第7話『僕が生まれて来た理由』
放課後。
授業を終えた僕と大蛇さんは、並んで下校していた。
周りには、同じくカップルと思しき生徒たちが、イチャイチャしながら校門への道のりを歩いている。
うちの学校の部活は非常に緩く、恋人を優先してサボったところで何も言われないらしい。
むしろ、恋人も作らず部活に没頭している奴のほうが変わり者扱いだ。
あくまで趣味の範疇を脱しない、生徒の課外活動としては理想的な形態と言えないこともないが、部活が恋人でも別にいいじゃないかと思わんでもない。
まあ、恋人もおらず、部活にも入っていない僕みたいなド変人には無縁の話だが。
「大蛇さん、寄りたい店ってどこにあるの?」
「駅前の『アマンテス』ってカフェです。カップル限定のスイーツがあるらしくて、前から行ってみたかったんですよ」
「ああ、前はラーメン屋が入ってたところか。新しくできたんだね」
「はい! ああいうところって彼氏がいないと入りづらいので……」
そこまで言いかけて、大蛇さんはハッとしたように口を抑えた。
「ち、違いますからね!?」
「何が?」
「その、カップル限定メニューのために盛岡君と付き合ったとか、全然そんなつもりじゃないですから!」
「いや、全然そんなつもりでも構わないよ。大蛇さんと一週間付き合えるなら、犬のフリだって喜んでやるよ」
「あの、もう少し自分を大切にした方が……」
僕レベルが告白したって、大蛇さんと付き合うなんて夢のまた夢なのだ。
プライドなんかそれこそ犬にでも食わせてやれって話である。
大蛇さんは申し訳なさそうに肩を落とした。
「そんなの失礼ですよ。盛岡君は本気で悩んでるのに……あんな言い方して、私最低です」
「大蛇さん……」
あんなの言葉のアヤみたいなものなのに、真剣に落ち込んでいるみたいだ。
いったいどこまでいい子なんだろう。
ああ、こんな子と本当に付き合えたら幸せだろうな……。
そんな調子で雑談しているうちに、気がついたら徒歩二十分の最寄り駅に来ていた。
都市部まで特急で四十分という、何とも言えない距離感の地方駅だが、新幹線の停車駅なだけあって、いちおう繁華街と呼べるものがある程度には栄えている。
その一角に、件のカフェ『アマンテス』があった。
雑居ビルの一階に陣取り、ピンクを基調としたファンシーな外装で『うちはカップル向けです』と主張しているようだ。
押し戸を開けると、カランコロンと小気味よいベルの音が鳴り響く。
ホールでテーブルを拭いていた女性の店員さんが、急いでこちらに駆けつけてきた。
年齢は僕たちより少し上。大学生くらいか。
オープンキャストで入った新人さんだろう。
営業スマイルにもまだぎこちなさが見て取れる。
「いらっしゃいませ! 二名様でお間違いないですか?」
「はい、二人です」
「ではお好きな席へどうぞ! 後ほどご注文を伺いに参ります」
「どうも」
緊張気味ながら、そつなく案内をこなした店員さんが、パタパタと厨房の方へ走っていく。
実にフレッシュな感じだ。
ああやって頑張っている人を見ると応援したくなるよね。
「盛岡君、どれがいいですか?」
「えーと……」
席に着き、大蛇さんと一緒にメニューを覗き込む。
額がぶつかりそうなほどの距離に、とんでもない美少女が僕と机を囲んでいる。
亜麻色の髪から漂う甘い匂いが脳天を直撃し、めまいがしそうだ。
ぼーっとしていた僕に、大蛇さんが怪訝そうに首をかしげる。
「盛岡君?」
「ああ、ごめん」
改めてメニューをざっと眺める。
最初に目を惹いたのが、巨大なコップに入ったピーチジュースの写真だ。
アセロラだかなんだかも入っていて、健康にも良さそうである。
この歳で真面目にヘルスケアについて考えているわけじゃないが、他に評価するポイントがないので仕方がない。
「このアセロラピーチジュース美味しそう! 春らしくていいですね!」
なるほど、春らしさか。
今後はそういうエモーショナルな観点を取り入れたコメントを心がけるとしよう。
いつ活かされるか分からない教訓を胸に刻み、僕はフレッシュな店員さんを呼んだ。
「すいません、このアセロラピーチジュースを二つ」
「こちら、カップル限定商品となっておりますので、お一つの注文をおすすめしますが、いかがでしょう?」
言われてみれば、ジュースが入っているコップはやけにでかい。
そして値段が高い! 一個一三〇〇円もするのかよ!
いや、二人分だと考えれば普通なのか?
カフェのドリンク相場が謎だ。
迷っていると、大蛇さんが僕の背中を押した。
「せっかくの限定品なんですから、この機会に飲んでみませんか?」
「うーん……じゃあ、これで」
「かしこまりました!」
限定に弱い日本人というが、日本人じゃなくても人間はたいてい『限定』という言葉に弱いと思う。
待つこと数分。
他に客も居なかったので、ジュースはすぐにやってきた。
「お待たせしました! アセロラピーチジュースカップルエディションです! ごゆっくりお楽しみください!」
呪文みたいな名前してんなこのジュース。
だが、そんなことは問題ではない。
「あの、すいません。このストロー……」
「はい、どうなされましたか?」
花瓶みたいな巨大なガラス容器には、カップル仕様と思しきハート型に絡まった二本のストローが入っている。
吸い口同士の距離は十センチにも満たず、ほとんど鼻先を突き合わせて飲む格好になるだろう。
ただでさえ沿道に面したこの席で、こんな恥ずかしいストローを使う勇気はない。
仮に大蛇さんが本物の恋人だったとしてもためらうところだ。
「これ、普通のストローに交換してもらえませんか?」
「普通のストローと申しますと?」
「一人で使う普通のストローですよ。それを二本ください」
「一人で使うストロー……?」
「いや、普通は一人で使うでしょ!」
この店員さんは生まれてこの方カップル用のストローしか使ったことがないんだろうか。
……新生児の頃から彼氏が居たら、それもありうるのかもしれない。
すったもんだの挙げ句、なんとか僕は普通のストローを入手した。
「…………なんか、ごめん」
「…………ちょっと、恥ずかしいですね。これ」
普通のストローでも、顔が近づくのは変わりない。
視界いっぱいに大蛇さんのご尊顔を拝みながら飲むジュースは、ほとんど味が分からなかった。
眼福といえば眼福だけど、大蛇さんに僕のブサイク顔をドアップで見せつけるのはいかにも忍びない。
おまけに、ストローをくわえると、ちょっとおちょぼ口になってしまう関係上、ますます極まった間抜け面を見せつける羽目になるわけだ。
見る人が見たら、迷惑防止条例違反の構成要件を満たしかねない惨状である。
大蛇さんがいい人で本当によかった。
三十センチにも満たない空間に顔を寄せ合い、同じジュースをすすり合うというカオス。
何をやってるんだ僕は? 花の蜜を吸うチョウか?
本物のカップルならひょっとすると微笑ましい雰囲気にでもなるのかもだが、あいにく僕らはそうじゃない。
気まずさに耐えかねたのか、大蛇さんが言った。
「まあ、人生一度はこれをやらないと損みたいなところはありますから……」
「そ、そうだね……」
あるか?
「でも……ひとつ、新しい発見ができました」
「?」
「盛岡君、結構まつ毛長いんですね」
はにかみながらそんなことを告げられて。
僕は心底生まれて来てよかったと思った。
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