18. ローレライより

 そのeメールのfrom欄、つまり差出人欄に、


Loreleyローレライ


 と書かれていたことも不思議だったが。

 さらにリョウジを驚かせたのは、その文面だった。


 本文の一行目からこう書かれてあった。

Ichイッヒ weissヴァイス nichtニヒト, wasヴァス sollゾル esエス bedeutenベドイテン.」


 思わずその一節を、リョウジが声に出していた。

「リョウジ。ドイツ語が読めるのか?」

 驚いて目を見張っているヨウジロウの姿が、リョウジの横目に入るが。


 彼は思い出していた。

 この言葉を教えてくれた「」のことを。


 その人は、ドイツのコブレンツという小さな街の出身で、日本人の父とドイツ人の母の間に生まれたハーフだった。小さい頃はドイツで過ごしていたという。


 そして、そのコブレンツという街のすぐ近くにライン川が流れており、そこから程近い上流に有名な「ローレライ」という史跡があった。

 水面から130メートルほど突き出た岩山、あるいはその岩にいるとされる精霊の伝説がそこにはあり、ハインリヒ・ハイネの詩などでも有名だった。


 そのローレライの伝説のことを教えてくれて、ついでに何故かこの一節を覚えさせられた。


 ドイツ語が難しいと嘆くリョウジに、その人は「せめて最初の一文だけでも覚えて」と繰り返しこの一文を読ませたため、リョウジは覚えていた。


 ちなみに、この一節の意味は、

「何がそうさせるかわからないが」

 くらいの意味になる。


 その人の名は「レナ」と言った。亡くなったリョウジの妻であった。


「まさかレナか……」

 未だに半信半疑のリョウジに対し、アリサは食いつくような勢いで、まるでリョウジの腕に噛り付くような勢いで、彼の左腕の小型モニターを覗いてきた。

「ママ!」

 と叫びながら。


 仕方がないので、リョウジは小型モニターからホログラム拡張機能を使い、モニターを大きく部屋の壁に、プロジェクターのように映した後、続きをアリサと一緒に目で追うと。そこから先は日本語になっていた。


―リョウジ、そしてアリサ。元気かしら? この手紙をこっそり書いています。私は今、身動きが取れない状態なの。だからお願い。残り5個の結晶を集めて。場所は添付のファイルを開くとわかります―


 文面はそれだけだった。

 その文章からそれが本当に「レナ」なのか、それとも「レナ」をかたっている別の何者なのかの判別はつかないため、正直リョウジには信じられる内容ではなかった。


 だが、あのローレライの一節やリョウジやアリサの名前、文面や文章の書き方から推測するに、確かに「レナ」に似てはいた。


 何よりも、現状は何も手がかりがない以上、わらにもすがりたい気持ちがリョウジにはあったのも確かだった。


「本当にママなの?」

 なおもしつこいくらいに確かめて、モニターを食い入るように見つめているアリサを右手で制し、彼は添付ファイルを開いた。


 それを開くと、タブレットのデスクトップ画面にアプリのようなものが表示された。


 勇んでそれを開くと。


 ダウンロードすると世界地図が出てきた。地図アプリのようなもので、自身の居場所をも自動で示してくれるようだった。

 不思議なことに世界地図のあちこちに、紫色の光点が散らばっており、それらが点滅し、それぞれが移動したり、あるいは一か所に留まっていた。


 それは南北アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなどに散らばっていた。


 それが、残り5個あるという「結晶」のだということはすぐにわかった。それぞれの結晶に発信機が取りつけられているのだろう。


「アリサ。ママだ。ママは生きてたぞ」

 娘にそう告げ、喜びのあまり、感極まり、目に涙さえ浮かべていたアリサだったが。


 同時に、リョウジは冷静に考え込んでいた。

(あの時、確かにレナは死んだはずだ。一体何者だ?)


 リョウジは、銃弾を浴びて瀕死の重傷だった彼女をその目で見て、病院に運んだが、やがて無慈悲な「死」を宣告されていた。その時のことを忘れるわけがなかった。


 それに、彼は妻の葬式にも立ち合い、「火葬」された瞬間まで見ている。


 彼自身は、このあまりにも不可解なeメールの内容と、まるで強引にでもリョウジたちを動かして、結晶を追わせようとする手法が内心、気に入らなかったし、相手はレナではなく、単に彼を「罠」にはめようとしている、とも疑っていた。


「パパ。ママが生きてるなら、会いたい! 追おうよ!」

 だが、すでにアリサの心の中では、母は生きていることになっているようだった。子供の純粋な心は、大人には真似できない力強さを秘めている。


 かつて、リョウジがアリサに「母が欲しいか」と聞いた時に、彼女は「いらない」と言っていたが、やはり内心では寂しかったのかもしれない。


 だが、追うとなるとその順番が問題だった。

 出来れば、効率よく回りたいところだし、それと同時に移動する光点は早く捕まえておきたいという気持ちもあった。


 しかしながら、差し当たっての一番の問題は、行けるかどうかにかかっている。

 何しろ、人類の文明社会の多くが壊滅し、飛行機などの移動手段がほぼないような世界だ。


 その上、恐らくこの国以上に、世界は治安が悪い。


 そこで、リョウジは考えた末に、移動する光点のうち、一番近い、地図の右側に目をやった。

 それは太平洋を越えた先、北米大陸だった。


 かつて「アメリカ合衆国」と呼ばれた土地。その西の海岸近くに点滅する光点があり、それが東に向かって少しずつだが移動していた。


「ヨウジロウ。アメリカに行きたいんだが、ここから船は出ているか? 出来ればバイクも積めるフェリーがありがたい」

 ダメ元で聞いていたリョウジだったが。


 ヨウジロウは、また例の180度コロコロと変わるような表情の変化を見せ、満面の笑みで、

「もちろんあるよ」

 と強く言い放っていた。


 ヨウジロウによると、ニライカナイは、ニホンを結ぶフェリーを就航していて、それがメイン路線だが、アメリカを結ぶフェリーも細々だが、あるという。


 ただ、こういう時代だからか、距離を考えて直行便はなく、一旦ハワイに立ち寄ってから、サンフランシスコまで行く便が週に1度だけあるという。


 その出発日が、3日後だった。


 それからの2日間は、早く行きたいと駄々をこねるアリサをなだめるのに、リョウジは必死になるのだった。


 念の為に、リョウジは「ローレライ」宛てに、


「レナか? お前は今どこにいる?」


 というメールを出していたが。

 予想通りというか、返信はなかった。


 そして、この時、リョウジは気づいていなかった。

 アリサのこの「母」を強く求める思いが、意外な方向に二人を向かわせてしまうということに。

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