第13話 残酷な現実



 俺は黒い獣を見つめながら、一歩ずつ、ゆっくりと近づく。獣は警戒するように唸りながら、姿勢を低く保つ。

 手にしていた剣を鞘に収めようとしたその時。ダイアスが斧を両腕で振りかぶりながら、獣の方へと突っ込んでいく。


 「うおらぁッッ!!!」


 「ッ!? ダイアスさん!!」


 振り下ろされた斧は空を切り、既に獣の居なくなった地面に刺さる。

 その隙を獣は見逃さず、獣はダイアスに向かって一直線に飛びかかった。


 ───そして、肉を噛みしだく音。咄嗟にダイアスを庇った俺の左肩には、獣の鋭い牙がくい込んでいた。


「───ぐ…ぁ……ッ!」


 あまりの激痛に声すらまともに出せず、その場で膝をつく。今にも飛びそうな意識の中、何とか右手で患部を押さえようとする。が、あのたったの一噛みで、俺の左肩はごっそりと消失していた。


 「ボウズ、テメェ……何のつもりだ?助けてお株を上げようってのかよ!?」


「…ちが……、っ…ぅ…!」


 ダイアスさんも、ミトラちゃんも、守りたいから。ただ、それだけの事だ。

 思いは言葉にはならず、呻きのような声だけが喉から漏れるだけだった。

 瞳孔が震えて視線が定まらず、呼吸が乱れる。

 痛い。痛い。身体が、熱い。


 (くそ…!こんな、痛みなんて…ッ!)


 立て。早く立て。自分で蒔いた種だ、自分がやらなければ。これ以上被害を大きくしてはいけない。

 自分を奮い立たせ、深く息をしながら足元の剣を手に取り立ち上がる。

 目の前にはダイアスも黒い獣も既におらず、辺りを見回す。

 そうして正面に視線を戻した時、気配もなく突然現れた外套姿の男に俺は思わず声を上げた。


 「なっ…!!」


 「異世界の戦士というには、非常にお粗末でしたねぇ。もう少し楽しませてくれると思ったのですが。」


 ニコニコと笑みを浮かべ、それ以外一切の表情に変化がない。


 (コイツが…黒幕か…!?)


 剣を片手で構え、強く握る。

 ふと男の足元に目をやると、手足を拘束された巳影が必死に口を動かして何かを訴えていた。


 「巳影…!!!クソっ、やっぱりお前が全部やったのか…!!」


 「ええ。元々、私はこの方を連れて帰ればそれで良かったのですが…、様々な偶然が重なったので、特別にこういった余興を披露させていただきました。」


 「何が余興だよ…!!巳影を返せ!!それから、ミトラちゃんを元に戻せ、今すぐにだ!!」


 強い憤り覚えながら、俺は剣先を男の首元に突き立てる。…が、意志とは裏腹に俺の腕と剣は、カタカタと小さく震えていた。


 「…ふむ。大妖精もやはり限界が近いらしい。この有様では最早我々が勝ったも同然。」


 「何を言って─────ぐっ!?」


 男に勢いよく首を掴まれ、身体が宙に浮く。抵抗しようと身体を動かそうとするが、一切の力が入らず、指一本すら動かすことが出来なかった。

 男はギリギリと俺の首を片手で締め上げながら、こう語った。


 「一つ教えてあげましょう。他人に刃を向ける時は、相応の覚悟を持つことです。生半可な気持ちではいけません。」


 俺の手元から落ちた剣はふわりと宙を舞い、男の空いた方の手へと収められる。そして。


 「───躊躇った時点で、貴方の負けなのですよ。」


 その剣は、真っ直ぐに俺の心臓を貫いた。

 痛みは感じない。焼けそうに熱いという感覚だけがあり、やがて徐々に意識が薄れていく。

 串刺しになった俺の体は、ゴミのようにその場に放り捨てられた。


 (俺は…何も守れなかった……。)


 朦朧とする中最期に見たのは、泣き叫ぶ巳影の姿だった。


 「授業料はその命。是非この教えを役立てて下さい。…あの世で、ね。」


 男は手にしていた剣を地面に突き立て、その場を去ろうと巳影に目をやる。すかさず「おや、いけませんね。」と、指を鳴らした。

 パチン、という音と共に、巳影は糸の切れた人形のように地面に倒れる。


 「舌を噛み切って共に死のうとしたのでしょうが…そうはさせません。貴方は私と共に来てもらいませんと。」


 男は意識を失った巳影を抱きかかえ、ゆっくりと浮上していく。

 浮上しながら、未だ村人を襲い続ける黒い獣に目を向け、「彼女はもう少し使いたかったのですが…やはり幼すぎましたね。まあ、この村で存分に遊んでいただくとしましょうか。」と残念そうに呟いた。

 やがて男の背後から、彼を中心に円状のブラックホールのような門が現れ、巳影と男を飲み込み、そこに何も無かったかのように音も無く消滅する。



 やがて響き渡る村人の悲痛な叫び声は、激しく打ち付ける雨の中に静かに掻き消えて行った。
















────────────


 ひゅう。

 暖かな風が、地面にうつ伏せで突っ伏した俺の身体を優しく撫でるように通っていく。

 そんな心地の良さとは裏腹に、俺の身体は酷い倦怠感で指一本動かせずにいた。その場から起き上がることもままならず、目だけをゆっくりと開ける。

 ミルクのように白い景色の中、ぼんやりと浮かび上がる、緑色の何か。


 (あれは……?)


 緑色の物体はふわふわと浮いており、段々と近づいて来る。

 それが人の姿をしていると認識出来た頃には、文字通り俺の目の前まで来ていた。


 (…妖、精…?)


 体長は20cmもあればいい方だろうか。その妖精は透き通るように淡い緑色の羽根を羽ばたかせ、じっと俺の目を見つめる。

 そして、俺には理解出来ない謎の言葉を発する。恐らくは妖精達の言葉なのだろう。

 妖精が祈るようなポーズを取れば、たちまち辺りは強い光に包まれる。あまりの眩しさに思わず目を瞑ると、まるで陽だまりの中にいるような暖かさが全身を包み始めた。


 ────動ける。


 自身の強かな心音が、頭にまで響いてくる。

 腕に力を込め立ち上がろうとすると、目眩のような浮遊感が俺を襲い、一瞬のうちに意識を奪われてしまった。















─────────



 「─────ッ、は…!」


 急に意識を取り戻した俺は、ビクリと身体を震わせ目を覚ます。

 僅かに震える、荒い呼吸を落ち着けるようにゆっくりと息を吸いながら、相変わらずうつ伏せのままでいる身体を起こそうとする、…が。


 「……う゛ッ!!?」


 雨上がりの独特の匂いと共に、強い鉄の香りと生臭さが鼻を突き、込み上げる吐き気を抑えんと右手で鼻と口を覆う。


 (何だ、この臭い…!)


 強烈な異臭に思わず嘔吐えづきそうになりながら、おもむろに立ち上がる。ずぶ濡れた服のベッタリと張りついてくる気持ち悪さが吐き気を増幅させる。

 うまく力が入らない足腰を無理矢理立たせ顔を上げると、そこには凄惨な光景が広がっていた。


 「……あ……。」


 絶句。

 目の前に広がるものは、赤。

 土を、家を、そして木さえも。大輪の花の如き鮮血が、咲き誇るように、辺りを真っ赤に染め上げていた。

 澄み渡った青空と眩しい朝日が、より一層赤を目立たせていた。


 「う、そ……だ…。」


 ふらつく足で、傍に刺さっていた剣に近づいて手を掛け、今にも崩れ落ちそうな身体の支えにする。


 「そもそも、俺……あの時刺されて…。」


 未だ刺された感覚の残る胸元に手を当てる。胸当てには剣が貫通した後だけが残っており、血も出ていなければ痛みすら無かった。

 パキリ、と足元で、硬い何かが踏まれて割れる音がする。足元に視線を落とし、足をずらすように退けると、ガラスの破片がバラバラと散乱していた。


 (もしかして…あの時の薬が…?)


 エウリーヌから貰った回復薬。それが割れて中の液体が傷口に入り込み、一命を取り留めたというのだろうか。


 「……地獄にすら…送ってくれないん、だな…。」


 目の前に広がる惨状から逃げるな。その目で見届け、贖罪しょくざいを果たせ。命で償うなどという安い代償で済むと思うな。

 まるで、村人たちがそう訴えてきているように感じる。


 「……一体、何が正解だったんだろうな…。」


 失意と絶望の中、俺は生存者や巳影達を探すべく、重い足取りで歩を進めた。












──────────


 一通り村を見て回ったものの、あったのは獣の爪痕、血溜まり、血に塗れた斧や棍棒だけだった。

 惨たらしく変貌した村の有りよう、そして辺りに満ちる死の臭いに何度も噎せ返りそうになりながらも、俺は道に点々と続く血痕を辿っていた。その血痕は、悲しくも巳影の家の方へと続いていて。


 キィ、と音を立てて開いた扉の先には、床にグッタリと倒れるミトラの姿があった。


 「っ、ミトラちゃん…!」


 ミトラに駆け寄り、彼女の上半身を抱き起こす。彼女の白い、雪のような髪と肌を赤く染め上げる血は、俺の手をベッタリと汚した。


 「ミトラちゃん…、ごめん、ごめんな……!」


 血の気が失せ、目の下や唇がすっかり紫色に変わってしまっている。その冷え切った小さな身体を、俺は強く抱き締める。


 少しでも良い。目を開けてくれ。頼む。


 俺の願いは言葉にはならず、喉からはただ嗚咽が漏れるのみ。


 情けなく涙を流し続けていると、ふと、頭の上に軽い何かが乗せられた。

 抱き締める腕の力を少し弛め、ミトラの顔を見やると、彼女は薄らと目を開けこちらを見て微笑んでいた。


 「あ……。…ミトラ、ちゃん…?」


 「…リヒ、ト……。ないてる…の?…ミカゲ、どこかに…いっちゃった…の…?」


 弱々しく言葉を紡ぐミトラの顔に、ぽたぽたと俺の涙が落ち、彼女の頬を伝う。


 「…あの、ね…。その…かんむり、ミカゲと…つくっ、た、の…。…それで…げんき、だして………ね…?」


 俺はミトラから目を離さないまま、頭の上に乗せられた冠に、そっと触れてみる。しっとりとした柔らかい感触。その冠が花で出来ている事は実に容易に理解出来た。

 よく見ると、ミトラの手にはもう一つ花冠が大事そうに握られていた。恐らくは巳影の分、だろうか。


 「……ありがとう…、ミトラちゃん…。」


 嗚咽混じりに、捻り出すように発した感謝の言葉。

 ミトラは嬉しそうに口元を緩め、俺の頬に触れた。


 すぐに薬草を摘んでくるから、少し待っててくれるか。

 そう言おうとして口を開けた、──瞬間。

 目の前の少女の身体は、末端から、音も無く。ただ静かに、紫色の霧状に消滅を始めた。


 「あ……、あぁ……!!」


 ダメだ、ダメだ、待ってくれ。俺はまだ約束を、何も果たしてない────!!


 思いは何一つ言葉にはならず、代わりに嗚咽と大粒の涙がボロボロと零れ落ちていく。

 蹲るようにミトラを強く抱き締める。

 頬に触れていた彼女の右手は、もう既に掻き消えていた。


 「…リヒト…。ミカゲと、おか…さま、みつけたら……こんどは…、みんな、で……あそぼ……ね…。」


 「うん、うん……!!皆で、一緒に遊ぼう…!!!必ず、見つけるから…!!!絶対、絶対に…!!」


 捻り出すように発し、誓った言葉は、彼女の耳に届いただろうか。穏やかな笑みを浮かべた彼女は、そのまま静かに霧散し、跡形もなく消え去った。


 「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ────ッッッッ!!!!!!」


 号哭は部屋中に響き渡り、やがて森の中へと反響し掻き消えていった。

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