13. 南にある希望

 ナオミの怪我は思ったよりも深く、彼女はその後すぐに病院へ運ばれ、手術を受けることになってしまった。


 一方で、その日の朝にはすぐに「レジスタンス」からイントラネットで、街全体に向けて声明演説が流され、当主が倒されたことが正式に発表された。


 「オアシス」と呼ばれた街、ビルフッドは、大混乱に陥った。

 今まで、当主のお陰で散々、甘い汁を吸ってきた上流階級の住民たちは戦慄し、黒ずくめの兵士たちは、レジスタンスや、恨みを持つ中流階級、下級階級の民に「追われる」立場になっていた。

 一方で、中流階級や下流階級の住民は、諸手もろてを挙げてレジスタンスを歓迎し、会議を開き、「共和制」を敷いて、新たな指導者を選挙によって、選出することが矢継ぎ早に決定されていた。


 朝になって、レジスタンスのアジトに戻り、起きていたアリサに事の顛末てんまつを報告すると。


「ナオミお姉ちゃん。大丈夫かな」

 いつもとは異なる、年頃の女の子らしい、弱々しくも見える表情で呟いていた。


 彼女にとって、身近に女性がいなかったことが大きかったようだった。物心ついた時から、母親はいなく、父親に育てられ、その父親には女性の陰がなかったため、彼女は男性ばかりに囲まれて生きてきた。


 そんな中、ようやく同性の話ができる「友達」のような存在が、アリサにとってのナオミだったのかもしれない。


 そう思っていたリョウジは、アリサの心中も思い、旅立つことを延期し、ナオミが回復するのを待つのだった。



 2週間後。

 手術を終え、術後の経過も良好だったことから、ようやく病院を退院し、ナオミはレジスタンスのアジトである、16層の、あの古いウェスタン風の家に戻ってきた。


 ただ、彼女はまだ脇腹に包帯を巻いており、足取りも不安定に見えた。


「ナオミお姉ちゃん!」

 その帰りを待ちわびていたアリサが、小走りに近づき、彼女の身体に抱き着こうとしているのを見て、


「こら、アリサ。お姉ちゃんは怪我してるんだ。抱き着くな」

 と、リョウジが鋭い声で制したため、彼女は直前で思いとどまっていたが。


「大丈夫よ、アリサちゃん。心配かけてごめんね」

 当の本人は、思いの他、明るい声と表情をアリサに向けて、右手で彼女の頭を撫でていた。


 ひとまず落ち着いたところで、リビングのソファーに腰かけ、リョウジは彼女にペンダントを渡していた。その中に小さな紫色の結晶が輝いている。


 それを右手に持って眺める彼女に、

「ナオミ。その結晶が何だかわかるか?」

 とリョウジは問いかけていたが。


「これは、アメジストね」

 ナオミはあっさりと答えを引き出していた。


「アメジスト?」

「はあ。これだから男は」

 深い溜め息を突きながらも、彼女は軽く説明してくれるのだった。


 アメジストとは、「紫水晶」とも呼ばれる水晶の一種で、ガラスのような光沢があるという。主な産地は南米のブラジルが一番有名だが、他にも複数の産地があり、かつての日本でも産出されることがあったという。


 ところが、

「これはそんなに貴重なのか?」

 と問うリョウジに対し、ナオミは首を横に振った。


「ううん。まあ、こんな世界じゃ貴重と言えば貴重だけど、装飾用に使われる、ただの水晶よ」

 その一言を聞いて、どうにも「腑に落ちない」リョウジだった。


「だったら、どうしてこれが『世界を変える』カギなんて、あいつは言ったんだ?」

 当主が死ぬ前に告げた、その一言がどうしても気になっていたが。

「そんなの私にはわからないわ」

 ナオミは、にべもなかった。

「そうか……」


 再び、「手がかり」が失われた、と思っていたリョウジに、しかしナオミはある興味深いことを教えてくれるのだった。

「私の知り合いに、とある科学者がいるんだけど、彼だったら何かわかるかもしれないわ」

「本当か? そいつはどこにいる?」

 ソファーから立ち上がり、身を乗り出してナオミに尋ねるリョウジに、面食らった表情を見せながら、ナオミは静かに告げていた。


「ニライカナイよ」

「ニライカナイ?」

 さすがに聞いたことがない地名であり、反復するように、オウム返しに聞き返すリョウジ。


「そう。『ニライカナイ』って言うのは、元々はオキナワに伝わる伝説のユートピアって言われてるの」

「ユートピア? ここみたいにか? だが、ここは実際にはディストピアだっただろうが」

 皮肉を込めて、この「オアシス」のことを苦々しげな表情で伝えるリョウジに、微笑みを返しながら、


「私は行ったことがないけど、ニライカナイはこことは違うって聞いてるわ。確か海の上にある『海上都市』だそうよ」

 と告げていた。


「へえ」

「そこにいる『ヨウジロウ』っていう男を訪ねてみて。彼なら何かわかるかもしれない。私の名前を出せば会ってくれるはずだから」

 半信半疑だったリョウジ。だが、他に手がかりになる当てが何もない以上は行ってみるしかない、と思うのだった。


 出発は翌日になり、その日はここで過ごす最後の1日となったため、出発前の「壮行会」を兼ねて、レジスタンスたちはカレーライスを振る舞ってくれた。

 もっとも彼らはいつもカレーライスばかり食べていたようにリョウジには思えたが。

 だが、アリサは機嫌が一気に良くなり、彼女はまたしばらくは食べられないであろう「暖かい」料理、そして一番の好物の「カレーライス」の味を堪能していた。



 翌朝。

 怪我が回復したとはいえ、まだバイクにも乗れないナオミが街の入口、15層にある高速道路の料金所のようなゲートまで見送りに来てくれた。


 そこには、他にも大勢のレジスタンスや住民が集まっていた。


 というよりも、レジスタンスのアジトを出て、16層から15層に戻ると、街は以前見た時よりも、活気に満ちていた。


 支配者が倒れ、圧制から解放された民衆は、どの顔も明るく、街自体が浮ついたような空気感に包まれていた。


「世話になったな、ナオミ。お前には借りが出来ちまった」

 バイクにまたがり、後部座席にアリサを乗せたまま、口にするリョウジに、彼女は、


「何言ってるの。あなたを助けた貸しなんて、カツアキが死んだことと、街が解放されたことで、とっくにチャラよ」

 と明るい表情でバイクを見上げていた。


「お姉ちゃん……」

 一方で、アリサが泣きそうな顔で、ナオミを幼い瞳で見つめていた。


「アリサちゃん。元気でね。あんまりお父さんをイジめちゃダメよ」

 その言葉から、ナオミにはアリサがリョウジをイジめているように見えていたのか、と軽く衝撃すら覚えていたリョウジだったが。


「リョウジ。何か困ったことがあったら、いつでも訪ねてきていいわ。アリサちゃん共々歓迎するから」

 最後にナオミは、そう笑顔を見せた。

 年相応に明るくて、可愛らしい笑顔に、リョウジは少しだけ亡き妻のことを思い出していた。


「バイバイ!」

 アリサが大きく手を振り、リョウジはバイクのイグニッションスイッチを押下する。

 ナオミをはじめ、世話になったレジスタンスの男たち、街の民衆まで何人もが手を振って見送ってくれるのだった。

 静かなモーター駆動の、電動バイク特有のエンジン音が久しぶりに響き、リョウジはバイクを走らせる。


 その先の道にももはや「黒ずくめ」の兵隊たちの姿はなく、この街は民主的な共和制に移行されていた。

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