第一章 ~『飢えるよりはと食べるドラゴン』~


「さすがに寝ずの殴り合いは疲れが溜まるなぁ」


 黒鎧との死闘を終えたアトラスは身体を休めようと、元居た場所へと戻ってきていた。傍には爆裂魔法により命を落とした土色のドラゴンが横たわっている。


 アトラスがこの場所へ戻ってきたのは、このドラゴンの死体こそが目当てだった。その理由は腹の虫が教えてくれる。


「ドラゴンって食えるのかな……」


 空腹が限界に近づいていた彼の頭に過った唯一の食料。それこそが、このドラゴンである。どうやって食べようかと、身体に触れてみるが、鱗は鋼鉄並みの強度である。


「食えるかどうか以前の問題だな。刃物がなければ解体さえできない」


 ぐぅと胃が食事を要求する。


「さすがに殺されることが平気だとしても、餓死は危険だよな」


 『死んだことさえカスリ傷』に変えられる力でも、餓死から蘇生できるかは分からない。最悪のケースだと生きると死ぬを繰り返し、拷問のような時間を過ごす羽目になる。


「俺の魔術は万能じゃない。欠点も頭に叩き込んでおかないとな」


 完治ではなく、カスリ傷に変えられる力だからこその弱点もある。


 アトラスの全身には一万回以上の死を経験したことで刻まれた、ボロボロになるほどのカスリ傷が刻まれている。どれほどの軽傷でも傷は傷だ。痛みはあるのだ。


「耐えられない痛みではないし、死ぬことと比べればマシだが、それでも体が傷だらけなのは格好悪いしな……ってあれ? 何かが変だな……」


 自身の肉体を注視していたアトラスは違和感を覚える。その正体を探るべく、さらに身体を凝視することで、違和感の正体に気づく。


「魔力が増えている……まさか死を経験したからか……」


 アトラスは授業で習った昔話を思い出す。


 太古の人類は魔法を扱えず、魔力さえ身体に纏っていなかった。外敵との闘争は剣や槍に頼りきりだった。


 しかしある時、魔物という天敵が現れ、人類は絶滅の危機に瀕した。だが人類は諦めの悪い生物である。自己防衛本能が働き、魔力を身に纏うようになった。


 このような歴史的背景からか、人は九死に一生を経験すると、困難に立ち向かうために魔力量が増大すると言われている。しかもそれは一過性のものではない。魔力容量そのものが向上するのだ。


「もし魔力の最大値が増えているのだとしたら……」


 アトラスは魔力の動きを観察する。時間と共に身体の疲労が回復し、それに伴い身体に纏う魔力も大きくなっていく。


 魔力回復量の早さからアトラス全快した時の魔力量が桁違いに成長したのだと自覚する。嬉しさで口元に笑みが零れた。


「だがこれで『死んだことさえカスリ傷』にできる魔術を、際限なく使用できた謎にも説明がつくな」


 魔術の発動にはエネルギー源となる魔力が必要だ。そこに例外はない以上、外傷をカスリ傷に変えるために魔力を消費しているはずなのである。


 しかし死ぬことで魔力量は増大する。魔力システムのバグを突いた奇跡。消費と増加を繰り返す永久機関こそが、彼の魔術の秘密だった。


「つまり死ねば死ぬほど強くなるのが俺の魔法ってことか。こんな強力な魔術を覚えていたんだ。そりゃ魔術容量もゼロになるわけだ」


 新しい魔術を覚えるための容量がゼロだったのは、『死んだことさえカスリ傷』にできる力を習得するためにすべて使い切っていたからだったのだ。自分は決して無能ではなかったのだと、胸の内から自信が湧いてくる。


「最弱の回復魔術師は卒業だな。それに今の俺ならウシオでさえも倒せる自信がある」


 なにせ一万回の死を経験したのだ。魔力最大値はそのまま戦力に繋がるため、実力差にも顕著に影響する。


「ウシオの爆裂魔法と、俺の膨大な魔力。どちらに軍配が上がるかだな」


 魔力は魔術発動のエネルギー源としての使い道の他に、もう一つ重要な役目があった。それは魔力による身体能力の向上である。


 体を覆う魔力が多ければ多いほど、魔素が身体を頑丈にし、筋力を強化する。高位の魔術師であれば、枯れ木のような老人でも、その膨大な魔力量で巨岩を持ち上げることさえ可能だ。


「自分の全力を把握するためにも、まずは魔力を回復させないとな。そのためには体力回復、すなわち飯が必要なんだが……」


 試しに魔力を込めた拳でドラゴンを叩いてみるがビクともしない。


「黒鎧が使っていたような刃物があればな……って、あれ?」


 アトラスは異変に気付く。手を覆う魔力が鋭く尖り、刃物のような形状へと変化したのだ。


「まさか俺の魔術は蘇生するだけじゃないのか……」


 魔力を刃に変える能力には心当たりがあった。黒鎧がアトラスを殺すために放った技の一つである。


「死ぬ要因となった力をコピーできるのだとしたら、手を覆う魔力の刃にも説明が付く」


 まさに死ねば死ぬほど強くなる力だ。眠っていた力の気づきに、頬が緩んでしまう。だがそれを邪魔するように腹の虫が鳴る。


「能力考察は後回しだ。空腹が限界だ」


 魔力を集中させた手刀をドラゴンの腹に突き刺すと、掴み取るように肉を抜き出す。血が噴水のように溢れ出るが、気にせずに肉を取り出す。


 加工されていない肉はグロテスクだったが、空腹のおかげでご馳走に見えた。


「生肉でも飢え死にするよりマシだ。いただきます!」


 勇気を振り絞って、手に握った生肉にかぶりつく。血の味が口の中一杯に広がるが、同時に肉の旨味も感じられた。もっともヌメっとした食感による嫌悪の方が勝るのだが。


「食えないことはないが、やっぱり生肉をそのまま食うもんじゃないな」


 プニプニした肉を必死に噛み砕く。胃に送り込むと、疲労が癒えたのか、身体を覆う魔力量も回復した。


「生き残るためだ。何だってやってやる!」


 満腹になるまで食事をする決心がついたアトラスは、ドラゴンの肉を次々と口の中に放り込んでいく。生臭さが鼻を通る。吐き出したい欲求に駆られるが、何とか胃に送り込む。


「もう少し鮮度がよければ味もマシだったんだろうが……待てよ、鮮度か……」


 アトラスは思い付きで、手に握られた生肉相手に回復魔法を発動させる。すると肉は綺麗なピンク色に変わり、鮮度を取り戻した。


「《回復魔法》にはこういう使い方もあるんだな。そして生肉がドラゴンに化けなくてよかった」


 対象を食材として認識していたからか、それとも別の理由かは定かではないが、結果としては鮮度を取り戻すだけで回復は止まっていた。


 なら味はどうかと、ドラゴンの肉を食べてみる。先ほどと違い、臭みは薄らいだが、それでも生で食べるのは苦行であった。


「腹は八分目まで膨れたし、眠るとするか……」


 アトラスは壁を背にして座り込む。体力を回復すべく、目を閉じて眠ろうとする。ウトウトと舟をこぎながら、浅い睡眠に身を任せると、心地よさが全身を包み込んでいった。


 だがその眠りは唐突に阻害される。物音と共に、棍棒がアトラスの顔を潰したのだ。


 魔術によって復活したアトラスは、苦痛の余韻を感じながら瞼を開く。


「俺の眠りを邪魔する奴らは……お前らかよ」


 ゴブリンの群れが獲物を見つけたと、アトラスを取り囲んでいた。彼らは威嚇するように牙を剥き出しにするのだった。




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