20. ブルックス・ファミリー
アリサはある意味では賢く、ある意味では「世間を知らない」のだった。
彼女は、まだ幼いため、父のように超小型タブレットを持っていなかったが、リョウジの持つタブレットが結晶の光点を指すこと以外に、決済機能も翻訳機能も出来ることを知っていた。
だからこそ、持ち出して、一人で母を追おうとしたのだが。
反面、世間を知らずに、大事に育てられてきたためか、この世界を甘く見ていた。
サンフランシスコのホテルを早朝に旅立った彼女は、タブレットの決済機能を使うことにしたが、残高が思った以上に心もとないことを確認すると、出来るだけ安い手段がいいと判断し、バスを使うことに決めた。
かつては、「グレイハウンド」と呼ばれる、全米を網羅するような長距離バスが走っていたこの国だったが。
戦争と環境破壊、文明の衰退の影響で、今では主要都市をかろうじて結ぶ程度に便数も路線も減っていた。
アリサは、サンフランシスコのホテルからバスターミナルへ行って、高速バスに乗り、ロサンゼルスで一旦降りて、乗り継ぎ、そのままラスベガス方面に向かっていた。
ところが。
車窓を見ると、モハーヴェと呼ばれる砂漠の大地が地平線の彼方まで見えていた。
何事か、と思っていると。
「動くな! 全員、手を上げろ!」
レーザー銃を持ち、頭に黒い目出し帽をかぶった、黒ずくめの複数の男たちが、そのバスの入口から乗り込んできて、早口の英語でまくし立てていた。もちろんアリサを含めて、全員が驚愕していたが、運転手が、
「
と呟いていたのを、たまたま運転手のすぐ後ろの席にいたアリサは耳にしていた。
(ブルックス・ファミリー?)
彼女には聞きなれない言葉だったが、それは「家族」のことを指す英語だとは認識していた。
だが、
「そう! 俺が
緊張した面持ちで銃を乗客に向ける男たちの後ろから、やたらと陽気で、芝居がかったような声を張り上げて、バスに乗り込んできた男がそう甲高い声を上げていた。
バスの前方、ちょうど運転手のすぐ後ろの席に座っていたアリサは、彼の表情が一番よく見える位置にいた。
年の頃は30代くらいか。
そのジェイデン・ブルックスが、心なしか楽しそうに足で短くステップを踏みながら、
「君たちは実に運がいい。俺は無益な
まるで、舞台か映画の俳優のような節回しとしゃべり方で、その男は、場違いなくらいに陽気な声で演説するように話していた。
ふと、近くにいたアリサとジェイデンの目が合った。
瞬間。
「Wow。これはキュートなお嬢さんだ。一人旅かい? 名前は?」
と顔を近づけて聞いてきたので、アリサは内心では恐怖心を抱きながらも、
「……アリサ」
と、それでも精一杯の強気な瞳を男に向けて答えていた。
だが、ジェイデンは、
「アリサか。いい名前だ。君はいいね! 西洋人と東洋人の血が混じった、実にエキゾチックな顔立ちのお嬢さんだ。あと10年もしたらきっと美人になる」
と、アリサが拍子抜けするような奇妙なテンションで吠えるように言い放っていた。
(変な人だ)
それがアリサのジェイデンへの第一印象だった。
そして、彼の「奇行」は、それだけにとどまらなかった。
バスごとジャックし、乗ってきた最新式の電気自動車で誘導し、バスに部下を乗せて、人質たちを監視させながら、連れて行かれた場所は。
先程見えたモハーヴェ砂漠とは反対方向の山岳地帯だった。
どれくらい走っただろうか。砂漠や不思議な山々が連なる大地を駆け抜け、バスは車に従って、急坂を登って行った。
その先にあったのは、「ダンテズビュー」と呼ばれる展望台であり、そのすぐ近くの岩山の上に、豪勢な造りの屋敷のような建物があった。
屋敷の入口のゲートをくぐり、中に入ると広大な庭が広がり、木々が植えられている。その上、プールや自家用飛行機の格納庫まで存在していた。
この荒れた時代にはそぐわない、まるで別荘のような豪華な屋敷に到着し、バスの乗客はここで下ろされた。
中は、22世紀における最新式のオンライン家電や、高性能アンドロイドの姿に満ちており、幼いアリサの目から見てもここが裕福な家だとはっきりと認識できた。
ジェイデンと名乗る男は、人質全員を大きなホールのようなところに集めて、電子手錠で両手を縛り、横に一列に並べ、部下に銃を構えさせると、再び演説を始めた。
「俺を知らない奴もいるだろうから、自己紹介すると。ブルックス・ファミリーっていう組織を率いている。まあ、早い話がマフィアだね」
その一言に、怯える女性客の姿が目立ったが、アリサは平然と聞いていた。というよりもすでに、元々はリョウジが所有していたタブレットを奪われていた彼女には、英語がほとんどわからなかった。
「そして、ここは『デス・ヴァレー』と呼ばれる地。この地球上で最も暑いと言われている土地だ」
デス・ヴァレー。つまり「死の谷」を意味するその地は、かつて最高気温56度を記録したという世界一暑い土地であった。
しかも環境破壊、温暖化が進むこの世界においては、数年前の夏に75度という、信じられないような高温も記録していた。
ただし、このダンテズ・ビューは標高が1669メートルの山の上にあり、そこから見えるデス・ヴァレーのように、とてつもない高温になることはないようだったし、何よりも金持ちのマフィアのボスの家だったため、空調がガンガンに利いて、寒いくらいに快適だった。
彼の奇行が始まった。
彼は人質を一列に並べたまま、何を思ったのか、わざわざ一人一人に人種、年齢、経歴や職業、生まれた土地などを根掘り葉掘り、自ら聞いていた。
そして、
「君は700万ダーラの価値がある」
とか、
「うーん。君は200万ダーラだな」
などと例のステップを踏みながら、勝手に値段をつけていた。つまりそれが人質の「身代金」、即ち要求金額ということになる。
事実、ジェイデンは一人一人に、その場で親や親戚、兄弟などに連絡をさせた。
もちろん、身代金の話をさせるために。
アリサは、英語がわからなかったが、それでも何が起こっているのかは、大体察していた。そして自分の番が来るまで、悩んでいた。
(パパに話したら、迎えには来てくれるだろうけど、それじゃ私が一人で出て行った意味がない。私は一人でもママを追わないと)
普段の、少し強気で前向きな彼女の、この状況においては「悪い側面」が出ていた。
そしてついにアリサの番が来た。
ジェイデンはアリサが英語を話せないことを思い出し、部下にタブレットを持ってこさせ、翻訳機能を使わせた。
ところが、一通りの経歴や年齢、生まれた土地などを渋々ながらも話したアリサに対し、
「コングラチュレーション! 君は2000万ダーラだ!」
まるでお祭りに参加するかのように、ステップを踏んで、ダンスまで始めていた。
(何、こいつ?)
と、さすがにその男の感性と性格についていけないアリサだったが。
「ほら、子猫ちゃん。パパかママに連絡して」
バスの中で取り上げられた、アリサの、正確にはリョウジの小型タブレットを右手で差し出しながら、ジェイデンはそう促した。
その口元は緩んでいたが、目が笑っていなかった。
だが、アリサは、恐れずに、
「
はっきりと短い英語で拒絶していた。
「そうかー。困ったなー」
再び道化師のようにステップを踏んで、ジェイデンはくるくると三回転ほど回っていたが、回り終えるとその手に、最新式の白いレーザー銃が握られ、その銃口がアリサの頭に向けられていた。
「俺はそういう
その目つき、そして話し方が、先程までのまるで道化師のような陽気な態度とは一変し、背筋が凍りつくくらいに冷たく、冷徹な「殺し屋」のような物に変わっていた。
アリサは、初めて心の底から、いや魂の芯から戦慄を感じており、その小さな身体が恐怖で震えていた。
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