14. ニライカナイへの道

 再び親子二人による荒野の旅が始まった。


 今度の目的地ははるか南の彼方だった。

 バイクで駆け抜けながらも、途中で休憩した、元・レストランのような駐車場跡地で、リョウジは、左腕の超小型タブレット端末を見ていた。

 ネット環境は整っていない地上だったが、「ビルフッド」にてニライカナイの記事を見つけて端末にダウンロードしており、オフラインでも見れたからだ。


 ちなみに、端末の電源はもちろん有限で、たまに充電をしないといけなかったが、それをバイクのバッテリーを通して行い、また彼は念のためにモバイルバッテリーもビルフッドで補充してきていた。


 記事によると。

 ニライカナイとは、元々は、かつての日本における沖縄県や鹿児島県の奄美あまみ諸島に伝わる他界概念の一つで、ユートピアだという。


 はるか東の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界で、そこは豊穣と生命の源であり、神々が住んでいるという。

 年初にはニライカナイから神がやってきて、豊穣をもたらし、年末には帰るという。また生者の魂がニライカナイより来て、死者の魂もまたニライカナイに帰るとされている。


(何だかおとぎ話のような世界だな)

 物質文明が崩壊したとはいえ、まだネット環境があったり、機械文明の名残があるこの世界において、そんな夢物語のような世界があるとは、到底彼には信じられなかった。


「フェリー使いたいなあ」

 小型タブレットをナビ代わりに使い、ナオミが教えてくれた、はるか南の地に印をつけて、そこへとバイクを飛ばしながらも、リョウジは愚痴のように呟いていた。


「パパ。って何?」

 何も知らない娘は、呑気にもそう言っていた。その胸に再びペンダントと結晶をぶら下げながら。


「船だよ。海の上を移動できるんだ」

「へえ。すごいね」


 そのまま来た時に通った、かつての青函トンネルを抜け、再びトウホク地方を南下する。

 だが、トウホク地方からカントウ地方に入り、チュウブ、カンサイと抜けても一向に景色は変わらなかった。


 砂と乾いた大地、荒野だけが広がっている。そこにはかつてのような自然豊かな「日本」という国はなかった。ニホン列島全体がすでに「死」に瀕していた。


 住む人もほとんどなく、無人に近い荒野と乾いた砂漠のような大地だけがどこまでも広がる。


 時折、狂ったような「人買い」や「ギャング」がいる程度で、まともな人間の姿はどこにも見えないくらい、この国はすさんでいた。


 15年前の核戦争以降、爆発に伴う広範囲の延焼によって巻き上げられた灰や煙などの微粒子によって、日光が遮られ、全地球規模で一時的に「寒冷化」現象が起こった。


 それを一般的には「核の冬」と呼ぶ。それによって、一度は「氷河期」のように寒冷化が進んだ地球だったが。それはあくまでも一時的な現象だった。

 5年前にその「核の冬」が一段落したと思ったら、今度は猛烈な熱波が地球を襲った。同時に急激な気候変動により、異常気象が相次ぎ、大地は見る見るうちに、痩せ細り、乾いていった。


 20世紀末から21世紀初頭にかけて。すでに地球温暖化が始まっており、夏の最高気温がかつての日本でも40度を越える日が何日も続いたが。


 それから1世紀以上も経ったこの時代。全地球規模の環境破壊はますます進んでおり、それが「核戦争」によって決定的となった。


 今のニホンには、四季という概念自体がすでになくなり、「夏」と「冬」の二期に近くなっていた。


 いつの間にか、年が明けており、西暦2141年を迎えていた。


 ただし、この時代、もはや「暦」など何の具体的意味を持っていない。人々は、その日一日のために食料を奪い、他人を殺し、自分たちが生きるだけで精一杯だったからだ。

 地球の総人口は、かつての最盛期には100億人近くまであったが、この頃には大幅に減り、およそ8億、最盛期の10分の1以下にまで減少していた。


 やがて、相次ぐ劣化で崩壊寸前となっている、かつて「関門橋」と呼ばれた橋を渡り、なんとかキュウシュウにたどり着いた彼らは、さらに南下。


 カゴシマ地区に入る。

 そこにも、もはやかつての栄華はなく、乾いた大地と照りつける太陽だけがあった。


「暑いよ~」

 アリサがバイクの後ろの席で、額の汗をぬぐっていた。

 冬にも関わらず、気温は30度以上もあった。その上、昔からこの国には「湿度」があって、蒸し暑い。


 この時代、真夏のニホンの最高気温は50~60度にもなり、もはや地上で人が生活できる限界を越えていた。


 幸い、その時が「冬」だったから、彼らはかろうじて旅が出来ていたのだった。


 カゴシマの東、オオスミ半島の付け根に当たるシブシという港に着いてみると。


 大勢の人間がいて、長蛇の列を作っていた。彼らはどうやら「船」を待っているようだった。バイクを降りて、アリサと共によく見ると港の人垣の向こうに「ニライカナイ行きフェリー乗り場」と大きな垂れ幕が架かっていた。


「これがニライカナイに行く船の乗り場か?」

 列の最後尾にいた、60代か70代くらいの老人に声をかけると。


「なんだい、あんたらもニライカナイのユートピアの噂を聞いたのか?」

 皺の多い、頭髪の後退した、白髪混じりのその老人は、頬を緩ませながら答えて、傍らにいるアリサを見た。


「ああ」

「そうか。こんな時代だ。子連れでは大変だろう。俺もユートピアという言葉に惹かれて来たんだ。それが『奇跡』か『幻想』か『嘘』かは、実際に行ってみないとわからないがな」

 その老人の言葉に、心なしか考えさせられる思いが去来するリョウジであった。


(確かに、ユートピアなんてものは、実際に行ってみないとわからない。噂話にはとかく、尾ひれがつく)

 実際に、「オアシス」と呼ばれたビルフッドが、実態としてはあのザマだったことを考えると、ユートピア=理想郷とうたっている、これから行くニライカナイだって、どこまでが本当かなんて、わかりはしないのだった。


 むしろ、大々的に謳って、知られている時点で、それはもはや「ユートピア」と言えないのかもしれない。


 そんな穿ったような見方しか出来なくなっている自分に嫌気が差すが、かと言って他人を簡単に信用できる時代でもなかった。


 隙あらば他人を騙し、金品や時には命を奪おうとする連中までもが徘徊している。リョウジはそうした光景を何度も見てきていた。人の命の「価値」が紙屑かみくずほどに軽い時代だった。


「ねえねえ。まだぁ? 暑いよ~」

 頭上から照りつける太陽に嫌気が差したように、アリサが顔をしかめていた。

「まあ、待てアリサ。フェリーにはすぐに乗れる」

 リョウジはそう呟いて、娘の頭を軽く撫でていたが。


 結局、そこからフェリーの手続きをするだけで30分かかり、バイクの搬入を行って、船に乗り込む頃には、陽が傾いていた。


 バイクは、車と同様に、地上部分から真っすぐに船の下部にある格納スペースに入れられることになり、そこのスペースの端にバイクを停め、リョウジはアリサを連れて、階段を上って、船の後部甲板に出ていた。


「おっきな船だねー」

 夕陽に照らされたアリサの頬が緩んでいた。


 そこからは、船の威容がよく見えた。

 船の長さは、見たところ全長が200メートル、幅は30メートルはあり、車輛積載数だけでも、ゆうに200台は越えていた。


 しかも、船内に入ると、さらにこの時代には相応しくないほどに、大きいことがわかった。


 人員は500名以上は収容できると思われる広さがあることが、船内の客室入口に記載されている案内図でわかった。


 ただ、こういう時代だというのもあって、そもそも最新式の船がなく、旧式のフェリーだったそれは、速度が遅く、まるで21世紀初頭のような古い船だった。


 船内には簡易的なレストランや風呂までついていた。

 客室は、2等船室という、お世辞にも綺麗とは言えない、2段ベッドの置かれた、古いドミトリー形式のベッドだった。


 その夜。

 船内のレストランでアンドロイドによって給仕された料理は、保存食の缶詰のように味気ない味がしたため、早々にベッドに入り込んだリョウジ。


 あえてベッドを分けず、アリサを懐に抱くようにして、一緒に寝ることにした。

 それは、いつ誰がペンダント、ひいては結晶を狙っているかわからないからだ。


 必要以上に警戒する父に、

「臆病」

 と冷たい瞳を向けてくるアリサは、あれだけ怖い目に遭ったはずなのに、また元の「毒舌」で「気が強い」娘に戻っていた。


 ニライカナイへの到着は、明日の朝、8時頃だという。


 リョウジは、多くの不安と、ほんの少しの希望だけを胸に抱き、「ユートピア」と呼ばれるその地を目指して、目を閉じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る