第一章 ~『ゴブリンロードとの闘い』~


 ゴブリンたちを追い払ったアトラスは、邪魔された睡眠を再開するべく、瞼を閉じて、暗闇の世界の中に身を任せる。


 眠り始めてから数時間が経過した。溜まった疲労を回復させたアトラスは、瞼を擦って起き上がる。


「ふぁ~、もう朝か……とはいえ、ダンジョン内は薄暗いから実感湧かないが」


 体内時計と空腹が時刻を朝だと教えてくれる。空腹を埋めるために、瞼が半開きの状態のままで、ドラゴンの死骸の元へと向かう。


 ドラゴンの腹の中から肉を抉り取ると、回復の魔術で鮮度を取り戻すが、またあのマズイ肉を口にしなければならないかと思うと、どうしても口元が引き攣ってしまう。


「食べたらすぐに飲み込めばいいんだ。そうすれば味なんて感じな――いや、違う。美味しく食べる方法ならあるじゃないか」


 アトラスは手で握った生肉を魔力で包み込むと、炎の魔法を発動させる。石窯で焼かれるように、肉の表面に綺麗な焼き目が刻まれていった。


「美味しそうな匂いがしてきたぞ。これなら味も期待できそうだ」


 こんがりと焼けたドラゴンの肉を口の中に放り込む。生肉とは違い、血生臭さは感じない。肉汁のジューシーさが舌の上で弾けた。


「うめえええぇぇっ!」


 久しぶりのご馳走に涙が零れそうになる。気力が満ち、身体から放たれる魔力も自然と多くなっていた。


「俺の魔力量も随分と増えたな」


 魔力量だけなら一学年最強だったウシオを圧倒し、黒鎧にさえ匹敵するレベルに到達した。一万回の死は無駄でなかったのだと、苦労が報われた喜びで頬が緩んでいく。


「魔力だけじゃない。《炎魔法》や《斬撃魔法》も習得できた。それにこれからも殺されるたびに増えていくんだ。いつかウシオの《爆裂魔法》でさえも俺の力に……あれ? 待てよ。もしかして……」


 アトラスの記憶は曖昧になっているが、ウシオの『時計爆弾』により、一度殺されているはずである。


 もしそこから復活したのなら、《爆裂魔法》も既に扱えるのではないか。疑念を確認するために、手の魔力を破裂させたいと願う。


 すると小さな爆発が発生する。《爆裂魔法》は既に習得済みだったのだ。


「これで魔法でもウシオに負けないはずだ……いや、そんなことより、やっぱりあいつ、俺を殺してやがったのか」


 ウシオと相対した時、報復に躊躇する理由が消えた。謝罪しても、もう遅い。必ず復讐してやると誓う。


「復讐を確実に成し遂げるためにも、もっと強くならないとな……」


 強くなるには魔力を増やすか、新しい魔法を覚えるしかない。どちらしても、アトラスには闘争が必要だ。


「期待していたら、現実が応えてくれるとはな。俺も運が良いのか悪いのか」


 アトラスに近づいてくる足音が聞こえてくる。その数は一つや二つではない。音の大きさから小柄な魔物の群れだと分かる。


「やはり報復に来たか」


 足音の正体はゴブリンだった。魔物の中では比較的知能が高い彼らは、アトラスに勝てないと見るや、一目散に逃げ去った。しかしそれは一時的な後退に過ぎなかった。


 人でさえ一度受けた恨みを忘れないのだ。本能のままに生きる魔物が、リーダーのゴブリンメイジを殺されて、大人しく引き下がるはずもない。


「ゴブリンメイジを倒した俺を倒せる戦力だ。強敵が現れるのだろうな」


 ゴブリンが集結するのを期待していると、ゴブリンメイジよりも二回りは大きい巨大な魔物が目に入る。


 大きさだけならオークにさえ見える魔物は、ゴブリンたちの王、ゴブリンロードである。二メートルを超える身長と、丸太のように太い腕、そして全身から放つ魔力が強さを誇示していた。


「ゴブリンロードは身体能力が高く、魔術も使えたはずだ。ゴブリンメイジほど簡単には倒せないかもな」


 ゴブリンロードは個体ごとの魔術を駆使する。もしその魔術が殺さずに身動きだけを封じる能力ならば、無限の蘇生能力を持つアトラスでさえ敗北が起こりうる。今まで以上に慎重にならざる負えない。


「なんだ、あの動き……」


 ゴブリンロードは祈るように両手を合わせた。戦闘中に必要のない行動を取るはずもない。何らかの意図があると警戒する。


 数秒間、ゴブリンロードに動きはないが、異変は起きる。空間に裂け目が入り、そこから弓と矢が零れ落ちてきたのだ。


「あれがあいつの魔術か……」


 空間に収納したアイテムを取り出せる魔術。それこそがゴブリンロードの力であった。


「両手を合わせていたのは制約かな。合わせていた時間に応じて、多くの物質を取り出せる穴を開くってところか」


 魔物の知性では魔術の条件を複雑に設定することはできない。シンプルで、効果的な条件が求められる。それ故に縛りを予想することは容易い。


「魔術が判明した以上、俺にできることは一つだけだ。攻撃あるのみ!」


 蘇生を阻害するような力でないと知れたなら、恐れることは何もない。


 アトラスは全身から魔力を放って、ゴブリンたちを威嚇する。ゴブリンロードはともかく、配下のゴブリンたちは圧倒的な強者の彼に脅威を覚えていた。


「グギギッギッ」


 ゴブリンロードが部下を鼓舞する。及び腰だったゴブリンたちは弓と矢を拾うと、一斉に構えを作る。


「矢で止まるほど、俺の魔力は弱くない」


 ゴブリンたちは一斉に矢を放つが、魔力が込められていない矢がアトラスの魔力の鎧を突き抜けることはない。雨のように降り注ぐ矢を、笑みさえ浮かべて耐えきってみせる。


 しかし矢が止んだ瞬間、アトラスの目の前にはゴブリンロードがいた。両手を合わせた構えに悪寒が奔る。


「まさか矢の雨は俺の視界を封じるため……」


 予感は確信に変わる。アトラスの頭と胴体を切り離すように、空間に亀裂が奔った。次元の裂け目は彼の首を切り落とし、視界を真っ暗に変える。死んでしまったのだと理解した。


 しかし次の瞬間、アトラスは何事もなかったかのように光を取り戻す。目の前には驚愕しているゴブリンロードがいた。


「殺した奴が生き返るとは思わなかったか? だが残念。これは現実だ」


 ゴブリンロードの懐に入り込むと、六つに割れた腹筋に手で触れる。魔力を集中させて発動させる魔法は、ウシオに殺されたことで手に入れた《爆裂魔法》だ。


 破裂音と共にゴブリンロードの腹部が吹き飛ばされる。圧倒的魔力量で放たれた爆破は、ゴブリンの王を仕留めるのに十分な威力があった。


「お前たちの王は死んだ。命が惜しいなら逃がしてやる。だが立ち向かうなら――容赦しないっ」


 倒れるゴブリンロードに炎の魔法を放つ。赤く燃える自分たちの主を見て、最悪を予感したのか、ゴブリンたちは再び蜘蛛の子を散らすように立ち去るのだった。

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