第6話『非モテの壁』

「盛岡くん! 一緒に帰りませんか? 寄りたいところがあるんです!」


 放課後。

 帰ってから読む漫画のことを考えていた僕に、思わぬ福音が訪れた。

 大蛇さんと並んで下校だって?


 何だ、その夢みたいなイベントは?

 しかも、大蛇さんの方から誘ってきてくれるなんて、いったいどういう風の吹き回しなんだ?


 驚きすぎて、脳内を駆け巡っていたとりとめのない思考が、やがて一つの終着点へとたどり着いた。


 ああ、そうか。僕たち付き合ってたんだっけな。

 

 じーんと心の奥から幸せがこみ上げてくる。

 ああ、彼女がいるっていいなあ……これが本物だったらなおいいんだけど……いや、贅沢は言うまい。


 余計なことは考えず!

 恋愛治療にかこつけて、存分に今このときを楽しもうじゃないか!


 ウキウキしながらスクールバッグを背負い直し、僕は大蛇さんと教室を出た。


 ここ私立柳沢高校の校舎は、七階建ての高層建築。

 その分横幅は狭いが、それでも九クラスが並列できるほどの広さはある。

 

 僕たち特進科の教室があるのは最上階なので、エレベーターを使って一階まで一気に降りることにした。


 ホールでエレベーターを待っていると、他クラスの女の子が大蛇さんに話しかけてきた。


「夏巳ちゃんお疲れ!」


「あれ、隣の人って、もしかして彼氏!?」


「はい。今日からお付き合いすることになった盛岡くんです」


「キャー! 本当に!? 夏巳ちゃん可愛いのに彼氏いないとかもったいなーい! って思ってたんだよー!」


「ね、ね、ヤバくない? 盛岡くん、だっけ? どうやって夏巳ちゃんゲットしたの?」


「賄賂?」


「弱味でも握った?」


 開口一番思いつく理由がそれかよ。

 妥当な発想だけどさ。


「もう二人とも! 盛岡くんに失礼ですよ! ちゃんと話し合ってお付き合いするって決めたんです!」


「へえ~~~……でも、ねえ?」


「ちょっと意外かも」


 女の子二人が、値踏みするような目で僕をじろじろ見てくる。

 まあ、言いたいことはよく分かる。


 だから口にはしなくていいよ、傷つくから。

 彼女たちの言わんとすることは、大蛇さんも察したのだろう。

 むっとしたように形のいい眉を逆立てた。


「確かに盛岡くんは一見ただのモテない人に見えるかもしれませんけど、そうじゃないんです!」


 大蛇さんはきっとまなじりを決し、力強く言い放った。


「――ものすごくモテない人なんです!」


 ……そんなきっぱり言い切られても。


「まあ、それは……」


「見れば分かるけど……」


 分かるの!?

 坂口先生も言ってたけど、そんなに見た目に出るもの!?


 嫌だな……うちに帰ったら妹にでも聞いてみようかな。

 僕、モテなさそうに見える? って。

 困惑する女の子二人に、大蛇さんはなおも熱弁を振るった。


「盛岡くんは恋愛力がたったの五しかない恋愛困難者なんです! だから、恋愛力の治療のために、有志の皆で盛岡くんの彼女役をしてあげようってことになったんです! そんな盛岡くんが私を脅したり懐柔したみたいな言い方はやめてください!」


「恋愛力五って……」


「そんなに低かったら自力じゃ彼女なんて作れないよね……ごめんね盛岡くん」


「少しでもモテるようになるといいね。私、応援してるから!」


「どうも……」


 心温まる激励を受け、僕たちはやって来たエレベーターに乗り込んだ。

 僕の気分も、エレベーターと一緒に絶賛急降下していった。


 ◆


 一階につくと、大蛇さんは「あっ!」と口に手を当てた。


「ごめんなさい。私忘れ物しちゃいました! すぐ取ってきます!」


「分かった。下駄箱の外で待ってるね」


 今しがた乗ってきたエレベーターに飛び乗り、大蛇さんはまた七階へと戻っていった。


 エレベーターホールから下駄箱に行くには、途中にあるロビーを通る必要がある。


 教室六つ分くらいの広々したスペースには、十人がけの長机や椅子が、雑多な間隔で並べられている。


 お昼時は、昼食をとる生徒たちでごった返すロビーも、放課後は人気もまばらだ。


 しかし、ある一角からはわいわいと歓声が聞こえてくる。


「しゃあ来た来た来たあ! はい神引き! 神引きキタコレ!」


「うわマジかよ! ここで『ネクロス』はずるいって! マジチートじゃん! チーターかよ!」


 何人かの男子生徒たちが、机の一つに陣取り、スマホゲーに熱中しているのだ。


 プレイしているのは、恐らくデジタルカードゲームの『ライトニング・クロス』


 通称『ライクロ』は、スマホカードゲーム界ではほぼ一強状態の超人気ゲーム。


 無料でもかなり楽しめてしまうため、僕も暇を見てちょこちょこ遊んでいる。


 と、男子生徒の一人が、僕に気がついて手を振ってきた。


 茶色がかった黒髪に、あまり似合っていない黒縁メガネ。

 中学からの友人である牛尾くんだ。


「公男ー! やろうぜ!」


「あー、ごめん。今日はちょっと」


「えー!? なんだって?」


「えーと……」


 距離があるので、声を張らないと届きそうにない。

 公共の場で大声を出すのは嫌いなので、僕は牛尾くんの方に近づいた。


 牛尾くんの友達、つまり僕にとっては友達の友達にあたる微妙な関係の顔見知りたちが、曖昧な笑みを向けてくる。

 

「今日は違う約束があるから、早く帰らないといけないんだよね」


「約束? どんな?」


「ある人と一緒に帰る約束があって……」


「ある人? 誰? もしかして彼女? はは! いや悪い悪い! 冗談だって! お前に彼女なんかいるわけねーよな!」


 牛尾くんがゲラゲラ笑いながら、背中をバシバシ叩いてくる。

 

「ま、それは俺も同じだけどな! 俺たち彼女いない同盟だからな! 絶対裏切ったりすんなよ!」


「あはは……」


 中学生の頃。

 周りが色恋沙汰でキャッキャウフフしているのを尻目に、よくこうしてお互いを励ましあったものだ。


 しかし、今はちょっと気まずい。

 早いところここを離れて、下駄箱に行きたいんだけど……。


「あ、盛岡くん! そんなところにいたんですね!」


 と、そこへ折悪おりあしく、大蛇さんが登場。

 大きな胸を揺らしながら、こちらに駆け寄ってきた。


「ごめんなさい待たせてしまって!」


「いや、大丈夫。友達といたから」


 アイドル級美少女の突然の出現に、スマホゲーオタクたちがにわかにうろたえ始めた。


 牛尾くんなどは、顔を真っ赤にして微妙な愛想笑いを浮かべている。

 女慣れしていない感がムンムンだ。


「じゃあ、ごめん牛尾くん。僕帰るね」


「ちょ、ちょ、待てよお前! え、嘘だろ。一緒に帰るって、こ、この人?」


「うん。なんか寄りたいところがあるらしくて」


「ふざ、ふざけんなよ! 何でお前こんな……ずりいよ! 裏切ったのかよ公男!」


 つばを飛ばしながら悲痛な声を上げる牛尾くん。


 同じ非モテ仲間だと思ってた相手が、いきなりこんな美人と一緒に帰ってたりしたら、そりゃ悲しみたくもなるだろう。

 

 僕だって、誤解をもたせたままマウントとりみたいなことはしたくない。


 懇切丁寧に事情を説明することにした。


「違うんだ。これには深い訳があって……かくかくしかじか」


「つまりあれか? お前の恋愛力を治療するために、この大蛇さんって人を始めとしたクラスの女子がお前と付き合ってくれるってことか?」


「うん、そうそう。だから別に僕がリア充になったとか、そういうわけじゃないから」


「ああ、なんだなんだ驚かせやがって! そういうことなら俺としてはぜんぜん――」


 牛尾くんはほっと安堵したように胸をなでおろし、


「――安心できるかあ! やっぱりお前は裏切りモンだよ!」


「ええ!? なんで、説明したじゃない全部一から!」


「関係ねえ! どんな事情があろうが彼女ができたってことに変わりはねーし、恋人みたいなことができるってことにも違いはねーだろ!」


「だから、それもぜんぶ治療の一環なんだよ! 僕の実力でも何でもないんだ!」


「じゃあ何で俺には疑似の彼女もできねーんだよ! 俺だってお前に負けず劣らずモテねーんだぞ! なのにお前には彼女ができて俺にはできないんじゃ、俺ただのモテない奴じゃねーか!」


「うん、それは否定しないけど……」


「ちくしょー! もうお前なんか友達じゃ……友達じゃ……」


 そこで、牛尾くんはぐっと拳を握り、苦渋の面持ちで言い切った。


「……でもやっぱりお前は友達だよ!」


「どっち!?」


 四年近い付き合いになるが、未だに牛尾くんの情緒は理解しがたい部分がある。

 牛尾くんは涙をぬぐいながら叫んだ。


「行け! 振り返るな! ここはもうお前の来るところじゃねえ!」


「牛尾くん……」


「でも、もし辛いことがあったらいつでも相談しに来ていいからな!」


「いい人だな君は!」


「あ、あの、盛岡くん? そろそろ……」


「ああ、ごめん。じゃあ……」


 割とドン引き気味の大蛇さんを連れて、僕は学校を出た。

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