第10話 陰り




 時は少々遡り、昼下がりの巳影邸。


 「ねえねえ、ミカゲ。」


 「ん?どうかしたか?」


 巳影は読んでいた調合の本を机に置き、ミトラの方へと顔を向ける。

 ミトラは窓の外を見つめ、何かを訴えているようだった。


 「あそこ…おはなが、さいてる。すごくいっぱい。」


 「花?」


 「ん…。…とりにいっちゃ、ダメ?」


 「うーん…。理人も居ないし危ないからさ、今日は我慢してくれるか?」


 「……そっか…。」


 ミトラはしょんぼりと残念そうに俯き、「おかーさまもおなじこと、いってた…。」と呟いた。


 「おかーさまね、マモノもこわいけど、ニンゲンはいちばんあぶないんだよ、って。だからミカゲがおかーさまじゃなくて、おかーさまソックリのニンゲンだったとき、すごくビックリしたんだ…。」


 「………。」


 巳影は暫くミトラを見つめたまま沈黙していたが、やがてゆっくりと椅子から立ち上がってミトラの方へと近づき、目線を合わせて優しく話しかける。


 「…なあ、ミトラ。オレの……この身体、お前のお母さんに似てるのか?」


 「…おかおがね、とってもにてる…。けど、ツノがないのと、かみのいろが…ちがう。」


 「顔が似てる…、か。」


 巳影は、自分の顔に右手を添える。感触も、手のひらの温かさの感覚さえあるのに、どこか形容し難い違和感がずっとある。

 そしてミトラを見た時からある感情。彼女の事は知らない筈なのに、何故か知っているという既知感。そして必ず彼女を守らねばならないという使命感。


 (…この身体は多分、ミトラのお母さんのものだ。オレが入り込んだせいで、見た目にも変化が現れたんだ。)


 自分の魂がミトラの母親を乗っ取る形で入ってしまった。心に抱えた違和感や、ミトラの初対面時の反応に対しては辻褄が合う。

 もし本当にそうだったとするなら、ミトラの母親の魂は今何処に?


 理人に相談すべきか考えていると

、ミトラが服の裾を軽く引っ張ってきた。目を合わせると、ミトラはニッコリと笑顔を見せた。


 「あのね、ミトラね、おかーさまにあえたら、いいたいことがあるの。」


 「ん?何だ?」


 「ミカゲもリヒトも、いいニンゲンなんだよって。こわいひとばかりじゃないんだよ、って、おかーさまにおしえてあげるの。」


 「……ミトラ…。…お前はいい子だな。」


 何かこそばゆい気持ちになりながら、同時にチクリと心が痛んだ。


 「…理人は良い人間だけどさ…オレは違うよ。オレは、すごく悪いヤツなんだ。」


 巳影は自身の心を刺したトゲを、言葉にして吐き出す。

 キョトンとして首を傾げるミトラにではなく、まるで自分に言い聞かせるように巳影は言葉を紡ぐ。


 「元々、オレなんかが理人と一緒にいるのが変な話なんだよ。…オレ、本当はこんな性格じゃないんだ。もっと暗くてジメジメしてる野郎でさ。」


 子供の頃から人付き合いが得意ではなく、本やゲームが心の拠り所だった巳影は、誰とでも打ち解けてしまう理人が特別な人間に見たのだ。彼は幼い頃からの憧れであり、同時に嫉妬の対象でもあった。

 自分もあんな風になりたい。その一心で、理人を真似し続けた。

 真似をした結果、自分だけでなく周りの環境まで変化していき、毎日が充実しているように思えた。


 けれど、ある時ふと気づいたのだ。これは理人の世界を模倣しているだけだと。自分の人生そのものではない。

 結果として、自分という存在は何処にも無く、ただ空っぽの自分を作り上げただけだった。

 そんな人間が、居場所欲しさにミトラから母親を奪ってしまったかもしれない。母親に乗り移ったのも、自分があやふやで不安定な人間だからに違いない。


 ズキン、ズキン、と心臓が鼓動する度に、胸の痛みが増す。


 ああ。こんな時、理人ならどうする。


 ──違う、理人だったら最初からこんな事にはなってない。


 でも自分じゃどうすればいいか分からない。


 (自分からミトラを守るなんて言っておいて…本当に最低だ。)


 「なぁ、ミトラ───」


 隠すくらいなら、いっそ言ってしまおうか。そう思い口を開いた瞬間、ポン、と頭の上にミトラの手が乗せられた。


 「ミカゲ、ミトラのことみても、こわがらなかったもん。ミトラのこと、まもってくれるっていってくれた。やさしくて、すごくいいひとだよ。」


 ゆっくりと頭を撫でるその小さな手は、とても温かく、湧き出た黒い感情を全て優しく包み込んだ。


 「……ミトラ…、ありがとう…。」


 あの時思った、ミトラを助けたいという気持ち。それは、それだけは間違いなく自分の意思なのだ。

 溢れそうになる感情を堪えながら、窓の外をチラリと見てミトラに一つ提案をする。


 「…ミトラ、ほんの少しだけ外に出てみるか?」


 「え?いいの?」


 「うん、花を摘むくらいなら。」


 ミトラは巳影の答えに、パァっと顔を明るくすると、「じゃあミトラ、ミカゲとリヒトに、おはなのかんむり、つくってあげるね!」と満面の笑みを見せた。


 (オレが本当にミトラの母親の身体を借りてるんなら、オレの身体を探すのが一番早そうだな。)


 理人が現実世界の身体で来れているのなら、自分の身体も何処かに必ずある筈だ。その身体にミトラの母親が入っているかもしれない。

 まずは理人に相談して、今後の方針として考えるべきだろう。


 巳影の心に、もう迷いは無かった。













────────────




 巳影邸からやや離れた森の中、双眼鏡で巳影達の様子を見つめる、外套姿の男が居た。


 「…ふむ。なるほど、そういう事でしたか。」


 男の手のひらの上で、水晶が内部で黒い炎をゆらゆらと灯している。時折、小さな光が二箇所、チカチカと輝いていた。


 「あの方は全て分かっておられた。クク、いやはや、なんと素晴らしい。」


 男は糸のように細い目を少しだけ開くと、両手を広げ天を仰いだ。


 「必ず。必ずや、この忠実なる眷属フィニムが、確実に遂行致しましょう。」


 男は心地良さそうに息を吐くと、「ああ…、早くお会いしとうございます。」と恍惚の笑みを浮かべた。



 暗雲が、ゆっくりと太陽の方へと近づいていた。

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