第一章 ~『黒鎧との出会い』~

『第一章:新たな魔王の誕生』



「あ、あれ? ここはどこだ……」


 爆発と共に地下へと落下したアトラスは周囲に視線を巡らせる。近くには爆破で崩れ落ちた瓦礫と、まだ乾いていない血痕が飛び散っていた。


 誰の血なのかと血の痕を辿るように目線を上げると、土色のドラゴンが横たわっていた。爆破の炎で全身を焼かれたのか、巨体には火傷の跡が残っている。


「死んでいるのか。でも当然か。あの爆発だもんな……って、ならどうして俺が生きているんだよ! オカシイだろ!」


 ウシオの『時間爆弾』でドラゴンもろとも死んだはずである。全身に感じた痛みや落下の重力は明瞭に記憶されているため、夢であったとも考えられない。


「服も破けてボロボロだし、血もベットリだ。爆発の直撃を受けたことは間違いない。それに何より爆発に耐えられたとしても落下の衝撃だ」


 上を向くと、大きな円形の地下空間が吹き抜け構造になっていることが分かる。ただ天井までの距離が遠すぎるために、高さを把握することができない。


「自力で登るのが不可能な高さだ。この高さに耐えられるほど、俺は頑丈じゃない」


 骨の一本や二本は折れていないと道理に合わないと、体の損傷をチェックするため、身体に触れていく。


 脇腹に手先が触れた瞬間、鋭い痛みが奔った。そこには爆破前にはなかったカスリ傷が残されていた。


 だが支障があるほどの傷ではないため、無視して、損傷を探るが、結局見つかったのは、脇腹のカスリ傷だけだった。


「謎は深まるばかりだが、考えても答えが出るとは思えない。死ぬこと以外カスリ傷という格言もあるし、いまはただ生きていたことに感謝しよう」


 ポジティブなのがアトラスの長所である。屈伸をして、身体の固さを取ると、探索のために移動を開始する。


 薄暗い土壁に覆われた空間を歩く。自分の足音が反響するたびに、孤独感に苛まれていった。


「ルナとクロウの奴、無事だと良いが……そしてウシオの奴は絶対にボコる」


 寂しさを紛らわせるために独り言が多くなる。


「そのためにも生きて帰らないとな。だが一階層でドラゴンが出現するダンジョンだ。ここが地下何階かは知らないが、ドラゴン以上の強敵を想定すべきだな」


 ダンジョンは階層が下に向かうに連れて、強力な魔物が出現する。これは最深部にあるダンジョンコアを守るため、強力な戦力を集中させているからだ。


「ははは、今度こそマジで死ぬかもな」


 状況は絶望的だ。だがアトラスの口元には笑みが浮かんでいる。一度死を覚悟したのだ。死線を超えるのに、身体が慣れ始めていた。


「この足音……」


 重低音が遠くから届いてくる。大型の魔物が移動している足音だ。十中八九ドラゴンだと推察される。


「だがドラゴンなら、救助の可能性もなくはないか……」


 冒険者の中にはドラゴンを従える者がいる。アトラスを救い出すために冒険者が派遣されたのだとしたら、折角の助かるチャンスを捨てるわけにはいかない。


「虎児を得るには虎穴に入るしかないか」


 息を潜めて足音のする方向へ進んでいく。足音が次第に大きくなり、その度に恐怖も増す。


 そしてとうとう辿り着いた先には、巨大な翡翠色のドラゴンが待ち構えていた。冒険者の姿はない。救助ではなかったと肩を落とす。


(見つかったら食われるのがオチだ、おとなしく立ち去ろう)


 逃げようと踵を返そうとした瞬間、壁の中に埋め込まれた鋼鉄の扉の存在に気づく。


(あの扉の先には、上層へ登るための階段があるかもしれないな)


 上層と下層を行き来するための階段は重要な拠点だ。警備要員として、ダンジョンの守護者がドラゴンを配置するのにも納得できる。


(でも扉の前に、もう一体別の魔物がいるな)


 門前で座っていたのは漆黒の鎧を装備した人型の魔物だ。一見すると人間と見間違えそうにもなるが、首から上がないため魔物だと分かる。


(黒鎧とでも呼ぶべきか。あいつも生前は高名な魔術師だったんだろうな……)


 ダンジョン内で高位の魔術師が死ぬと、その怨念だけが身体に残り、魔物化するケースがある。ダンジョンの守護者でさえ支配できないその魔物は、やり残した未練を叶えるための殺戮兵器と化す。


 強さは生前の実力を完全に再現できるわけではないが、それでも近い実力は発揮できる。死体が魔物化する条件に優秀な魔術師であることが含まれているため、強いことだけは間違いない。


(ドラゴンと黒鎧がぶつかる……)


 制御不能の黒鎧は相手が同じ魔物でも牙を剥く。背中から大剣を抜くと、上段で構え、威嚇するように全身から魔力を放った。


 殺気と間違えそうになる狂気の魔力。敵意を向けられているわけでも、見つかったわけでもないのに、ただ傍で感じているだけで膝がガクガクと震えた。


(黒鎧の魔力量は俺が見てきたどんな魔術師よりも多い!)


 一年生最強のウシオも、指導者である教師たちとも比較にならない。その圧倒的な魔力量はアトラスの出会った魔術師の中で間違いなく最強だった。


 そして最強は行動によって証明される。黒鎧が剣を振るうと、魔力の刃が奔り、ドラゴンの身体が左右半分に別れて崩れ落ちたのだ。


(ドラゴンが何もできずに敗れた! 見つかれば俺も殺される!)


 実力差は圧倒的だ。逃げるしかないと息を呑んだ瞬間、猫の鳴くような声が聞こえてきた。


(何の声だ……)


 声の正体を探ろうと視線を巡らせ、そして答えに辿り着く。死体となったドラゴンの傍に子供のドラゴンがいたのだ。親の死が理解できないのか、傍でみゃーと鳴くばかりである。その声に反応した黒鎧が、殺意と共に剣先を向けている。


(このままだと子供のドラゴンが殺される。だが相手は魔物の子供だ。見殺しにしたって……)


 魔物より自分の命の方が大切だ。しかし彼の脳裏にルカの言葉が呪いになって蘇る。


『アトラスは正義のヒーローだもん。誰よりも優しい人なんだから!』


 言葉は生き様さえ変化させる。彼にとっての正義心は、命よりも大切なモノだった。


「無能な俺が志まで捨てたら、ただのクズだもんな」


 アトラスの膝の震えは収まり、岩陰から姿を現す。


 ドラゴンの子供を守るために取った行動は、扉に向かって走り出すことであった。


「扉の守りがガラ空きだぜ!」


 黒鎧は未練に従って行動している。扉に近づいたドラゴンを殺したことからも、その未練が扉を守護することに大きく関連していると推察できる。


「やはり扉に近い俺を優先して襲ってくるか!」


 子供のドラゴンから視線を外した黒鎧は、脅威から扉を守るために走り出す。身体能力に差があるためか、扉に辿り着くのは黒鎧の方が早い。だが彼にとってはそれだけで十分だった。


「俺の命で時間を稼いでやったんだ。上手く逃げろよ」


 扉の前へと戻った黒鎧は、大剣を構える。その一撃を躱せる動体視力や身体能力は持ち合わせていない。


 なら躱すのは無理でも防御ならどうか。圧倒的な魔力と共に振るわれた剣は、ドラゴンでさえ真っ二つにする切れ味だ。最弱の魔術師と侮蔑されていた彼に止められるはずもない。


「かかってこいやああ」


 アトラスが腕を振り上げた瞬間、首を刎ねられ、視界が真っ暗になる。後悔はない。正義のために死ねたのだと満足げな笑みさえ浮かべていた。


 だが次の瞬間、再び視界に光が戻る。


「あ、あれ? 俺、首を刎ねられて死んだよな――ッ」


 困惑する思考を邪魔するように、再度、黒鎧の刃がアトラスの首を刎ねる。視界が一瞬だけ暗くなるが、すぐに光を取り戻す。


「――ッ……俺はまた死んだ……よな。でもどういうことだ? 首が繋がっている」


 頭と胴体がきちんとあることを確認するために、首に手を振れる。二つのカスリ傷があるものの、それ以外は目立った外傷もない。


「まさか……俺の力は……」


 ドラゴンでさえ命を落とした爆発を受けてもカスリ傷で済んだ。首を二度跳ねられても、それもまたカスリ傷である。


 アトラスの口元に笑みが零れるが、次の瞬間、黒鎧の刃が再び彼の首を刎ねる。視界が暗くなるが、視界はすぐに光を取り戻す。


「ははは、そういうことかよ!」


 平和な王国で《回復魔法》を使う機会はカスリ傷を治すくらいしかなかった。だからこそ彼はカスリ傷さえ治せない治癒の力を役立たずだと思い込んでいた。


 しかしそれは誤解だったのだ。カスリ傷さえ治せないのでない。どんな傷でもカスリ傷に変えられる。それこそが最弱の回復魔術師と称されたアトラスの力だった。


 死なない事実がアトラスの恐怖を勇気に変える。首のカスリ傷も興奮によるアドレナリンで痛みを感じなくなっていた。


「オラアアアッ」


 雄叫びと共に拳を振り上げる。だが黒鎧は反撃を許さず、彼の首を刎ねる。しかしすぐに復活する。


 殺されては蘇生を繰り返し、少しずつ黒鎧との距離を詰めていく。命を犠牲にしながら突き進む彼は、圧倒的な力を有する黒鎧でも止めることができなかった。


 首だけでなく、足も腕も切り落とされたが、そのすべてを再生し、とうとう黒鎧の腕を掴むに至る。死んでも離さないと、決死の覚悟を笑みにして浮かべた。


「この距離なら俺の拳も当たる。覚悟しろよ!」


 黒鎧の右腹に魔力を込めた拳を打ち込む。骨の折れる音が響く。砕かれたのは衝撃に耐えきれないアトラスの拳だったが、すぐにカスリ傷へと変わる。


「まるで岩を殴ったみたいな硬さだな……」


 黒鎧の硬さは防御だけではなく攻撃にも活きる。黒鎧がアトラスの顔に拳をねじり込むと、煉瓦で殴られたような衝撃が奔ると共に、頭が吹き飛んだ。


 しかしそれもまたすぐにカスリ傷へと変わる。


「お互いに有効打がないんだ。ここからは根性が勝敗を決める泥仕合の始まりだ」


 アトラスが黒鎧を殴ると、反撃の拳が返ってくる。圧倒的防御力と、どんな致命傷もカスリ傷へと変えられる再生力。決着が付かないまま、互いを殴り続けた。


 理で動くなら、効率的な方法はある。黒鎧は拳ではなく剣に頼ればいい。逆にアトラスも威力を増したいのなら、手に石でも握り込めばいい。


 だが二人はそうしない。互いの矜持を賭けるように、ひたすらに拳をぶつけ合った。


 どれだけの時間が過ぎただろうか。すでに千を超える死を経験したアトラスだが、負けられない使命感が身体を動かし、目が生き生きと輝いていた。一方、黒鎧は魔力を消耗したためか、動きが徐々に鈍くなっていく。


 さらに時が経過した。空腹が限界に近いことから、既に丸一日以上も殴り合っていることを自覚する。


 死の回数が万を超えた頃、黒鎧はとうとう魔力の限界に達したのか、殴る手を止めて、アトラスを遠くへと放り投げた。我慢比べを放棄したのである。


「ははは、とうとう俺を殺すことを諦めたかッ!」


 標的を失った黒鎧は扉の前に腰を落とす。傍にドラゴンの子供はいない。無事に逃げたのだ。


「魔力も身体能力も剣術も、全部お前の方が上だった。だけどな、根性だけなら俺の方が上だ。ざまぁみろ!」


 黒鎧を挑発するように中指を立てる。ドラゴンを瞬殺する怪物に勝てたことと、ちっぽけだが正義心が満たされたことに、満足して笑うのだった。



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