第77話 沙織の恋心、ウチの幼馴染がモテるってホント?





 周りのクラスメイトは皆、返ってきた自分のテスト結果を眺めたり、友達の答案を見比べて解答について口々に喋ったりして、テストの点数に一喜一憂している。

 その中で俺も、目の前の答案用紙を見て眉間に皺を作っていた。赤点ではない。かといって上位の成績というわけでもない。苦手科目はどうしても点数が下がってしまう。


「……ま、いっか」


 そうひとり納得して、地理の答案用紙を鞄にしまう。これで今日返される期末試験の結果は揃った。残すは明日の試験結果を待つのみだ。ここまでの結果から言って、良い成績かは兎も角、補習にはならないだろう。

 俺が教室の席で一人ほっと息をつくと、葉山がやってきた。


「よぉ水樹、どうだった。テストの結果は?」

「うん、問題なし。葉山は?」

「あぁ、何とかなった。漢文がヤバかったけどヤマ勘で答えた選択問題に救われたぜ。いやぁ、運が良かったわ」


 葉山はグッとサムズアップして答えた。テスト期間中はほぼ一夜漬けだとか言ってたけど、今のところ補習は回避できているらしい。


「そういえば、水樹は夏休みの予定って、もう決まってるのか?」

「いや、特に。けど多分バイト三昧になると思う」

「おいおい、折角の夏休みをそんな勿体ないことに使うなよ。高校2年の夏休みっつったら、実質高校最後の夏休みなんだぜ。高3の夏休みなんて受験でほとんど遊べないんだし」

「良いんだよ、俺がやりたくてやってるんだから」

「たくよぉ……えっなに、マジで連日バイトなの?」

「いや、それは状況次第というか……」


 日本の治安次第だな。

 明智長官からは事件が無くても即応のために無闇に用事は入れるなと言われている。


「シフト次第ってことか? じゃあ休みの日が分かったら教えてくれよ。折角の夏休みなんだ。プールとか海とか、どこか遊びに行こうぜ。沙織ちゃん達も誘ってさ。昨日あの後、綾辻さんも用事があるとかで結局遊べなかったんだよ」

「ふーん……沙織達も、ね?」


 若干見え隠れする葉山の下心は置いておいて、沙織達は夏休みどうするんだろうか。三人はガーディアンズ所属ってわけじゃないし、こっちの命令や指示に従う理由はないけど、ハデスやノーライフがいつ現れるか分からない以上、なるべく遠出はしないようにと玲さんから伝達があったはずだ。

 そんなことを考えつつ、俺は沙織の席に目を向ける。つられて葉山も視線を追った。


「はぁぁぁぁ」

《おーい、沙織、大丈夫ぅ?》


 沙織は机に突っ伏して大きなため息をついていた。顔は見えないが、どんよりとした陰鬱な雰囲気が彼女の身体に纏わっていて、心なしか影が差しているようにも見える。頭の上でミーがツンツンしているが、全く反応していない。


「テストの結果が良くなかったみたいだな沙織ちゃん」

「だな」


 俺は席を立って、葉山と一緒に沙織へ歩み寄った。


「どうした沙織?」

「うぅぅ、ゆうとぉぉ」


 沙織は覇気のない声をあげながら、体を起こしてこっちを見た。

 授業中、テストの結果が返ってくるたびに沙織の様子が段々と落ち込んでいったのは、俺の席からも見て取れた。生物と数学Bが返ってきた時は多少持ち直したように見えたけど、それも総合的に見たら雀の涙だったらしい。


「赤点は?」

「うぅぅ……1つ」

「良かったじゃん」

「まだ数Ⅲと物理と英語が残ってるんだよぉぉ」


 また沙織は突っ伏した。うちの学校では補習は赤点3つ取った生徒が対象だ。つまり、ただでさえ明日に苦手科目が3つ残ってる沙織にとっては、今日の返ってきたテストでは赤点を1つも取りたくなかったのだろう。


「まぁ、そう落ち込むなって。今気落ちしても仕方ないだろ?」

「そうそう。そうだ、今日こそどこか遊び行こうぜ」

「あっ悪い。俺今日もダメだ」

「何だよ、またバイトか?」

「いや、今日は別件」

「デートか?」

「かもな」

「「えっ!」」


 沙織と葉山が揃って鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこっちを見る。沙織なんて机に顔を付けていたはずなのに、いつの間にか背を伸ばしていた。そのあまりの反応速度に、逆に俺が驚いた。頭の上にいたミーも投石の如くどこかに飛んで行った。


「いやあの、ごめん冗談」

「あ、あぁぁ、だよなぁ! 水樹がデートって!」

「あははぁ、そうだよね、優人に限ってそんな…………あービックリした」

「俺から言っといてなんだけど、傷つくんだけど?」


 取り繕ったように笑い合う二人に、俺は目を細めて口を尖らせた。

 別に女子受け悪いわけじゃないんだぞ、俺…………多分。


「はーい、ホームルーム始めるぞぉ」


 そんな談笑をしていると、担任の森田先生が教室に入ってきた。俺と葉山はそれぞれ自分の席へ戻る。

 この時、沙織が不安げな表情のまま俺の後ろ姿を見ていたことに、俺は気が付かなかった。




 ***




 放課後、場所は変わって駅前の喫茶店キャロル。

 店内にある四人席のひとつに沙織と秋月が二人で向かい合って座っていた。


「そんなことがあってさ、ホント最近優人ってば付き合い悪いんだよね」

「ふーん」


 注文したクリームソーダのアイスを食べながら、沙織は愚痴をこぼす。そんな沙織を眺め、秋月はブレンドコーヒーに口を付けた。テーブルにはミーとムーが座り、秋月が頼んだショートケーキを美味しそうにつまんでいる。


「でも、この前一緒に映画見に行ったんでしょ?」

「そうなんだけどさ、あの時は途中で色々あって、なんだか不完全燃焼って感じでさ」

「デートできたんなら良いじゃない。どうなってたら完全燃焼なのよ?」

「そりゃあ買い物して遊んで、それから……いやてか、デートじゃないしぃ!」

「はいはい」


 秋月はうっすら笑いながらカップをソーサーに置いた。


「はぁぁ、折角テストも終わったっていうのに、優人も千春も何やってんだろ?」

「さぁ」


 秋月は小さく肩を上げる。沙織の言う通り、綾辻さんとマーはこの場にいない。ホームルーム後すぐに秋月が声を掛けたが、用事があると言って先に帰ってしまったのだ。


「でも、また今度誘えば良いじゃない。夏休みも目前なんだし」

「むぅぅ、そうだけどさ……」


 大きなため息をつく沙織に、秋月はさらっと返した。普段からきちんと勉強している彼女には、補習の心配など欠片もない。今日返ってきたテストの結果も、彼女自身満足のいくものだった。休み中に文芸部の活動もない秋月にとって、夏休みは文字通り長い休みとなる。

 しかし、補習の可能性や陸上部の活動がある沙織にとっては、遊びの機会は秋月ほど多くは無かった。補習や宿題、部活動の時間を差し引けば、夏休みの遊ぶ時間は半分ほどしかないだろう

 そんな暗い考えを振り払い、沙織は夏休みの楽しみを思い浮かべる。


「夏休み。プールに海に夏祭り、夏はイベント盛りだくさんだよねぇ……ハデスさえ出なければ」

「そうね。私達三人が同時に高宮町を離れるのはマズいだろうけど、一人だけなら大丈夫でしょ。時間合わせて水樹と一緒に遊んでくれば?」

「そっか……そうだよね! 流石麻里奈!」


 そう言って期待を含んだ笑みを浮かべ、沙織はアイスの解けたソーダを飲む。その様子を眺めながらコーヒーをまた一口飲んだ秋月に、ふと疑問が過った。

 先日の屋上での一件から、秋月は俺のことをずっと疑いの目で見ていたが、七色作戦以来、その不信感も少し落ち着いていた。


「ねぇ、沙織って水樹のどこが好きなの?」

「むぐっ!」


 沙織は吹き出しかけたソーダを無理矢理飲み込んだ。


「ケホっケホっ! ハ、ハァ? べ、べつに、好きじゃないしッ!」

「そういうの良いから。恋愛か友愛かは置いておいて、好きなんでしょ彼のこと?」

「うぅぅ、そりゃあ、まぁ……大事な幼馴染だし、一緒にいると楽しいし、好きか嫌いかで言えば、好きだけどさ」

《へぇぇ》

《あらあらぁ》


 顔をほんのり赤く染めた沙織の声が段々と小さくなっていく。目の前にいるミーとムーも興味津々だ。


「相変わらず焼けるわね。私は高校入学してからしか水樹のことは知らないけど、何かきっかけでもあったの?」

「別にそんなのは無いよ。でも、優人と一緒いると安心するっていうか……」


 沙織は火照った顔を冷やすようにソーダを飲んだ。


「幼稚園の頃、私がヤンチャ坊主にからかわれた時は駆けつけて守ってくれたし、小学生の頃に私がボールを蹴って窓ガラスを割っちゃった時は一緒にお母さんに謝ってくれて、中学の時は部活や受験で辛い時には優しく励ましてくれたし……」


 昔の思い出を懐かしみながら、沙織は自然と優しい笑みを浮かべる。


「そういう小さなことが積もっていって、どんなことも優人がいてくれればどうにかなるって思えてくるんだよねぇ」

「はははっ、青春だねぇ」

「うわっ! 吃驚したぁ!」


 沙織が話していると、いつの間にか喫茶店のマスターである内海さんがそばに立っていた。


「驚かせてすまない。ご注文の品だ」


 内海さんは気品のある動きで沙織が頼んだチョコレートケーキを彼女の目の前に置く。


「つい聞いてしまったが、いやはや、聞いてると顔がニヤニヤしてくるよ」

「マスターまで。そんなんじゃないですってば」

「そうかい? それなら別にいいんだけど。秋月君はどう? コーヒーのおかわりいる?」

「お願いします」

「ちょっと麻里奈ぁ!」


 顔を赤くしている沙織が可愛らしく、マスターと秋月はクスクス笑った。


「マスターも揶揄わないでくださいよぉ」

「いやぁすまない。ただ一つお節介を言うとね、関係を進展させたいなら早くした方が良いかもしれないよ」

「え?」

「水樹君、結構モテるみたいだからな」

「優人が? ははっ、まっさかぁぁ」

「この前、女の子と一緒にウチに来たよ。二人でね」

「えっ!」


 沙織はぎょっとして内海さんを見上げた。


「どんな子でした? 二人の様子は? どんな話してました?」

「はははっ、これ以上は秘密だ。マスターとしてお客様のことを他人にペラペラ話すわけにはいかないからね。聞き耳立ててたわけでもないし」

「ぐぬぬぬぅ!」


 沙織が恨めし気な顔で見てくるのをにっこりと笑顔で返し、内海さんは仕事に戻った。


「そういえば私もこの前、水樹が学外の女の子と一緒にいるのを見たわね」

「なぬッ!」


 去っていった内海さんの後ろ姿を睨んでいた沙織が、秋月の言葉を聞いてぐるっと首を回した。


「誰? どんな子? どこの高校?」

「さぁ。ジャージ姿だったし、どこの高校の子は分からなかったわ。ひょっとしたら学外の子じゃないのかもしれないし」

「にゅぅぅぅぅ」


 沙織は口を尖らせる。


「むぅぅぅぅぬがぁぁぁぁ!」


 いくら考えても疑惑と不安は晴れず、やがて沙織は頭を抱えてわしゃわしゃ撫でた。


「まさか優人がそんな女たらしだったなんてェ」

「まだそうと決まったわけじゃないでしょうけど。でもマスターが言った通り、沙織が水樹との関係を進展させたいなら早くした方が良いんじゃない?」

「……うぅぅ」


 沙織は照れと焦りのまじった顔で秋月を睨んだ。だが、当の秋月はその視線を受け流すように余裕のある笑みを浮かべながらコーヒーを口にした。


《っ!》

《あらぁ?》


 突然、ミーとムーがピクリと何かに反応した。険しい顔つきになって、揃ってどこかへ顔を向けた。


《沙織!》

《麻里奈ちゃん、ハデスよぉ!》

「なに!」

「行きましょう」


 それを聞いて、沙織と秋月は席を立つ。テーブルのメニューをそのままに、二人は流れるような動作で代金を置いて店を後にした。





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