2. シンジュクキャッスル

 シンジュクキャッスル。

 そこは、いつの頃からかそう呼ばれた。

 今から約15年前。異常気象と異常高温、そして海水面の上昇と戦争被害により、東京は崩壊し、かつて栄華を誇っていた、人口1000万人を越える巨大都市から、一斉に人が散らばっていった。


 また、21世紀を通して長期に渡った少子高齢化で、ニホンという国の人口自体が22世紀初頭には5000万人程度にまで減り、その頃には東京の人口も最盛期には及ばない600万人程度しかいなかった。


 15年前の大惨事以来、彼らの多くは、新天地として、比較的温暖化の影響が少ない北海道や、海外に逃げた。


 すでに、トウキョウと呼ばれた街は、人口が10万人にも満たない、「過疎地域」になり、みるみる衰退していた。


 そして、秩序が崩壊し、治安が極度に悪化した、かつて「新宿」と呼ばれた街には、武装したギャング集団が入り込み占領。


 彼らの根城を誰ともなく「シンジュクキャッスル」と呼び始めた。


 いくつかの抗争があった後、シンジュクキャッスルの主は、ギャング集団から「人買い」の集団へと変わった。


 「人買い」は秩序が崩壊した世界では、頻繁に現れる。実際にかつて、日本の戦国時代にも「人買い」はいた。「人間」は労働力として、「金」になるのだ。


 シブヤからシンジュクまで、崩壊したこの世界においては、あっという間の距離だった。渋滞などという物は存在すらしないし、道中には崩れかけたビルの残骸と、ひび割れた道路しかない。



 シンジュクキャッスルは、旧新宿区役所近くに築かれた、廃ビルの跡を改造した建物だった。薄汚れて、ヒビが入っている、前世紀の遺物のような古いビルであった。


 そのビルの入口前で、バイクを停めると。

「アリサ。俺から離れるな」

 ヘルメットを脱いだリョウジは、アリサには護身用にヘルメットをかぶせたまま、廃ビルへと入って行く。


 中は、昼とは思えないほど薄暗く、埃っぽくて、かび臭い匂いに満ちていた。そんな中、アリサはリョウジの傍から離れず、しかし邪魔にならないように少し後ろからついて行った。


「誰だ、てめえは!」

 金属バットとバタフライナイフを持ち、頭を金色に染めた、見るからに「ヤンキー」風の二人の男たちが廊下の先からリョウジの姿を見つけて、足早に迫ってきていたが。


 剣道七段の有段者でもあったリョウジにとって、彼らのようなゴロツキなどは相手にもならない。


 流れるような所作で、腰の日本刀を抜くと、一気に駆け出し、あっという間にすれ違い様に二人の背中を打ちつけていた。ただし、刀の腹ではなく、峰で。男たちが崩れ落ちる音が聞こえた。

 その日本刀は、柄が赤く染められた、美しい刃文はもんを持つ特徴的な打刀うちがたなで、刀身が約70センチはあった。まだ斬った跡が少ない、真新しい刀だった。


 また、ただの日本刀ではなく、刀身が超高速で振動し、その振動によって物体を切断できるため、通常の刃物をはるかに越えた威力を持つ、「高周波振動発生機」を備えていて、22世紀の技術の粋を駆使していた。斬る瞬間に刃の部分だけが青白く発光する仕掛けになっている。


「甘いね、パパ。殺しちゃえばいいのに」

 子供とは思えないような、そして女の子らしくないほどの残虐さでそう愚痴る娘に、


「アリサ。こんな奴ら殺すまでもない」

 とリョウジは答えていたが。


「何、カッコつけてんの?」

 娘は、面白くなさそうに口を尖らせていた。


 廊下の突き当りにエレベーターがあったが、電源が生きていないのか、作動すらしなかった。


 仕方がないので、リョウジはそのまま階段で上を目指す。


 その途中、幾人かの「敵」と遭遇していたが、剣道の有段者であるリョウジにとっては、文字通り「赤子の手をひねる」ようなものだった。


 ところが。


 3階の大広間のような場所に入ると。


 頭髪を赤く染めた大柄なプロレスラーのような若い男が、古ぼけたロッキングチェアに座って、古臭い紙巻きタバコを吸っていた。


 その傍らには子分と思われる数人の若者たちがたむろしていて、いずれもそれぞれ手に拳銃やナイフ、警棒などを持っていた。人数は7、8人程度。


「お前が『人買い』のリーダー、ガイだな?」

 ゴーグルを見ながら、リョウジが呟く。そのゴーグルは賞金稼ぎがよく使う物で、装着していると、対象となる賞金首の「シンクロ率」がデジタル表示される。

 それを通して、男を見ると賞金額と共に「ガイ 96%」と書いてあった。


「あん? てめえは誰だ?」

「リョウジ。賞金稼ぎさ」


 そう、少しだけ格好をつけたように言い放っていたリョウジに対し、赤毛の男をはじめ、彼らは幼いアリサを見て、笑い出した。


「子連れの賞金稼ぎなんて、聞いたことねえぞ」


 だが、リョウジは、怒りに身を震わせて、顔を紅潮させ、

「アリサを笑うな!」

 と吠えていた。


 そのアリサは、怯えるどころか、父とゴロツキの様子を面白そうに眺めている。どこか他人と「感性」が違っている、変わった子だった。


「やれ」

 低く唸るような声で、赤毛の大男が命じると、部下の数人の男たちがリョウジとアリサを取り囲む。


 リョウジはアリサを背中にかばいながらも、ゴーグルを外しゆっくりと、腰の日本刀を鞘から抜いた。


 最初に襲ってきたのは、リョウジからは死角に当たる背後にいた男で、アリサを狙って、ジャックナイフを突き出してきた。


 アリサが咄嗟に目を瞑る中、

「いきなり幼児虐待か!」

 気配を察し、同時に愛娘を狙われたことで、怒りに震えていたリョウジは、その男のナイフ目がけて右脚を出し、相手の右腕を蹴っていた。男は苦痛でナイフを取り落とす。リョウジはそのままその男の腹を思いっきり蹴飛ばしていた。


 男の身体が数メートルは飛んで、床に背中を打ちつけていた。


 瞬間、今度は正面から警棒を持った男が迫るが、その左肩から脇にかけてを「袈裟けさ斬り」に斬り下ろしていた。風を斬る「ヒュン」という音と共に、高周波振動装置により、刃の面だけに青白い光が現出され、斬れ味が増す。


 血飛沫が舞い上がり、男は悲鳴と共に仰向けに倒れる。


 そこで、「パン!」という、乾いた銃声が上がった。

 銃弾が、リョウジの頬の先の空間を突き抜けていく。すでに22世紀。戦争で崩壊したとはいえ、レーザー銃が主流の時代には、珍しい火薬式の旧式の拳銃だった。


「刀を置け、サムライヤロー。刀で銃にかなうわけねえんだ!」

 小振りな拳銃を握った若い男が息巻いて、目を血走らせていたが。


 リョウジは、少しも驚く様子も怯む様子も見せず、「やれやれ」と小さく呟いた後、床を蹴った。


 あっという間に男を斬れる間合いまで近づくと、拳銃を構え、慌てて照準を合わせようとしている男の右腕を斬り落としていた。


 銃ごと腕を持っていかれ、男の悲鳴と流血が舞い、そのまま男は倒れて、苦悶の表情で、床をのたうち回り出した。


「てめえ!」

 いきり立って、向かってきた男たちのうち、1人は右から、1人は左からそれぞれジャックナイフを振り回すように向かってきたが。


 リョウジは、右から来た男のナイフをかわし、その男の胸を刀で突き、すぐさま左から向かってきた男を頭から斬り下げていた。高周波日本刀の威力はすさまじく、ナイフを持つ手ごと簡単に斬られる男。あっという間に2人を血祭りに上げていた。


 やがて、

「逃げろ!」

 わずかに残った男たちは、リョウジの想像以上の実力に恐れをなし、部屋から蜘蛛の子を散らすように、一目散にドアを目がけて逃げて行った。


 残されたのは、顔面や服に返り血を浴びて赤く染まっているリョウジ、全くの無傷のアリサ、そして赤毛の大男、ガイだけだった。


「人買い連中は、忠誠心がないな」

 と呟き、近づくリョウジに、


「俺は、ただ金になると思って、『人買い』をしていただけさ。別にあんな連中いなくても、何とかなる」

 などと、ガイは強がっていたが。


「で、俺の首の賞金額は?」

「150万ダーラだ」

「生死は?」

「問わないとさ」


 チッと舌打ちをする声が、ガイの口から漏れていた。

「俺は元・プロレスラーだ。ナメてかかると痛い目に遭うぞ」

 と言うや否や、赤毛の大男は、低く身を沈め、いきなりタックルをかましてきた。


 咄嗟に刀で防御の体勢に入るリョウジだったが、当たった瞬間、その体ごと吹き飛ばされて、壁に背中と頭を強く打ちつけていた。刀で防御した胸部よりも腕の辺りを狙われていた。


「パパ!」

 さすがにアリサが心配そうに見つめる中、


「心配するな、嬢ちゃん。オヤジさんをった後、お前は『売り』に出してやる。子供は従順だからいい労働力になるんだ」

 ガイが下卑た笑みをアリサに向けていたため、アリサは男から目をそらし、怯えた小動物のように小さくなっていた。


「……勝手にアリサを売るんじゃねえよ」

 低く唸る声で、リョウジが立ち上がる。ゴーグルは外れ、無精髭に細身の目がぎらついて見えていた。


「無理するな、おっさん。俺のタックルを食らうと、下手したら脳震盪のうしんとうを起こすぞ」

「黙りやがれ。アリサを怯えさせた罪は、つぐなってもらうぞ」


 よろよろとした足取りで、立ち上がり、リョウジは日本刀を構える。


 ガイは、再び低く体を沈め、タックルの姿勢に入る。

(あのタックルは厄介だな)


 剣道において、普通はこのような相手に遭遇することはない。剣道では、面・籠手こて・胴を狙うのが常道だからだ。だが、彼は知っていた。かつて、この東京が江戸と呼ばれた頃。

 甲源一刀こうげんいっとう流という流派があった。彼らは敵の「すね」や「足」を斬る剣術を使ったという。


 剣の師匠からそのことを教わっていた彼は、当然、その対策も心得ていた。


(突進してくる瞬間を見極める)

 しばしの対峙の後、猛烈な勢いで大男が床を蹴った。

 それはまるで、精悍せいかんな肉食動物のようで、大柄な体躯に似合わないほど俊敏な動きだった。


 だが。

 向かってくる男をまともに相手にはせず、紙一重のギリギリのところで、かわしていたリョウジは、そのがら空きになった背中に、渾身の力で刀を振り下ろしていた。


 潰れた蛙のような、なんとも言えない叫び声を残して、赤毛の大男、ガイは血まみれのまま、動かなくなった。


 高周波機能つきの刀の威力はすさまじく、大男のそれの人体が切断されていた。


 血で化粧をしたような顔を服で拭いながら、アリサの元に向かい、

「ほら、やっぱり俺は強いだろ?」

 と自信満々に告げるリョウジに対し、幼いアリサは、


「もう、パパ! あたしを怖がらせたでしょ。許さないんだから!」

 その小さな頬を膨らませて怒気を発しており、リョウジは懸命に娘をなだめるのだった。


 廃ビルを去り、再びバイクにまたがる親子二人。


「パパ。あたしを怖がらせた罰として、今日はカレーを食べさせること!」

 まだ機嫌が悪い娘の、しかし可愛らしいおねだりにリョウジは頬を緩ませて、


「いいぞ。レトルトしか売ってないけどな」

 笑いながらバイクのハンドルを握って、バイクを走らせていた。


 この歪んだ世界では、「カレー」のルーは貴重品で、この辺りにはもちろん保存用の「レトルト」しか売ってはいなかった。

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