした!」

「どうしたんだよ、急に」

「どうやら魔術を失敗して、豚小屋に飛んでしまったようです」

「豚小屋じゃねぇよ! ここは俺の家だ!」

「またまた御冗談を。豚でも住むのを躊躇いそうなこの家に人が住めるはずないではありませんか」

「…………」

「まさか本当にアトラス様のご自宅ですか?」

「そうだ」

「………あ、味のある佇まいですね♪」

「フォローが下手かっ!」

「……ぅ……そ。そうです! 建物も人と同じで中身が大事。外見など二の次ではありませんか。さっそく中に入ってみましょう」

「強引に誤魔化したな。だがまぁいい。自宅を案内してやるよ」


 アトラスは玄関の扉を開ける。不用心だが扉に鍵はかけていなかった。


「最強の魔術師であるアトラス様の自宅に忍び込むような賊はいませんからね」

「盗むモノがないだけだ。それに俺が泥棒なら金を持っている奴の自宅を狙う」

「……アトラス様は一か月以上不在でしたよね?」

「知っての通りな」

「長らく不在にしていたとは思えないほどに家の中が綺麗です。埃一つありません」


 老朽化した建物だが、きちんと手入れが行き届いていた。アトラスが魔王城で過ごしている一か月間、誰かが掃除してくれていたのは間違いなかった。


「アトラス様には恋人がいらっしゃるのですか?」

「最弱魔術師と馬鹿にされていた俺にいるはずないだろ」

「ですが……家の中から女性の残り香がします」

「そいつはただの幼馴染だ」

「ふーん、幼馴染ですか……」

「なんだか不満そうな物言いだな」

「私もアトラス様の配下である前に一人の女ですからね。嫉妬くらいします」


 メイリスは頬を膨らませながら、不機嫌さをアピールする。だがアトラスはそれを笑い飛ばす。


「ははは、無用な心配さ。なにせルカと俺はただの幼馴染で、恋人とは程遠い関係だからな。それにあいつにはクロウがいる。性格も外見も完璧でさ。それはもう凄い奴なんだ」


 アトラスにとってクロウは唯一無二の親友だ。困っているといつだって相談に乗ってくれるし、最弱だと馬鹿にしたこともない。


 誰よりも信頼できる親友こそルカに相応しいと考えていた。


「アトラス様、あなたは間違っています。あなたより優れた人物などこの世におりません」

「だが……」

「少なくとも私は、この世界中の誰よりもアトラス様のことが大好きですよ♪」

「――――ッ……随分と直球だな。そもそもどうして俺に惚れているんだよ?」


 アトラスとメイリスは主従関係にあるものの、恋を育むような事件が起きたわけでもない。嬉しさよりも疑問の方が先に来てしまう。


「私はアトラス様に恋心など抱いておりませんよ」

「ええええっ、でもお前、俺のことが大好きだって……」

「好きですよ。人としてですが」

「で、でも、嫉妬しちゃうって」

「人として好きでも嫉妬はしますよ。異性の友人が恋人と遊んでいるとモヤモヤするでしょう。それに近しい感覚です♪」

「あー、そういうことね……」

「ですがアトラス様が惚れろと仰るならば、恋人になることもやぶさかではありません。交際しますか?」

「結構だ。遠慮しとくよ」


 主として慕ってもらえるだけでもアトラスにとっては十分だった。


「久しぶりの我が家だ。懐かしのオンボロベッドで寝たいし、メイリスは魔王城に帰ってくれ」

「私もこちらに泊まりますよ」

「ベッドは一つしかないんだぞ」

「一緒に眠れば良いではありませんか」

「……これは命令だ。魔王城で待機してろ」

「ふふふ、アトラス様は恥ずかしがり屋さんですね♪」

「~~ッ、か、からかうのはよしてくれ」


 アトラスの頬が赤くなる。その反応が可愛らしいのか、メイリスはニコニコと笑みを浮かべる。


「私は『千里の鏡』で様子を伺っておりますから。もし私の力が必要になりましたら、いつでもお申し付けください」


 メイリスは頭を下げると、空間に穴を開けて、魔王城へと帰っていく。


「久しぶりの我が家だしな。堪能しないとな」


 寝室のベッドに飛び込むと、グルグルと寝転がる。


「この固いベッドの感触、懐かしいぜ」


 魔王城のベッドは雲の上で眠っているかと錯覚するほどに柔らかい。たまになら良いが、毎日あのベッドで寝ていると、身体が贅沢を覚えていくようでむず痒いのだ。


「布団もルカが干してくれていたんだな」


 布団からは太陽の香りと、ルカの甘い香りが漂っていた。


「俺がいなくなってもルカは気にしないと思っていた。だけど……」


 手入れされた家と、洗濯された布団が、大切に思われていたことを実感させてくれる。


「ルカ……に礼を言わないとな……」


 薄れていく意識の中で幼馴染の名前を呼ぶ。持つべきものは友達だと、改めて自分が恵まれていたことを自覚するのだった。


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