世界の果ての宝物
秋山如雪
Chapter 1 結晶の秘密
1. 終わった世界で
ビルの廃墟が、まるで墓標のように建ち並び、人気がほとんどない街を、一台の古い大型のアメリカンの電動バイクが駆け抜けていく。
街のところどころに、ビルの1、2階の部分が水没している箇所がある。
電動バイクに乗っていた男は、半ヘルメットにゴーグルをかけて、顎に無精髭を生やした30代後半くらいの男で、筋肉質な上半身を黒いレザージャケットに包み、同じく黒いレザーパンツを履いている。そして左腰には、柄の部分が赤い、特徴的な日本刀と思われる刀を差していた。
一方、その背には、小さな手足の愛くるしいほどの7、8歳ほどの女の子が、男の腰に手を回して、しがみついており、見る物に奇妙な違和感を抱かせる。
そこは、かつて「東京」と呼ばれた巨大な街……だった。
西暦2125年。前世紀から言われていた「地球温暖化」がますます進行し、北極と南極の氷が解け始め、地球の海面が一気に上昇。
標高の低い海沿いの街がたちまち水没していった。
自然よりも、自分たちの発展を優先した人類に、まるで牙をむくように自然が猛威を振るい、海面上昇以外に、巨大台風や大雨が頻発し、同時に想像を絶する熱波が人類を襲った。自然災害の連続は、人類が生きるべき
まもなく食糧難が人の争い、戦争を呼び込み、世界各地で戦争が頻発。やがて人類は最悪の選択、「核戦争」を選択し、世界はあっという間に「崩壊」への道をたどって行った。
海面の上昇や相次ぐ自然災害、熱波、そして核戦争から逃れるように、多くの人類が、不安定な地上を離れた。
彼らの多くが、「地下」、あるいは「水上」に逃れて、そこに新たな「都市」を作っていた。
逆に言うと、地上部分は、相次ぐ熱波、
その一連の天変地異と核戦争を「黒い災厄」と呼び、それから15年が経っていた。
西暦2140年冬、トウキョウ。
「ポスト黒い災厄」とも言われ、もはや中央集権的な行政区分は意味をなさなくなり、わずかに生き残った人類は、地下都市や水上都市で、それぞれの「自治」を作って細々と生きていた。
幸いにして、この「ニホン」で核戦争は起きなかったが、世界規模の「核の冬」がようやく一段落したのが5年前。核戦争から10年で「核の冬」はほぼ消滅し、日光が遮られることはなくなっていたが、それでも依然として環境破壊は続いていた。
もはや通る人も車も少ない、シブヤの街を走り、人気のないスクランブル交差点を駆け抜け、ひび割れたコンクリートの地面から生えた雑草を避けながら、男は「ハンターオフィス」と書かれた薄汚れた看板の前でバイクを停めた。
それは、2階建てのコンクリート製の小さなオフィスだったが、周りのビルの廃墟に埋もれるように建つ、どこか頼りなくも見える建物だった。
「アリサ」
男が低い声で発すると、アリサと呼ばれた女の子が、刀の邪魔にならないように、右側からバイクから降りて、ヘルメットを脱いだ。
まだ10歳にも満たない、小学生くらいのその子は、自然な茶色のウェーブのかかったロングヘアーと、小動物のような愛くるしい容貌が目立つが、反面、眼光だけはその年齢の子には似つかわしくないほど、鋭く、釣り目気味で、まるで小さな肉食動物のようにも見える。その目が蒼いのが特徴的でもあった。
一方、男は半ヘルメットを脱ぐと、短く刈った頭髪と細い目が目立つが、ゴーグルを外して、小さな女の子を見下ろす目は、傍から見れば優しげにも見える。
「パパ。さっさとお仕事見つけてきて」
だが、そんな愛くるしい娘に、鋭い目つきと言葉で脅されるように、男は、オフィスの中に入って行った。
店に入ると、鉄とオイルが混じったような、特徴的な刺激臭が鼻を突く。店内には、薄汚れた缶詰や雑貨が並び、何故か車のタイヤやオイルが置いてあり、傍から見ればそこが実際には「何を」営業しているのかすらわからない。
店のカウンターの奥には一人の男がいた。
「よう、リョウジの旦那。久しぶりだな。まだ地上にいるのかい?」
と、からかうように皺だらけの笑顔を向けてきた。
リョウジ、それが男の名前。だが、この世界ではもはや「漢字」の名前など意味をなさない。
前世紀から極度にデジタル化し、名前や地名を紙に書くという習慣がなくなり、この国では前世紀末には、漢字を「地名」や「人名」に使うことが「有名無実」化していた。一方で文章では未だに漢字を使っていたが。
「オヤジ。相変わらずだな。仕事は入ってるか?」
リョウジは、カウンター前の丸椅子に座り、カウンターに肩ひじを突く。
「ああ。今じゃほとんど地上に人なんていねえけどな。だからこそ、『人買い』や『
オヤジと呼ばれた男は、自分の左腕の腕時計のような物をタッチする。するとそこからホログラムのような画像が表示される。それは、超小型のタブレット型コンピュータだった。そのモニターが青白く明滅していた。その表示をリョウジに見せていた。
どうやら、ここは珍しく、「ネット」が繋がるようだった。
この世界では、「黒い災厄」以降、地上ではほとんどインターネットが繋がらない。「基地局」ごと破壊されたからだ。そういう意味では、オヤジのネットは貴重な物だった。
その画面には、「ダーラ」という金銭単位で、斡旋できる仕事内容が記されていた。
―人買い団のリーダー ガイ 150万ダーラ―
―野盗団のリーダー マサキ 100万ダーラ―
―脱獄した窃盗団一味の一掃 60万ダーラ―
それらの表示を見て、リョウジはほくそ笑み、
「これでいい」
そう言って、指を指したのは、それらの中で一番報酬が高い「人買い」退治だった。1ダーラが、現在の日本の金銭感覚でおよそ1円ほどだったが、そもそも国家が破綻し、相場というものが崩れている社会では、現代とは金銭感覚すら違う。
また、「ニホン」をはじめ、世界の国家がほとんど破綻に近い状態にあったため、15年前に世界共通の通貨を国際会議で制定。それが「ダーラ」という通貨単位だった。もっとも、それは様々なデメリットを考慮して、全てが仮想通貨とも言えるオンライン通貨のみの決済だった。
つまり、世界中で通用する通貨を作り、運用は世界規模で行われていた。皮肉にも、人類は「黒い災厄」によって、団結したようにも見えていた。
「また、旦那、無茶するねえ。そいつらは最近、シンジュクキャッスルで暴れまわってる野盗崩れでな。手がつけられねえ凶悪な連中だぞ」
「だから、いいんだ。俺はアリサに飯を食わせねえといけねえからな」
「相変わらず、親バカだねえ」
オヤジと呼ばれたハンターオフィスの主は、ニヤニヤと、見る者に不快な感情すら抱かせるような笑みを浮かべていたが。
「親バカで結構。あいつは、この
リョウジは、少しも恥じることなく、そう強く言い放つと、
「報酬はいつもの口座に」
すでに、勝利を確信したかのような不敵な笑みを浮かべると、ゴーグルをかけて店のドアから出ていった。
―賞金稼ぎ―
警察という国家権力も軍隊もロクになくなった、この世界では、それが一つの仕事になっていた。
治安が極度に悪化した、こうした社会では、この手の私的制裁システムが生まれやすい。
そして、リョウジは元々余りある体力と、磨き上げた武術と剣の腕、たまたま数年前に拾った「日本刀」を、22世紀風に、高周波発生機を取りつけて強化し、武器にしてこの稼業を営んでいた。
それは、一般には「高周波ブレード」、「高周波日本刀」などと呼ばれる強力な代物だった。銃のように遠距離からの攻撃は出来ないが、近づいて斬れば、超高速の振動により、簡単に人体も機械も切断できる上、耐久性もかつての刀より高かった。
賞金稼ぎを選んだのは、自分自身が生きるため、というのももちろんあったが、何よりも愛する一人娘のアリサのためでもあった。
店の前に出ると、アリサがリョウジの所有物である、腕時計型の超小型タブレットを使って犬の絵を描いていた。
物心ついた時から、すでにこの世界は崩壊していたため、アリサはロクに字も書けなかった。そもそも「学校」という物にも通っていない。
だから、リョウジが簡単な言葉と文字を教えていたが、それよりも彼女は、リョウジがたまに使っている超小型タブレットで描ける「絵」が好きだった。このタブレットで絵を描くアプリは、オフラインでも使え、アリサの暇潰しになっていた。
だが、母を不幸な事故で亡くし、男手一つで育ててきたためか、アリサはどこか変わっていて、毒舌を吐く、少しへそ曲がりな性格の女の子になっていた。
「アリサ、行くぞ」
声をかけて、バイクにまたがるリョウジに、幼い娘は渋々ながらも反応し、腕時計型超小型タブレットをリョウジに渡し、後ろに乗ってくる。
「パパ。お仕事見つかった?」
「ああ」
「どこに行くの?」
「シンジュクキャッスルだ」
「えー。あそこは悪い人いっぱいいるじゃん。パパ、大丈夫?」
娘の心配を余所に、リョウジは、電動バイクのイグニッションスイッチを押して、エンジンをかけた。
この電気バイクは、リチウムイオン電池で動いており、静かなモーター駆動音が響いてくる。
「心配するな。パパは強いだろ?」
走りながら娘にそう強がっていたが、
「そうかなあ。パパは運がいいだけだよ」
相変わらずの毒舌を振り撒くアリサの声が背中から聞こえてくるのだった。
まだ「世界」を何も知らない父と娘の、奇妙な旅が始まった。
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