3. 狙われたアリサ

 リョウジが持つ腕時計型タブレットからネットが繋がらなかったため、再びバイクで、シブヤにいるハンターオフィスに行き、オヤジに報告した後、そこでネットから口座に報酬が振り込まれていることを確認したリョウジは、シブヤにわずかに残る雑貨屋で、レトルトカレーのパックと、同じくレトルトのご飯パックを買った。


 そのまま、かつては都心部の大きな公園だった「ヒビヤ公園」に行き着く。その日はそこが寝床になった。


 彼は「旅」をしながら日銭を稼いでいた。

 この崩壊した世界で、他の者と同じように「地下都市」や「水上都市」に住むという選択もあったが、幼いアリサは何故かそれを嫌い、父と旅することを選んだ。


 そのことを不思議に思いながらも、リョウジは反対せず、こうして賞金稼ぎとして生きている。


 極度に気候変動したこの世界では、冬といえども「暖かい」。ましてやここはトウキョウ。冬に野宿をしても問題はなかった。


 かつての賑やかさが嘘のように静まり返り、昔はビルの明かりで見えなかった星が頭上に輝いていた。ヒビヤ公園の芝生の上で、アリサは暖かくもないレトルトのご飯に、冷たいレトルトのカレーをかけて食べていた。


「美味いか、アリサ?」

 かつての世界では、「電子レンジ」があり、食べ物を暖めることができることを知っていたリョウジは、そんな娘を不憫に思っていたが。


「うん、美味しいよ」

 その娘は、無邪気にも冷たいカレーを口に運んで、笑顔を見せていた。


(ヒドい時代だが、俺はアリサがいれば生きていける)

 リョウジの内心は、過去へと飛ぶ。



 リョウジがまだ20代の頃、知り合った若い女は、科学者だった。名を「レナ」と言い、何でもドイツ人と日本人の血が入っているハーフだという。

 レナは、何やら重大な研究をしていたらしい。しかも、レナはリョウジにその研究の具体的な内容を教えてくれなかった。


 やがて、レナと恋仲になったリョウジは、彼女と結婚して、アリサが産まれた。

 ところが、レナはそれでもリョウジに「研究」の内容を教えてはくれないのだった。


 彼女によれば仕事上の「守秘義務」があるから家族にもバラせない、という。

 そうこうしているうちに、アリサが3歳の頃。


 ある日、家に帰ったリョウジが見た光景は凄惨だった。


 レナは何者かによって、胸に銃弾を浴びて、血の海の中で重傷を負っており、病院に運んだ後、すぐに死が宣告された。そして、その手には何かの「結晶」を握っていた。それは不思議な「紫色」をした宝石の欠片かけらのように見えた。


 それが何なのか、リョウジには今もわからない。


 だが、その「結晶」をレナの形見と思い、また「お守り」だと勝手に思って、幼いアリサにペンダントを買って、結晶を中に入れて手渡した。


 レナがどんな研究をしていたのか、そして何故殺されたのか、結局わからないまま、リョウジはアリサが6歳の頃、彼女の希望でかろうじて地上に残っていた「家」を出た。正確には「家」自体を廃棄した。



 それから約2年。アリサは8歳になっていた。まだ幼いが、少しだけ母・レナの面影が目尻や顔の作りに見えてきた気がして、リョウジは彼女の成長を内心、楽しみにしていた。


 一方、リョウジは36歳になっていたが、年々「若さ」から離れ、「中年」になっていく自分の身体を恨めしく思っていた。


「アリサ。ペンダント、持ってるか?」

 不意に尋ねると、幼い彼女はカレーをスプーンで口に運ぶ手を止め、服の中に入れて胸にぶら下げているペンダントを取り出した。紫色に輝く不思議な「結晶」がそこにあった。


「うん、持ってるよ」

「お前、お母さん、欲しいか?」

 リョウジは唐突に聞いていたが。


「ママ? 別にいいかな。だってパパがいるし。それにあたしが構ってあげないとパパ、困るでしょ」

 その生意気にも見える、少し釣り目がちな目が、母親のレナにそっくりだ、と思いながらも、リョウジは心安らぐ思いを抱いていた。


 世界の崩壊から15年。

 その頃、まだ20代の若者だったリョウジにはその出来事は衝撃的すぎた。秩序が崩れ、それまでの常識が根本から覆された。


 国民を守る組織は、政府をはじめ全てが瓦解。頼れるのは自分だけとなる。

 結果として生きるために、他人を踏みつけ、殺す者が増え、かつては「世界一安全」と言われたこの国の治安は極度に悪くなった。幸い、彼は「黒い災厄」の前の10代の少年の頃から自衛のために、師について剣道を学んでいた。


 すべての「希望」がこの世界から消えていく中、最後に残った「希望」こそがアリサだった。


 好きな女の忘れ形見、そして自分の血が繋がった娘。世界がどんなに変わっても、彼女だけは守らなければならない、そう強く願うのだった。



 翌日。

 ヒビヤ公園の芝生の上で目を醒ましたリョウジは、娘のアリサが近くにいないことを知り、肝が冷える思いがした。


「アリサ!」

 夢中で叫ぶと、意外にも、


「助けて、パパ!」

 すぐ近くの茂みの中から彼女の切羽詰まったような声が聞こえてきた。


 慌てて行ってみると。

 複数の男たちがアリサを囲んでおり、その一人が手を掴んで、引っ張っていこうとしていた。人数は3人。


 だが、その彼らの格好が「異様」だった。

 黒ずくめの僧侶の袈裟のような格好に、頭には同じく黒い頭巾をかぶっている。まるで昔の時代劇の強盗のような格好だった。


 それも、何故かアリサを狙っている。

 また「人買い」か、と思いつつも、リョウジは、日本刀を抜いていた。アリサに危害が及ぶ前に、連中を一気に倒す腹積もりだった。遅くなればアリサの命が危ない。


「アリサを離せ!」

 斬りかかるリョウジに対し、男たちは銃を持って構えていた。

 それも、シンジュクキャッスルの人買いが持っていたような、旧式の銃ではなく、最新式のレーザー銃に近い代物だった。

 リョウジは、その白い銃身を見て、咄嗟に悟っていた。


(あれに当たると厄介だ)

 思いながら、刀を振るう。


 まずはアリサの手を握っていた男を軽く「突き」で離れさせ、その瞬間にレーザー銃を発射していた右側にいた男の腹を左から右に真一文字に斬り裂いた。レーザーの光線がリョウジの肩をかすめていった。


 低い悲鳴が響く中、残りの左側にいた男の、レーザー銃を持っている右手を斬り落とし、胸に刀を突き刺して、止めを刺す。


 最初に突いた男が、たちまち恐怖に顔を引きつらせ、逃げ去ろうとするが、その男の首根っこを、リョウジは掴んだ。アリサの手を握って連れ去ろうとしていた張本人だった。


「待て」

「何だ、離せ!」


 男は暴れるが、喉元に高周波加工済みの日本刀の青白い光を放つ先端を突きつけると、おとなしくなった。

「聞きたいことがあるだけだ」

「……わかった」


「何故、アリサを狙った?」

 リョウジにはそれが一番不可解なことだった。

 確かに「人買い」という線は捨てがたいが、この男たちにはそれとは何か「違う」雰囲気を感じていたし、何よりも男たちの一人がアリサのペンダントを握っていたのが一瞬見えたからだ。


「当主様に頼まれたのだ」

「当主様?」


 そのどこか、時代がかったような、あるいは宗教めいたフレーズにリョウジが戸惑っていると。


「お前は知らないのか? この国には、まだ『オアシス』があることを」

「オアシスだあ? 何を寝ぼけたことを言ってやがる?」


 まるで夢物語でも聞いているような目つきで、睨むリョウジに対し、頭巾をかぶったその男は、嘲笑するような表情で言葉を継ぐ。


「ふっ。ネットがほとんど崩壊してるから、わからなくても不思議はないか。俺はその『オアシス』から来たんだ」

「何だ、そのオアシスってのは?」

「かつて、サッポロと呼ばれた北の街。そこに行けばわかる」

「サッポロだと?」


「さあ、言ったぞ。殺すなら殺せ」

 男は覚悟を決めたようで、目を閉じて、何やらお経のような文言を唱え始めた。

 逆に気味が悪い、と思ったリョウジは、その首の手の力を緩めて、日本刀を鞘に納めた。


「くだらねえ。行け」

 とだけ言って、解放する。男は、そのまま胸の傷を抑えながら、去って行った。


 一方、アリサは怖がっているかと思ったら、

「もう、パパ、遅いよ! どうして気づかなかったの!」

 と救出に来るのが遅い、そもそも連れ去られる時に気づけ、とばかりに肩を怒らせて、リョウジを小さな瞳で睨んでいた。


 それをなだめながら、リョウジは、

「ごめん、アリサ。それで、あいつらはお前のペンダントを狙ってたんだな?」

 念を押すように聞くと。


「うん、多分そうだと思う。あたしをさらって真っ先にペンダントを奪おうとしてたから」

 その一言で、リョウジの心は決まった。


(北のオアシスからわざわざアリサのペンダントを追ってきた。これは「何かある」)

 改めて、このペンダント、というよりも中の紫色の「結晶」に謎があると思い、興味を惹かれていた。


 同時に、それは「レナの秘密」にも近づける、という思いがあった。


「アリサ。北に行くぞ」

 突然、そう告げる父に、彼女は、


「北? あたし、寒いのヤダよ」

 と拗ねたような声を上げていたが。


「大丈夫だ。気候変動で冬でも暖かい。たとえサッポロでもな」

 ネットが寸断され、ロクな情報ソースがない時代だったが、気候変動による空気感というのは、普段から肌で感じていたリョウジだったし、きっとそれほど寒くはないだろう、という希望的予測があった。

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